「エクサバイト」服部真澄 角川書店 2008年 1700円
「龍の契り」で度肝を抜かせ、「鷲の驕り」「ディール・メーカー」でうならされ、「清談 佛々堂先生」では全く違ったテイストで飽きさせない、新作が出たら必ずチェックしてしまう作家、服部真澄。さて、最新作「エクサバイト」はどうだったか?
まずタイトルになっているエクサバイトとは、10億ギガバイト、あるいは100万テラバイトのこと。今の我々の生活には無関係な数字だが、その昔はキロバイトで用が足りていたのに、あっと言う間にメガバイト、ギガバイトと情報の量の桁が天文学的に増加してる。だとすれば、エクサバイトが標準の情報量を表す数字になる日だって近々やって来るかもしれない。
舞台は2025年の世界。舞台は日本、アメリカ、イタリアと幅広い。グラフィコムという会社が開発したユニット、これを眼の近くに埋め込むと自分が見た映像が全て記録されるという。世界でこのユニットを装着する者が増えているという辺りから話は始まる。そのユニットを上手く活用する方法を思いついた日本人映像プロデューサ、ナカジ。そして同じようにユニット活用から大きなビジネスチャンスを作ろうとする、エクサバイト商會のローレン・リナ・バーグ。両者の向かう先は、ユニットを本人の死後回収して、それを元に歴史を描き出すというもの。しかし、そう簡単にはいかないのが小説の世界。果たしてこのビジネスの行方は?
服部真澄氏は常に、誰かが書きそうで誰も書いていなかったネタ。あるいは誰も思いつかなかった大ネタで勝負を仕掛けてくる。また、冒頭部分が思わせぶりで、なかなか本題に入らずじらしてくれるのもまた相変わらず。そのじらし具合もまた上手い。
自分あるいは他人が見た映像が記録されるとしたら、どうであろう?俺は即座に「それって面白いじゃん」と飛びついてしまった。記録されること = 善 という短絡的な考えだった。また、読んでいる途中で色々なことを考えさせられた。記憶と記録の違い。記憶は嘘をつくと言う。確かにそうだ。現実に実生活で体験したことが何度もある。記憶 = 偽情報 だとしたら、記録の方が尊いのだろうか?これについては、まだ確固たる答えを得ていないが、この「エクサバイト」の中にたっぷりヒントがあった。
服部真澄ワールドは概して読みやすい。この「エクサバイト」も例外ではない。近未来を扱った作品と言うと、比較的新しい 貴志祐介の「新世界より」 と比較してしまう。あっちは古代的世界観を持ち込んでいるので、IT技術を前面に押し出している「エクサバイト」とは比較しにくい。少なくとも世界観については甲乙つけ難い。しかし、「新世界より」には根本的欠陥がある。それは、長い。長すぎる。無駄に長すぎるのだ。あれだけの話なら上下巻ではなく一冊にまとめるべきだった。比較対象が「新世界より」なのもどうかとは思うが、読みやすい、ダレナイという意味では「エクサバイト」に軍配が上がる。
今回の記事のタイトルは、傑作か駄作かだった。
・ 時間を経つのを忘れる、そしてあっと言う間に読み終えてしまう「まるで新幹線の中であっという間に読み終えられる赤川次郎だか西村京太郎だかを読んでいる気分よりはかなりマシな気分を味わえる」作品。なのに、
・ たぶん読み終えてから数週間経ってしまえば、忘れてしまう作品。
褒めてるんだか、けなしてるのだか分かりにくいが、そのどちらでもある。重厚長大な書籍ばかり読んでいると、たまにはこんな軽いタッチで読める、でも世界観はなかなか読ませる小説を読むのも、結果としてはよかった。楽しめた。
最後に、
自分は果たして、後世の人が見るに値するモノを見ているのだろうか?あなたはどう?
今日の教訓
え?あのテカガミストが
仕事を?
ウエクサ・バイト・・・・・・
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