裁判官たちに取材して一番驚かされたのが、誤判が結構あると彼らが率直に認めることだった。世間ずれしていないせいか、裁判官たちは、話すことと考えていることがまったく違う「腹黒役人」や「二癖あるサラリーマン」のような人はあまりおらず、誤判についてもわりと素直に認める。相当出世した著名裁判官が「若いころ刑事事件で無罪判決を出したけれど、今考えると、あれは誤判だったと思います。無罪を有罪にして冤罪をつくったわけじゃないので、それだけは救いですが」と回想していた。別の裁判官は、「どうにも判断がつかない刑事事件があって、これはもう被告人が最後の陳述で何をどういう表情で話すかを見て決めるしかないと思って、『最後に何か言うことはありますか?』と訊いたら『何もありません』と言って終わってしまったので参った」と話していた。
刑事裁判はある意味で「やったか、やってないか」と量刑だけともいえるが、様々な事情が絡み合う民事裁判は一段と裁判官たちを悩ませる。原告・被告とも自分に不利な証拠は出さず、かつドロドロした真実の部分も法廷には出てこない(わたしが巻き込まれた銀行裁判でもそうだった)。結局、裁判官は泥水の上澄みみたいなものを見て判断するしかない。こういう事件は数件に1件くらいあるので、無理やり判決するしかないようだ。
結局、裁判といっても神ならぬ身の人間がやっていることで、常に真実が発見され、正義が実現されるというわけではなく、色々なルールや制約の下で行われる一種のゲーム(ないしは儀式)である。
真実発見の困難さに拍車をかけるのが、前回書いた「売り上げという名のノルマ」である。例の銀行裁判でも、証拠書類の大半を握っている銀行がなかなかそれを出してこないので、原告(債務者)側としては、裁判所が文書提出命令を出して、銀行に証拠書類を提出させてほしいと繰り返し申し立てたが、裁判官はほとんど聞いてくれなかった。今回取材の中で「どうして文書提出命令を出したがらないんですか?」とある裁判官に訊いてみたところ、「出すと、文書を持ってる側から抗告されて、それが最高裁まで行ったりすると審理が1年くらい遅れちゃうから嫌なんですよね」という答えが返ってきた。
原発訴訟で国と電力会社が勝ち続けるわけ
『法服の王国~小説裁判官』では、原発訴訟にかなりの紙数を割いた。東日本大震災による福島第一原発の事故に関しては、危険性を見通せなかった司法にも大いに責任があると考えたからだ。
これまで数多くの原発訴訟が提起されたにもかかわらず、住民側が勝てたのは、高速増殖炉「もんじゅ」の控訴審判決(名古屋高裁金沢支部、平成15年1月27日)と志賀原発2号機訴訟の一審判決(金沢地裁、平成18年3月24日)だけである。そしてこの2つの判決も上級審で覆され、原発訴訟は国と電力会社側の連戦連勝という結果になっている。
取材で、もんじゅや志賀原発訴訟以外にも伊方原発訴訟などの記録を読んでみたが、原子力委員会(正確には、その下部機関である原子炉安全専門審査会)による安全審査がいい加減であることや、原発が危険であることはだいたい立証されている。原子力委員会による安全審査は、これまで原子力村内部のお手盛りで、きわめてずさんなものであったことは間違いない。もんじゅ控訴審判決などは、「誠に無責任」、「ほとんど審査の放棄」、「(動燃の申請書を)無批判に受け入れた疑い」と、激しい表現で断罪している。
にもかかわらず、なぜ国・電力会社勝訴の判決ばかりが出るのか?
答えは、原発を推進したいという国や霞が関の意向が、最高裁事務総局をつうじて、現場の判決に反映される仕組みになっているからだ。
判決を操る最高裁事務総局
仕組みの一つは、最高裁事務総局が主催する会同(中央協議会)である。これは、表向きには裁判官同士の研究会という名目で行われているが、しばしば国策に関わる裁判の方向性に関して、事務総局の意向を現場の裁判官たちに周知徹底する場として用いられている。法律関係者の間でよく知られているのが、昭和58年12月に開かれた水害訴訟に関する会同である。全国各地の裁判所から水害訴訟に関係している百人程度の裁判官たちを招集し、設問を与えて議論させ、最後に事務総局民事局の担当者が、あたかも正解を解説するかのごとく事務総局の見解を開陳した。そしてこの会同を境に、ほぼ一貫して住民勝訴が続いていた水害訴訟が、住民側連続敗訴の流れになったのである。
原発訴訟に関しては、昭和51年10月に会同が開かれ、これまで付近の住民に被害を与えるような原発事故は起きていないので、住民側には原告適格がないということで訴えを門前払いしても不都合はないと思われるという事務総局の見解が示された。
こうした会同の記録は、当然のことながら「部外秘」扱いとされている。しかし、隠し事はできないもので、外部に流出し日弁連環境委員会の書籍や水害訴訟原告団が出版した書籍に資料として掲載されている。
人事権という「合法的な」判決介入
会同以外にも、人事異動によって住民側勝訴に傾いている裁判長をよそに飛ばし、保守的な傾向のある裁判長を後任に据えるという手段もとられる。もっとも悪名高いのが、伊方原発1号機訴訟の一審で、結審直前になって、村上悦雄裁判長を突然名古屋高裁に転勤させ、同じ名古屋高裁から同期の植村秀三裁判長を持ってきた例である。このときは主任裁判官を務めていた左陪席の岡部信也判事補まで、松山地裁の他の部に異動させるという念の入れようだった。
当時の裁判関係者によると、村上裁判長は四国電力に対して思い切った文書提出命令を出すなど公平な審理を行い、住民側勝訴に傾いていたかどうかは確たることはいえないものの、国策に反する判決を出すべきかどうか深く悩んでいたふしがあるという。
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