小さいころに言われます。
悪いことをしたら「謝りなさい」と。
「ごめんなさい」と謝られたら「いいよ」って許しましょうと。
多分、とても小さいころは、これは「お約束」としていいのだと思うのです。小さいころは謝る内容もそれほど重大ではありません。だから「ごめんね」「いいよ」です。
これは小学生だったA子の話です。
A子は小学生の頃、Bにひどいことをされました。それが発覚して、関係者が集まりました。
事実確認をしたあと、A子のお母さんはBに向かって「あやまって」と言いました。Bのお母さんも「謝りなさい!」とBを怒りました。
Bは「ごめんなさい」と言いました。
A子は「うん」とうなずきました。
これからは、そういうことをしないことなどを約束して話は終わりました。
終わりました。
終わったと思ったのです。
親の頭の中では。
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でも、そこからA子はずっとつらい思いを抱き続けます。闇の中をさまようような気持ちで暮らしていきます。
何年も経って、やっと自分を立て直すことができたときに、その時の気持ちをお母さんに話しました。
☆
「あの時に謝りなさいと言って欲しくなかった。
形だけでも謝られたら、いいよ、って言わなきゃいけないじゃない。そう言うしかないじゃない。
謝れって言われて謝ったのなんか、謝罪じゃないよ。悪いなんて多分思ってないもん。
謝られなければ、ずっと許さないでいられたのに、謝られたから許さなくちゃいけなくなって、私の中では何も解決していないのに、みんなはそこでハッピーエンドになって、みんなの中では終わった話になったでしょ。
私は一人置いてきぼりにされた気分だった。
私の中では何も終わっていなかったのに、もう、そのことを言えなくなってしまって、ずっとずっとつらかった」
お母さんは当時、お母さんなりに心配をして、会話もしてA子を支えたつもりでしたが、それが全然足りていなかったことをとてもとても反省しました。
子どもに「謝りなさい!」と言っていませんか? - スズコ、考える。
この記事をきっかけに、すでにいろいろな記事が書かれていますが、やはりケースバイケース案件だと思います。
子ども同士、子どもと親や、子どもと社会でも、違ってくるでしょうし、年齢によっても違います。潤滑な社会生活を送るためにとりあえず謝ることも、謝らせることもあるでしょう。親や管理者が率先して謝ることも必要なことがありますし、たいしたことでなければ「いいよ」と笑顔で許せるでしょう。
でも「謝る」について考えるときに、わたしはいつもこのA子のことを考えます。そして思います。
謝られた子の気持ちは解決しているのだろうか。
今日はここまで。
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