ページ数は少なく読みやすいが、3月11日の大震災について発売直前に加筆というレベルではなく、全面的に改稿してあり、富野由悠季氏の情熱がうかがい知れる。
地震後にガンダムエースという雑誌に連載作家から「頑張れ」というコメントが寄せられたが、その中で富野だけは「耐えてくれ」「千年前から、ここに住んできたのです。その間にも、自然に屈伏しながらも、また新しい時代を築いてきたのです。」と書いた。
本書もその様な調子で、単なる「ガンダム論」「家族論」だけではなく、氏のアニメーション作品と同じく文化やサブカルチャーや科学や歴史の枠を超え、富野氏の哲学が過去から未来に向けて縦横無尽に展開され、非常に刺激的な一冊である。
本書を貫くのは、「人類を百万年後も生き延びさせる」との信念である。家族は人間を紡ぐシステムの一番基本だから重要、という位置づけである。
しかし、そこは富野のこと、「家族を大事にしよう」という、その場限りで読み捨てられる新書に在りがちな甘い言葉ではない。
「日本や世界の人口は減少する」「エネルギーは有限であり、科学はそれを制御できない」「300年間は町に死体が溢れるだろう」と、冷徹とも言える主張がなされる。しかし、それに耐えて覚悟し、自らを律する修行の時代を越えて初めて、百万年後の家族を守る事が出来る。
これはそんな覚悟の本だ。
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「ガンダム」の家族論 (ワニブックスPLUS新書) 新書 – 2011/4/15
富野 由悠季
(著)
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1980年代の「機動戦士ガンダム」に熱狂した通称「ガンダム」世代が結婚して親となった現在。
彼らが「家族」をどう支え、子供を育て、揺れ動く「社会」の変化にどう立ち向かうべきなのか。
アニメの巨匠・富野由悠季監督が、「ガンダム」「伝説巨神イデオン」「ブレンパワード」など自作に描いた親と子、父と子、母と子の姿から、共同社会の在り方、30年後から5,000年、1万年後の日本の進む道までを、ミクロとマクロの視点を縦横に駆使して語ります。
彼らが「家族」をどう支え、子供を育て、揺れ動く「社会」の変化にどう立ち向かうべきなのか。
アニメの巨匠・富野由悠季監督が、「ガンダム」「伝説巨神イデオン」「ブレンパワード」など自作に描いた親と子、父と子、母と子の姿から、共同社会の在り方、30年後から5,000年、1万年後の日本の進む道までを、ミクロとマクロの視点を縦横に駆使して語ります。
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社ワニブックス
- 発売日2011/4/15
- ISBN-104847060334
- ISBN-13978-4847060335
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登録情報
- 出版社 : ワニブックス (2011/4/15)
- 発売日 : 2011/4/15
- 言語 : 日本語
- 新書 : 238ページ
- ISBN-10 : 4847060334
- ISBN-13 : 978-4847060335
- Amazon 売れ筋ランキング: - 580,623位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 245位ワニブックスPLUS新書
- - 1,633位家族問題
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- 2011年4月26日に日本でレビュー済みAmazonで購入
- 2011年6月19日に日本でレビュー済みAmazonで購入私は、最初の「ガンダム」に大学生時代にリアルタイムで感化されたがその後の富野作品を(観ていても)熱烈に追いかけることはなかった。「イデオン」すら観ていない。 しかし、大震災後の状況にまで言及しつつ、富野氏が本書で語る率直に語るメッセージにはダイレクトに共感できた。
時代を代表する映像作家が、単なる映像作家を超えて、時代に流されず、時代を見える確かな視点がここにある。
確かに、震災後の日本はそんなに甘くはなかろう、しかしそれは、富野氏の語るように、同時に、世界の中で、1番先に(過酷さを含めて)「未来」の最前線に立ったということでもある。
アニメに全く無関心な上の世代の方にも、ぜひ読んでいただきたい。
- 2011年7月25日に日本でレビュー済みAmazonで購入この本は著者が家族、結婚、子育て、など社会に関する事をテーマにしたエッセイです。
著者の提言であると共に著者が社会を受け入れる為の考えを再確認している様な感じも受けます。
個人的には全体として社会に対する受け入れる部分と受け入れてはいけない部分の統一感が無いように思えて戸惑いましたが「社会を維持する為に個人が変わらなくてはならない」と著者は言っているのだと理解しました。
未婚か既婚か?子供は何歳か?など読み手の立場によって共感度は異なると思いますが未婚の私は
結婚は属する社会を選ぶ事が出来る最大のチャンス!
相手の特性だけでは無く親などの環境ルーツを吟味すればより強い子孫を残す事が出来るチャンス!
などと考えているので結婚の章には違和感を覚えました。
また社会が現在の形で衰退するよりは独りでも国際化の時代に適応した脱・日本人を目指して戦いと感じたりしました。
本全体の内容に対する私の共感度は60%でした。
私は本全体から何となく著者の乱れのようなものを感じました。
それは何からきているのか・・・
これからの日本と日本人に強い危惧感を感じているのか?
自由への渇望と他者を求める心のバランスか?
作品に投影させてきた自己の問題か?
産み出してきたものに対してなのか?
などと色々想像しますがこれ以上考えるのは邪推なのでしょう。
しかし、どんなに強い人でも何時かは社会を死に場所として適応しなくてはならず、著者の闘いもターンAの男性的な戦いの否定によって終わりを告げたのだと理解します。
社会の衰退はある意味、公平であり不幸を生むが新たな幸せも生むのだろうと思います。
人間は環境によってでしか変わる事はなく最終的には自己責任です。
何より著者は真摯に戦い続けた訳であり、それは多くの苦難を伴うものだったとしても「逃避を続けた者の最後の絶望」「著者のいうリアリティーのない現実を直視せずに依存して生き続けた者の空虚」それらとは異なる満足感の境地に至るのではないかと私は信じています。
その他、300年後の世界を想像するには10万年後の世界を想像する事が必要という話が面白いと思ったので自分でも試してみました。
(以下、凄く適当)
「10万年後の世界」
遺伝子操作、放射能・・人間の手に余る技術は世界を変貌させた。
新たな微生物により地表は極彩色に彩られ風景は一変し、有機体を重油に変える微生物によって人間以外の既存の生命体は絶滅した。
その様な事から人間の食料もエネルギーも人間という共食いの世界が確立されている。
しかしそれを監視し管理する存在がいた。
過去に地球を捨て宇宙に逃げ延びた人類である。
技術と人間の進化には闘争が必要とし、残りの人類を無数の軍事衛星で地球に閉じ込め、戦闘を継続させる環境を作り出し、結果をフィードバックしていたのだ。
言わば地球は技術と人間の巨大な実験場となったのだ。
地球外の人類もアルファケンタウリのナメクジ型星人との全面戦争が勃発し、更にナメクジ型星人を狙う、他次元の精神生命体、またそれを倒そうとする別次元の宇宙の支配者と戦いは多層構造で無限に連鎖している。
そんなある日、15歳の地球の少年「ドザ・エモン」は廃品回収で地上をさまよっている時に新たに投下された試作兵器「ファイナルガンダム」を発見するのであった!
また、その頃、地球のレジスタンス勢力では13人の選ばれし戦士たちが幽体離脱して宇宙に飛び精神攻撃を仕掛けるという地球外人類への一大攻撃作線が開始されようとしていた。
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そう考えると300年後は人間と同じくらいの大きさの蚊が人間をぶっさし、怒った微生物が壁に「人間許さない」とメッセージを作るみたいな世界になりそうです。
- 2012年11月29日に日本でレビュー済み30年以上前に、人類の覚醒(アセンション)を、主人公の少年アムロと少女ララァの心と魂の邂逅で描いた時代を背負うアニメ作家の家族論。
本書では、富野監督の原点とも言える『海のトリトン』と『無敵超人ザンボット3』から、過去の全てのガンダムを全否定し、また全肯定した『ターンAガンダム』、そして本HPでブログ掲載中の白鳥哲監督が主人公の声優を務めた第二の処女作足る『ブレンパワード』等の作品に、いかに家族の物語が織り込まれたかが詳述されています。
そして、10万年後に存続している人類を想像した上で、リアルに300年後の良き世界を創造すべく、シンプルで深いメッセージが散りばめられています。
以下心に響く富野監督の言葉を抜粋します。
・今、人類の文明は非常に危ういところにさしかかっているように見える。現代は二百〜三百年に一回あるであろう時代の変革期にある。
・今の世の中の仕組みには屈服せざるを得ない。それは不幸な生き方ではあるのだが、それは過剰な資本主義に覆われた現代の中で、正気を失わずに生きる一つの知恵である、と覚悟するしかない。
・グローバル化した虚業とは正反対の、身近にあってリアルなもの。つまり家族を考え直すということは、今の時代を捉えなおし、未来を考える上で有効なのではないかと思う。家族は狭いように見えて、歴史や社会や世界へと通じる回路を持っている。
・未来の姿を見るには、極端に発想を跳ばすしかない。読者に想像して欲しいのは10万年後の世界なのだ。10万年後の世界を真摯に想像できた人間だけが、300年後の未来のビジョンを具体化できる。
・きっとその未来では、人は、家族と一緒に食事をすることを本当に大切にするようになる。そして、古典的な大家族が新たな形で復活してくるだろう。社会も再構築され、農業ベースの自給自足の集落ができ、半鐘とかお寺の梵鐘の音が聞こえる範囲が、未来の我々の集落になるだろう。
・結局男の子が外へ出て行く回路は、父親の背中を見ていくところにしかない。しかし、高度成長以降、サラリーマンばかりになった日本の父親は、父親らしさを理屈では語れず、家にいなくなった。日本の家族における父性の不在と母性の寡占。そこに秋葉原無差別殺人事件等の現在社会の病理がある。
・子供たちが未来を生き延びていくためには、親から得たなまじっかな知識などは役に立たない。不安定化、流動化する時代に対応できるセンス、勘のようなものを養っていくしかないのだ。そしてそれは当人が当人の努力、鍛錬で涵養するものであって、親が具体的な手出しをできる種類のものではない。
・僕は家族とは修行の場だと考えている。間違っても安らぎの場所とは思わないほうがいい。安らぎの場所には停滞しかない。停滞が生むのは、淀みであって、残念ながら未来ではない。「安らぎの場所であらねばならない」という思いこみから自分を解放すると、家族の在り方についてもっと自由になれる。
・ある風土があり、その風土の中で生きていくための術があり、そしてそこに定住していくことで何代もの血族が紡がれ、文化、気質というものが育まれていく。祭りが本来、風土から切り離せないように、家族もまた風土からは切り離せないものなのだ。
・人類の知恵と感覚は全く技術に追いついていない。それを「使いこなせる」と思ってしまうところに、現代の虚業が跋扈する背景があるのだろう。この虚業の跋扈は原子力を思い出させる。
・アニメーションが必要とする「嘘八百のリアリティ」の根拠となるはずの「現実」が、当の現実の中からどんどん消えていくのだ。まるで悪い冗談である。それは一つの恐怖と言ってもいい。
・ガンダムの富野というレッテルを僕は突破できなかった。天才じゃないんだから普通の人間にできるのはこんなものだろうと受け入れるしかない。むしろ『ガンダム』ファンの人にはそこをしっかり認識してもらいたい。そういう悲惨な富野由悠季がいることを知ってもらいたい。
・『ガンダム』はそれで人生が学べたと言えるほど広く深いものではない。自分が『ガンダム』で幾ばくかの人生を学んだと思っているのなら、その足場は案外脆いということを思い出して欲しい。自分が『ガンダム』で学んだことこそまず疑い、最後は忘れるぐらいでちょうどいい。
- 2011年7月21日に日本でレビュー済み「ガンダム」の家族論というタイトルで、得する人も損する人もいるかもしれない。
僕はどちらかというと「損した」派だ。
なぜなら、そのタイトルのおかげで、今の今まで手に取ることがなかったのだから。
決して、単なるガンダム論の拡大版だと思って敬遠していたわけではないけれど、
読んでみたら、すごく面白い。ああ、これが富野節なのかと思う。
アニメという一見、閉じた世界の中に巧妙に仕掛けられた、
現実世界を生きるうえで避けられないテーゼの数々。
富野監督が堂々と述べているように「アニメという使える装置を利用して」
それまでのメディアが映し出していた、薄っぺらな家族観と相対したのだ。
そして、結婚とは愛ではない。富野監督は、この本の中でそう言ってるように思える。
結婚とは社会とどう付き合うか、戦っていくかのチームなのだ。
好きな相手というだけで結婚したのでは戦えないのだと。
このひとだったら我慢できるという部分があるかどうか。
好きな相手ではない。相手のことが嫌いではないということが重要なのだ。
富野監督夫妻が「10年経ってようやく君のことが好きになれたよ」「私だってそうよ」と
告白し合う場面がいい。深い。まるで向田邦子さんの物語の世界みたいだと思ったけれど、
どちらも人間の本質を描く達人と考えたら当然かもしれない。