三次藩の藩士稲生武太夫が十六歳の少年で平太郎と呼ばれたころ、旧暦7月、平太郎の屋敷に三十日間にわたって老女の大首や一つ目など、さまざまな化け物が出没する、平太郎少年は妖怪を次々と退け、最後は妖怪の魔王から木づちをもらう、という妖怪談である。
一カ月もの間、妖怪が出続けるという内容は特筆すべきところ。幽冥界・神仙道研究の始祖である江戸の国学者・平田篤胤が研究人生の最後に挑んだのもこの『稲生物怪録』である。
田中貴子の指摘によれば「稲生物怪録」は「いのうぶっかいろく」がただしく、「もののけ」とは読まないのが正しいとのこと。田中の著書『鏡花と怪異』の240ページ。
ちなみに、ほとんどの人は「いのうもののけろく」と読んでいるが、『国書総目録』では「いのうぶっかいろく」として見出しがあげられている。「物怪」が「もののけ」と読めないことはすでに森正人の指摘があるので、「ぶっかいろく」と音読みすべきだろう
ただし、写本によって「もののけ」となっていたり、「ぶっかい」となっていたりするという。
また、こちらも参照(http://d.hatena.ne.jp/kuzan/20070513/1179060253)。
だが田中が「もののけ」と読めないという根拠にしている森正人の論文は中古・中世についてのもので、近世に当てはめることは出来ない。志村有弘・諏訪春雄編『日本説話伝説大事典』(勉誠出版、2000)には、田中美絵の執筆で「稲生物怪録」の項目がたち「いのうもののけろく」とあって、「いのうぶっかいろく」とも、とある。「ぶっかい」が正しいと断定することはできないと言うべきだろう。