司馬遼太郎『歴史と風土』(文春文庫)を読む。『司馬遼太郎全集』の月報のために語り下ろしたものと、『文藝春秋』に連載した談話を編集している。いずれも司馬が語ったもの。
司馬のエッセイも語りもピカイチだと思う。こんな内容なら何冊でも読みたい。面白かったところを抜き書きする。
藤原鎌足という人は(……)ただ天皇の側近というだけの人で、自分には地盤としての勢力がなかった。そこで自分と天皇の一体感から、何とかこれを大きなものに仕立て上げたい、ということで、水平線の向うの中国の体制をもってきて、それでもって土着豪族たちを我慢させたり、なくしたりしたい。/それが大化ノ改新です。蘇我氏が暗殺されたりして少しは成功したけれども、しかしながら各地に豪族は全部残ってしまう。これが日本体制の中にずっと今まで続いている姿です。つまり絶対政権というのは成立したことがない。(……)天皇というのは最初から、権力ではなくて権威です。
これは古い話ですが、今でも定説になっていて、どの言語学者も国語学者も気がかりになっていることがあります。日本語の一二三(ひふみ)は、高句麗語だということです。新村出博士が発見して、言語学的にきっちり対応させたことです。ただ朝鮮半島は、非常に言語資料を失った不思議な文明ですから、古代原語は、残らない。高句麗語から一二三という3つの数詞をさがしだして、それに日本語の一二三を対応させただけで、あとの数字は残っていません。
なぜかわからないが、中国においては、文明の周辺にいるグループに対しては、安南とか蒙古とか、匈奴とか、鮮卑とか、日本とか、李朝がつけた朝鮮とか、すべて二字名で、一字であることはない。
韓は、(万里の)長城の外にいながら、一字呼称でした。珍しいといわねばなりません。
日本だって、倭と言っていたのを、倭の文字を卑しんで、日本と号すことがあります。これは中国に朝貢しなければいけない時に、一字を恐れて、つまり中国に遠慮して、対外的に、中国に対してだけ国名を作らなければいけないと、大急ぎで日本という国名を作ったのだと私は思います。
お釈迦さんが亡くなって、火葬に付して、その骨は舎利として、お釈迦さんの遺体の一部としてみんな大事にするということはありましたが、しかしお釈迦さんのお墓がどこにあるということはない。つまり、仏教とお墓は関係ないということです。またお釈迦さんの高名な弟子たちの遺骨もなければ、お墓もない。全部空(くう)に帰したわけです。本来生身の間は解脱を目指し、死ねば空に帰すというのが仏教のものです。ですから霊魂というものも仏教にはないのです。
(……)日本人のお墓というのは、われわれ庶民が造り始めたのは江戸中期の元禄・享保のころからです。相当な身分のお侍さんでも、墓というのは、脛(すね)から下ぐらいの高さのものだった。墓を競い合ったり、墓相だとか何とか言い合うのは、ごく最近の、商業主義のものであって、仏教とも、浄土真宗とも、親鸞とも何の関係もないのですと(司馬の父親のために大きなお墓を作りますかと言った坊主に対して)言ったら、非常に怪訝な顔をしていた。
大きな墓と言えば多摩墓地に横井秀樹の巨大な墓がある。ホテルニュージャパンの社長だった男だ。なるほどいかにも下品な墓というべきだろう。
いや知らないことばかりだった。司馬遼太郎をもっともっと読みたい。