中2病はこじらせればこじらせるほどいい
ネットカルチャーに精通している現在中1の息子は時折「俺中2病だから~w」などと冗談めかして言って中2病を回避しようとするのだが、間違いのないようにお母さんはここで一言、言っておきたい。中2病は決して悪いものじゃない。
私にも洗面器に水を張って、手をかざして波紋を起こすべく毎晩修行に励んでいた時期がある。力の使い方さえ覚えれば、そういった魔法のようなことが実際に起きると信じていた時期がある。また突如地震が起きてキャーっと騒ぎ立てるクラスメートをよそに「ついにきたか」って顔をしていたこともある。非常事態にこそ私の眠れる能力が解き放たれると思っていたからだ。友達から、あきこちゃんってこんなときにも動じないんだね…と言われたときにはいよいよその萌芽を感じたものだった。しかし、どうもそういうことはないらしい、ということに薄々気付き始めた頃には過去の自分の過剰な自意識が死ぬほど恥ずかしくなり、出来ることなら思い出のアルバムの該当ページを全て黒に塗りつぶしたい衝動に駆られた。あれとこれとそれ、全部やり直したかった。でも無理なので心の中に穴を掘って埋めようとするのだがやっぱりたまにふと思い出して、ああああわあああああと奇声を上げてそれを阻止、みたいなことまで含めて全てが黒歴史である。
しかしあれから随分たった今、周りを見渡してみると、どうも子供の頃にきちんと中2病をこじらせてきた大人ほど、人間的に魅力的で、面白いように思う。※私のことはさておきということでひとつお願いします。
逆に言うと子供の頃からある程度器用にやってきた人、思い出すと顔を覆ってしまいたくなるほど恥ずかしい記憶がない人、中2病をこじらせなかった人というのは、正直そんなに面白くない。面白い、面白くないというのもすごくぼんやりとした話しだけど、たとえば1、2時間他愛もない話しをしているうちに、この人の内側には一体どんな無限の宇宙が広がっているんだろう、とどこまでも想像力をかき立てられるような人、もっともっとこと人の話を聞きたい、と思わされるような人がここでいう面白い人だ。
こうありたい、こうなりたいという自分の理想像を現実の壁を無視して描き、そこに向かって人知れず努力する。よくよく考えてみると中2病というのは、“自分の理想とする美へのあくなき探求”だ。もちろん多くの人は途中でふと現実の壁の存在に気付いて探求をあきらめるし、そんな不毛な作業に夢中になっていた自分を恥ずかしく思う。でもこれら一連の過程を経て、子供は、自分という存在の実像を知ろうとするし、理想に向かって手を伸ばすことを知る。
例えばスポーツにも同じ様に理想に向かって努力するプロセスがある。けれどもこの場合、親や友人、周囲の大人から容易に理解を得られる。むしろ頑張れ頑張れと励まされさえする。しかしこれがこと中2病となると全然事情が違う。自分は選ばれた人間だから訓練したら手から波動を出せるようになるとかいくら自分が信じていても、他人に打ち明けたら頭がおかしいんじゃないかと思われることくらい分かるので、そもそも理解を得ようとも思わない。ただひたすらに孤独な戦い。だからこそ、どこまでも自由に、ときにいびつに、自分だけがよしとする理想、美を、追い求めることができるのだ。これは前に母と息子と性 - 手の中で膨らむの記事で書いた以下の部分と繋がるところでもある。
男子は人に言えない鬱屈とした性を長期間もてあますことで豊かな想像力とクリエイティビティを育むのだ(主に自慰行為の方法などで)
悲しいことに、現実にはどんなに修行を積んでも手から波動は出ない。少なくとも私はそうだった。しかし、冷静に考えれば馬鹿みたいな努力を誰にも打ち明けずに黙々と積み重ねているその間にこそ、さながら空気を吹き込まれた風船のように、その人の内なる宇宙がぐんぐん拡張されているのだ。
どんなにぼーっと過ごしていても、歳を重ねるほどに少しずつ世の中の道理が分かってくる。大人になればなるほど器用に生きられるようになる。だから、常識に邪魔されることなく、なりふり構わず理想を探求できるのは子供のうちだけだ。当然、息子にもこれからとことん中2病をこじらせてほしい。子供のうちから器用に現実との兼ね合いを考えて、恥をかかないように身の丈にあった振る舞いをしていちゃだめだ。こっぱずかしい思いをしたから何だって言うんだ、そんなこと1週間経ったら誰も覚えてなんかいない。自分がどうなりたいか、どんな魔法を使いたいか、どんな宿命を背負ってどんな敵と戦いたいか、うんと背伸びをして、絶対に届かないところに手を伸ばしてほしい。そして、ヤンキーでもエリートでもニートでもなんでもいいから、とにかく面白い大人に育って欲しい。
で、落ち着いた頃になって、「そういえばあの頃さぁwwwwwww」と真綿で首を絞めるように恥ずかしい過去を掘り起こす母親のつとめも責任をもって全うするから、どうか安心して。