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不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

季節の終わり/マイクル・Z・リューイン

季節の終り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

季節の終り (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 テレビのインタビューに答えたサムスンの事務所に、珍しく複数の依頼が舞い込む。一つはコンピューターを駆使する76歳のベイツからで、友人の孫の身辺調査をしてほしいというもの。そしてもう一件は、銀行家ベルダー夫妻からで、妻のポーラの出生証明書が偽造であると判明し、自分がどこの馬の骨かわからなくなったので調べて欲しいというもの。
 ポーラの出自、そして50年前の悲劇的事件が、徐々に明らかになってゆく。相変らず非常によくできているし、サムスンの韜晦に満ちた語り口も愉快の限り。ソフトタッチのハードボイルドであるが、事件の内容は暗く重く、しかし救いもあって読み応え十分。本当に素晴らしいシリーズであり、作家であると思う。

ハマースミスのうじ虫/ウィリアム・モール

ハマースミスのうじ虫 (創元推理文庫)

ハマースミスのうじ虫 (創元推理文庫)

 ワイン商キャソン・デューカーは犯罪研究家として鳴らしている。その彼がある日バーで、堅物銀行家のヘンリー・ロキャーが自棄酒をかっくらっているのに出くわす。事情を聞いていると、どうやら架空の事実を言いふらすぞと脅され、金を騙し取られたらしい。その卑怯な脅迫者が、ロキャー邸でローマ時代の胸像に興味を示していたことを鍵に、キャソンは犯罪者の性格や行動パターンを推察し、彼を追い詰めようとする……。
 悠然としたペースとテンションで進む、古典的名作(地味め)。推理法や登場人物の性格設定が、イギリスの階級社会に裏打ちされているため、社会正義を読書の愉悦よりも優先するタイプの人間には微妙な作品だろう。ウィリアム・モールが上流階級出身でしかも間諜だったことも、大いに興味深い。しかし、作者はこれらを恐らく全てわかったうえで、皮肉と自虐を込めて書いているのだろう。ラストも粋だ。
 上記以外で言うべきことは、川出正樹による解説で言い尽くされている。というわけでこれ以上はゴチャゴチャ言いません。お好きな方は是非是非。

緋色の迷宮/トマス・H・クック

緋色の迷宮 (文春文庫)

緋色の迷宮 (文春文庫)

 近所の8歳の少女が失踪した。ひょっとすると、一人部屋に閉じ篭る根暗な息子キースが殺したのかも知れない。写真店を経営するエリック・ムーアは、妻メレディスと共に、そのような不吉な予感に身を焦がす。少女の父親を含め、町の皆も、キースに疑いの視線を投げかけて来る……。
 エリックによる一人称で語れるが、何かが起きた後で、思い返しながら書いていると思われる。強く漂う無力感が堪らない。上記粗筋だけだと歌野晶午『世界の終わり、あるいは始まり』を連想する向きもあるかも知れないが、無論クックなのであのような突拍子もない展開は辿らず、正攻法で、しかし晦渋に、父と子、引いては家族の関係性に切り込んで行く。物語がどのような結末を迎えるかは言わぬが花だが、胸を打つものは確かにあると言いたい。ミステリ的な興趣よりも、家族というテーマに焦点を当てた逸品として強く推したい。

泰平ヨンの航星日記/スタニスワフ・レム

 《泰平学》なるよくわからない学問の基本文献として、泰平ヨン自らの手による航星日記が14編収められている。内容は完全に宇宙版《ほら吹き男爵》であり、《吾輩》という一人称による、基本的にはバカSFだが強烈な皮肉と風刺が横溢した短編集。
 ロボットが支配権を確立し人間が放擲される星に潜入する「第十二回の旅」、歴史改変計画のチーフとなって未来に行きまず太陽系に惑星を作るところから始める「第二十回の旅」、進化した文明における究極的宗教を描く「第二十一回の旅」、泰平が自らの家系を語るが滅茶苦茶になってしまう「第二十八回の旅」辺りが特に印象的だが、いずれにせよ、濃度がとんでもないことになっており、1ページ1分は確実にかかる。こんなバカSFによくぞここまで、という圧倒的な風刺深度だ。レム自身による挿絵もアホ臭くて素晴らしい。レム大好き人間は必読。