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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

まさか(前編)

2025-03-02 19:33:50 | 特殊清掃
特掃現場になる家のほとんどは、故人が独居していたところである。
近年増えてきていると言われる孤独死だ。
ただ、まれにそうでない所もある。
それは自殺現場に多いのだが、自然死して腐乱死体がでた家でも他に同居者がいることがある。


家庭内別居の状態とはいえ、まさか同じ家で暮らしている人間が腐乱するまで死んだことに気づかないとは・・・。
通常だと、物音や気配がなくなれば変に思うだろうし、そうでなくても家の中に異臭が漂い始めれば異変を感じて当然のはず。
なのに、腐乱死体になるまで誰にも気づかれずに放っておかれるのだ。
作為的な何かがあるのだろうか、不思議でならない。
まぁ、私が考えるまでもなく、警察がシッカリ調べているのだろうから、私が余計なことを詮索しても仕方がない。


また、特掃現場では、故人が死んでからの時間がストップしたようになっていることが多い。
ベランダに洗濯物が干したままになっていたり、電子レンジに食べ物が入ったままになっていたりと様々。
何気ない日常生活が、いきなりの状態で止まったままになっている。


これは中高齢者宅に多いのだが、「元気に生きるための○ヶ条」「幸せに暮らすコツ」「病院のかかり方」「薬の飲み方」の類が大きな字で壁に貼ってある家もある。
そういうものからは、故人が自分の人生を大切にしながらも回りに(家族・子供)に迷惑を掛けないように、普段から心身の健康に留意していたことが伺える。
そんな生前の心掛けと現実の腐乱痕を対比すると、ちょっとせつなくなって汚物に情が傾いていく。


ガスコンロに何かが入った鍋が置いたままになっていることもある。
そのほとんどはドロドロに腐りきっていて、元が何の料理だったのか判別不能なのだが。
まさか、それを食べる前に逝くことになろうとはね。
腐乱は腐乱でも、腐った食べ物もタチが悪い。
独特の悪臭を放つし、液状のものは処理にも手間がかかる。
同じ現場でも、人の腐敗は耐えられるのに、食べ物の腐敗に「オエッ!」とくることさえある。


ある家では、カップラーメンが蓋が開いた状態で、テーブルの上に置いてあった。
そして、その脇には腐乱痕。
興味本位で容器の中を覗いてみると、お湯を注いだような跡があった。
カップラーメンを食べるつもりで仕度をしたものの、ラーメンができ上がるまで命がもたなかった訳だ。
これもまた「まさか」の出来事、せつない運命だ。


死体業をやっていると、生死は常に表裏一体のものであることを毎日のように思い知らされる。
生と死は、まさに隣り合わせ。
一瞬先のことさえ、誰にも分からないものだ。
必然的に死ぬ前に偶然的に生きている中で「明日は我が身?」と緊張する。


トイレ・浴室での突然死も多い。
本ブログにも頻出している通りである。
用を足しにトイレに入った本人は、まさか生きて出られなくなるとは思ってなかっただろう。
気持ちよく風呂に入った本人は、まさか生きて浴槽から出られなくなるとは思ってなかっただろう。


ホントに「まさか!」である。
しかし、この「まさか」が自分や自分の身の回りで起こらない保証はない。


夜中に電話が鳴った。
就寝中だった私の脳は、無防備のまま。
必死に平静を装おうとするのだが、叩き起こされた脳が瞬時に平常稼働するわけもない。
半分寝ボケたまま電話にでた。


電話は、浴室特掃の問い合わせでだった。
現場の状況を聞き進めるうちに、次第に脳が動き始めた。
そして、「まさか」と、目がパッチリ覚めた私だった。


つづく




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2006-12-20 15:27:35
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ピエロ

2025-02-27 07:59:18 | その他
「特掃隊長」こと私は、今までのブログから人付き合いが苦手(下手)な、暗いヤツだという印象を持たれているかもしれない。
実のところ、肯定も否定もできない。
孤独を愛するわりには、結構淋しがり屋なのである。


社会生活を無難に過ごしていくためには、人間関係を円滑に運んでいくことが大事(必要)とされる。
それにはまずコミュニケーションが大事(必要)。
しかし、ただのコミュニケーションではダメ。
本音風の建前と社交辞令、協調風の迎合と妥協がポイント。
本音・本心が通用する範囲がどれだけ狭いものか、理解してもらえる相手がどれだけ少ないかは、私が言うまでもないことだろう。
ひょっとしたら、それらは皆無かもしれない。


私は、人間関係のほとんどは、利己的な打算にもとづいた利害関係でしかないように思う。
そんな中で、数少ない真実じみた関係を探しだし、それを信頼関係だと錯覚しているに過ぎないのではないだろうか。
私が、ひねくれ過ぎ?


世間の人を大きく三つに分けると、好きな人と嫌いな人、好きでも嫌いでもない人に分かれる。
「嫌いな人」と言うと極端かもしれないが、肌が合わない人・ウマが合わない人・感性や価値観が著しく違う人・そのキャラが苦手な人を含んでの「嫌いな人」である。
また、「好きでも嫌いでもない人」というのは、関係の薄い人を指す。
好きとか嫌いとかを判断できるまでの付き合いや関わりがない人だ。
そうすると、身の回りには「好きな人」がわりと少ないことに気づく。


小心者の私は、好印象を持ってもらいたくて、誰に対しても愛想笑い(つくり笑顔)をしようとする。
ただ、それは本心からでる笑顔じゃないもんだから、上手くできない上にどことなく不自然なものである。


世の中には、すごく上手にピエロを演じることができる人がいる。
決して、皮肉っているわけではない。
その器用さやたくましさに、人間社会を生き抜くある種の生命力さえ感じるのだ。
動物にはできない技だ。


死人相手の商売だって、上手にピエロを演じることが必要なことが多い。
仕事上、依頼者には好印象を持ってもらった方がいいし、少しでも誠実そうに見えた方がいい。
そのために、できる限りの背伸びする私。
でも、腐乱現場に一歩足を踏み入れた途端に上げていた踵が下がる。
「こりゃヒドイですねぇ」って。


また、特掃の現場に入るとピエロなんて入り込む隙間(余裕)はない。
追いつめられた状態での作業にピエロを存在させる意味もない。
裸にされた自分自身だけが冷汗と脂汗をかきながら、時には涙を流しながら格闘する。
そんな状況の中では、真の自分・自分の真が露になる。
そこには、くじけそうになる自分がいる。へこたれそうになる自分がいる。逃げたくなる自分がいる。


恥ずかしながら告白しよう。
私は、一人の現場で泣くことがある。
「心が泣く」等といった比喩的・抽象的なことではなくて、涙を本当に泣くのだ。
もちろん、故人の死に様や遺族を哀んで泣くのではない。
それどころか、汚した故人や依頼してきた遺族を愚弄(逆ギレ)するような気持ちがでることさえある。
では、何に泣くのか・・・自分の置かれた状況を悲観して泣くのだ。
その惨めさ、空虚さ、過酷さに泣くのだ。
私は、その程度の人間。


依頼者に見せる私の姿は、下手ながらも一生懸命に演じているピエロ。


ピエロの化粧には涙の滴が描かれるが、それには深い意味があるのだろう。
その意味が、私なりに分かるような気がする。


そんな特掃ピエロは、今日も生きている。




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2006-12-18 21:44:31
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輝ける日々Ⅱ ~生きる輝き~

2025-02-25 05:25:23 | その他
「命の有限性を自覚すると生き方が変わる」
「命は、限界があるから輝く」
私は、そんな類のことを考えるようになって久しい。


では、それによって、私の人生は変化しただろうか。
ハッキリと自覚できないだけかもしれないけど、残念ながら、大した変化はないように思う。
また、私が生きる世界は、光り輝いているだろうか。
自分に与えられた時間には限りがあり、一瞬一瞬が貴重だということは何となく理解できているけど、残念ながら、輝いているとは言えない。
私の目には、生きているこの世界や人が美しく愛おしく映っているだろうか。
それらは、その時々の精神状態や気分によって、目まぐるしく変わる。
どちらかと言うと、私が生きているのは味気ないモノクロ世界になっているかもしれない。


気の持ち方やモノの考え方を少し変えるだけで、モノクロだった世界が色づき始める。
そんな類のことを吐いておきながら、そう言う私は自身はなかなか自分が生きる世界を色づかせられないでいる。


もちろん、人間同士の関わりの大切さや、きれいな景色の素晴らしさに触れることはある。
ささやかながらも、楽しさや幸せもある。
人に優しくしてもらった時、空が青く晴れ渡った時、ケーキ屋のショーケースを眺めた時、温かい味噌汁を飲んだ時etc




しかし、それは生きている中のごく一部・特定の場合、しかも表面的なことに限られている。
肝心なのは、何気ない普段の暮らし(人生)に通じた命の輝きのはずだ。
しかし、現実にはその輝きを見出だせないでいる。


三十数年の人生を思い返してみると、学生時代に一種の輝きがあったように思う。
社会的にも経済的にも背負う責任は軽く、適当に遊び・適当に勉強し・適当に食べ・適当に寝て、全てお気楽に適当に生きていた。
それに、「若さ」というエネルギー(生命力)もプラスされ、表面的には輝いていたように思う。


しかし、「生きる輝き」とはそんな類のことではないのではないだろうか。
強欲軽薄な私は、ついつい生きる輝きと遊興快楽をダブらせてしまいがちなんだけど。


限りある人生の中で、一体どうしたら、輝ける日々を手に入れることができるのだろうか。
私は、思い悩むばかりでハッキリした答を見つけられないでいる。
だだ、この歳になってきてボンヤリと答らしきモノが見えるようになってきた感じがする。
間違ってるかもしれないし、気のせいかもしれないけど。
また、これから更に歳をとっていくと変わるものかもしれない。
雲をつかもうとしているようなものかな?


結局のところ、輝ける日々は、自分が死に際に至ってやっと手に入れられものなのかもしれないと思う。
人それぞれに生き抜いた人生が、その終焉が近づいた時に人生そのものを遡及的に光らせるのではないかと。


艱難辛苦・苦悩苦悶の日々を悲観することはない。
辛いけど、耐えなければならない。
そんな日々を、必死に・必死に生きることによって、それは輝ける日々に変わってくるのだと、今の私は思う。



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2006-12-15 17:31:43
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輝ける日々Ⅰ ~共に歩く~

2025-02-23 06:22:45 | 遺体処置
死は老若男女、全ての人に訪れる。
その人生はもちろん、寿命や死に様は人それぞれ。
しかし、死そのものは誰にも公平なものだ。


日本人の平均寿命が物語る通り、亡くなる人の大半は高齢者だ。
遺体処置業務の仕事が入ると、まずは故人の年齢が気になる。
変な言い方だが、高齢だと安堵に似た感情を覚える。
それが長寿であればあるほど、変なプレッシャーはなくなる。
「仕事だ」とドライに割り切っていても、やはり故人は長寿の人がいい。


念のために断っておくが、「老人なら死んでもいい」「老人から先に死ぬべき」等と思っている訳ではないので、くれぐれも誤解のないように!


故人の年齢が若ければ若いほど妙なプレッシャーが増す。
無用に気構えてしまうのだ。
ましてや子供となると、イヤな力み方をする。
その理由を記すと長くなりそうなので、これはまた別の機会にしよう。


老人の死が多いということは、仕事上で老夫婦の別れに立ち会うことも多いということ。
どんな別れにもそれぞれの悲哀があるが、老夫婦の別れには独特のドラマがある。


人の一生において、最も長く共にいる人は誰だろうか。
親?子?兄弟姉妹?・・・親も子も兄弟姉妹も、共にいるのはだいたい20年程度だろう。
精神的・肉体的・経済的・社会的に一人前になれば、それぞれがそれぞれのかたちで離れていくもの。


そんな中で長く共にいるのは、やはり夫婦だろう。
親と死別しても子が独立していっても、夫・妻だけはそのまま残る。
(もちろん、結婚しない人や離婚・死別等で早くに夫・妻と別れた人もいるはずだが、ここでは一般多数の状況にもとづく。)


この高齢化社会では、半世紀も一緒にいたような老夫婦も珍しくない。
そんな夫婦が死に別れる様は、親子や兄弟姉妹の死別とは異なる重みがある。
血肉を分けた間柄でもないし、出逢うまではアカの他人だった男女が夫婦になると血よりも濃い絆をもって人生を共に歩く。
「貴方と一緒で楽しい人生だった」
「ありがとう」
先に逝った故人に、そんな言葉をかける配偶者は多い。
そして、淋しそうに涙を流す。


気持ちが熱くなりやすかった(純粋だった?)若い頃は、そんな様を見て仕事を忘れそうになるくらいにのめり込むこともあった。
歳を重ねた今も、受ける重さは変わらない
が、・・・ここからは、表現が難しい。


この歳になると、老夫婦の死に別れに単なる寂しさや悲しみだけではなく、それらを超越した光のようなものを感じるようになっている。
光・・・再会の希望?夫婦が一つのものになった喜び?・・・自分の感覚・感情が文字でうまく表現できない。
強引にまとめると、老夫婦の死別の様は、時間がとまって輝いているように見えるのだ。
(↑何が言いたいのか分かんないよね?)


随分前、ある末期癌患者が、余命宣告を受けた際の心情を綴った手記を読んだことがある。
それによると、「病院から外に出ると、いつもの景色が、目に入る全てのものが輝いて見えた」とあった。
私なりの想像の域は越えないのだが、何となくその気持ちは分かるような気がする。
当たり前の景色・ありきたりの風景が、自分の時間が残り少ないことを自覚した途端に美しく愛おしく見える。


「この世とも、もうすぐ別れなければならない」
そう考えると、何もかもが眩しくて大切に思えてくるのだろう。


恋愛感情なんかとっくになくなり、普段は文句ばかり言い合っている仲でも、いざ死に別れなければならなくなると、途端に感謝の気持ちが芽生えるかも。
お互い、歳をとって心も身体もくたびれてしまっていても、夫・妻の存在が何よりも大切に思えるかもね。
苦しくて辛いこともあったけど、一緒に歩いた日々が愛おしく思えるかもしれない。


「輝ける日々は、誰(私)にも与えられている」
自分の死を考えるとき、何となくそんな風に思う。



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2006-12-13 11:37:31
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飽食の陰でⅡ

2025-02-21 06:38:57 | 特殊清掃 消臭消毒
および腰の遺族が、腐乱臭が漂う家に案内してくれた。
遺族は私に鍵を渡して後退。
私は、いつも通りに動揺を見せないようにして、事務的に玄関を開けた。
「きたな!」
濃い腐乱臭がモァ~ッと覆ってきた。
ハエがブンブンと飛び交う中、私は部屋の中へと進んだ。
汚染箇所は容易に発見できた。
「ありゃりゃー、ここかぁ」


それから周りを観察すると、妙なものが目に入った。
「ん?何だコレ」
死体痕の傍らに毛ムクジャラの何かが転がっていた。
「ん~?ぬいぐるみかな?」
「あ!犬?犬じゃん!」
そこには、犬の死骸が転がっていた。
飼い主に先立たれて餓死したのだろうか、毛の長い小型犬だった。


遺体を回収していった警察だって犬には気づいたはず。
しかし、彼等だって仕事だ。
犬の始末は仕事の範疇外なのでそのまま放置していったのだろう。


「うわぁ、可哀相になぁ」
私は、しゃがみこんで犬の死骸をマジマジ見た。
小さなウジがたかり、既に顔はつぶれていた。
飼い主が急死し、いきなり食料の供給が止まってしまって飢え死にしたのだろう。


飼い主が動かなくなってから、この犬はどのくらい生きていたのだろうか。
悪臭を放ちながら変色し膨らんでいく飼い主を見ただろう。
それから溶け始めるにはしばらくの時間を要しただろうから、液化段階を見る前に息絶えた可能性は高い。


見積見分の際は作業らしい作業はしない。
しかし私は、死骸とはいえ犬を放置していくことが可哀相に思えて、とりあえず腐乱現場から出してやることにした。


私は、きれいなバスタオルと適当な大きさの段ボール箱を探して来た。
そして、犬の身体を持ち上げようとした。
私の中で同情心と嫌悪感が戦っていた。


「うわっ!かてーっ(固い)!」
鳥肌を立てながら犬に触ってみた私。
そして、最小限の接触で持ち上げることを考えた。
「んー、どうやって持ちゃいいんだろうなぁ」
私はまず、小さな耳を指で摘んで引っ張ってみた。
ツンツン。
身体はウンともスンとも動かない。
「これじゃ、耳がちぎれちゃうな」
今度は身体の毛を摘んで引っ張ってみた。
ツンツン。
同じく動かない。
「こりゃ、ガッチリ掴まないとダメだな」
私は、諦めて胴体を掴み上げることにした。


「があ゛ー」
御多分に漏れず、腐敗した犬は腐敗液とともに床に貼り着いていた。
それを引き剥がすように、死骸を持ち上げた。
バリバリ!メリメリ!
犬は、ほとんど骨と毛皮だけになっており、倒れたままの状態で固まっていた。
「うへぇ~!きっつー!」
気の弱い私は、黙っては作業ができないのである。


広げておいたバスタオルに、持ち上げた死骸を置いて丁寧に包み、そっと段ボール箱に納めた。
「ヨシ!これでOK!」


飼い主の死因は知らされはしなかったけど、餓死ではなかったはず。
冷蔵庫や台所には、いくらかの食品が残っていたから。
しかし、犬は飢え死にしてしまった。
ドッグフードは残っていたのに。


動かなくなった飼い主を前に、空腹感が募ってきて苦しかっただろう。
飼い主が腐っていく様を見て、さぞツラかっただろう。
犬は鼻が効くだけに、その腐乱臭は堪え難かっただろう。


前記の通り、原則として初訪問・見積見分の時は作業はやらない。
ましてや、頼まれもしないことをやることはほとんどない。
しかし、汚い腐乱現場に犬の亡骸を放置しておくことができなかった。
私は、段ボール箱の柩を遺族に手渡して「作業費はいりませんから」と、安心の溜息をつきながら現場を後にした。


それにしても、思い知らされる。
色んな所に色んなかたちで、飽食の陰があることを。




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2006-12-11 09:15:13
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飽食の陰でⅠ

2025-02-18 06:34:51 | 特殊清掃
私は、食欲旺盛だ。
昔から早食いの大食い。
経済的な事情から、たいして上等なものは口にしていないけど、毎日おいしく御飯を食べている。


食べ物が美味しく食べられるのは幸せなことだ。
不自由なく食べることって極めて当たり前のことのようで、よく考えるとそうでもないことに気づく。


まず、お金がないと食べ物は買えない。
お金を得るには仕事が必要。
また、いくらお金があったって、買える食べ物がなければ仕方がない。
食べ物があっても、食物を受け入れる身体(健康)がなければどうしようもない。
また、健康って、精神と肉体の両方でないてダメなもの。
そう考えると、毎日の食事が美味しく食べられることがどんなに貴重なことであるかに気づかされる。


更に、酒や甘味まで味わえる私は幸せ者だ。
酒が美味しく飲めるときは心身ともに調子がいいとき。
五臓六腑に浸み渡るアルコールが、もらい腐りした脳をリセットしてくれる。
また、酒に対する味覚が健康のバロメーターにもなっている(肝臓くんだけが一人静かに泣いている?)


私は、更に甘味にも目がない。
洋菓子・和菓子、何でもOK!・・・(あ!最中や甘納豆など、凝った和菓子は苦手だった)。
5号サイズのラウンドケーキなら一人でペロリといってしまう。


「ミルクレープ」ってケーキがあるでしょ?
アレを初めて食べたのは30歳くらいの時、人に連れられて行った銀座のケーキ屋だった。
フォークが入っていく感触が何とも言えず心地よく、一口食べると「なんだこりゃ!?」。
食べてビックリ!、その舌触りと旨さに心を動かされた私だった。


店は違えど、それから何度かミルクレープを食べているが、いつも三角にカットした小さなもの。
いつか、円いラウンド状態のままを思いっきり食べてみたいものだ。
それが、私のささやかな(バカな?)夢。


食い意地の張った私には食い物の話は尽きない。
ただ残念なことに、舌に美味しいものは身体に悪いことが多い。
脂肪・糖分・塩分・アルコールetc
こんなんじゃ、将来は、ロクな病気にはならなそうだね。


食べ物が豊富にある現代の日本で、意外な死に方をする人がいる。
どんな死に方って?
冷たい言い方だけど、事故死や自殺は珍しくも意外でもない。


答は、餓死だ。
にわかに信じ難いかもしれないが、現代でも餓死する人がいるのだ。
色んな人の色んな死に携わっている私でも、餓死には驚く。
豊食による病気で逝く人が数知れない中で、ひっそりと餓死者もいるのだ。


そんな現場では、「なんで?」と思ってしまう。
一体、何が人を餓死に追いやるのだろうか。
貧困か・・・
将来の悲観か・・・
プライドか・・・
それとも、餓死も自殺手段の一つなのか。


餓死者がいた部屋だからといっても極貧の雰囲気はない。
もちろん、お金持ちの雰囲気はないけど、一通り家財道具・生活用品は揃っている。
腐乱汚染も例の通り。
「どうして・・・」
ホント、不思議なせつなさを覚える。


何年か前、幼い子とその母親が餓死遺体で発見されたというニュースがあった。
かすかな記憶によると、その家には食べかけたのカップラーメン以外に食べ物はなかった。
母子は名前も分からず身元不明。
このニュースを聞いた私は、もの凄くせつなくなった。
薄っぺらい同情心でしかないけど、複雑な悲しさがあった。
母と子、どちらが先に息絶えたのか知らないけど、どちらにしろその状況を想像すると堪え難いものがある。


格差社会、低所得者層の増大が取り上げられる中で、日本でも餓死者が増えていくのだろうか。
過剰な接種カロリーに悩む大多数の日本人の陰で、誰にも気づかれることがなく。


「昼飯は何を食べようかな?」
「夜は何をツマミに飲もうかな?」
なんて、呑気に考えられる日々に飽食の陰を見る私である。



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2006-12-09 09:30:04
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秘蔵酒

2025-02-15 05:37:35 | 特殊清掃
私は酒が好きだ。
たいして強くもないけど、下戸でもない。
数少ない、人並みにできることの一つが酒を飲むこと。


例えばビール。
子供の頃は、「大人は、なんでこんな苦いものを飲みたがるんだろう」と不思議に思っていた。
子供の頃に飲んだビールは、苦いばかりで本当にマズかった。


それからしばらく成長して自分でビールを飲み始めるようになるのだが、当初は周りに合わせて(大人ぶって)味の分かるフリをしていた。
ホントはマズイくせに、「うまい!」なんて言いながら。
しかし、飲み続けているうち次第に味が分かってきた。
そして、本当に「うまい」と感じるようになり現在に至っている。


少し前、ある居酒屋に行った時のこと。
高級店には縁がない私が行くのは、いつも安価な大衆店。
その時も大手チェーンの大衆店だった。


「とりあえずビールを下さい」
目の前に、どの店にも見られる普通の中ジョッキがでてきた。
私は、当たり前の味を想像してグビグビッと勢いよく飲んだ。


「ん?うまい!・・・」いい意味で意表を突かれた。
「今日はヤケにうまく感じるなぁ」
「喉が渇いてるのかな?」
不思議な感覚のまま、ビールはグイグイすすんだ。
しばらく飲んでいても、ペースは落ちない。
しばらくして、店員に尋いてみた。


「このビールの銘柄は何ですか?」
「○○(メーカー)の○○(銘柄)です」
「え?この値段で?」
「メーカーとタイアップして、○○記念のキャンペーン中でして」
「なるほど!そう言えば、このビールは○○でしたよね」


私は、そのビールの存在は知っており、ずっと「飲みたい」と思っていたものだった。
しかし、貧乏人の私には手が届かないでいたもの(いつも雑酒ばかり)。
それが偶然にも一般ビールと同じ値段で飲めたことはラッキーだった。


私は宣伝のつもりでも、結果的に営業妨害になってはいけないので、メーカー・銘柄は伏せておく。
ちなみに、有名メーカーの国産だ。


ある腐乱現場。
故人は年配の男性。
台所で腐っていた。
部屋の隅にはビールの空缶や酒瓶がゴロゴロと転がっており、酒好きだったことが想像されて親しみを覚えた。


床には腐敗粘土が厚く広がっており、私はそれを回り(外側)から少しずつ片付けていった。
そのうち、床からは床下収納のフタが見えてきた。


「中に 何か入ってるかな~?」


私は、目詰まりしたフタを工具でコジ開けた。
床下収納のフタは意外に重いもの。
私は、腐敗脂で滑りやすくなっていたフタを慎重に外した。


中には、何本かの酒瓶が立っていた。
その一つを手に取ってみたら、名の知れた高級酒。


「おっ!?」
少し興奮してきた私は、次々と瓶を取り出してみた。
日本酒・ウィスキー・バーボン・ブランデーetc、知らない酒もあったけど、どれも高級酒である威厳があり、かなりの熟成度を誇ってるようなモノもあった。
しかし、残念ながら、それらには例の熟成した液体がベットリ着いていた。


「これじゃぁ、どうしようもないなぁ」
せっかくの酒も、飲めるとか飲めないを考える以前の状態になっていた。


酒好きの故人は、きっと大事にとっておいたのだろう。
そして、それを口にする前に逝くハメになろうとは思ってもみなかっただろう。


人間は死んでしまうと、高級酒も金も、自分の身体さえも持っては逝けない。
何でも惜しみ過ぎないで、適当に使っていった方がいいね。
それが、生きているうちの特権かもしれないから。


さーてと、今夜も飲むか!
宵越しの銭なんか持ってられるか(単に、持てないだけだけど)!




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2006-12-05 18:05:00
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追いつめられて ~小心者の戦いⅡ~

2025-02-13 06:37:00 | 特殊清掃
ワサワサワサワサ・・・
汚染箇所の周辺には、それまでに何度かお目にかかったことがある未確認歩行物体が、群れをなして這い回っていた。
「オッ?こいつらに会うのは久し振りだな」
最初はそんな余裕をかましていた私だったが、よく見てみるとその数は膨大。
気のせいか、彼等は私に向かって近づいてきているように思え、その不気味さに鳥肌が立ってきた。


「こんな所に長居は無用!退散、退散っと」
現場見分の山場(汚染箇所の確認)をクリアした私は、気持ちも軽快に外に出るため玄関に進んだ。
そして、老朽鉄扉のノブに手をかけた。


「あれ?」
ドアが開かない。
「あれっ!?」
まだ開かない。
「あれーっ!?」
全然開かない。


私は、何が起こったのか理解できず、頭が真っ白になった。
無意識のうちに、ドアをガチャガチャやり続けた。


「ま、ま、まさか?」
「ひょ、ひょ、ひょっとして?」
「と、と、閉じ込められた!?」
私は動揺しまくった!
心臓はバックンバックン、身体からはイヤな汗がジトーッとでてきた。


「落ち着け!落ち着け!」
「慌てるな!慌てるな!」
「冷静に!冷静に!」
自分に言い聞かせる自分が、既にパニックに陥っていた。
精神的にも物理的にも、完全に追いつめられた私。


しばらくの間、ドアノブと格闘した私だったが、いつしか弱気になり、ついに自力脱出を諦めた。
「どうしよぉ・・・」
とにかく、他の住人に私の存在を知らせることにした。


まず、ドアを内側からしばらくノック。
時折、外から物音・人の動きを感じるものの、反応がない。
「腐乱死体部屋の中からノック音がしたら、助けるどころかビックリして逃げてしまうか・・・」


次に、ドアポストの隙間から「スイマセーン」と何度か声をだしてみた。
「・・・ま、これも不気味だな」


私は、他に助けを呼ぶことにして、ポケットの携帯電話を取り出した。
「さて、誰(どこ)に電話しよぉか・・・」
会社・大家・鍵屋etc、自分の面子や事の緊急性など色々考えて、とりあえず不動産会社に電話することにした。
そして、特掃を依頼してきた担当者に、「玄関ドアが壊れたらしく、真っ暗な腐乱死体現場に閉じ込められてしまった」ことを伝えた。
すると、担当者は驚いて「すぐに110番か119番に電話する!」と、見当違いな返答をしてきた。


このくらいのことで警察や消防の手を煩わせる訳にはいかない。
私はそれを制止して、とにかく鍵を持って急行してくれるように頼んだ。


担当者が到着するまで、私は、そこで待つしかなかった。
腐敗臭、未確認歩行物体、そして暗闇。


私は、意識的に楽しいことを考えようと試みたが、思考はどうしてもネガティブな方向に傾いた。
「俺には、楽しいことのネタがこんなにも乏しいのか」
と苦笑したのもつかの間
「未確認歩行物体が自分を食おうとするのではないか」
「幽霊がでるんじゃないか」
と言う不安が襲ってきた。
「なんだか、恐いなぁ・・・」


私は、余計なものが見えたり聞こえたりしないよう目を閉じ、両手で両耳を塞いでジッとしていた。
そして、自分を励ますために、どこかで聴いたことがあるアンパンマンのテーマソングを不完全な歌詞で繰り返し唄った。
ちなみに、「ウジとシタイだけがト~モダッチさ~〓」なんて唄ってないからね。


助けを待つ、その場の臭かったこと、その時間の長かったこと。
しばらくして、やっと担当者が来てくれた。
そして、外からドアを開けてくれた。
意味不明なことに、外からだと普通に開いたドアだった。


「助かったーっ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「あまり大丈夫じゃないです」
「でも、大事にならなくてよかったですね」
「まぁ・・・ね」


長時間いたせいで、私の身体には腐乱死体臭がバッチリ着いていた。
生きているのに死人の臭いを発しながら、ヨロヨロと帰途につく私だった。


「追いつめられて・三部作」はこれで終了。


記したこと以外にも、私は毎日色んなかたちで追いつめられながら生きている。
そんな人生は、楽よりも苦の方が多いような気がしている。
それでも、人は誰でも、追いつめられた土俵際で踏ん張る力は備わっているようにも思う。
ま、踏ん張れないときは一旦負けて、また仕切り直せばいいんだけどね。


気づけば、2006年も師走。
大したことができないまま、歳だけとっていく。




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2006-12-03 08:46:09
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追い詰められて ~小心者の戦いⅠ~

2025-02-11 05:16:01 | 腐乱死体
私は、幼い頃から小心者だ。
人見知りも激しく、かなりおとなしい子供だったように思う。
何事にも先頭に立つことはなく、いつも誰かの影に隠れている方だった。


授業中、トイレに行きたくなっても恥ずかしくてなかなか言い出せない。
「終わりのチャイムが鳴るのと膀胱の栓が壊れるのと、どっちが早いか」といった状態で、冷汗をかきながらモジモジしていた。
それで、漏らしたことがあるかどうかは想像に任せる。


今でも、小心者の傾向は強い。
争い事は好まない。
喧嘩なんて、もってのほか。
車を運転していても、他の車列に割り込めない。
割り込まれる(譲る)ことは多いけど。
街角でティッシュをもらう時も、ペコペコと頭を下げてしまう。
店で買った物を返品交換することもできない。


あちこちの店でも店員にタメ口(命令口調)をきいている人(客)を見かけることがあるが、私にはとてもそんなマネはできない。
特に、どんな立場であっても目上の人にタメ口をきくなんてできない。
これは、礼儀・マナーを重んじた謙虚さからくるものではなく、ただの小心からきているような気がしている。
人の心象を害することに怯え、顰蹙をかうことを恐れてね。


注射を打たれる時も、針を直視できない。
歯医者で「痛かったら手を挙げて下さいね」と言わると、治療が始まる前から手を挙げる準備をしてしまう。
↑これは、「小心者」と言うより「臆病者」の部類?


ブログの中の私は、自分のポリシーやスタンスを固めている芯の強そうな人柄を醸し出してしまっているかもしれないが、実はそんなことはない。
長いものには簡単に巻かれてしまうし、周囲の潮流にもたやすく流されてしまう。
意に反した妥協や迎合も日常茶飯事。
ブログの中だけで、精一杯の虚勢を張っている小心者である。
言い換えると、ブログの中でくらいしか強気な態度にでられない小心者である。


老朽の雑居ビルに出向いた時のこと。
裏路地を入った場所に建つそのビルは、気分が暗くなるような外観だった。
私は、薄暗くて狭い階段を上がって目的の部屋に向かった。


「やけに小さいドアだなぁ」
玄関の鉄扉の前に立ち、ドアの回り(隙間)を観察した。
「ドアを開けたらいきなりウジが降ってきた」もしくは「腐敗液が垂れてきた」なんてことになったら洒落になんないんで。
ただ、油断してるとホントにこんな目に遭う。


玄関の外観に異常がないことを確認してから、ゆっくりとドアを開けた。
「アレ?真っ暗で何も見えないじゃん」
どうも、雨戸が完全に閉められているしかった。


近隣への配慮から、開けたドアは素早く閉めなければならない。
とりあえず、中に入ってドアを閉めた。
すると、いつもの異臭がプ~ンと鼻に入ってきた。
「汚染箇所はどの辺だろうなぁ」
暗闇に目が慣れるまで待つつもりだったが、本当に真っ暗でいつまでたっても何も見えてこなかった。
そのうち、死体腐乱現場+暗闇にいることに不気味さを覚えてきて、恐くなってきた。


一旦退去した私は、懐中電灯を携えて再び中に入った。
旧式の電気ブレーカーは完全に停止し、部屋の電灯をつけることは断念。
光が得られないことが分かった途端に心臓はドキドキしてきた。
私は、細い光を頼りに中を観察。
ゴミや生活用品が散乱しており、足の踏み場もなかった。


それよりも、先に汚染箇所を探す必要があった。
ゴミを踏みながら恐る恐る歩を進めると、汚妖服らしきモノに光が当たった。
この時点で、心臓の動きはドキドキからバクバクに変わってきた。


更に、光を動かすと「あった!」
汚腐団の一部がゴミの間から見えた。
しばらく凝視して、汚染状況を観察。
枕は頭の形に丸く凹み、その凹みを頭髪が円を書くように囲んでいた。


それから周囲を観察。
周囲には、ハエの死骸がたくさん転がり、腐乱現場ではお約束の荒れ様だった。


「これといったウジも見当たらず、ハエも死んでいる」
「腐敗液も半乾きで、クズがでている」
「こりゃ、死後2~3ヶ月は経ってるな」
ビビりながらも、まだ少しは余裕がある私だった。


さて、この後、私は全く予想できないかたちで追いつめられることになったのである。


ワサワサワサワサ・・・
つづく



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2006-12-01 14:30:00
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追い詰められて ~怠け者の苦悩~

2025-02-08 05:39:38 | 特殊清掃
私は、幼い頃から怠け者である。
元来、努力・忍耐・勤勉には無縁の私は、何をやるにも面倒臭がってしまう。
面倒臭がらずにできることと言えば、食うことと寝ることぐらい。
特掃がない日は、風呂に入るのも面倒臭い。
若いころには、面倒臭がらずにできることがもう一つあったけどね。
んー、我ながら情けない。


怠け者の私は、だいたいのことは追いつめられないとやらない。
何をやるにも、前倒しより後手後手。


学校の宿題やテスト勉強も、面倒臭くてなかなか手をつけることができないタイプだった。
それでもまだ、着手すればマシな方で、怠け心に負けて全然勉強しないことも多かった。
更に、自分一人で開き直っているのならまだしも、末期になると他人(友人)をも巻き込んで堕落していた。
「実社会で生きていく上で、学校の勉強がどれほど役に立ち、どれほど重要なものか、はなはだ疑問に思う」
等と吐いて、勉強嫌いな友人をこっちサイドに引きづり込んでいた。
典型的な劣等生だ。


特掃業務においても、「面倒臭えなぁ」と思うことがたくさんある。


作業を終えて帰って来ると、道具・備品類をきれいにして片付けなければならない。
これが結構面倒臭い!
ただでさえ疲れて帰って来るのに、その後まだ道具類の掃除をしなければならないなんて、かなわない。
しかも、普通の汚れじゃないんで、なかなか手間がかかる。


腐敗液の主要構成物質の一つに脂がある。
一度この脂が着いてしまうと、なかなか落ちない!
実質は、食用油や工業用油と大差ないのだろうが、腐敗脂はなかなかきれいに落とせない。
汚いモノにでも触るかのように、オヨビ腰でやるからだろう。


しかし、道具類を使いっぱなしで放置しておくと、自分で自分の首を締めることになる。
一番恐ろしいのは、自分でも気づかないうちに腐敗液が素肌に付着してしまうこと。


「ん?なんか臭えなぁ」
と思っていたら、手や腕に腐敗液が着いていたなんてことがある。
「ギョエーッ!早く拭かなきゃ!消毒!消毒ーっ!」


こんな仕事をしていても、私は、わりと潔癖症なのである。
我ながらおかしい。


他に面倒臭い作業と言えば、階段の上下がある。
現場が、団地やマンションの場合だ。
エレベーターのない建物はもちろん、エレベーターがあっても使用を許してもらえない所も少なくない。
運び出すモノがモノだけに、住民からも嫌悪される訳だ。当然だろう。
そんな現場はかなりキツい!
肉体的にハードなのはもちろん、精神的にもいたたまれない。
近隣住民からの好奇・嫌悪の視線を浴びながら作業しなければならないからだ。
これも結構キツい!


でも、請け負った仕事に逃げ道はない。
追いつめられた状態で荷物を持ち、階段をひたすらUpDown。
まるで、筋力トレーニングでもしているかのような作業が続く。
しかも、私は荷物を身体から離して持つ習性があるため、腕力も余計に必要。
それが、涼しい時季ならまだしも、暑い夏にこの作業は過酷だ。
滝のように流れる汗と膝の感覚麻痺に、意識が遠退いていきそうになる。
怠け者は苦悩する。
腐乱現場を少しでも楽に片付けるため、少しでも人の視線を浴びないために。
しかし、考えても得策はない。
結局は、足元に垂れる汗を踏み、「ヒーヒー」言いながら、黙々と身体を動かすだけ。
人と視線を合わさないように、時々空を仰ぎながら俯いて地道に働くだけ。


追いつめられた状態では、怠け者も働かざるを得ない。
追いつめられた状態でも、死なないうちは生きなければならない。


そして、今日もクタクタになった身体を奮い立たせ、人の死に様を消していく。



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2006-11-29 09:24:55
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追いつめられて ~臆病者の根性~

2025-02-06 05:17:57 | 特殊清掃
私は、幼い頃から臆病者である。
もっとも、何をもって臆病者とするかは曖昧なものだが。
ま、今回はその辺には触れないで話を進めるとしよう。


その昔、私は、同年代の子が怖がらないようなもの(こと)も怖がっていた。
結構な弱虫だと自認している。
今でも、恐いもの・恐いことがたくさんある。
中でも、人が一番恐いかも。


人は、人を悩まし・苦しめ・キズつける。
もちろん、マイナスなことばかりではない。
人は、人を楽しませ、助け、幸せにする。
それでも、私は「人って恐い」と思う。


私は、人の何を怖がっているのだろうか。
まずは、その力。
暴力・経済力・社会的な力etc。
それから、その精神。
怒り・妬み・恨みetc。
そして、今までのブログにも何度となく書いてきた・・・そう、人の目(評価)だ。


「人からよく見られたい!」という自己顕示欲が強くて、時には見栄を張ったり、時には虚勢を張ったりする。
でも、残念ながら実態がともなっていないから、そんなことからは虚無感・空虚感しか得られない。
それなのに、また懲りずに見栄と虚勢を張っては虚しさを覚える日々を繰り返している。


人の目を気にせずに生きられたら、どんなに楽だろうか。
そうは言いながらも、今日も私は人に好印象を与えるべく、社交辞令と建前を駆使しながら無駄な抵抗をしている。
そして、なんとか人並に人間関係を動かしている(つもり)。


特掃は臆病者には無理そうな仕事に思われるかもしれないが、実はそうでもない。
どちらかと言うと、臆病者の方が向いている仕事かもしれない。
臆病者は人を気にするので、人に顰蹙をかわないように細心の心配りをするし、人の言うことに従おうとする。
そのスタンスが、結果的にGoodjobにつながるのかも。


臆病者が特掃をやるには、追いつめられる必要がある。
特掃現場の一件一件、いつも私は追いつめられている。
自分が生きるためにやらなきゃならないプレッシャーと請け負ったこと(依頼者)に対する責任とに。


「やりたい?」or「やりたくない?」→当然、やりたくない!
単純に考えると、やりたい訳じゃないのにやっている自分と向き合うことになる。
誰もが嫌うこの仕事、自分でも苦しいこの仕事なのに、やり続けている。
この葛藤は、ほとんど毎日ある。


請け負った現場に逃げ道はない。
まさに、追いつめられた状態だ。
恐くたって、吐いたって、泣いたって逃げられない。


そして、そこからくる疲労感と脱力感は独特な重さがある。
頭も身体も、ホント、グッタリくる。


特掃をやる上で欠かせないものは、道具やノウハウ・経験etc色々あるが、基本的には「根性!」だ。
それも、「最後の根性」だ。


「最後の根性」とは、常日頃から当人の人格に備わっているものではなく、臆病者が追いつめられたときに爆発させるエネルギーのこと。
「火事場の馬鹿力」と言えば分かり易いだろうか。
そんな場所では「火事場の馬鹿力」に頼るしかない。
特掃って、そんな最後の根性をださないとできない仕事かもしれない。


相手は、元人間の一部。
しかも、とてつもない悪臭を放ち、見た目にもグロテスク。
こんなモノの始末なんて、余程追い詰められた人間でないとできないだろうと思う。


私は、今日も追いつめられて、頭が壊れそうになりながら、腐乱人間がこの世に残した痕を消している。



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2006-11-27 17:31:22
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曇時々雨、のち夕焼け

2025-02-02 05:33:29 | 遺体処置
もう、随分と前の話になる。
死体業を始めて間もない頃、私が20代半ばの頃の話だ。


曇時々雨の下、遺体処置のため、ある家に出向いた。
故人は中年男性、死因は肺癌。
遺体特有の顔色の悪さとノッぺリした表情はありながらも、痩せこけた感もなく、外見だけは健康そうに見える男性だった。


家族は奥さんと中学生と小学生くらいの子供二人。
三人は私に対して礼儀正しく、感じのいい一家だった。
故人のそばに正座し、静かに私の作業を見ていた。
そこには重苦しくないながらも厳粛な雰囲気があり、遺族の毅然とした態度から、夫・父親が亡くなったことへの悲しさへ立ち向かおうとする姿勢が伝わってきた。


奥さんは、作業を進める私に物静かに話し掛けてきた。
故人は、会社の健康診断で肺に陰が写ったらしく、精密検査を受けたところ肺癌が発覚。
その時は既に、かなり進行した状態だったとのこと。
余命宣告に絶望しながらも、数少ない回復事例に希望を託して病魔と戦った。


しかし、みるみるうちに体調は悪化し、たった半年余で逝ってしまった。
危篤になってからの苦しみようは家族としてとても見ていられるものではなく、意識が戻らないことを覚悟で最後は強いモルヒネを打ってもらったとのこと。
家族にとっては、断腸の思い、辛い決断だったことだろう。


そんな話を聞きながら、作業を進めた。


遺体は、身支度が整えられると、柩へ納められることになる。
そして、柩に納まってしまうと、もう二度と故人の全身の姿を見ることはできなくなる。
納棺する直前、故人の最期の姿をよく見ておいてもらうため、私は一旦部屋から外にでた。


雨はやみ雲もはれ、空にはオレンジ色の夕焼けが広がっていた。
「きれいな夕焼けだなぁ」
「今日の仕事は、これでおしまいだな」
と、呑気なことを考えた。
すると、私が退室するのを待っていたかのように、家の中から声が聞こえてきた。
私(野次馬)は、耳を澄ました。


「お父さん・・・お父さん・・・」
「三人で仲良く力を合わせて生きていくから、心配しないでね・・・」
家族三人が泣いている声だった。


「故人は、昨日は生きていて、今日は死んでいる・・・」
「昨日はいたのに、明日にはいない・・・」
「時間は、何もなかったのように過ぎていくだけ・・・」
「故人も、かつてはこの場所からこの夕焼けを見ていたんだろうなぁ・・・」
私は、斜め上の空に広がる夕焼けを眺めながら、そんなこと思いを巡らせた。


中からの泣き声が落ち着いた頃、私は部屋に入っていった。
そして、家族と一緒に故人の身体を柩の中へ納めた。


我慢できなかったのだろう、三人はポタポタと涙を流して泣いていた。


一連の作業が終わり、帰途につくため私はその家を出た。
空の夕焼けは、燃えているように紅さを増していた。


奥さんは、玄関外まで見送りに出てくれた。
そして、憔悴した面持ちで言った。
「私達は、これからどうすればいいんでしょうか・・・」
「・・・」
「夕焼けか・・・明日は、きっと晴れますよね」
「ええ、多分・・・」
そんな言葉を交わして、私は現場を去った。


あれからしばらくの時が過ぎた。
三人の家族には、どんな人生が待っていただろう。
すぐに笑顔を取り戻して、仲良く暮らしただろうか。
奥さんは、二人の子供を抱えて苦労しただろうか。
二人の子供は立派に成人し、母親を支えているだろうか。


今日の東京は快晴だった。
そして、あの時と同じようにきれいな夕焼けが見えた。
あの家族の家からも、同じように見えたに違いない。


「明日は、きっと晴れますよね」
別れ際にそう言った奥さんの言葉の意味が、この歳になってみて初めて心に染みてくる。




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2006-11-25 21:38:34
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宝探しⅡ

2025-01-25 06:22:27 | 腐乱死体 ごみ屋敷
5月から書き始めた本ブログ。
半年余が経ち、結構な量になった。
同時に、書いたことと書いていないことの記憶が薄くなってきた。
まだ書いていないことを書いたものと勘違いしたり、またその逆もでてきそう。
その辺のボケは寛容に受け止めてもらえると、ありがたい。


その昔、私が、モノを捨てられない子供だったことは、以前のブログにも書いたかと思う。
親にとってはゴミ同然に思えるようなモノであっても、子供にとっては宝物みたいに大事なモノってある。
私があまりに妙なモノ(玩具の類)を溜め込んでいたものだから、親が勝手に整理して捨てたことがあった。
私は、悔しくて悲しくて、しかも腹が立って仕方がなく、泣き叫んだのを憶えている。
大事なモノって、人それぞれなんだよね。


特掃の仕事をする場は、死体現場であることが多いが、たまに不用品の片付けもやることもある。
「不用品の片付け」と言っても、特掃でやる現場は特別なもの、いわゆるゴミ屋敷が少なくない。
ちなみに、腐乱現場がゴミ屋敷になっていることもかなり多い。


ゴミ屋敷にも色々あり、ゴミの量やゴミの中身も千差万別。
床が隠れる程度の所もあれば、天井近くまでゴミが積み上げられているような所もある。
色々なゴミがゴチャ混ぜになっている所もあれば、新聞・雑誌や空缶など特定の物ばかりがやたらと多い所もある。


ある現場。
腐乱死体現場ではあったが、そんなことよりゴミ山の方がインパクトがあった。
汚染箇所もゴミに埋もれており、遺族も完全にお手上げ状態。


ゴミを片付けることはもちろんながら、貴重品を探し出すことも遺族の強い要望だった。
遺族の欲しがる貴重品とは、預金通帳・カード・印鑑・保険証券・年金手帳etc、金になりそうなものばかりだった。
しかも、小さくて探しにくそうなものばかり。


「考えていても仕方がないんで、とにかく、やるしかないですよねぇ」
私は、見つからなくても責任は持てないことを条件に作業に着手した。


まずは、玄関のゴミから袋詰めをスタート。
中腰姿勢の作業は、なかなかキツい作業だった。
「故人は、なんでここまでゴミを溜めてしまったんだろう」
そう思いながら、ひたすら手を動かした。


「なんとか探し出して下さい!」
遺族は切望していた。


「んー、なかなか見つかりませんねぇ」
期待に応えたいのは山々だったが、いつまでゴミを漁っても一向にでてこない。
それどころか、あまりのゴミの量に疲れてきた私は、探し物をする気力がなくなってきた。


かなりのゴミを片付けると、床に敷かれた汚腐団が姿を現してきた。
「でたなー」
私は、敵の大将でも見つけたかのように、テンションを上げた。
そして、染み付いた特掃本能がムクムクと頭をだし、肝心の探し物はそっちのけで汚腐団との格闘に入った。
汚腐団については過去ブログに頻出しているので、今回は詳細記載は省略するが、例によってこの汚腐団もかなりヤバイ代物だった。


敷布団を上げると何かがあった。
茶色い腐敗粘土がベットリ着いていたので、それが何かはすぐには分からなかった。
よく見るとカードが見え、更によく見ると預金通帳が見えた。


「大事なものを布団の下に隠しておくとは、なかなかの知恵者だな」
「しかも、汚腐団の下じゃ、俺以外は誰も盗めないし」
「抜群の防犯対策じゃん」


私は、何冊かの通帳と何枚かのカードを手にとって叫んだ。
「ありました!通帳とカードがありましたよ!」
「え!?ありました?」
遺族も嬉しそうに応えた。


私は、別室の遺族のもとへ行き、それを差し出した。
「やっと見つかりましたよ」
「え゛っ!?」
「通帳とカードです・・・」
「・・・」
絶句した遺族は、鼻と口を押さえながら眉をひそました。


モノを何と説明したら分かり易いだろう。
んー、表面がドロドロに溶けた板チョコに味噌をからめた感じ・・・かな。
(また食べ物に例えてしまって申し訳ない。)


そんなモノが、探し求めていた預金通帳・カードだと言われても困るのは分かる。
しかし、せっかく探し出したモノを捨てられるのは悲しい。


私は、チョコ通帳と味噌カードをビニール袋に入れて、遺族に手渡した。
「これ、銀行に持って行ってもいいものですか?」
「さぁ・・・銀行の人もビックリするでしょうねぇ・・・やはり、やめといた方がいいと思いますよ」
その後、遺族がそれをどうしたか・・・まさか、銀行には持ち込んでいないと思うが、私が知る由もない。


宝を得るためには、相応のリスクや困難も克服しなくてはならない。
いい教訓を得た。



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2006-11-23 15:28:54
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歯車

2025-01-22 06:22:45 | その他
ある日の夜、電話が鳴った。
遅い時間帯だったので、「仕事か?」と思ってドキッとした。
(夜に電話が鳴ると、色んな意味でドキッとする。電話だけならまだしも、現場出動になると気分はブルー。)
電話のディスプレーには友人の名前が見え、ホッとして電話にでた。


電話の主は学生時代の友人だった。
某大手企業勤務であることと、そこでの肩書が彼の自慢。
仕事関係の飲みから帰宅したばかりらしく、酔っているようだった。


私も酒は好む。
ただ、仕事として飲むのはかなり苦手。
幸い、この仕事では、仕事上で酒を飲む機会は少ない。
特掃に「接待」なんてあり得ない。
当たり前のことだが、接待することもなければ接待を受けることもない。
死体を接待?死体から接待される?→ジョークにもならないね。


そんな私に比べて、友人を含めた一般のビジネスマンは楽じゃなさそう。
自分の気持ちを押し殺して愛想をふりまき、自分の身体をかえりみずに酒を飲む。
想像すると大変そうだ。
「夜遅く、悪りーな」
「どうかしたか?」
「ちょっと、ムシャクシャしてな」


友人は、会社(上司)の自分に対する評価に不満があるようだった。
それで、当夜は職場の上司と飲んでいたらしかった。
上司と話しても気が収まらないのだろう、私にまで電話してきて不満をぶちまけてきた。


「まったく、納得いかねぇよ!そう思うだろ?」
「よく分かんないけど、評価してもらえるだけでマシじゃん」
「なんでだよ」
「俺なんか、評価もへったくれもないぞ」
「・・・」
「でゆーか、誰も評価してくれないんだぞ!」
「・・・誰かに評価されたいのか?」
「あー、評価されたい!」
「へぇ、そんな仕事やっててもか」
「正確に言うと、仕事の評価は求めてない・・・てゆーか、諦めてる」
「じゃ何の評価?」
「カッコよく言うと、人としての評価かな」
「何?それ」
「人格だよ、人格!」
「人格ねぇ・・・負け犬の遠吠え、きれいごとにしか聞こえねぇよ」
「いいねぇ、そのストレートパンチ」
「ごかすなよ」
「オマエ、仕事の成績がイッチョ前なだけで、人として好かれてないんじゃないの?」
「ゲッ!思いっ切り、ストレートパンチ」
「しかも、それって自分でも分かってんだろ」
「きっつー!俺をノックアウトするつもりか?」


友人は、しばらく黙りこんだ。


「偉そうに言ってるけど、オマエはどうなんだよ」
「俺か?やっぱ人間関係は苦手だな」
「人間より死体相手の方が楽ってか?」
「図星!」
「マジ!?」
「自分でもよく分かんないけど、ある意味で死体相手の方が楽だったりすることはあるな」
「マジかよぉ」
「もちろん、死体相手も楽じゃないけどな」


友人には理解できない話だった。


「大事だっつー人格は備わってるのか?」
「全然」
「金は?」
「安い」
「それで、誰も評価してくんないのか・・・オマエ、可哀相なヤツだな」
「ご親切な同情、ありがとう」


私の仕事には人事考課も査定もない。
給料は、売上・利益に応じて上下する。
特異な小集団では、肩書がついたてころで社会的には無意味。


「評価に不満があるなんて、俺にとってはただの贅沢病だよ」
「仕事の成績は、自分一人の力で獲得したと思うなよ」
「上司・同僚・部下がいなかったら無理だろ?」
「会社・組織のチームワークを大事にしてたら、自然に好かれるキャラになれんじゃないの?」
「そうすれば、納得のいく評価が得られようになると思うよ」
「頑張れよ!歯車」
「俺も、歯車になれるように頑張るからよ!」


そう言って電話を切る、孤独を愛する淋しがりやな私であった。




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2006-11-21 15:51:29
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さらば

2025-01-17 05:28:22 | その他
つい先日、特掃用に履いていた靴を捨てた。
9月10日のブログに登場させたアノ靴だ。
なかなか捨てることができなかった靴を、やっと捨てたわけだ。
ブログに登場させたアノ時点でも既に末期状態だったんだけど、あれから二ヶ月余も健闘してくれた・・・て言うか、強引に履き続けた。


思えば、約半年の付き合いだった。
「半年」と言っても、夏場の半年と冬場の半年では、その中身は全然違う。
夏場の半年は、ハンパな汚れ方では済まない。


この半年の間、この靴は何十人もの人間の腐敗液と、何百(千?万?)匹ものウジを踏んできた。
汚れは靴底には限らない。
上にも側にも、何十人もの腐敗液がタップリ浸み込んでいる。
そんなことを考えると、「我ながら、よくもまぁ・・・」という気分になって苦笑した。


靴に情みたいなものが芽生えてきて、何となく神妙な気持ちになった私は、ある考えが浮かんだ。
「随分と世話になったから、最後はきれいに洗ってやろうかな」


私は、ちょっと善人になったような気分に満足しながら、靴を手に取った。
そして、臭いを確認するために鼻を近づけた。


「グハッ!くせーっ!」
ノーガードの私に、生々しい刺激臭が直撃してきた。
直近の特掃業務から放っておいたせいで、靴に腐敗粘土・腐敗液が着いたままになっていたのだ。


「チッ!しくじった!」
靴に対しての情は、腐敗汚物の力で一気に吹き飛ばされた。
洗ってやるどころが、私はそそくさと靴をゴミ袋に投げ込んだ。
そして、袋の口をきつく縛った。


それにしても、腐乱現場で嗅ぐ腐敗臭と別の場所で嗅ぐ腐敗臭は、似て非なるもの。
腐敗臭は、シャバで嗅いじゃイカンね。


余談だが・・・
せっかくなんで(?)、管理人にも靴の臭いを嗅がせてやろうかと思ったら、「いい!いい!いい!」と速攻で断られた。
当然か・・・。


新しい靴はいつまで履くことになるだろうか。
今は晩秋、これからの時季は特掃の閉閑期になるので、寿命は長めになるだろう。
多分、来年の初夏ぐらいまでは付き合えるのではないかと思う。


自分の回りを見渡せば、私が生きている世界は物が豊富だ。
日本は物質的には満たされている。
特掃現場からでる廃棄物のほとんどは、まだ使えそうな物ばかり。
(ま、物理的には使えても、精神的には使えない物ばかりだけどね。)
そんな物をどんどん処分してしまうのは、だいぶ抵抗がある。
やはり物は大切にした方がいいと思う。


でも、今回別れた特掃靴はちゃんと役割を果たしてくれた。
充分に使いきった。
「さらば、特掃靴」


「さらば」と言えば・・・
10月13日の掲載で、本ブログを終了することを示唆したが、ちょっと考え直した。
書き込み・コメントに影響を受けたせいもあるが、更新頻度を落としながらも、今しばらく続行していこうと思う。


私は、モノ凄く狭い世界で生きているので、色んな人の価値観や考えに触れることができる書き込み・コメントには格別の新鮮さを覚えている。
人間(自分)を作るうえでの材料になっているような気もする。


狭い世界でしか動いていないと、自然と、都合の悪いことは他(人)のせいにして独善的になってしまいやすい。
書き込み・コメントによって、それを修正できるような気もする。


と言うわけで、本ブログの方は今しばらく続けていこうと思うので、これからもヨロシク。



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2006-11-19 09:04:07
投稿分より

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コメント (2)
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