→ハヤブサ
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ミサイル艇 はやぶさ型 第1番艇。
50トン型の1号型ミサイル艇は任務に特化したあまり小型に過ぎ、
不審船対策などの運用上の要望を盛り込んで建造された200トン型ミサイル艇。
東北新幹線・北海道新幹線の列車名。
かつては東京と九州を結んでいた寝台列車の名称の一つであった。
2010年12月の東北新幹線八戸-新青森間開通とE5系の投入に伴い設定された速達列車の愛称である。2011年3月5日より東京ー新青森間2往復・東京ー仙台間1往復で運転を開始。最高速度300km/hとなったため、速達列車の位置付けから従来の「はやて」より特急料金を割増に設定している。
2013年にはE6系運行開始に伴い「こまち」との併結運行を開始し、あわせてE5系単独での運行となる列車の最高速度を320km/hに引き上げ。2014年3月15日からはE6系併結列車も最高速度が320km/hとなった。
2016年3月26日の北海道新幹線・新青森-新函館北斗間開業により、一部列車が北海道新幹線に直通し、新函館北斗発着で運転される。それに備えてJR北海道も、E5系とほぼ同一仕様のH5系を新造した。また、青函トンネルを含む海峡線内は、線路を共用する貨物列車とのすれ違いによる影響を考慮し、当面の間は在来線時代と同じ140km/hとし、東京-新函館北斗間は最速4時間2分での運転となる。
車両はE5系(H5系)10両編成で、グリーン車・グランクラスが設定されている。列車によっては東京〜盛岡間でE6系「こまち」と併結して運行するほか、盛岡以南のみの運行の列車ではE6系を連結した17両となる列車もある。
1958年10月1日から運行を開始。当初の運行期間は「東京―(鹿児島本線経由)―鹿児島」間だった。青い車体のブルートレインとなったのはその2年後に20系客車を投入してからで、これに併せて行先も西鹿児島(現・鹿児島中央)に変更となる。1980年のダイヤ改正で、東京発の日豊本線回りで西鹿児島へ向かっていた「富士」が宮崎止まり(晩年は更に運転区間が短縮され、大分止まりとなっていた)となり、以来、日本最長距離を走る特急列車としてファンの間で知られていた。
晩年の運行区間は「東京−熊本」。2005年2月28日までは東京−鳥栖間を「さくら・はやぶさ」として併結運転となっていたが、2005年3月1日からは併結相手の「さくら」の廃止に伴い「富士」との併結運転となり、東京−門司間では「はやぶさ・富士」として運転されていた。
上り列車で遅延が大きくなった場合は小田原駅から東海道貨物線経由とし、品川駅で運転を打ち切ることもあった(他の東海道線系統のブルートレインも同様であった。また、サンライズ瀬戸・サンライズ出雲についても同様の措置がとられる)。
ひとまずは廃止をまぬかれた「はやぶさ」であったが、運転時間が長く航空機に対抗できない東京〜九州方面の寝台特急は一様に苦戦を続けており、2009年3月ダイヤ改正で廃止された。
2003年(平成15年)5月9日(金)13時29分25秒、宇宙科学研究所 (ISAS) が鹿児島県内之浦からM-V 5号機で打ち上げた小惑星探査機(正式名称:工学実験探査機)の愛称。正式名称は「MUSES-Cで、宇宙航空解発機構(JAXA)の探査機。
自律航行技術とイオンエンジンによる長期間にわたる連続加速の実証と、小惑星のサンプル回収を行うことが目的。
2005年(平成17年)9月にアポロ群の小惑星 (25143) イトカワに接近し、その表面を詳しく観測してサンプル採集を試みた。2007年夏に地球へ戻ってくる予定だったが、姿勢制御装置の故障や化学エンジンの燃料漏れによる全損、姿勢の乱れ、電池切れ、通信途絶、イオンエンジンの停止など数々のアクシデントに見舞われた。しかし、その大半は想定され、相互バックアップや自動復旧できるよう設計されており、推進剤ガスの放出による姿勢修正や太陽帆の原理による姿勢制御などの機転もあいまって復旧に成功。その後、2010年(平成22年)6月13日22時51分、60億キロメートルの旅を終え、打ち上げから7年ぶりに地球に帰還した。はやぶさから離脱し、収納されていたカプセルの帰還地は南オーストラリア・ウーメラ砂漠アボリジニー聖地である。
月以外の天体からの帰還と言う世界初の快挙に貢献したことで、世界各国の宇宙関連事業に商機が広がる可能性もある。
はやぶさには当初から、小惑星「イトカワ」に接近しそのかけらをサンプルとして回収するというミッションがあった。
小惑星へ接近する際には、まずソフトボール大のターゲットマーカーを小惑星上へ置き、それを目印にして近づいていく。ちなみにターゲットマーカーの1つには、一般から応募のあった88万人分の名前がごく小さく印刷されたもの。
「はやぶさ」の名称は、目標へ舞い降り、獲物を取って飛び立っていくイメージからつけられたという。同時に、日本の宇宙開発の祖である糸川英夫(目標となる小惑星の名前の由来でもある)が設計した戦闘機、「隼」にかけているとも考えられる。
日本が得意とする、コスト管理・省エネ技術の結晶とされる。具体的には、
NECが開発を主導したイオンエンジンが長距離飛行を可能にした。今後、NECは商用衛星最大の市場である米国で、3年間で20億円の受注を目指す。
- 太陽光をエネルギー源にキセノンと呼ぶ希ガスをイオン化し、噴射して推進力を得る。
- イオン化には電子レンジに使うようなマイクロ波を照射する。
- 馬力は小さいが、他方式に比べ、少ない燃料で長期間使え、小型であることから静止衛星や惑星間の探査機向けに採用が広がっている。
- はやぶさに搭載した4基のイオンエンジンは従来よりも寿命が長く、取扱が容易。
- 途中で3基に異常が生じたが、地球に戻る途中の軌道修正にも用いた。
2010年6月13日22時51分(日本時間)頃、オーストラリア上空から大気圏に突入し、本体は明るく燃え上がりながら華々しく散り去った。その明るさは満月の2倍ほどであったという。予定より3年も遅れ、満身創痍で地球に戻ってきて、夜空に輝きを放ちつつ燃え尽きていった姿は、多くの人々に感動を与えた。カプセルが舞い降りた場所は、オーストラリア原住民アボリジニーの聖地であったという。
この帰還の日付をとって、6月13日は「はやぶさの日」として制定されている。
回収された微粒子はイトカワのものと確認され、太陽系の起源を探る上で大きな成果を上げた。
宇宙開発の本家である米国にも一歩先んじ、世界の宇宙開発にも大きな影響を与えるとみられる。さらに、今回のコストリーダーシップの成功により、日本の宇宙関連ビジネスでの競争力確保に、大きく貢献する可能性がある。
【打ち上げ成功】
2003年5月9日、M-Vロケットで「はやぶさ」打ち上げ。9月には、搭載するイオンエンジンのうち1基 (A) は出力が不安定なため運転を見合わせたが、残り3基は計画通りの動作をしており、推進時間は1,000時間を越えた。この時点で地球から52,000km後方を飛行中であった。
【観測史上最大規模の太陽フレアに遭遇】
2003年10月末から11月、観測史上最大規模の太陽フレアに遭遇。搭載メモリのシングルイベントアップセットや太陽光電池の出力低下が発生したものの、幸いミッション遂行への影響は軽微で済んだ。
【イオンエンジンによる革新】
2003年5月19日、イオンエンジンを併用した地球スイングバイに世界で初めて成功。12月9日にはイオンエンジンの積算稼働時間が2万時間を突破。2005年2月18日、イオンエンジンを搭載した宇宙機としては、世界で最も太陽から遠方に到達した。
【イトカワ撮影】
2005年7月末から8月、小惑星「イトカワ」を捉え、合計24枚の写真撮影に成功した。そしてこれらの画像をもとに、地上からの電波による観測と組み合わせて精密な軌道決定が行われた。
【リアクションホイールの故障】
2005年7月31日、リアクションホイール(姿勢制御装置)3基のうち1基が故障したため、2基による姿勢維持機能に切り替えて飛行した。当初より2基の運用も想定されていたため、支障なく運用。
【イトカワ接近】
2005年9月12日、イトカワと地球を結ぶ直線上で、イトカワから20kmの位置(ゲートポジション)に静止した。公式にはこれにより、イトカワとのランデブー成功とされた。9月30日、イトカワから約7kmの位置(ホームポジション)まで接近し、近距離からの観測モードに移行した。
【リアクションホイールの再故障】
2005年10月2日、リアクションホイールがさらにもう1基故障した。残ったリアクションホイールはZ軸の1基であり、これだけでは姿勢制御が不可能なため、化学エンジンを併用して姿勢制御を行い、観測は続行。10月28日、リアクションホイールの故障への対応に伴い、帰還に充分な燃料確保が急務の課題となり、エンジン噴射を精度よく制御する方法の目処が立った。これを受けて、サンプル採取の実施が決定。
【サンプル採取の実施】
2005年11月12日、イトカワへの着陸は失敗したが、20日に再度挑戦。高度約40メートルで88万人の名前を載せたターゲットマーカーを分離。マーカーはイトカワに着地した。はやぶさは降下途中に何らかの障害物を検出し、自律的にタッチダウン中止を決定し上昇したものの、再び秒速10cmで降下を始めた。はやぶさは2回のバウンド(接地)を経て、約30分間イトカワ表面に着陸した。
【世界初の成功】
地球と月以外の天体において着陸したものが再び離陸を成し遂げたのは世界初。着陸の衝撃でイトカワの埃が舞い上がり、回収された可能性がある。これがイトカワのものならば、小惑星からの試料採取に世界で初めて成功したことになる。
【2回目のタッチダウン】
26日、再び着陸に挑戦し、日本時間午前7時7分、1秒間だけ着陸に成功。即座にイトカワから離脱した。
【燃料漏れと通信途絶】
11月27日、漏洩した燃料の気化による温度低下でバッテリーが放電し、システム広範囲の電源系統がリセットされ、はやぶさへの姿勢制御命令が何らかの原因で不調に終わる。はやぶさの姿勢は大きく乱れ、28日通信が途絶するが、翌日、ビーコン通信が回復。
【姿勢制御の成功】
緊急の姿勢制御法として、イオンエンジンの推進剤であるキセノンガスの直接噴射を採用、ただちに運用ソフトウェアの作成を開始。12月4日、ソフトウェアが完成し、キセノンガスの直接噴射による姿勢制御を試み、成功。
【再度の燃料漏れと通信途絶】
12月8日、再度の燃料漏れが発生し機体はみそすり運動を始めた。キセノンガスを使っても姿勢を制御することは出来ず、9日以降通信が途絶した。
【地球帰還の延長】
12月14日、地球への帰還を2010年6月に延期することが発表された。はやぶさは受動的に安定するように設計されているので、2006年12月までに電力と通信が復旧できる可能性は60%、2007年春ならば70%と計算された。2007年春までにイオンエンジンを再起動できれば、地球帰還の可能性は高いとされた。
【立て直し】
3月6日、3ヶ月ぶりに軌道の推定に成功し、探査機の位置や速度が特定される。位置は地球から3億3000万km、イトカワから1万3000km。イオンエンジンの起動試験に成功。姿勢制御に使用していたキセノンガスの消費量を抑えるため、太陽光圧を利用(ソーラーセイルと同じ原理)したスピン安定状態での運用に切り替える。
【格納作業】
2007年1月17日、採取試料容器を地球帰還カプセルに格納する作業を開始。
【地球帰還準備】
地球帰還の為、本格巡航運転を開始。巡航運転に先立ち、姿勢制御プログラムの書き換えを行った。巡航運転時のはやぶさは、唯一生き残ったZ軸のリアクションホイールと、ジンバル機構、太陽光圧を併用して姿勢制御を行う。2007年10月18日、復路の第1期軌道変換が完了。イオンエンジンおよびリアクションホイール (RW) を停止し、太陽指向スピン安定モードに入った。ここまでのイオンエンジン稼働時間は、往路・復路あわせて延べ31,000時間、軌道変換量は1,700 m/s に達する。復路の軌道変換量は残り400 m/s である。
【宇宙放射線によるエラー】
8月13日、イオンエンジンを停止し、セーフホールドモードへ移行しているのが発見。原因は宇宙放射線による姿勢監視装置のシングル・エラー・アップセット (SEU) と推定。軌道計画に変更はあるものの、予定通りの地球帰還に問題はない。電力事情が改善されるまでは太陽指向スピン安定制御による慣性飛行で運用される。9月26日、イオンエンジンの再点火に成功。動力飛行を再開。
【地球帰還】
2010年、1月13日 地球の引力圏内を通過することが確実になる。2月26日、月よりも内側を通る軌道(約31万km)に入る。5月12日、星姿勢計(スタートラッカー)が地球と月を捉える。5月23日、地球外縁部(高度約630 km)への精密誘導のため、接線加速と太陽方向への加速を実施(TCM-2、5月27日まで)。6月2日、オーストラリア政府が同国内ウーメラ立入制限区域(Woomera Prohibited Area、WPA)へのカプセル落下を許可。9日、落下予測範囲を狭めるため、さらに詳細な誘導を実施。13日、 カプセルの切り離しに成功し、地球を撮影。地球の陰に入り通信途絶後、大気圏再突入。ヘリコプターから目視でカプセル発見。6月14日、カプセル回収作業開始、約4時間後に回収完了。カプセル本体から分離した2つの熱シールドも発見しており、同月15日に回収を実施した。
カプセルと熱シールドは同月17日夜、チャーター機で日本に空輸された。今後は相模原にある宇宙科学研究所の専用施設内でカプセルの開封作業が行なわれ、ミクロン単位と思われるサンプルの有無を数か月間にわたり慎重に分析する予定。