逃げ恥 第8話: 脚本によるアレンジの極み
えー、更に視聴率が上がったとか、最後の2話は拡大判だとか、絶好調の無双モードですね。
これで次の野木亜紀子脚本ドラマはさらに大胆なチャレンジを期待できます(^_^)
さて、無事二人がよりを戻した第8話、さらなるムズキュンを期待していた視聴者には次回までのお預けになってしまったかもしれませんが、わたし的にはもんの凄く脚本の冴えに感嘆した回でありました。
原作では、
「初キス→拒絶→よりを戻す」
という流れは、ほとんどみくりとひらまさの間だけで完結し、「因数分解」のくだりも結局みくりが自分で考え抜いた結論として表に出たものでした。
それに対してドラマ脚本での「拒絶」以降の流れは、
みくり失態にいちまれなくなる→丁度いい口実に乗っかって実家に逃避→親族大集合→色々な恋愛と夫婦の形を知る→それを踏まえて因数分解→一歩前へ
となっていました。
これに加えて、ひらまさ側の殻を破るというステップもしっかり描いています。
こうまとめてしまうと脚本での大幅な脚色と改変がなされたように思えますが、ドラマを観てる間は、原作をうまい具合にまとめてなおしたなー、という感想でしかありませんでした。
原作で当該箇所を確認して、その差の大きさにむしろびっくりしたぐらいで(^_^;)
それほどまでに脚本の構成が、原作の本質的なテーマや登場人物の設定・キャラをまったく損なうことなく完璧に再構成してたってことなんでしょうね。
作者はこのドラマで「多様性を描きたい」と原作者に伝えたそうです。第5話ラストのハグに至るまでにさりげなく描かれていた様々な夫婦・家族の姿、そして今回第8話のラストに至るまでに織り込まれた登場人物それぞれの想いを直接に交差させる流れ、全てがものすごく自然に展開しており、そして全てを総括した二人それぞれの決意の告白へと至る。
プロットはしごく重層的であるのに、全く重くなく、さらにコメディのテイストとのバランスも完璧です。
なんというか、周到にテーマの変奏を重ねて構成された交響曲のようではないですか。
この脚本の妙を例えるのなら、
バイオリンなどのソロ曲であった原作を、技巧を凝らして壮大なオーケストレーションに編曲した
というのがアレンジャーとしての野木亜紀子の脚本なのではないかと。
もちろん、演出・監督=指揮者、役者さん=演奏者、その他スタッフ諸々があってこその傑作=名演であることは言うまでもありません。
けど、やはりまずはスコアがないことには始まりませんから(^^)
「原作付き作品の脚本に定評のある野木亜紀子」という評価は、逃げ恥で更に確固たるものになりましたが、もうこれからは「原作付き脚本」という条件付ではなく「名脚色家」と呼ぶべきではないかと。
そうそう、わたしが「逃げ恥」のドラマ化決定のニュースを聞いて、原作の持つコメディと考察の複雑なテイストを野木脚本でどのようにドラマとして構成してくるか期待してましたが、
「逃げるは恥だが役に立つ」野木亜紀子脚本でドラマ化 - amori's blog
まさにその原作の持つテイストを捉えていた感想が第8話に対して提示されていました。
ここでは「逃げ恥」のムズキュンファンに遠慮して、この感想を自ら異端であるかのように書いていますが、エクスキューズを入れつつもこの感想を書くに至ったのは、やはり脚本がきっちりと原作のテイストをドラマの中に綺麗に織り込んでいたからなのではないかと思います。