カナダのロック歌手、アヴリル・ラヴィーン(Avril Lavigne)さん(30)が、ライム病のため5か月間寝たきりの状態が続き、「死ぬかもしれない」と思った時もあったと打ち明けた。

ラヴィーンさんは、長期にわたって公の場に姿を見せていなかったため、体調についての臆測が飛び交っていた。
 

ラヴィーンさんは、先月31日に米芸能誌ピープル(People)が掲載したインタビューで、ソーシャルメディア上を飛び交っていた自身の病気についてのうわさを事実と認め、病状は良くなってきていると明らかにした。

昨年、主にダニを媒介して感染するライム病と診断され、その後5か月間寝たきりの状態で過ごしたといい、「息ができないと感じた。話すことも、動くこともできなかった」「死ぬかもしれないと思った」「立っているのもやっとだったから、まる1週間、シャワーを浴びられない時もあった」などと回想した。

カナダ・オンタリオ(Ontario)州に住む母親や、ロックバンド「ニッケルバック(Nickelback)」のボーカルで夫のチャド・クルーガー(Chad Kroeger)さんの看病を受け、病状は「80%」回復したという。

★アヴリル・ラヴィーン Avril Lavigne(Avril Ramona Lavigne、1984年9月27日 - )は、カナダ・オンタリオ州ベルビルの出身のシンガーソングライター。「アブリル・ラビーン」と表記されることもある。アメリカ合衆国に拠点を置いている。

Avril Lavigne measurements
Body shape: Banana (explanation)
Dress size: 2
Breasts-Waist-Hips: 34-24-34 inches
スリーサイズ バスト86-ウエスト60-ヒップ86 cm
Shoe/Feet: 7
Bra size: 32B
Cup: B
Height: 5’0”
身長 155 cm
Weight: 110 lbs (50 kg)
Natural breasts or implants? Natural

モダン・ロック、パンク・ロック、ポップ・ロック、パワー・ポップなどの音楽性を持ち、2002年リリースのデビューアルバム『Let Go』は全世界で約2000万枚を売り上げ、アメリカでは6回プラチナディスクに選ばれた。2枚目のアルバム『Under My Skin』、3枚目の『The Best Damn Thing』は両方ともBillboard 200で1位にランク。シングルでは「Complicated」「Sk8er Boi」「I'm With You」「My Happy Ending」「Girlfriend」など11曲がトップ10入りを果たしている。現在、彼女のアルバムは全世界で4000万枚以上のセールスを達成。カナディアン・ビジネス誌は「アメリカ合衆国で活躍する最もパワフルなカナダ人ベスト7」に彼女を選出している。

2007年12月、フォーブス誌はラヴィーンを「25歳以下の最も稼ぐ人物」の8位にランクしており、その年収は1200万ドル(約12億円)と記載している。2005年6月、20歳の時カナダのバンドSum 41のリードヴォーカル兼ギターリスト、デリック・ウィブリーと婚約、結婚したが2009年9月に別居中であることを発表、同年10月9日にロサンゼルス裁判所に「和解し難い不和」を理由に離婚を申請。2010年11月に正式に離婚が成立した。子供はいない。身長公称158cm。瞳の色はグレー。 ニッケルバックのチャド・クルーガーと2012年8月8日に婚約。2013年7月1日に南フランスにて挙式。

私生活
ベジタリアンと思われていた彼女だが、2003年1月のSeventeen誌で時々チーズバーガーを食べる、と認めた。ラヴィーン曰く肉を食べるのはあまり好きではないがベジタリアンといった覚えは無いとし「肉を食べている私を非難しないように」。好きな食べ物はピザ、得意な料理はパスタ類。家では家事もするとテレビで発言しており母が毎日料理をしていてそれを見ていたから大体なんでも作れると言っている。 右手首に小さなタトゥーがあり、デザインはファーストアルバムのジャケットとマッチするようになっている。ベン・ムーディーやその他友達と同時期に入れたのだという。

また2004年末には右手首に夫のデリックのイニシャルDを象った新たなタトゥーを入れた[49]。夫デリックとは2004年2月より交際が始まり2005年6月27日に婚約。デリックはイタリア・ヴェネツィアに彼女を誘いゴンドラやピクニックをしてプロポーズしたという。

2006年7月15日に、ロサンゼルス郊外、サンタバーバラ東隣のモンテチトで挙式。参列者は110人と地味婚を選んだ。若くして結婚したことについては「たまたま早い時期に出会っただけ」と述べ「幸せ。結婚はオススメ」と言っていたが、2009年9月デリックと別居中であることを自身のHPで発表。
10月9日に正式に裁判所に離婚を申請。2010年11月に正式に離婚が成立。婚前にある程度の協定を交わしていたことからビバリーヒルズの邸宅や楽器コレクションなどは彼女がキープし、比較的穏便な離婚となった。尚、ミュージシャンとしては互いに尊敬し合っており今後も協力体制を執っていくという。

別居後の2010年からはMTVの『The Hills』に出演するモデルでタレントのブロディ・ジェンナーと交際。互いの名前をタトゥーする熱愛ぶりを発揮している。

ラヴィーンは某インタビューにて好きなパーティーソングはアウトキャストのHey Ya!と言っており、サード・アイ・ブラインド、オアシス、マリリン・マンソン、システム・オブ・ア・ダウン、ブリンク 182などが好みで、特にブリンクの『I Miss You』が好き。好きな男性に聞かせたい曲は?という質問にはグー・グー・ドールズの『Iris』、コールドプレイ、オアシス、レディオヘッド(アルバム『The Bends』がフェイバリット)と答えている。

その他好きなミュージシャンはロストプロフェッツ、Sum 41、インキュバス、P.O.D.、マッチボックス・トゥエンティ、アラニス・モリセット、グリーン・デイ、リンキン・パーク(2004年に行われ自身も参加したロック・フェスティバル、Rock Am Ringの映像でリンキン・パークの演奏をステージ横で観覧している様子が映っている)。ジャンルはポップス。またイギリスのロックバンド、ザ・ダークネスについて「ダークネスは私が一緒にレコーディングしたい世界で唯一のバンドです」と公言している。

趣味はスケートボード(14歳の頃から)、ホッケー、狩り、キャンプ。 結婚前は好きな男性のタイプをインタビューでしばしば聞かれていたが、ほぼ毎回「パンクロッカー、もしくはロックスターみたいな人」と答えていた。日本でもベッキーから同じ質問を受け同じ答えを返していた。ベッキーは"ロックスター"を 「ローリングストーンズ?」と聞き間違えラヴィーンは「もっと若いロッカーがいいわ」と返答していた。

身長は公称158cm。この値が事実ならば、同年代ではクリスティーナ・アギレラやニコール・リッチー、ヒラリー・ダフなどよりは高く、ジェシカ・シンプソンとほぼ同じ高さである。ただし実際には公称より低いと言われている(156cmのクリスティーナ・アギレラと双方靴の無い状態で並んだところ、アヴリルのほうが低いという状況が確認されている)。

パパラッチが大嫌いである。2006年10月にナイトクラブから出てきて写真を撮るパパラッチに夫婦揃って、唾をかけた。パパラッチがこれに激怒して記事に書き立てたのが原因で大問題に発展してしまい、後にアヴリルはパパラッチに謝罪の言葉を述べたが、その後「2年前からやっていることなのに、あの時だけ大事件になった」と発言した。

カリフォルニア州ビバリーヒルズに400万ドル(約4億円)のイタリア様式の豪邸を所有している。その他、ドラマーのトラヴィス・バーカーが高級住宅街ベルエアに所有していた邸宅を950万ドル(約9億5000万円)で購入。

2007年の新曲「Girlfriend」のPVではダンス・演技(二役)・バンド演奏と今までに見たことが無い姿が見ることができる。またこの曲はドイツ語、フランス語、イタリア語、中国語、ポルトガル語、英語、スペイン語、日本語を含めた8カ国語版もレコーディングされており、レコーディングに悪戦苦闘しながらも着々とこなしている模様がExclusiveコンサートの曲の合間に放送された。

この曲の英語、日本語、スペイン語、中国語版はレースゲーム「バーンアウト ドミネーター」に収録されている。またCBSのトークショー"Late Late Show"に出演した際、この曲について「たくさんの言語で覚えたんだよ」と語りドイツ語と日本語をGirlfriendのリズムに乗せて披露した(トークで)。アヴリルの日本語Girlfriendは(HeyHeyあの娘はイマイチ、YoYo新しい娘必要)と歌った、司会者のクレイグ・ファーガソンに「I love that! That's great!」と絶賛された。彼女は「ちょっと言葉が間違っているかも」と付け加えた。

一時期彼女のトレードマークともなっていたピンクのエクステはアルバム『The Best Damn Thing』の製作に合わせて付けられた。

慈善活動
ラヴィーンは Make Some Noise、AmericanCPR.org、Music Clearing Minefields、U.S. Campaign for Burma、War Child、メイク・ア・ウィッシュなどのチャリティーグループのメンバーでもある。またALDOの広告にてエイズの世界的予防と献金を募った。2006年11月28日、カナダ・ケベックで行われた、ALDO、ユニセフ主催の「Unite Against Aids」コンサートにも参加。このコンサートのスペシャルゲストには彼女の他にマリー・マイ、サラ・マクラクランなどが登場した。2005年の東海岸ツアー中、環境NGOのReverbに参加

★ライム病(Lyme disease、ライムボレリア症〈Lyme borreliosis〉)は、ノネズミやシカ、野鳥などを保菌動物とし、マダニ科マダニ属 Ixodes ricinus 群のマダニに媒介されるスピロヘータの一種、ボレリア Borrelia の感染によって引き起こされる人獣共通感染症の1つ。

感染症法における四類感染症である。野生動物では感染しても発症しないが、人、犬、馬、牛では臨床症状を示す。名前の由来は、アメリカコネチカット州のライム(英語版)及びオールドライム(英語版)で1975年に最初に確認(記載は1977年)されたことにちなむ。

症状
特徴的な遊走性紅斑潜伏期マダニの刺咬より数日 - 数週間。マダニは数日間吸血し続け、若虫では数 mm、成虫では1 cm 程度まで飽血する。ボレリアのマダニからヒトへの伝播には、48時間以上の吸血が必要とされる。

ダニが刺した部位で菌が増殖し、3 - 32日間かけて周囲の皮膚へ広がる。

第1期:感染初期 (stage I)マダニの咬着より数日から数週間後に、刺咬部を中心とした特徴的な遊走性紅斑を呈する。この症状は、狭義の B. burgdorferi 以外による非典型的なライム病でもすべてに共通して発症するが、無症状な人も約25%いる。
リンパ節の腫張や、筋肉痛、関節痛、頭痛、発熱、悪寒、倦怠感などのインフルエンザ似の症状を伴うこともある。体調の悪さと疲労感は数週間続くので、紅斑が出ない場合は特にインフルエンザやかぜと間違えられることがある。

第2期:播種期 (stage II)体内循環によって病原体が全身に拡散することにより、皮膚症状、神経症状(髄膜炎や脊髄神経根炎、末梢性顔面神経麻痺)、心疾患、眼症状、関節炎、筋肉炎など多彩な症状が現れる。不整脈などの循環器症状、リンパ球腫などを呈することもある。

第3期:慢性期 (stage III)感染から数か月から数年後に、慢性萎縮性肢端皮膚炎、慢性関節炎、慢性脳脊髄炎、角膜炎などを生ずる。

診断と治療
病原体を培養するのは非常に難しいため、血液中の細菌に対する抗体価を測る方法が一般的である[3]。患者からの2次感染の可能性はない。ライム病の初期には抗体価が陰性のことが多く、感染していない人に陽性反応が出ることもあるので、典型的な症状の有無、発生地域に住んでいるか、あるいは発生地域を訪ねたことがあるか、などを考慮する。

診断確定診断 神経症状を発症した患者では、骨髄液をBSK2培地に接種し、34 ℃ で2 - 4週間培養し、病原体を分離する。抗体の検出は、ELISA、ウエスタンブロット法、間接蛍光抗体法 (IFA) などが用いられる。治療マダニに刺されただけで発疹などの症状が出ない場合は、一般に抗生物質は使用しなくともよい。日本では使用可能なワクチンはない。

■森林を歩く際の注意
足首からふくらはぎにかけて露出しないようにズボンの裾を止める、もしくは靴下の中に入れ込む。
ダニの付着が判別しやすい明るい色の衣服を着用し、休憩時などに同行者同士でダニの付着の有無を確認する。

ダニを取り除くときにはピンセットや先のとがった毛抜きなどを用い、皮膚にできるだけ近いところでダニの頭か口を挟んでまっすぐ上に引き抜く。体の部分を挟むと、つぶれて機械的に病原体の注入が起こり、感染の確率が高まるので、挟んではいけない。

取り除いたダニは保管しておく。後日、症状が出た場合には病院へ持参する。咬着後24時間以内に除去すると、感染率が低いと言われている。
スプレー式の防虫剤は有効なので、必要に応じて利用する。
ケイト・ブランシェット、年取りすぎで『シンデレラ』継母役になったと自虐ジョーク【第65回ベルリン国際映画祭】

ケイト・ブランシェット、年取りすぎで『シンデレラ』継母役になったと自虐ジョーク



 現地時間13日、第65回ベルリン国際映画祭で映画『シンデレラ』がコンペティション外として上映され、ケネス・ブラナー監督、ケイト・ブランシェット(継母役)、ヘレナ・ボナム=カーター(フェアリー・ゴッドマザー役)、リリー・ジェームズ(シンデレラ役)、ステラン・スカルスガルド(大公役)、リチャード・マッデン(王子役)、衣装デザインのサンディ・パウエルらが会見を行った。

 本作は、シンデレラを現代の技術で実写化したディズニー映画。「一番大変だったのは期待に応えなくてはいけないこと。世界中の6歳をがっかりさせるわけにはいかないわ」とパウエルが言うコスチュームは、CGの効果もあいまって息をのむ美しさだ。「でもトイレには入れないの。サンディ(・パウエル)は天才だけど、必ずしも快適さが優先されるわけではないから」とヘレナがそのコスチュームで演じる苦労も明かした。


 あまりにもよく知られたストーリーを映画化することについて、ブラナー監督は「オリジナルのディズニーアニメ『シンデレラ』はここで65年前に上映されているし、“シンデレラストーリー”という表現もしばしば使われる。それはなぜだろう、どうしてそれほどまでに意識に上るのか、というところから考え始めた」と製作のプロセスを語った。


 美しくも底意地の悪い継母を演じたのがケイト。配役を見て、ケイトがシンデレラで、ヘレナが継母と思い込む人もいたようだが、ケイトは「わたしはシンデレラをやるには年を取りすぎているし、魔法使いをやるには面白味がないから、残った継母になっちゃった」とジョークで答えた。



 ディズニー大作にふさわしく、出演者がズラリと並んだ豪華な会見は、貫禄と余裕を感じさせるケイトに、会場を沸かせるヘレナ、ほかの人の発言に朗らかに笑うリリーと、それぞれの個性が表れ、配役の妙を感じさせるものとなった。(取材・文:山口ゆかり / Yukari Yamaguchi)


映画『シンデレラ』は4月25日より全国公開

★ケイト・ブランシェット(Cate Blanchett, 本名: キャサリン・エリーズ・ブランシェット、Catherine Élise Blanchett, 1969年5月14日 - )は、オーストラリア出身の女優。
Cate Blanchett measurements
Body shape: Banana (explanation)
Dress size: 4
Breasts-Waist-Hips: 34-26-35 inches
スリーサイズ(バスト86-ウエスト66-ヒップ89 cm)
Shoe/Feet: 9
Bra size: 32B
Cup size: B
Height: 5’9″ (174 cm)
Weight: 130 lbs (59 kg)
Natural breasts or implants? Implants

私生活

1997年12年29月に劇作家のアンドリュー・アプトンとロンドンで結婚。2001年12月3日に長男(ダシエル・ジョン)、2004年4月23日に次男(ローマン・ロバート)、2008年4月13日には三男(イグナティウス・マーティン)を出産。2000年代前半まではイギリスで暮らしていたが、現在は家族と共にオーストラリア・シドニーで暮らしている。

「SK-II」と「アルマーニ」のグローバル・アンバサダーを務めている。

○キャリア

1993年に『Kafka Dances』でシドニー劇場批評家協会賞の新人賞を受賞。ジェフリー・ラッシュと共演した『オレアナ』で最優秀女優賞を受賞した。これはシドニー劇場批評家協会賞で史上初のダブル受賞でもあった。

1994年に『Police Rescue』で映画デビューし、1996年公開の『Paradise Road』でハリウッド進出を果たす。1997年公開のレイフ・ファインズと共演した『オスカーとルシンダ』で国際的な評価を得る。

1998年公開の『エリザベス』でエリザベス1世を演じゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)を受賞。アカデミー主演女優賞にもノミネートされ、一躍トップ・スターとなる。翌年の『ピープル』誌の「最も美しい50人」のひとりに選出された。

2001年からの『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズではガラドリエルを演じ、演技派・実力派女優としての地位を築く。2004年公開の『アビエイター』でアメリカの大女優キャサリン・ヘプバーンを演じ、アカデミー助演女優賞を受賞、2007年公開の『アイム・ノット・ゼア』でボブ・ディランを演じ、ゴールデングローブ賞 助演女優賞を受賞した。

2008年1月に夫のアンドリュー・アプトンとともにオーストラリアで最も権威ある劇団シドニー・シアター・カンパニー(Sydney Theatre Company、STC)の監督に3年の任期で就任することが決定している。また、同年4月に行われる「オーストラリア2020サミット」の文化芸術会議「Towards a Creative Australia(創造的なオーストラリアを目ざして)」の委員長に任命された。

2008年12月5日にこれまでの功績が称えられ、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれた。

2013年に公開されたウディ・アレン監督の映画『ブルージャスミン』において、結婚生活が崩壊したために妹のもとで倹約生活を送らざるを得なくなった女性を演じた。この演技が彼女のキャリアの中で最も素晴らしい演技だと称賛され、ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)、アカデミー主演女優賞を獲得した


★受賞

アカデミー賞

主演女優賞
2013年『ブルージャスミン』
助演女優賞
2004年『アビエイター』

ヴェネツィア国際映画祭

女優賞
2007年『アイム・ノット・ゼア』

全米映画批評家協会賞

主演女優賞
2013年『ブルージャスミン』
助演女優賞
2007年『アイム・ノット・ゼア』

ニューヨーク映画批評家協会賞

主演女優賞
2013年『ブルージャスミン』

ロサンゼルス映画批評家協会賞

主演女優賞
2013年『ブルージャスミン』

放送映画批評家協会賞

主演女優賞
1998年『エリザベス』
2013年『ブルージャスミン』

英国アカデミー賞

主演女優賞
1998年『エリザベス』
2013年『ブルージャスミン』
助演女優賞
2004年『アビエイター』

ゴールデングローブ賞

主演女優賞(ドラマ部門)
1998年『エリザベス』
2013年『ブルージャスミン』
助演女優賞
2007年『アイム・ノット・ゼア』

全米映画俳優組合賞

主演女優賞
2013年『ブルージャスミン』
助演女優賞
2004年『アビエイター』
米映画の黄金期に活躍したオスカー女優ジョーン・フォンテイン(Joan Fontaine)さんが15日、死去した。96歳だった。米メディアが報じた。

 米エンターテインメント情報誌ハリウッド・リポーター(Hollywood Reporter)がフォンテインさんの助手の話として伝えたところでは、フォンテインさんは米カリフォルニア(California)州北部カーメル(Carmel)の自宅で、老衰のために亡くなった。

 英国人の両親を持ち、日本で生まれたフォンテインさんは1919年に米国に移住し、姉のオリビア・デ・ハビランド(Olivia de Havilland)さんと共に女優を志した。

 アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock)監督に見いだされ、女優として開花。同監督の『断崖(Suspicion)』でアカデミー主演女優賞を受賞した。ヒッチコック監督作品で主演女優賞を受賞したのはフォンテインさんただ1人。

 姉のオリビアさんも『遥かなるわが子(To Each His Own)』などで2度主演女優賞を受賞。アカデミー賞史上、兄弟や姉妹がともに主演賞を受賞したのは、フォンテインさん姉妹だけだ。

★ジョーン・フォンテイン(Joan Fontaine, 1917年10月22日 - 2013年12月15日)は、日本で生まれた米国籍の女優。ジョーン・フォンテーンの表記でも広く知られている。両親ともイギリス人。1943年4月に米国籍を取得した。オリヴィア・デ・ハヴィランドは実姉。

生涯

父親が東京帝国大学で教授をしていたため、姉のオリヴィアと同じく、東京・虎ノ門で生まれる。自伝『No Bed for Rose』によれば、自宅は現在のホテルオークラ別館あたりにあり、自宅はのちスウェーデン大使館として使われた。現在は大使館の敷地の一部となっている。父ウォルターの甥は、デ・ハビランド・エアクラフト創業者、ジェフリー・デ・ハヴィランド。

ジョーンは虚弱体質で、2歳のとき医師に転地療養を薦められ、母とイタリアに向かった。だが、症状が悪化し、アメリカに渡り、カリフォルニア州のサラトガで育つ。1925年、8歳のとき両親が離婚。

14歳のとき父が元メイドの日本女性と再婚したため、父を訪ねて再び日本に戻り、3年間滞在。アメリカンスクール・イン・ジャパンと聖心女子学院に通った。

健康を回復し、アメリカに帰国。1935年に舞台デビューし、同年にRKOと契約して映画にも出演するようになる。『風と共に去りぬ』の有名なスカーレット選びにも参加し、「スカーレットが無理ならメラニーでも」と猛烈に売り込みを図るも姉に奪われ、自殺まで考えた。だが『レベッカ』の映画化を知り、プロデューサーのデヴィッド・O・セルズニックに売り込み、同作のヒロインに収まった。

清楚な美貌とその震える肩で虐げられるメロドラマのヒロインを得意とした。しかし姉と親しかった男と結婚したり、計4度の離婚歴があるなど、エピソードにも事欠かない。1941年、アルフレッド・ヒッチコックのスリラー『断崖』でアカデミー主演女優賞を受賞した。

エピソード
3歳の時の知能検査ではIQ160であった。
特許弁護士であった彼女の父親は”A, B, C of Go”と云う英語で書かれた碁の教則本を出版している。
アカデミー賞の歴史で、姉妹で主演女優賞を受賞しているのはオリヴィアとジョーンだけである。
姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドとの仲の悪さ、確執は有名である。姉が出席する会合には決して参加せず、たまたま出会っても決して口を聞こうとはしなかった。
1962年(昭和37年)3月15日、来日。久々に日本の地を踏んだ。
パイロットの免許を持ち、熱気球のチャンピオンでもあり、優れたライダーでもあり、カジキ釣りで賞をもらい、またホール・イン・ワンを経験した優れたゴルファーでもあり、一流の料理人でもあり、インテリア・デザイナーの資格も持っていた。
サンフランシスコ近郊カーメル市の養老院で余生を過ごしていたが、フランス在住の姉とは違い、映画関係のイベントや会合には出席しない等、一切、映画関係者とは関係を持たずにいた。2013年12月15日、カリフォルニア州カーメルの自宅で老衰のため死去。96歳没。

主な出演作品
公開年 邦題 原題 役名 備考

1935 男子牽制
No More Ladies キャリー
1937 偽装の女
Quality Street シャーロット クレジットなし
踊る騎士
A Damsel in Distress Lady Alyce Marshmorton
1938 大空に賭ける
Sky Giant メグ・ローレンス
1939 ガンガ・ディン
Gunga Din エミー
ザ・ウィメン
The Women ペギー・デイ
1940 レベッカ
Rebecca ミセス・デ・ウィンター
1941 断崖
Suspicion リナ アカデミー主演女優賞 受賞
1942 純愛の誓い
This Above All プルーデンス・キャサウェイ
1943 永遠の処女
The Constant Nymph テッサ
1944 ジェーン・エア
Jane Eyre ジェーン・エア
情炎の海
Frenchman's Creek ドナ
1945 失恋四人男
The Affairs of Susan スーザン・ダレル
1946 小さな愛の日
From This Day Forward スーザン・カニングス
1948 忘れじの面影
Letter from an Unknown Woman リサ
皇帝円舞曲
The Emperor Waltz
不時着結婚
You Gotta Stay Happy ディー・ディー
暴れ者
Kiss the Blood Off My Hands ジェーン
1950 旅愁
September Affair マリアンヌ・スチュアート
生まれながらの悪女
Born to Be Bad クリスタベル
1951 生きるためのもの
Something to Live For ジェニー
1952 黒騎士
Ivanhoe ロウィーナ
1953 デカメロン夜話
Decameron Nights
熱砂の大脱走
Flight to Tangier スーザン・レイン
二重結婚者
The Bigamist エヴァ・グラハム
1954 豪傑カサノヴァ
Casanova's Big Night フランチェスカ・ブルーニ
1956 条理ある疑いの彼方に
Beyond a Reasonable Doubt スーザン・スペンサーン
愛のセレナーデ
Serenade ケンダル
1957 日のあたる島
Island in the Sun マヴィス・ノーマン
1958 ある微笑
A Certain Smile フランソワ
1961 地球の危機
Voyage to The Bottom of The Sea スーザン・ヒラー博士
夜は帰って来ない
Tender Is the Night ベイビー・ウォレン
1966 影なき裁き
The Witches グゥェン・メイフィールド

受賞歴

賞 年 部門 作品名 結果

アカデミー賞 1940年 主演女優賞 『レベッカ』 ノミネート
1941年 『断崖』 受賞
1943年 『永遠の処女』 ノミネート
ニューヨーク映画批評家協会賞 1941年 主演女優賞 『レベッカ』 受賞



Joan Fontaine
ジョーン・フォンテイン
ジョーン・フォンテイン
『断崖』(1941)

本名
Joan de Beauvoir de Havilland

生年月日
1917年10月22日

没年月日
2013年12月15日(満96歳没)

出生地
日本の旗 日本・東京府

死没地
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・カリフォルニア州カーメル・バイ・ザ・シー

国籍
イギリスの旗 イギリス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

配偶者
ブライアン・エイハーン (1939-1945)
William Dozier (1946-1951)
Collier Young (1952-1961)
Alfred Wright, Jr. (1964-1969)

家族
オリヴィア・デ・ハヴィランド(姉)
デボラ・レスリー(娘)

主な作品

『レベッカ』
『断崖』
『ジェーン・エア』
『旅愁』




受賞

アカデミー賞

主演女優賞
1941年『断崖』

歌手のマイリー・サイラス(Miley Cyrus)が「タイム(Time)誌のベストドレッサーとワーストドレッサーの両方でランクインし、波紋を呼んでいる。

 今年、マイリーが最も悪趣味だと評されたのは、MTVアワードで着用したヌードカラーのラテックス製の下着姿。まるで幼い子供のように髪をゴムで結ったヘアスタイルは、さらに波紋を呼び、その姿は世界中で話題となった。

 しかし、FGI主催第30回ナイト・オブ・スターズに出席した際は、「マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)」のフロアレンスのきらびやかなドレスを着用して登場。そのスタイリッシュな姿はMTVアワードの時とは一転し、高く評価された。

 今回発表されたベストドレッサーの1位を飾ったのは、時の女優、ジェニファー・ローレンス(Jennifer Lawrence)だった。アカデミー賞の授賞式で着用した「ディオール(Dior)」の薄ピンクのガウンが高く評価された。続いて2位は、英キャサリン妃(Catherine,Duchess of Cambridge)。そのスタイリッシュな妊婦スタイル、特にナショナル・ポートレート・ギャラリー(National Portrait Gallery)を訪問した際に着用した「エミリア・ウィックステッド(Emilia Wickstead)」のブルーのドレスがランクインの大きな要因となった。

 一方、ワーストドレッサー賞ではマイリーに次ぎランクインしたのは、キム・カーダシアン(Kim Kardashian)。ジバンシィ「(Givenchy)」のリカルド・ティッシがデザインしたボールガウンを着用したも残念な結果となった。3位は、オスカー賞授賞式の際に、乳首を強調する「プラダ(Prada)」のピンクのガウンを着たことで酷評されたアン・ハサウェイ(Anne Hathaway)。

■ベストドレッサーTOP10
1.ジェニファー・ローレンス/ディオール
2.英キャサリン妃/エミリア・ウィックステッド
3.リアーナ(Rihanna)/アズディン・アライア(Azzedine Alaia)
4.ジェーン・フォンダ(Jane Fonda)/アトリエ ヴェルサーチ(Atelier Versace)
5.ケイト・ハドソン(Kate Hudson)/アレキサンダー・マックイーン(Alexander McQueen)
6.マイリー・サイラス/マーク・ジェイコブス
7.マライア・キャリー(Mariah Carey)/キラキラのギプス
8.セレーナ・ゴメス(Selena Gomez)/アトリエ ヴェルサーチ
9.チャニング・テイタム(Channing Tatum)/グッチ(Gucci)
10.ソランジュ・ノウルズ(Solange Knowles)/マイケル・コース(Michael Kors)

■ワーストドレッサーTOP10
1.マイリー・サイラス/ラテックスビキニ
2.キム・カーダシアン/ジバンシィ
3.アン・ハサウェイ/プラダ
4.Z LaLa/シルバースター
5.ジャスティン・ビーバー(Jusin Bieber)/ガスマスク
6.フローレンス・ウェルチ(Florence Welch)/ミュウミュウ(Miu Miu)
7.Zosia Mamet/オーナー(Honor)
8.ジュリアン・ハフ(Julianne Hough)/ジェニー・パッカム(Jenny Packham)
9.ケシャ(Ke$ha)/ジバンシィ
10.リタ・オラ(Rita Ora)/ウリヤナ・セルギエンコ(Ulyana Sergeenko)
英女優でオスカー受賞経験もあるケイト・ウィンスレット(Kate Winslet)さん(38)が7日、男の子を出産した。ウィンスレットさんの広報担当者が11日、発表した。

 ウィンスレットさんは昨年、英ヴァージン(Virgin)グループのリチャード・ブランソン(Richard Branson)会長のおいであるネッド・ロックンロール(Ned RocknRoll)さんと再々婚していた。男の子はウィンスレットさんにとっては3人目、夫婦にとっては初めての子どもとなる。

 夫であるロックンロールさんは、元の名を「アベル・スミス(Abel Smith)」といい、ヴァージングループ傘下の宇宙旅行会社ヴァージン・ギャラクティック(Virgin Galactic)でパートタイム勤務をしているという。

 ウィンスレットさんはこれまで、最初の夫であるジム・スレプレトン(Jim Threapleton)さんとの間に娘のミア・ハニー(Mia Honey)ちゃんを、2人目の夫でオスカー受賞歴を持つサム・メンデス(Sam Mendes)監督との間に息子のジョー・アルフィー(Joe Alfie)君を授かっている

★ケイト・エリザベス・ウィンスレット, CBE(Kate Elizabeth Winslet, CBE, 1975年10月5日 - )は、イギリスの女優。アカデミー賞主演女優賞を受賞し、6度のノミネート経験を持つ実力派女優として知られる。



生い立ち

イングランド・バークシャー州レディングで生まれる。祖父母、両親、叔父、姉と妹も俳優である。

英国国教会派として育ち、11歳から16歳まで地元の演劇学校に通った[2]。学生時代は足の太さや体格などでいじめられたという。

キャリア

コマーシャルや舞台、テレビドラマなどの出演を経て、1994年にヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞を受賞した『乙女の祈り』で映画デビュー。翌年公開の『いつか晴れた日に』でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、英国アカデミー賞では助演女優賞を受賞した。

1997年公開のハリウッド大作『タイタニック』のヒロイン、ローズ役で一躍知られるようになり、この作品でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。また、『タイタニック』や『ハムレット』、『クイルズ』、『ネバーランド』など、コスチューム・プレイの作品が多いことから「コルセット・ケイト(Corset Kate)」というニックネームが付けられた。

2000年のグラミー賞でBest Spoken Word Album for Childrenを受賞[4]。2001年には『クリスマス・キャロル』の主題歌である『What If?』というシングルをリリース[5]し、イギリスでは初登場6位、アイルランドでは初登場1位を記録した。同年公開の『アイリス』で若き日のアイリス・マードックを演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。

2004年公開の『エターナル・サンシャイン』、2006年公開の『リトル・チルドレン』でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。また、2005年にBBCで放送されている『エキストラ:スターに近づけ!』にゲスト出演し、エミー賞ゲスト女優賞にノミネートされた。

2008年公開の『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』と『愛を読むひと』の演技により、第66回ゴールデングローブ賞では前者の作品で主演女優賞 (ドラマ部門)を、後者の作品で助演女優賞と、ダブル受賞を果たした。第81回アカデミー賞では『愛を読むひと』で主演女優賞を受賞した。

2011年にHBOで放送されたテレビ・ミニシリーズ『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』でエミー賞・プライムタイム・エミー賞主演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)を受賞した。

2009年現在、33歳で6回のアカデミー賞ノミネートは最年少記録でもある(それまでの最年少記録はベティ・デイヴィスの34歳で6回のノミネート)。

私生活

過去に『Dark Season』で共演した俳優兼作家のステファン・トレンドレ(1997年12月に癌で他界)や俳優のルーファス・シーウェルと交際していた。『タイタニック』で共演したレオナルド・ディカプリオとは親友で、よく連絡を取り合い、食事にも行く。その為、彼女の子供たちは彼によく懐いている。

1998年11月22日、『グッバイ・モロッコ』の助監督のジム・スレアプレトン(英語版)と結婚。2000年10月12日に長女(ミア・ハニー・スレアプレトン)を出産したが、2001年に離婚。

2003年5月24日、舞台演出家兼映画監督のサム・メンデスと再婚し、同年12月22日に長男(ジョー・アルフィー・ウィンスレット・メンデス)を出産。家族と共にロンドンとニューヨークで暮らす。

2010年3月15日、すでにサム・メンデスとは別居をしており離婚手続き中であることを弁護士を通じて発表。

その後モデルのルイス・ダウラー(Louis Dowler)と交際していたが2010年11月、破局が報じられる。

2012年12月、ヴァージン・グループの創業者リチャード・ブランソンの甥ネッド・ロックンロールと結婚した。

主な出演作品

映画
年 日本語題 原題 役名 備考

1994 乙女の祈り
Heavenly Creatures ジュリエット
1995 タイムマスター/時空をかける少年
A Kid in King Arthur's Court サラ姫
いつか晴れた日に
Sense and Sensibility マリアンヌ・ダッシュウッド 英国アカデミー賞 助演女優賞受賞
アカデミー助演女優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞 助演女優賞ノミネート
1996 日蔭のふたり
Jude スー・ブライドヘッド
ハムレット
Hamlet オフィーリア
1997 タイタニック
Titanic ローズ・デウィット・ブケイター アカデミー主演女優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)ノミネート
1998 グッバイ・モロッコ
Hideous Kinky ジュリア
1999 Faeries ブリジット 声の出演
ホーリー・スモーク
Holy Smoke ルース・バロン
2000 クイルズ
Quills マドレーヌ
2001 エニグマ
Enigma ヘスター・ウォレス
クリスマス・キャロル
Christmas Carol: The Movie ベル 声の出演
アイリス
Iris 若き日のアイリス・マードック アカデミー助演女優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞 助演女優賞ノミネート
英国アカデミー賞 助演女優賞ノミネート
2003 ライフ・オブ・デビッド・ゲイル
The Life of David Gale ビッツィー・ブルーム
2004 エターナル・サンシャイン
Eternal Sunshine of the Spotless Mind クレメンタイン・クルシェンスキー アカデミー主演女優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
英国アカデミー賞 主演女優賞ノミネート
ネバーランド
Finding Neverland シルヴィア・ルウェリン・デイヴィズ 英国アカデミー賞 主演女優賞ノミネート
2005 Romance & Cigarettes ツーラ
2006 オール・ザ・キングスメン
All the King's Men アン・スタントン
リトル・チルドレン
Little Children サラ・ピアース アカデミー主演女優賞ノミネート
ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)ノミネート
英国アカデミー賞 主演女優賞ノミネート
マウス・タウン ロディとリタの大冒険
Flushed Away リタ 声の出演
ホリデイ
The Holiday アイリス
ブルーオアシスII 3D
Deep Sea 3D ナレーター 声の出演
2008 きつねと私の12か月
Le renard et l'enfant ナレーター 声の出演 (英語版)
愛を読むひと
The Reader ハンナ・シュミッツ アカデミー主演女優賞受賞
ゴールデングローブ賞 助演女優賞受賞
英国アカデミー賞 主演女優賞
レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで
Revolutionary Road エイプリル・ウィーラー ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)受賞
英国アカデミー賞 主演女優賞ノミネート
2011 コンテイジョン
Contagion エリン・ミアーズ医師
おとなのけんか
Carnage ナンシー・カウワン ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)ノミネート
2013 ムービー43
Movie 43 ベス 「The Catch」のみ
とらわれて夏
Labor Day アデル・ウィーラー

テレビシリーズ
年 日本語題 原題 役名 備考

1991 Dark Season レート 計6話出演
1992 Get Back エレノア・スウィート 計3話出演
2011 ミルドレッド・ピアース 幸せの代償
Mildred Pierce ミルドレット・ピアース ミニシリーズ
プライムタイム・エミー賞主演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)受賞
ゴールデングローブ賞主演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)受賞

主な受賞
アカデミー賞 2008年度 主演女優賞 『愛を読むひと』

ゴールデングローブ賞 2008年度 主演女優賞 (ドラマ部門) 『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』
2008年度 助演女優賞 『愛を読むひと』
2011年度 主演女優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門) 『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』

英国アカデミー賞 1995年度 助演女優賞 『いつか晴れた日に』
2008年度 主演女優賞 『愛を読むひと』

ロサンゼルス映画批評家協会賞 2001年度 助演女優賞 『アイリス』

ロンドン映画批評家協会賞 1995年度 英国主演女優賞 『乙女の祈り』
2004年度 英国主演女優賞 『エターナル・サンシャイン』

ヨーロッパ映画賞 1998年度 観客賞 (女優賞) 『タイタニック』
2001年度 観客賞 (女優賞) 『アイリス』
2009年度 女優賞 『愛を読むひと』

放送映画批評家協会賞 2008年度 助演女優賞 『愛を読むひと』

全米映画俳優組合賞 1995年度 助演女優賞 『いつか晴れた日に』
2008年度 助演女優賞 『愛を読むひと』

グラミー賞 2000年度 Best Spoken Word Album for Children 『Listen To the Storyteller』

エミー賞 2011年 プライムタイム・エミー賞主演女優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』

セザール賞 2012年 名誉賞

女優のクリステン・スチュワート(Kristen Stewart)が、2014年公開予定の「シャネル(Chanel)」の広告ビジュアルにモデルとして起用された。カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が撮影を担当した。



 クリステンは、10日に発表された「シャネル」のメティエダール・コレクション(Metiers d’Art)にも自家用ジェットで参加し、カールを絶賛した。



 関係者は「クリステンはカールの大ファンなので、今回ショーに招待されたことを光栄に思っていました。彼女はカールのスタイルとユーモアたっぷりのセンスが大好きなのです」と語った。 



 クリステンにとってモデルの仕事は、「バレンシアガ(Balenciaga)」のフレグランス製品で広告キャンペーンに出演して以来。2度目の大きな仕事となる

★クリステン・スチュワート(Kristen Stewart, 本名: Kristen Jaymes Stewart, 1990年4月9日 ‐ )は、アメリカ合衆国で活動する女優。『トワイライト』シリーズのベラ・スワン役で知られている。また、『パニック・ルーム』、『ザスーラ』、『アドベンチャーランドへようこそ』などにも出演している。


生い立ち
カリフォルニア州ロサンゼルス出身[1]。父親のジョン・スチュワートはFoxのプロデューサー[2]、母親のジュールズ・マン=スチュワートはオーストラリア・サンシャイン・コースト出身の脚本家、兄のキャメロンはサーファー。もう一人養子である兄テイラーがいる。

キャリア
1999年頃からのテレビドラマの端役として出演し、2001年公開の映画『The Safety of Objects』でパトリシア・クラークソンの娘役で映画デビュー。

2002年公開の『パニック・ルーム』で主演がニコール・キッドマンからジョディ・フォスターに交代したことから、娘役も当初キャスティングされていたヘイデン・パネッティーアからクリステンに代わった。この作品でハリウッド注目の子役となる。

2008年にはステファニー・メイヤー原作のベストセラー小説『トワイライト』に主演のベラ・スワン役で出演。映画は1億ドルを超えるヒットとなり大ブレイク、この作品でMTVムービー・アワード女優賞を受賞した。翌年公開の続編も大ヒットとなり、英国アカデミー賞ライジング・スター賞を受賞。以降続編の『ニュームーン』、3作目の『エクリプス』など、トワイライト・サーガの全編でベラ役を演じている。

私生活

2004年公開の映画speakで共演した俳優のマイケル・アンガラノと交際していた。 その後『トワイライト~初恋~』での共演をきっかけにロバート・パティンソンと交際。2012年に『スノーホワイト』の監督ルパート・サンダースとの不倫報道後一度破局、その後一時復縁したが再度破局。

資産
2010年7月、『ニューヨーク・マガジン』によると、スチュワートはトワイライトの最終章の『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part1』と『トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part2』の2部作でそれぞれ2500万ドル(日本円で約22億5000万円)の出演料が約束されており、作品がヒットすればさらにプラス1600万ドル(日本円で約14億4000万円)を手にすることになるという。ハリウッドにおいて2000万ドル以上の出演料を手にする俳優は「A級リスト俳優」と呼ばれ、ウィル・スミスやトム・クルーズなどの一握りの人物に限られており、若手女優としては異例である。

2011年2月、『ヴァニティ・フェア』誌が「2010年にハリウッドで最も稼いだ人たち」のランキングを発表し、2010年のギャラが推定で2,850万ドル(日本円で約23億3,700万円)になることがわかった。

2011年6月、経済誌『フォーブス』が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」を発表し、2,000万ドル(日本円で約20億円)を稼いで15位にランクインした。

主な出演作品
公開年 邦題 原題 役名 備考

1999 The Thirteenth Year 少女
2000 The Flintstones in Viva Rock Vegas 輪を投げる少女
2001 The Safety of Objects サム・ジェニングス
2002 パニック・ルーム
Panic Room サラ・アルトマン
2003 コールド・クリーク 過去を持つ家
Cold Creek Manor クリスティン・ティルソン
2004 Speak メリンダ・ソルディーノ
ミッションX
Catch That Kid マディ
アンダートウ 決死の逃亡
Undertow リラ
2005 Fierce People マヤ・オズボーン
ザスーラ
Zathura リサ
2007 ゴースト・ハウス
The messengers ジェス・ソロモン
ランド・オブ・ウーマン/優しい雨の降る街で
In the Land of Women ルーシー・ハードウィック
The Cake Eaters ジョージア
イントゥ・ザ・ワイルド
Into the Wild トレイシー・タトロ
Cutlass 少女時代のロビン 短編映画
2008 ジャンパー
Jumper ソフィー カメオ出演
イエロー・ハンカチーフ
Yellow Handkerchief マルチーヌ
トラブル・イン・ハリウッド
What Just Happened ゾーイ
トワイライト~初恋~
Twilight ベラ・スワン MTVムービー・アワード 演技賞、ベスト・キス賞受賞
2009 アドベンチャーランドへようこそ
Adventureland エミリー・“エム”・レウィン
ニュームーン/トワイライト・サーガ
New Moon ベラ・スワン 英国映画テレビ芸術アカデミーRising Star Award受賞
2010 ランナウェイズ
The Runaways ジョーン・ジェット
ロストガール
Welcome to the Rileys マロリー
エクリプス/トワイライト・サーガ
Eclipse ベラ・スワン
2011 トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part1
The Twilight Saga: Breaking Dawn – Part 1 ベラ・スワン/カレン
2012 スノーホワイト
Snow White and the Huntsman 白雪姫
トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part2
The Twilight Saga: Breaking Dawn – Part 2 ベラ・カレン MTVムービー・アワード ベスト・キス賞受賞
オン・ザ・ロード
On the Road メアリルー

陸上・女子棒高跳びの女王、エレーナ・イシンバエワ(Yelena Isinbayeva、ロシア)が11日、現在開催中の第14回世界陸上モスクワ大会(14th IAAF World Championships in Athletics Moscow)の後も現役を継続する可能性を示唆した。

  1980年代から90年代にかけて男子棒高跳びに大変革を起こしたウクライナのセルゲイ・ブブカ(Sergey Bubka)氏同様、現在31歳のイシンバエワは女子の同競技を変えた選手として知られている。

 これまでに五輪と世界陸上で2つずつの金メダルを獲得しているが、7月には、母国ロシアでの今大会を最後に引退することを表明していた。

 しかし11日に行われた予選で決勝進出を決めたイシンバエワは、引退の決心をつけることができていないと語った。

「私は双子座だから、まだ引退のことは考えていない。双子座の人は、簡単に考えを変えることがある」

 今大会で2008年北京五輪以来となる屋外での世界メジャータイトル獲得を目指すイシンバエワは、母国での応援が必要になると話す。

「どんなに応援をしてもらっても、最終的には自分で跳ばなければいけないんだけど」

 イシンバエワは、女子棒高跳びで世界記録5メートル06を保持しており、これまでに世界記録を通算28回更新している
女優のシャーリーズ・セロン(Charlize Theron)は、抜群のスタイルをキープするため、週5日エクササイズしているという。

 「私は規律がないとダメなタイプです。仕事の一環でもあるので、週に5日はエクササイズをしています」とセロン。どんなエクササイズをするかについてはこだわりがあるようで、「かなりキツいパワーヨガをしたり、自転車に乗ったり、ジムでマシンをこいだり、“自分の好き”なことをしています。それがポイントなんです」と語る。

 現在36歳のセロンは、年を重ねるにつれ体型維持が難しくなっているとも告白。「少し太りました。だから運動が必要なの。吹き出物もあるし、年をとってきている。誰にでも起こることが、私にも起きています」と英誌「イージーリビング(EASY LIVING)」に語った

★シャーリーズ・セロンCharlize Theron

生年月日 1975年8月7日(36歳)
出生地 ハウテン州
国籍 南アフリカ共和国アメリカ合衆国
職業 女優
活動期間 1991年 -
活動内容 1991年:モデルデビュー1996年:女優デビュー2004年:アカデミー賞受賞
公式サイト http://www.charlizetheron.com/
主な作品
『モンスター』『ミニミニ大作戦』『イーオン・フラックス』

アカデミー賞
主演女優賞2003年『モンスター』
ベルリン国際映画祭
銀熊賞 (女優賞)2003年『モンスター』
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ部門)2003年『モンスター』
全米映画俳優組合賞
主演女優賞2003年『モンスター』




シャーリーズ・セロン(Charlize Theron, 1975年8月7日 - )は、南アフリカ共和国出身で、ハリウッドで活躍する女優。
苗字のセロンは正式には「トゥロン(Tronn, Te-ron)」と発音するが、米国人からは、「ゼアロン(There-on)」と呼ばれるので、発音しやすい「スロゥン(Thrown)」に変えたと本人が語っている。公式には、シャーリーズ(shar-LEES:「リー」にアクセントがある)・セレン(THAIR-en)と呼ばれる。
目次


来歴
生い立ち
南アフリカ共和国ハウテン州ベノニで道路建設会社を経営していたフランス系の父親チャールズと、ドイツ系の母親ゲルダの間に一人娘として生まれる。一家は幼い頃からアルコール依存症の父親による家庭内暴力に悩まされていた。
シャーリーズが15歳の頃、晩に酔って帰ってきた父親に暴力を振るわれ、娘の命の危険を感じた母親が父親を射殺してしまうという事件が起きる(母親に対しては、正当防衛が認められた)。その後、母親は破産寸前だった会社を5年で立て直す。

キャリア
16歳の時に地方のモデルコンテストに優勝、モデルとしてミラノやパリで活動し、一年後、バレエ学校で学ぶために、アメリカ・ニューヨークに移住する。彼女はそこでバレエ・ダンサーを夢見て日々挑戦を続けていたが、不運にも膝の怪我でその夢を断念せざるを得なくなる。なお現在の公称身長177cm。
その後、女優を目指しロサンジェルスに移るが、仕事がなくその日暮らしの困窮生活を送る。手元にあった小切手を現金化しようと銀行を訪れた際に、その小切手が期限切れで、銀行員に現金化を頼み込むが素っ気ない態度で対応されたため激怒、その銀行員と口論していたところを現在のマネージャーにスカウトされ、本格的に女優活動を始めることに。
1995年に映画『Children of the Corn III』のエキストラ出演を経て、1996年に『2 days トゥー・デイズ』で映画デビュー。この作品で一躍知られるようになるが、「セクシーなブロンド役」ばかりのオファーが寄せられた。その後はドラマやサスペンス、アクションなど、様々なジャンルの作品に出演し、トップ女優としての地位を築く。
2003年の『モンスター』で実在の連続殺人犯アイリーン・ウォーノスを演じるため、自ら関係者を取材して、役作りのために10kg以上体重を増やした。この作品でアカデミー主演女優賞、ベルリン国際映画祭銀熊賞、ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ドラマ部門)などを受賞。
2006年の米『The Hollywood Reporter』誌にて、上位7番目の高額出演料女優として記された。2007年の米男性誌『エクスワイアー』にて、「最もセクシーな女性」に選ばれた。

2005年10月から2006年12月までスイスの高級時計レイモンド・ウエイルの広告塔を務めていたが、契約時期にクリスチャン・ディオール(セロンはディオールの広告塔も兼任)の時計を身に付けた写真を撮られたことから、ウエイル社から契約違反として2000万ドル(約20億)の賠償金を求めて訴えられてしまった。2008年11月に示談が成立した。
役作りのためのダイエット

同作でセロンが突きつけられた課題は14キロもの増量で、そのため、脂質や糖分をたっぷり含むドーナツを大量に食べ、毎日ダラダラと過ごした。結果、贅肉が背中や脇腹にたっぷりとたまり、ウエストのくびれは痕跡すらなくなり、あまりの変貌ぶりに、飼っていた愛犬まで逃げ出したという。さらに、役になりきるため眉毛を全部抜き、美しさを完全に拭い去ったという。またその後徹底したダイエットとエクササイズに取り組み、セロンはわずか4週間で14キロの減量に成功。しかし本人曰く、過酷なエクササイズは苦手らしく、太る時より痩せる時の方がきつかったと漏らしていたという。それでも努力を重ね、なんとか体重を元に近い状態に戻し授賞式に臨んだ。
なお、母親が父親を射殺した過去に向き合うことにもなり、シャーリーズはそれを乗り越える事となった。
私生活・映画以外の活動

母語はアフリカーンス語であり、英語はテレビを観て勉強したという。
過去に俳優のクレイグ・ビエルコやミュージシャンのステファン・ジェンキンスと交際。2001年から『コール』で共演した俳優のスチュアート・タウンゼントと交際(同棲)。2005年にアメリカで「同性愛者同士の結婚が法的に認められるまで、恋人のスチュアート・タウンゼントと結婚はしない」と発言し、同性愛に対する人々の理解を深めたとしてGLAADメディア賞の名誉賞を受け取った。2007年9月12日にトロント国際映画祭でスチュアートと共に結婚指輪を披露。愛し合う二人に国家や教会からの証明は不要と述べ、正式に届けを提出したわけではないが、事実上の結婚宣言をした。しかし、2010年に破局が明らかになった。
2007年にアメリカの市民権を取得。
2008年11月に国連平和大使に任命された。
2009年12月、2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会の組み合わせ抽選会で司会を務めた。
主な出演作品

公開年 邦題 原題 役名 備考
1995 Children of the Corn III: Urban Harvest 若い女性 クレジット表記なし
1996 2 days トゥー・デイズ 2 Days in the Valley ヘルガ・スヴェルゲン
すべてをあなたに That Thing You Do! ティナ・パワーズ
1997 Mr.ダマー2 1/2 Trial and Error ビリー・タイラー
ディアボロス/悪魔の扉 The Devil's Advocate メアリー・アン・ロマックス
1998 セレブリティ Celebrity スーパーモデル
マイティ・ジョー Mighty Joe Young ジル・ヤング
1999 ノイズ The Astronaut's Wife ジリアン・アマコスト
サイダーハウス・ルール The Cider House Rules キャンディ・ケンドール
2000 レインディア・ゲーム Reindeer Games アシュリー・マーサー
裏切り者 The Yards エリカ・ストルツ
バガー・ヴァンスの伝説 The Legend of Bagger Vance アデール
ザ・ダイバー Men of honor グウェン・サンデー
2001 スウィート・ノベンバー Sweet November サラ・ディヴァー
スコルピオンの恋まじない The Curse of the Jade Scorpion ローラ・ケンジントン
15ミニッツ 15 Minutes ローズ 特別出演
2002 コール Trapped カレン・ジェニングス
Waking Up in Reno キャンディ・カーケンドール
2003 ミニミニ大作戦 The Italian Job ステラ・ブリジャー
モンスター Monster アイリーン・ウォーノス 製作第76回アカデミー主演女優賞受賞第61回ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)受賞
2004 ライフ・イズ・コメディ! ピーター・セラーズの愛し方 The Life and Death of Peter Sellers ブリット・エクランド 第62回ゴールデングローブ賞助演女優賞 (ミニシリーズ・テレビ映画部門) ノミネート
トリコロールに燃えて Head in the Clouds ギルダ・ベッセ
2005 スタンドアップ North Country ジョージー・エイムズ 第78回アカデミー主演女優賞ノミネート第63回ゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ドラマ部門)ノミネート
イーオン・フラックス Æon Flux イーオン・フラックス
2007 告発のとき In The Valley of Elah エミリー・サンダース
2008 Sleepwalking ジョリーン 製作
ハンコック Hancock メアリー・エンブリー
バトル・イン・シアトル Battle in Seattle エラ
あの日、欲望の大地で The Burning Plain シルヴィア 製作
2009 ザ・ロード The Road 妻
ATOM Astro Boy ナレーター 声の出演
2011 ヤング≒アダルト Young Adult メイヴィス・ゲイリー 製作、第69回ゴールデングローブ賞主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門) ノミネート
2012 スノーホワイト Snow White & the Huntsman 邪悪な女王ラヴェンナ
プロメテウス Prometheus メイディス・ヴィッカーズ
2013 マッドマックス/フューリーロード Mad Max4:Fury Road フュリオサ