Yellow Magic Orchestra
教授の訃報がニュースになった後に書いてTwitterにupしたかも? 気に入っている1枚です。水彩着色してみたいけれど、どういう色味にしていいかわからないです。この絵はハガキ大なので、着色したくなったら出来る用に水彩用スケッチブックに写してみようかな。でも……色わかんないねぇ。
道化師またはダンサー
前回に引き続き謎絵。クラゲのような線でカシャカシャ描くのが好きなのです。書いてからタイトルを決めるスタイル。躍動感……って思ったからだけど、伝わるかなぁ。
本当に危険なのは
ある記事の事で宇宙の戦士に出てきたシーンを思い出し読み返していたら、機動歩兵訓練パートの中のこの文章とその前後でハッとなった。
ロバート・A・ハインライン 宇宙の戦士(矢野徹 訳) p133
「そうか? おまえは、現在の段階における新兵たちが、野獣のような状態だということを、おれよりもよく知っているはずだ。やつらに背を向けていても安全な場合と、そうでない場合のけじめも、ちゃんと心得ているはずだぞ。おまえは、第九〇八〇条の言っていることをはっきり心に刻みつけてあるのか……この条文を犯す隙など、絶対に兵隊どもに与えてはいかん。機会さえあればと狙っている兵隊もなきにしもあらずだからな……また、それぐらい攻撃的でなければ、ロクな機動歩兵にもなれんはずだ。やつらは基地では御しやすい。やつらが、食事をしていたり、眠っていたり、疲れて腰をおろしていたり、講義を聞いているあいだは、背中を向けていても安全だ。だがひとたび戦闘訓練か、これに類した演習に入った場合は、やつらはとてつもなく興奮しアドレナリンをいっぱい出し、鉄帽いっぱいに入れたニトログリセリンみたいに爆発しやすくなる。おまえたち教育係は、それぐらいのことはわきまえているはずだ……そしておまえたちは、そういった徴候を監視し、そんなことが起こる以前に嗅ぎわけるように訓練されているはずだ。どうしてあんな青くさい新兵に黒あざなんか眼につけられたのか説明してほしいもんだ。あんなやつに手をかけさせては絶対にいけなかった。あいつがそうしかけたとき、素早く察知してなぐりつけ、完全に気絶させてしまうべきだったのだ。(略)」
(中略)
「あの兵隊を、安全な連中のひとりと盲信していたのかもしれません」
「安全な兵隊などというものが、あってたまるものか」
このシーンは 訓練中に「凝固(フリーズ)」の命令を下されたが、ある新兵の一人がその命令が下された時伏せたのが噛みつく蟻の巣の上だったのだ。耐えきれなかったその新兵は凝固を破り、破った後に出された再び凝固せよという命令に服従しなかった。教育係の軍曹は新兵を手で殴った。何故そういう事が許されるのかはこの作品の世界観ゆえである。詳細を知りたい方は一読してとしか言いようがなく申し訳ない。さて、蟻の巣から逃れようとして殴られた新兵は軍曹を殴り返してしまう。
当初は命令不服従による隊内処分の流れだったが、軍曹を殴り返した事を新兵が口にしたことで軍法会議の流れとなる。
引用部分は軍法会議が終わった後で、軍曹の上官が軍曹と会話するシーンである。
2023年06月中旬、岐阜にある陸自の射撃場で起きた発砲事件。
これを書いている07/02にこの事件の動機についてググったら「「弾薬を奪うために邪魔な人を撃った。銃と弾薬を持って、外に出たかった」と供述していた」という話が記事にあった。
「安全な兵隊などというものが、あってたまるものか」
という軍曹の上官である大尉の言葉。この作品が出版されたのは1959年。何より小説の中の台詞なのだが、2023年の現実世界でも、軍の教育機関で語られている事ではないだろうかと、ペラッペラの素人だが想像するのだ。
軍だけではないかもとも思う。操作を誤れば人を殺傷する可能性がある道具を使うことを学ぶ場所でも語られているかも知れない。
先日の事件のような事を100%防ぐ事は難しいかもしれない。でも、悲劇が二度と起きないよう対策をと祈ると同時に、人材育成を担当する事は本当に難しいと深く思う。
死を希む前に、どうか各種相談窓口利用を // 福祉支援制度への個人的な願い
◆厚生労働省の電話相談窓口案内URL
電話相談窓口|困った時の相談方法・窓口|まもろうよ こころ|厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/soudan/tel/
朝方にTwitterで「#国は安楽死を認めてください」というタグを見つけ読んでみると、21世紀に入ってからの市民生活に関する諸問題──毒家族や周囲からのハラスメント、生活費困窮、子供達の保護と教育、高齢になってからの生活不安定や孤独死などからの逃亡先として「自死」を願う人の声があると感じた。
20世紀までは社会に向けて発信しにくかった「個」の問題がインターネットの普及によって、特にスマホの普及によって発信出来るようになり、時折こういうタグによって一斉に発信されるように思う。まるで大潮のように定期的にワッと起きると感じる。
自分は精神病や精神障害を抱えており、30代から少しずつ福祉支援を受けてきている。詳しい内容については自分のプライバシー詳細非開示主義なので書かないが、福祉支援制度に深く感謝している。制度だけでなく多くの、とてもとても多くの方々にも。
以前からネットで「福祉に頼りたい時は、辛い人自身が、サメのように貪欲に自分を支援してくれる福祉支援窓口を探し、たらい回しにされてもメゲず、かじりつき、書類申請し、面談を重ねて受理されるまで粘らなければならない」と書いている。それは自分が身をもって感じた経験からの事だ。
30代の時に障害年金受給を考えて当時の担当医に相談したが、甘っちょろいことを考えるなと一蹴された。その後しばらく諦めて暮らしていたがどうにもならなくなり、その時お世話になっていた担当医が社会福祉協議会(以下、社福協)の方を紹介して下さった。それが最初の福祉支援との本格的な「繋がり」だ。
それまでは障害者手帳や自立支援制度(精神科の医療減額)だけだったが、社福協の担当者から「いつでも相談に来て下さい」と温かい言葉を頂いた。障害年金の受給を勧められ、担当医も同意して下さり手続きを始めた。
離婚して大阪に来た後、独居が続いた先の事に不安を覚え、また引きこもりも酷くなった為に何かサポートしてもらえる所はないだろうかと思い、区の福祉課や社福協に相談した。そこからあちこち相談に行き、現在は外出支援や定期的な相談支援を受けている。
自分は精神障害者という前提があったために福祉支援との「繋がり」を若い内に受ける事が出来た。
しかし、障害者や難病患者、被介護者ではないまあまあ健康な方であれば、育児関係以外で福祉課窓口に行くことはあまりないと思う。自治体広報誌や自治体HPを見る事も同様だと思う。
そうなると何度も自治体窓口を回る気力がある間に福祉制度の「繋がり」を作る事ができないケースが多いのではないだろうか。また、自分が福祉支援対象ではないから窓口に行くだけ無駄だと勝手に思い込んでいたり、「福祉の世話になるのはまっぴらだ! 恥ずかしい事だ!」と思ってる方もいるだろう。
上記の方々が福祉支援の「繋がり」を得る機会は本当ににっちもさっちも行かなくなってからかもと想像する。被支援者本人の心の準備が出来ないまま、いきなり知らない人達が色々訪問してあれこれ質問して混乱したり、自分のものを勝手に触らないでとパニックになるケースもあるのではないだろうか。
「福祉は市民ひとりひとりの直ぐ隣にある」という事を元気なうちから認識し、福祉行政や支援内容についてアンテナをピンと立て、自治体の広報誌は1部だけでも部屋に確保し、困った事があったら相談会がないか見てみるなどして欲しいと個人的に思う。法律や福祉、悩み事相談など様々な相談会を各自治体が開催している。月ごとに違ったりするが、広報誌が1部あればおおまかな感じと申し込み窓口の電話番号等書いてあるので参考になる。
今回特に強調したい事は未成年者への福祉支援だ。
未成年者が自治体窓口で福祉支援を求める事が現状では難しいと個人的に思っている。
毒家族から逃亡したい、いじめ環境から離れたいと願っても保護者監督下にあるため逃れられない、苦しい、助けてという声を行政がもっと受け止めて欲しいと願う。
28日にこちらの記事を見た。
◆怠けているように見える生活保護受給者は「虐待サバイバー」かもしれない|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/01/post-100720_1.php
この記事の中で、小学5年生の時に児童養護施設に入所した人の話があった。
以前も児童養護施設の記事を読んだことがあったが、公共機関の利用方法など日常の雑事について教えてもらえる機会が少なく、退所した後いきなり社会の喧噪に放置されるような感じで戸惑い、アフターフォローを受けることが出来ず困窮しているという話を読んだ事があった。この記事でも類似した話があった。
未成年の間に福祉支援を受けても支援が終了して社会に出る迄に「生きていく為の土台」となる知識などを受ける事ができなければ衣食住に困らず精神的に安定した日々を送る事が出来ないと自分は思う。
「年齢性別問わず国民の衣食住が安定して維持される状態に」。これが福祉だと個人的に思う。
自分は福祉支援を受けることで衣食住が安定し療養の日々を送る事が出来ている。障害年金受給、つまり収入維持だけでは安定しないと思う。福祉スタッフの方々が介助や訪問面談、メールや電話での相談にのってくださるおかげで自分の療養生活が成立している。このことを深く深く感謝している。
一定期間(1年間~数年間)毎に継続の為の書類申請手続き等しなくてはならないが、受理されればこれからも、つまり、年齢等の制限なく続くと思う。
福祉と「繋がる」ことが出来て本当に良かったと思っている。そして福祉と繋がる事が可能なのは自分だけではない。現在様々な悩みに向けた相談窓口がある。窓口面談や電話だけでなくメールを受け付けてくれる所もある。悩んでいる方は上の厚生労働省のHPを見たりWEB検索して相談して欲しいと自分は思う。自分が以前お世話になった担当者は「生活に困ったら、どの支援を受けるかどうかは後の話だから、とにかく悩み事を話しに来て」とおっしゃっている。時折メディアで相談窓口で冷たい対応をされて辛かったといった悲しい話題があがるが、相談窓口の方々全てが相談者を蹴落とすような方では無いと自分の経験から伝えたい。
児童養護施設の所で触れた「生きていく為の土台となる知識と知恵」をプライバシーを保ちつつ様々な資格を持つ複数人のスタッフ含めて共同生活を送りながら学べる福祉集合住宅があればいいのにと思う。学生寮に近い形の集合住宅だろうか。
社会で生きる為の知識や知恵は沢山ある。食材や着衣をどう選ぶかといった買い物方法から料理と片付け。洗濯や掃除、ゴミの分別。生活に必要な物品と不要物品の仕分けと粗大ゴミの出し方。電気代や健康保険、税金など公共料金の支払いや契約についての知識。急病時入院費や家具の買い換えなど高額出費の為の資金貯蓄。高額商品を購入する時に必要な知識。役所や図書館や公共交通機関の利用方法。病院の利用や心身の悩みの相談窓口、盗難や詐欺の被害など犯罪被害に合わないための防犯知識……書いていたらきりがない。
スタッフとの暮らしでそういう知識等を学びつつ、職業訓練をしながら高校や大学卒業資格取得が可能だとその住宅を離れた後の生活安定に繋がるだろう。
そして、できるだけ広範囲の年齢に門戸を開けて欲しいと思う。
例えば高校中退の30代の人が親の住む住宅からこちらに入居し高校と大学の卒業資格を働きながら取得したいとか、児童養護施設から転居した方が職業訓練校に通いつつ生活知識や資金という基盤を作り落ち着いたら独立、熟年離婚で独居不安の方が独居生活慣らしに、などなど。
家賃については既存の公営住宅や福祉目的住宅のように、収入等で賃貸等諸費用に公的援助が降りる仕組みであって欲しい。
最後に「悩み事相談電話番号カード」について書く。
大阪に来てから時折「あっ、あの人大丈夫かな……」という人を見かけている。だが今の時代、どうしたのだろうとジロジロ見るのは失礼だし、その方の状態によっては長々話しかけてはまずい状態もある。実際経験した。
ドナーカードのようなサイズで1枚ないしは折りたたみで、主な悩み事別に相談電話番号やHPのQRコードがあればいいなと思う。
個人で作るには流石に限界があり、なにより「公的機関が発行したもの」である事が重要だ。
長くなってきたので箇条書きでまとめてみる。
1)「年齢性別問わず国民の衣食住が安定して維持される状態」の重要性をもっと市民が認識して欲しいと願う。
2)福祉制度利用は恥ずかしい事ではない。衣食住を安定させるのは大切な事。
3)世帯内のハラスメントを受けている未成年が世帯から干渉されず安定した生活を送ることができる施設とその施設への入居手続きが「子供の手に届きやすい」ものになることを深く願う。
4)「生きていく土台」となる諸知識を学べる「生活安定集合住宅」というような制度を願う。
5)「悩み事があったらここに電話してねカード」のようなものを自治体が作成し、市民に複数枚配り、困っていそうな方を見かけたらカードを渡してあげるという仕組みを願う。
6)土日や夜間でも予約限定で福祉相談や書類受付をして欲しい。
久々に長い文章になった。
精神病患者、精神障害者として25年以上生きて、福祉に対する関心が深いために福祉について思う事もまた深い。ただ、福祉関係の資格を持っていない人間が書いているので間違いも多いと思う。その点については申し訳ない。
30代から被支援者の立場で色々blogやTwitterで書いてきた。これからも書いていくと思う。
高橋幸宏さんの訃報。モーニングワーク。
高橋幸宏さんの訃報を知って1日以上過ぎました。
高橋幸宏さん……幸ちゃんは家族親族友人知人ではありませんが、10代の頃からずーっと追いかけています。
だから喪失の悲しみが大きいのは自然の事だと感じています。
そしてモーニングワーク(喪の作業)を意識しなきゃねと感じています。
1月15日の夜明け前からかなり泣きました。50代になってから段々両親の喪失を思い返して泣く事はなくなっていったのですが、久々に喪失の悲しみで泣きました。
泣くことは悪い事ではないと自分は思っています。泣いたり、悲しみについて話したり書いたりする事で、心の中に生まれた「悲しみの氷塊」を少しずつ削り、外へ出していく……氷塊を小さくしていけると思うのです。
自分は悲しみの氷塊を小さくする作業がうまくできず悩んだ時期がありました。今でも時々作業が出来ない時があります。
静かにポロポロ涙がこぼれることはしょっちゅうあります。でも号泣して感情をばーっと外に出すという事が出来ないので、悲しみや辛さがドロドロと心の中に滞留し、重荷になっていました。
でも、1月15日にあれほど号泣できたのは、昨年転院した精神科での治療が上手くいっているからなのではと今思います。
まだ、手足の力が抜けている感覚がありますが、味わうとか楽しむ事はさておき水分や食事は摂れているので大丈夫。睡眠はいつも不安定なのですが、まあ大丈夫だと思います。
訃報を知ってしばらくは、小料理屋さつきのまかない飯に書いたように、Saravah! Saravah!を聞いたりTwitterのタグで色々な方のpostを見て、添えられた動画を見たりしていましたが、今は何も曲をかけず静かにしています。
けど……だらだらネットサーフしてちゃダメだな、本を読もうと感じ、手に取ったのがエルヴェ・ギベール「憐れみの処方箋」です。https://www.amazon.co.jp/dp/408773160X/
「ぼくの命を救ってくれなかった友へ」の続編であるこの本は、エルヴェの体調がかなり厳しい状態にある所から始まります。そこを読んでふと「ああ、幸ちゃんももしかしてこのような感じで身体が辛くて……」とか感じ、モーニングワークの一つに出会ったような気持ちになりました。
自分は今年で55歳。これから、幸ちゃんだけでなく、憧れているアーティストから身近な人まで見送る事が増えると思います。
幸ちゃんからの最後のPresentは「上手に泣いて、ゆるやかに悲しんでいく」事かもとぼんやり思っています。
ありがとう幸ちゃん。これからも幸ちゃんの音楽を聴いて、贈り物を大事にしていきます。