「ビンラディン殺害?」
まさか。
第一報を見た時、てっきりデマだと思った。
最近は、ツイッターもデマだらけだからだ。
いや、ツイッターがどうこうではなくて、単に、私のタイムラインを行き来している人々が軽率だということなのかもしれない。
あり得る話だ。犬が飼い主に似るように、ツイッターは持ち主に似る。とすれば、私がフォローしているメンバーが、似たもの同士である可能性は決して低くないわけで、であるならば、それらの私に似ているかもしれない人間たちが、震災以来、デマ情報をリツイートしがちになっているのは、むしろ必然だったのだろう。
でもまあツイッター上のデマは面白い。私は楽しんでいる。特にタイミングの良いガセ情報にはいつも感心させられる。デマは時に事実よりも誠実だ。というのも、事実が単に起こってしまった出来事に過ぎないのに対して、デマは「起こるべき出来事」を語っているからだ。あれは、魂の声なのだ。
ところが、ビンラディンの死亡を知らせるツイートは、どうやらウソではなかった。自分の目で遺体を確認できない以上、本当の真相は、結局のところ、われわれ一般人には最後までわからないのかもしれないが、それでもとにかくウサマ・ビンラディンと呼ばれていた男が、今後、公式の場において、死者として扱われるようになったことは確かだ。万が一どこかで生きているのだとしても。
ビンラディン殺害の意味について、私は特に語るべき言葉を持っていない。
殺害の方法や、遺体処理の適切さについても同様だ。思うところがないわけではないが、私の感想など凡庸で退屈なだけだ。今このタイミングで文字にして残すほどのものではない。
私が強い印象を受けたのは、むしろアメリカ国民の反応だ。
当日のニュース番組でも、「ビンラディン殺害のニュースを聞いてタイムズスクエアに集まるニューヨーカー」の映像が紹介されていた。ご覧になった方もおられるだろう。
ビンラディン死亡のニュースを知るや、かの国の善男善女は、深夜にさしかかる時間帯にもかかわらず、三々五々、広場に繰り出した。ドライバーはクラクションを鳴らし、徒歩の者はコブシを突き上げながら歩いていた。そして、広場に集まると、彼らは一斉に叫んだのだ。声を合わせて。
「U.S.A ユー・エス・エー! ユー・エス・エー!」
なるほど。
私が考えていた以上に、ビンラディンは、とても強烈に憎まれていたようだ。
当然と言えば当然ではある。
あの9.11の惨劇が、本当にビンラディンの主導のもとに為された作戦であったのだとすると、あのどうにも弁護のしようのない凶行の首謀者は、米国民のみならず、世界中の平和な市民にとって明確な「カタキ」であるはずだからだ。
でも、それでもなお、あの夜のニューヨーカーたちの祝祭的な喜び方は、なにかにつけて微温的な日本人である私の目から見ると、やはり過剰に見えた。
チャンピオンズリーグの決勝を勝ち抜いた日のミラノ市民でさえ、もう少し抑制がきいていたと思う。それほどあの日の映像の中のアメリカ人の喜び方は異様だった。
だからなのかどうなのか、日本のテレビは深追いしなかった。現地特派員による報告映像を5秒ほど流すと、そそくさとカメラを切り替えてしまった。
たぶん、ディレクターは、ヤバい空気を感じとったのだと思う。
「おいおい、このブイ、ちょっとヤバくないか?」
「とにかく、さっさとスタジオに引き取ろうぜ」
震災からこっち、われわれは、「不謹慎」ということに敏感になっている。その感覚からすると、あの映像は少しく謹慎を欠いているかに見えた。
CNNは違っていた。歓喜全開。まさにお祭り騒ぎだ。市民もキャスターもゲストもコメントを述べる識者も、全員が優勝した時の阪神ファンみたいにはしゃいでいた。
喜ぶ気持ちはわかる。もちろんわかりますとも。
喜ぶなとは言わない。
でも、もう少し、「かみしめる」とか、「味わう」とかいった感じの、しみじみ系の喜び方ができなかったものなのだろうか。
だって、「勝利」ではあっても、これは、野球やサッカーの勝ち負けとは違って、人の生き死にが関わっている出来事なのだからして。
百歩譲って、庶民がはしゃぐのは、仕方のないことだというふうに受け止めても良い。
あのテロ以来、アメリカの国民は、ずっと屈辱をかかえて日々を生きていた。
アメリカの繁栄の象徴である貿易センタービルと、アメリカの強さのシンボルであるペンタゴンが陵辱されたのだ。これは、単なる経済の損失額や死者の頭数だけで測定可能な被害ではない。「アメリカ」という国の枠組みそのものに対する破壊的な犯罪として、国家的な態度で評価しなければならない。
とすれば、そのアメリカを傷つけた敵を退治した日に、アメリカ国民が有頂天になるのは、これはいたしかたのないなりゆきだ。
でも、それにしても、CNNだったりABCだったりするニュースのネットワークが、そのアメリカの庶民の祝勝会ライクな映像を世界にむけて発信することは、単なる内輪の乾杯とは別の意味を持つはずだ。
国際映像を配信している放送局の人間は、アメリカが世界にどんなふうに見られることになるのかということについて、想像力を持たなければならない。たとえば、イスラム圏の人間は、あの日の3大ネットワークのニュース映像を眺めて、どんな気持ちを抱いただろうか。
唐突だが、アメリカシロヒトリの話をしたい。
アメリカシロヒトリはヒトリガという蛾の仲間で、私が小学生だった頃、大発生したアメリカ由来の帰化昆虫だ。
私がはじめて聞いたアメリカに関する単語は、たぶんこれが最初だった。その次がアメリカザリガニ。私の知っているアメリカは、そういうふうな、侵略型の生き物の接頭語だったということだ。いや、深い意味はない。言葉の遊びだ。
小学校に上がったばかりの頃、おそらく一年生か二年生の時のこと、私は、ある日の休み時間、仲の良かった友達と一緒に校舎の裏の林で、アメリカシロヒトリを退治していた。
どちらがたくさんの毛虫を踏み潰せるか競っていたわけだ。
うん。バカな競争だ。
私は、当時、毛虫を恐れなかった。ミミズもナメクジも平気だった。ついでに言うなら、カエルは大好きで、ヘビを尊敬し、ワニには憧れを抱いていた。無表情で、マッチョで、強そうだから。
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