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教育の奇跡

2012-03-15 jeudi

『みんなのねがい』(全障研出版部)という媒体に教育について寄稿した。
「いつもの話」ではあるが、教育についてビジネスマンのような言葉づかいがあまりにメディアに瀰漫してるので、「教育はビジネスの言葉づかいでは語れない」という原理的なことを確認するために書いた。

「教える」という営みの本質についてもっとも洞察に富んだ言葉を残したのは、フランスの精神分析家ジャック・ラカンである。ラカンは(やがてフランス中の知識人がエコール・ノルマルの講堂を埋め尽くすことになる)その伝説的なセミナールの最初の時間にこう述べた。

「教えるというのは非常に問題の多いことで、私は今教卓のこちら側に立っていますが、この場所に連れてこられると、すくなくとも見掛け上は、誰でも一応それなりの役割は果たせます。(・・・) 無知ゆえに不適格である教授はいたためしがありません。人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っているのです。誰かが教える者としての立場に立つ限り、その人が役に立たないということは決してありません。」(ジャック・ラカン、「教えるものへの問い」、『フロイト理論と精神分析技法における自我(下)』、小出浩之訳、岩波書店、1998年、56頁)

人間は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っている。
これは「教える」ということについて語られたうちで、もっとも挑発的で、もっとも生産的な命題の一つだと私は思う。教えることを職業にしているすべての人間はこの命題にまっすぐに取り組んで、自分なりの解釈を下す義務があると私は思う。
私も長く、30年以上にわたって「教卓のこちら側」にいた。そして、私の経験はこのラカンの言葉に満腔の同意を与える。
「教卓のこちら側」にいる人間は、「教卓のこちら側にいる」という事実だけによって、すでに「教師」としての条件を満たしている。
教師は別にとりわけ有用な、実利的な知識や情報や技能を持っており、それを生徒や弟子に伝えることができるから教師であるわけではない。
これが教えることの逆説である。
教師は「この人は私たちが何を学ぶべきかを知っている」という確信を持っている人々の前に立つ限り、すでに十分に教師として機能する。彼に就いて学ぶ人たちは「彼が教えた以上のこと、彼が教えなかったこと」を彼から学ぶ。
この「教えることの逆説」は、多くの教師にとっては経験的にはひそかに実感されていることのはずである。だが、話の筋道としてなかなか公言されにくい。なにしろ、「私自身にどれほど知識や技能が欠けていても、『教卓のこちら側』に立つ限り、私は教師として十分な仕事を果たしているのです」ということをカミングアウトするわけである。「だったら、誰だって教師になれるじゃないか!」という怒りの声がすぐにも聞こえて来そうである。
いや、実際にその通りなのである。
誰だって教師になれる。そうでなければ困る。
人間たちが集団的に生き延びてゆくためにほんとうに重要な社会制度は「誰でもできるように」設計されている。そうでなければ困る。例外的に卓越した資質を持っているに人間しか社会制度の枢要な機能を担い得ないという方針で社会制度が設計されていたら、とっくの昔に人類は滅亡しているだろう。
以前、大相撲の力士をしていた方から不思議な話を伺ったことがある。彼は「相撲取りというのは、ある程度身体が大きければ、誰でもプロになれるのです」という驚くべき事実を教えてくれた。
「サッカーや野球であれば、生得的に高い運動能力を持っていなければプロにはなれません。でも相撲は違う。生得的資質が凡庸であっても、プロになれる。とてつもなく強くなれる。そうなるように相撲の身体技法は合理的にプログラムされているのです。」
私は驚き、そののち深く納得した。
確かにその通りである。そうでなければ困る。
もし、十万人に一人というような例外的にすぐれた身体能力を持ったものしか相撲の力士になることができなかったら、それが1500年続くということはありえなかったはずだからである。相撲が例外的天才しか習得にできない特殊な技能であったら、一世代だけでも「例外的に卓越した身体能力の保持者」が相撲の道に入らなければ、その時点で相撲の伝統は断絶してしまったであろう。
相撲において最優先するのは「たとえ凡庸な身体能力しかもたないものについてでも、そのポテンシャルを爆発的に開花させることのできる能力開発プログラム」を次世代に継承することである。ある時代に伝説的な力士がひとり出現して、その人が人間の身体には「これほどのこと」ができることを示せれば、それで「終わり」というのでもよいなら、ある意味話は簡単である。だが、相撲は一人の天才のパフォーマンスを神話的に語り継ぐことよりも、力士養成プログラムを「存続させること」を最優先した。それは相撲という呪鎮のための神事であり、大衆芸能であり、格闘技であり、見世物である複素的なこの技芸が日本列島から決して失われてはならないという強烈な使命感を力士たちを貫いていたからである。
私自身はなぜ相撲が世代を超えて継承されなければならないのか、その理由をみなさんに向かって説得力のある言葉で語るだけの用意がない。だが、「決して失われてはならぬ制度については、『その気になれば、誰でも十分にそれを担う資格がある』ように構造化されていなければならない、という人類学的知見には深く同意する。
学校教育もまた、そのような意味で「決して失われてはならない制度」である。それなしでは人間たちが集団的に生き延びてゆくことができない制度である。
学校教育の行われない社会集団を想像してみればわかる。そこでは幼い成員たちは成熟への道筋を示されることなく、遊興に耽り、怠惰に過ごしても咎められない。子供たちは生きるための基本的な技術も知恵も教わらないままに無能な成人になり、いずれ餓え死にするか、他の攻撃的な部族に襲われて奴隷になるか殺されて終わる。
学びのシステムを持たない集団は存続することができない。
だとすれば、学校教育については、「誰でも、一定の手順を覚えさえすれば、教える仕事は果たせる」ように制度設計されていなければならないはずである。例外的に知的であったり、洞察力があったり、共感性が高かったりする人間でなければ、そのような仕事は務まらないというルールを採用していれば、人類はとうに消滅していただろう。
ジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』に描かれた少年たちは、無人島に漂着した後、住むところと食べるものを確保すると、次に学校を作った。幼い子供たちが無人島の生活になじんで、知性の行使を忘れることを年長者たちが恐れたからである。教師となった少年と生徒になった少年たちのこのときの年齢差はわずか5歳である。14歳の少年に9歳の少年に対する圧倒的な知的アドバンテージを認めることはむずかしい。しかし、この「学校」はみごとに教育的に機能した。「教卓のこちら側」と「あちら側」の間には乗り越えがたい知的位階差があるという信憑が成立する限り、そこでは教育が機能する。これがほんらいの「常識」なのである。
けれども、教師はその「常識」を知っているが、口にすることをはばかる。それを卑劣だとか陰険だとか咎めてはならない。というのは、「教師という仕事は実は誰でもできるのだ」ということは「とりあえず秘密にしておく」ということも含めて教育は制度設計されているからである。「知っているけれど、知らないふりをしている」のである。そういうものなのである。
私は1950年、戦争が終わって五年目に生まれたが、当時の公立の小中学校の教師たちの中には「今では絶対に採用されない」タイプの教師が少なからず含まれていた。彼らの中にはあまり教科の内容を理解していない教師がいたし、教科書を音読させるだけで授業というものをしない教師がいたし、気分しだいで通りすがりの生徒にビンタを食わせる教師がいた。でも、そのせいで私たちの学力が低かったということはない。私たちはいまどきの子供たちよりもはるかに熱心に授業を聴いていた。むろん学力もはるかに高かった。
なぜそうであったかと言えば、私たちは「教卓の向こう側にいる人」はそのことだけで、すでに教える資格があるというルールを身体化していたからである。違いはそれだけである。それが教師たちにとっても、親にとっても、生徒たちにとっても「常識」だったからである。
残念ながら、その後、私たちは大学に進学した後に「教師はただ教卓の向こう側にいるだけで、すこしも人間的に卓越しているわけではない」という事実を意地悪く暴露して、教育制度に回復不能の深い傷を与えてしまった。私たちが指摘したのは「ほんとうのこと」だったのだが、「言うべきではなかったこと」だった。それに気づくほどに私たちは大人ではなかった。
実際に自分が教卓のこちら側に立つことになって、私は「教育制度」を支えている「氷山の水面下の部分」には大量の人類学的な叡智が埋蔵されていることを知った。
私が知って驚倒したのは、「教師は自分が知らないことを教えることができ、自分ができないことをさせることができる」という「出力過剰」のメカニズムが教育制度の根幹にあるということである。
それが教育制度の本質的豊穣性を担保している。
教師であるためには一つだけ条件がある。一つだけで十分だと私は思う。
それは教育制度のこの豊穣性を信じているということである。
自分は自分がよく知らないこと教える。なぜか、教えることができる。生徒たちは教師が教えていないことを学ぶ。なぜか、学ぶことができる。この不条理のうちに教育の卓越性は存する。それを知って「感動する」というのが教師の唯一の条件だと私は思う。
長い時間をかけて、この巧妙な制度を作り上げた先人たちの知恵に敬意を払うこと、それだけが教師の条件だと私は思う。
もし、生徒たちが学んだことは、どれも教師がすでに知っていたことの一部を移転したにすぎないと思っている教師がいたとしたら、私は「そのような人間は教卓に立つべきではない」と思うし、当人にはっきりそう告げるだろう。
その人には「教育制度に対する敬意がかけている」からである。
教育制度に敬意を持てないものは教師になるべきではない。
教育の奇跡とは、「教わるもの」が「教えるもの」を知識において技芸において凌駕することが日常的に起きるという事実のうちにある。「出力が入力を超える」という事実のうちにある。
豊かな専門知識を持ち、洗練された教育技術を駆使できるが「教育の奇跡」を信じていない教師と、知識に貧しく、教え方もたどたどしいが「教育の奇跡」を信じている教師が他の条件を同じくして教卓に立った場合、長期的には後者の方が圧倒的に高い教育的アウトカムを達成するだろう。私の経験はそう教えている。
もちろん、短期的限定的な教育課題の競争(TOEICのスコアを一学期のあいだに何ポイント上げるかとか)では、「できる教師」の方が高いパフォーマンスを発揮する。けれども、「教室とはそこに存在しないものが生成する奇跡的な場だ」という信念を持たない教師は長期にわたって(生徒たちが卒業した後になっても)彼らの成熟を支援するというような仕事はできない。
今日の「教育危機」なるものは、世上言われるように、教師に教科についての知識が不足しているからでも、教育技術が拙劣だからでも、専門職大学院を出ていないからでもない。そうではなくて、教師たちが教育を信じるのを止めてしまったからである。
教師が教育を信じることを止めて、いったい誰が教育を信じるのか。
教師たちが政治家やメディアや市場原理を信じる保護者たちの要請に屈して、「教育とは代価に見合う教育商品・教育サービスを提供するビジネスの一種である」という教育観を受け容れたときに、商取引のタームで教育が語られることを許したときに、教育の奇跡は息絶えるだろう。
「教卓の向こう側」には圧倒的な知的アドバンテージを有するものが存在する。生徒たちが差し出すどのような代価も、教師からの「贈り物」の価値を相殺することはできない。その信憑だけが私たちをドクサの檻から解放してくれる。
子供たちはまず「教卓」を介して「この世界には私の理解を超えた数理的秩序が存在する」という信憑を身体化する。そこから科学的探求心と宗教的覚醒が始まる。そこから人間は人間的なものに成長してゆく。
この理路をまったく理解していない人たちが教育について語る言葉が巷間にあふれているので、贅言と知りつつここに記すのである。