元より日本は経済成長を追い求めてきたと否定的な文脈で語られることが多かったわけですが、原発事故後はその傾向に拍車が掛かったようにも思います。経済効率優先の在り方が原発事故を招いたのだ云々と、この辺は強弁が過ぎるように感じるところですけれど、取りあえず日本は経済的な豊かさを追求してきたのだと、そう信じ込んでいる人は少なくありません。しかし、その割りには「結果」が伴っていないような気がするのは私だけでしょうか。本当に経済成長を追い求めているのなら、この20年は何だったのかと疑問の一つも出てきます。
往々にして自説の押し売りに熱心な人ほど、自らが俎上に載せている対象が曖昧なままになっているケースがあるようにも思うわけです。例えば農家を保護したいのか農業を保護したいのか、TPP参加問題でもその辺の区別は全く意識されていなかったりします。経済成長にしても然り、果たして経済成長とは何なのでしょうか。その辺を考えずに、ただ漠然と経済成長を追い求めてきたのは誤りだったと得意気に語られても、こちらは肩をすくめるほかありません。文明なり経済的な豊かさなりを否定しておけば格好は付くのでしょうけれど、そんなものは流行りに迎合しているだけのことでしかないですから。
そこで考えてほしいのですが、下記の2パターンの内、どちらに経済的な豊かさを感じますか?
A.収入は30万円、支出も30万円で特に貯金はない生活
B.収入は20万円、支出は15万円で毎月5万円貯金できる生活
毎月30万円を使える生活と、毎月15万円しか使えないけれど5万円貯金できる生活、GDP的には前者の方が豊かなはずですが、感覚的に後者に豊かさ(もしかしたら「正しさ」)を感じる人が、とりわけ日本では多いのではないでしょうか。収入も支出も多い生活を目指すのが、それとも収入は少なくとも貯蓄の多い生活を嗜好するのか、この辺の「好み」が日本経済に与えてきた影響は思われているよりずっと大きいような気がします。
A社の売上は500万円、支出も500万円で利益は0
B社の売上は400万円、支出は350万円で利益は50万円
では、この場合だったらどうでしょう、どちらが優良企業でしょうか。
翌年のA社の売上は1000万円、支出は1020万円で20万円の赤字
翌年のB社の売上は500万円、支出は450万円で50万円の黒字
さらに翌年のA社の売上は1800万円、支出は1800万円で利益0
さらに翌年のB社の売上は500万円、支出は400万円で100万円の黒字
3年後のA社の売上は3000万円で支出は3050万円、赤字が50万円
3年後のB社の売上は600万円で支出は480万円、黒字が120万円
経営規模の大きい会社と、確実に利益を出している会社、経営規模の拡大に成功している会社と、利益の確保に成功している会社、あくまで例として極端に簡素化したモデルですけれど、日本で優良企業と呼ばれるのは果たしてどちらでしょうか。どちらを推すにしても言い分はあると思いますが、この20年の日本経済の「結果」から類推するに、どうにもバランスを欠いた選択が行われていると言わざるを得ません。
経済成長を目指すと言いつつ、実は追い求められているのはバラバラです。お金のフローを大きくすることを目指すのか、それともお金が多く「貯まる」ことを目指すのか、あるいは「企業の利益を最大化する」ことを目標とするのか、それとも「給料がたくさんもらえる」ことを目標にするのか、この尺度をどう採るかで日本が本当に経済成長を追い求めてきたと言えるのかどうかを判断する目も変わってくることでしょう。
リーマンショックに端を発した金融不安によって、製造業至上主義の国である日本は金融依存と呼ばれた国よりも深刻な経済停滞に陥ったわけですが、それ以前には紛れもなく戦後最長の景気回復が続いていました。ただこの「戦後最長の景気回復」はどう評価すべきでしょうか。単に輸出相手国の好景気の「おこぼれ」をもらっただけの景気回復でもあり、日本側からの自発的な要因に乏しく、経済成長のスピードは日本「以外」の国に比べると亀の歩みのようなものでもありましたし、何より給与所得は一貫して下がり続けました。
一方で企業収益はバブル期を大きく上回る水準へと回復し、内部留保も非金融法人の現金預金残高も空前の水準へと上昇したわけです。「拡大せずとも貯金(利益)が増えればよい」「企業の利益が増えればよい」という観点に立てば、確かに日本は経済成長を追ってきたと言えるのかも知れません。一方で「(経営や家計の)規模が拡大すべき」「所得の増大が肝要」、もしくは「貯蓄とフローの双方が増えるべき」「企業利益と給与所得の双方が増えるべき」との観点に立つならば、日本は20年近く経済成長から頑なに背を向けてきたと断言するほかありません。ただ単に、労働者から企業への所得移転を進めてきただけの話です。果たして本当に、日本は経済的な豊かさを追い求めてきたのでしょうか?
しかし、従業員に給料を払うことが大切だという意味でいわれることはあまりないですね。というより、皆無だったかも知れません。
労働者からすれば、当然のことながら払いのいい会社こそ良い会社のはずなのですけれどね。働く人の目線で会社を評価する、と言うことがいかに抜け落ちていたかを如実に表わしているのかも知れません。