このエントリーは、最初のバージョンでは、いくつかのブログで指摘されたように(例えば、http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081227)、装飾が強く効き過ぎてしまい、とりわけ経済学に精通している人には書き手の意図が反転して伝わってしまうようなので、アップ時より若干加筆しました。(2008.12.31.)
ここ3ヶ月の世界の激変には目を見張るものがある。あらゆる景気指標が、劇的に悪化し、派遣切り・期間労働者切り・正社員切り・生産の長期休止・・・。どうして、こんな急激な変化が可能なのだろうか。実家が自営業の学生やレストランの店主に改めて聞くと、6月頃から変調が見られたそうだ。大学教員という職業のせいで気づくのが遅かったのかもしれない。だが、これほどのピッチになったのは、リーマン破綻後であることは確かだろう。
ぼくが、経済学を勉強し始めたのは、80年代の末であり、バブル後期であったから、当時に宇沢先生に教えていただいたケインズ経済学の舞台「恐慌の世界」は、まるでピンとこなかった。そりゃ、多少の行きすぎや誤算のせいで、経済が不調に陥ることがあるにはあるだろうが、それは徐々にやってきて、そしてだんだんに元に戻って行くものとしか考えられなかった。ある意味で、それは新古典派(伝統的な経済学派)的な「実物的」なものの見方だったと思う。
しかし、今、目にしている光景は、それとはまるで違う。もちろん、経済史で資料としては読んだには読んだが、ぼくは歴史にリアリティを喚起させられるわけではないほど感覚が鈍感だ。むしろ、「歴史で知っているから驚かないよ」という人の鋭敏な感覚を素直にスゴイと思う。でも、アタリマエだが、我が目で見ると、まるでリアリティが違う。目前で展開するこの光景、これはいったい何なんだろうか。
世界中で、急速に生産と消費が失われて行く。見たことのない規模での、そして、スピードでのリストラが進む。すべての指標メーターの針が、レッドゾーンに振り切れている。適切な喩えではないかもしれないが、この光景で思い浮かべるのは、P.K.ディックが名作『ユービック』で描いた世界観だ。
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これほどのありさまは、新古典派の経済学ではとうてい説明できない、と思うのだが、本当に実物面を無視できるのだろうか。ときどき起きる不況なら、人々のネガティブな行動とか社会の倦怠とかのせいということがあるのも不思議ではない。でも、こんなひどいありさまが、完全に心理的な現象だけで起きるとは俄には信じられない。どこかに実物的な裏付けはないのだろうか。投資も貯蓄も消費も健常に来たのに、世界中の投資家が資産価格の評価を間違っただけで、ただそれだけでこんなことが起きるのだろうか。拙著『容疑者ケインズ』プレジデント社で説明したことだが、資産市場だけがバブルになっていて、実物面では健常な生産と消費と投資が続いていたなら、資産バブルは所有資産の分布を変えるだけだと考えられるはずだ。だから、、ぼくが素直に納得できるためには、新古典派的な、実物的な何か不具合が経済に生じている、というのがわかりやすい。でも、問題は、それだけでこんな「ユービックワールド」は出現しまい、ということなのだ。この点は、経済学者の間でも意見が分かれている。例えば、日本のバブル崩壊後の平成不況についても、ケインズ派による心理的(専門的には貨幣的)原因説と、新古典派による実物的な原因説とが存在する。ぼくは、基本的に前者にシンパシーがあるが、経済モデル作りの訓練を積めば積むほど、後者の誘惑を振り切りにくくなる。後者のほうが、生産力が落ちたとか、投資が少なかったとか、正体がはっきりしていてすごくわかりやすいからなのだ。
経済が不均衡に陥ったときの調整に関する新古典派経済学とケインズ経済学の大きな違いは、前者が「価格調整」によって早晩均衡を取り戻す、としているのに対し、後者は、「数量調整」が生じるため、放っておくと経済は破局に向かう可能性がある、とする点である。「価格調整」の見方というのは、過剰な労働力と過剰な生産物があるなら、賃金の下落と物価の低下によって、完全雇用と完売状態に向かう、という見方のことである。それに対して、ケインズ的な「数量調整」の見方とは、物価や賃金を据え置く、ないし、緩慢な低下にしたまま、リストラと生産量の縮小によって完売を実現する、という見方である。今、眼前で展開しているのは、「かなりな規模の数量調整」である。新古典派に与したい誘惑が強いとはいえ、これがうまく説明できるようには思えない。このようにぼくの認識は、二つの学派の間で右往左往している。(「心理的要因」からバブル後の不況へのメカニズムを示すモデルを、バブルがはじけると激しい不況になるのはなぜか - hiroyukikojimaの日記に書いた)。
各企業は、どうして、価格を落とさず、こんなに急激な生産縮小を行うのだろうか。経営者に尋ねれば、きっとこう答えるに違いない。「価格を落としても売れるようになるとは思えない。あっという間に需要が失われてしまった」と。このような認識の背後には、「高いから買わない」のではなく、「買いたくないから買わない」あるいは「多少安くなっても買えないから買わない」という推論や実感があるのだ、と思われる。もちろん、新古典派のいうように、原因が前者のものであり、上手に価格を落とせば、完売が可能かもしれないが、経営者はそうは思っていないのだ。だとすれば、ケインズ的な世界観の源泉はむしろ、消費者だけではなく、経営者の認識の方法・思考様式にも求めることができるのかもしれない。「モノが売れない理由」なんて、どうやったって、真実はわからない。というか、「真実」はこのように世界が作りあげるものなのだ。
ケインズ的な「数量調整」とは、最終的には労働者削減になる。新古典派的な「価格調整」が進められるなら、賃金が下がり、商品価格が下がって、労働者の削減がこんな風には起きないだろう。でも、連日報道されるのは、派遣切りにあった労働者の苦境だ。事実として、「数量調整」のほうが優先して進められているのである。この背後にある原理のことをこのところずっと考え続けている。「価格調整」と「数量調整」が両方採用できる中で、なぜ、このような景気後退の世界では企業は「数量調整」のほうを優先させるのだろうか。実際、ぼくが塾の経営に参加していたときも、受講者が減ったとき、受講料を安くすることではなく、教室数を減らす選択をしたものだった。このような「数量調整」優先に関する「戦略的な意味での必然性」を示したモデルはあまりない。知っている数少ないものの一つである「効率的賃金仮説」については、後半に述べる。
リストラの真っ先の対象となるのは、派遣労働者や期間労働者、パートタイマーなどである。このような労働市場を労働経済学では、「外部労働市場」と呼んでいる。外部労働市場が存在する理由に関する分析は、古くから行われてきたが、ピオーリの70年代の研究「二重労働市場仮説」が有名だ。ピオーリは、正規社員などの専門性のある安定した雇用形態を「内部労働市場」と呼び、それ以外を「外部労働市場」と名付けた。問題は、(1)なぜこのような労働市場の分割・二重性が発生するか、また、(2)外部労働市場は、明らかに条件が悪いにもかかわらず、なぜ実際に労働を提供する人がいるのか、その合理性は何か、ということだ。
疑問(1)へのピオーリの解答は、以下のようなものである。企業は、経済環境が生み出す除去できない変動と不確実性に対するいわゆる「バッファー」として外部労働市場を利用する。つまり、変動リスクの一部を、労働者に転嫁するのである。だから、今回のような企業が吸収しきれない巨大なリスクが現実化すると、真っ先にバッファーとして利用させられてしまう、という大変不幸なことが起きる。こういうことが今回のようなケースにおいてシリアスなのは、1産業に起きるリスクであれば、再就職が比較的可能だが、全産業に及ぶ景気後退の場合は「労働市場の本当の外部」に放り出されてしまう、ということだ。しかし、理由はそれだけではない、とピオーリは考える。もう一つの理由は、労働組合にあるという。正規雇用者の拡大は労組に対する雇用側の交渉力の相対的な低下をもたらす。それを緩和するために外部労働市場を活かす、というわけである。実際、ピオーリの研究によれば、外部労働市場が拡大した時期は、アメリカでもヨーロッパでも労働組合活動の合法化や労使紛争の活発だった時期であるそうだ。このことは、今回のGM救済の議会での交渉決裂が、労組の関与によって起きた、とされる報道などでも理解できる。
また、(2)に関するピオーリの解答は、労働者のタイプに関して二通り用意されている。第一は、内部労働市場への就業を望みながら達成できなかった「非自発的」な労働者であり、第二は、労働供給に対するコミットメントが低いため、客観的にはいかに条件が悪くても十分それに適応して労働を供給するタイプの労働者である。現在の日本のマスコミ報道は、どうも、外部労働市場の労働者を前者だけとし、「社会の犠牲者」と印象づけようとしているように見えて、それは演出がすぎるようにも思うが、確かに、日本の成長率はずっと低迷しており、その中で不本意に外部労働市場に押しやられてしまった人も多いことは事実だろう。彼らは非自発的であり、長引く景気低迷の犠牲者だといえる。ピオーリの仮説については、ぼくの生涯最高の指導教官であった石川経夫先生の以下の著作を参照のこと。
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このモデルでは、労働者は熱心に働くことも多少手抜きをすることも選択できるが、それは経営者には「完全には」モニターできない、と仮定される。手抜きをしてもある確率pでそれがばれない。もちろん、確率(1ーp)でばれ、ばれた場合は解雇される。このような状況のときは、雇用者は労働者を熱心に働かせるために情報の非対称性のないときの均衡賃金よりも高めに設定しなければならない。モニターが完全でない分がコストとなるわけなのだ。しかし、それだけでは不十分なのだ。もしも、完全雇用に近い状態が実現されているなら、労働者はサボリがばれて解雇されても、ちょっとの期間で再就職できるから、サボリがばれることに大きな危惧感を抱かないだろう。このような状況では、経営者が相当高い賃金を提示しないと労働者は熱心には働いてはくれないに違いない。ここにこの問題のポイントがある。この完全雇用に近い状態を実現する「相当高い賃金」も実は均衡にはならないのだ。なぜなら、企業はここで賃金を低下させ、さぼった労働者を解雇し始めるだろう。すると、失業者の増加は、彼らの再就職の確率を低めることになる。そして、再就職の確率までを踏まえるなら熱心に働いて絶対解雇されないようにしたほうが得だ、と「内部労働者」が覚悟する水準まで賃金が低下した段階で均衡に達することになる。もちろん、この水準は完全雇用から遠い雇用水準であろう。この水準では、賃金は多少高めに設定されている。だから、失業が発生しているのだ。そして、その発生しているけっこうな割合の失業(あるいは外部労働者といってもいいかもしれない)は、「内部労働者」への「脅し」として機能する。「怠けるのは勝手だが、ばれて失業すると、なかなか再就職できないぞ」という「脅し」である。この脅しが、内部労働者を熱心に働かせるので、ちょっと高めの賃金が「効率的賃金」として機能する、ということなのである。
このようなものの見方に、「反感」を感じる人もいるかもしれない。ぼくも最初はそうだった。世界は、もっと生真面目で温かで誠意のあるものだと感じているだろう。あるいは、「そうあるべきだ」と感じているだろう。でも、このようなクールな、言ってみれば「残酷な」ものの見方が、経済学の流儀なのである。だが、このモデルを見誤ってはいけないのは、企業の経営者が、意図的に「失業を脅しとして使っている」わけではない、ということだ。マクロの構造が、全体の仕組みとして、そういう風に機能してしまっている、ということなのだ。残酷ではあるが、確かにこのモデルには、「なぜ価格調整ではなく数量調整なのか」という疑問への一つの解答の可能性が示されてはいる。もちろん、これは「不況突入後」の世界をシリアスなものとする一つの原理なのであるが、不況の原因そのものではない。このような「市場経済の落とし穴」があるのだから、大事なのは不況を起こさないことであり、そのためには「なぜ、バブルがはじけると不況になるのか」という、そのメカニズムをなんとか解明することである。
蛇足ではあるが、以上の「効率的賃金モデル」のシャピロとスティグリッツによる元論文では、動学的最適化問題のベルマン方程式というものを解いている。しかし、それは「連続」バージョンで解いているので、普通の人にはなかなかわかりにくい。ぼくの本『MBAミクロ経済学』日経BP社では、それを離散モデルにして、おまけにベルマン方程式の解法まで懇切丁寧に解説しているので、数学的にきちんと理解したい人は参照して欲しい。たぶん、日本語の本でこれをこんなにわかりやすく書いたものは他にない、と自負している。
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さて、このまるで白黒映像の如き「ユービックワールド」は、解消に向かってくれるのだろうか。この急激に退行する世界の中で、ぼくは固唾を呑んで行方を見守るしかない。