実名の押し売りは、絶望と孤独を忘れた人間のパワハラ
僕にとって、インターネットのコミュニティに参加することは、義務教育時代の転校にも似ていた。
一年半前、大学受験が終わり東京の大学に進学する僕は、ウェブという界隈で自分の可能性を広げようとはてなとTwitterのアカウントをとった。
いや、これは言い過ぎか。とにかく新しい環境で何かに挑戦してみたかったんだ。
自分は、それ以前の受験中はPCを持たせてもらえなかったから、ネットの人間関係というのは持たなかった。
あの新しい環境に飛び込むときのドキドキ感。そして、自分が知らない人間が、自分が知らない人と楽しそうなことをしてるけまらしさ。そして、何のバックグラウンドもない僕に、誰も興味を示さない。当たり前だ。僕は、何もしないままだと、通り過ぎる文字列にすぎないのだ。
そしてひしひしと感じる孤独と絶望。隣の芝生は青いぞ!騙されるな!と、そう思いこんで自分を慰めた日々。
ここでとるべき道は二つあったように思える。
実名でやっていることの最大のメリットは、今まで自分のやってきたことがすべて繋がることでしょう。自分、過去の自分、今属している組織、過去に属してきた組織。そこからひょんな出会いがあったり、仕事に繋がったり。実名でなければ、過去と今を繋げることができないですからね。
発言を誰に帰属させるか
僕は、後者を選んだのだろう。ひたすらつぶやきまくった。ブログ書き続けるのは疲れるからとにかくTwitterで呟いた。「俺はここにいる!」「こんなことを考えている!」「くだらないことを思いついたんだ!」ってね。
いつしか呟くことが日課になっていた。なにかあればずっとTwitterに呟いていた。アウトプットする楽しさを知った。*1
そのおかげだっただろうか、とりあえず「ホッテントリをとってみる」とか、「Twitterでオフ会に行く」とか、当初の目標は達成できた。たぶん、次のステップに行く為には継続的な努力が必要なんだけど、ここまで来ると脳の報酬系が活発だから、つまり、容易にフィードバックが得られるから、俄然楽しくなってくる。実名かHNの違いはあるが、まぁ味をしめたってところだろうか。実際、そこに連続性があれば実名とHNに違いはないのだ。
思うに、Twitter が流行るのはリターンを「与える」方の閾値が低くて、全体としてネット上で個のアイデンティティーが容易に得られるからだ。
対照的に、mixi は閉鎖的で外部との接続を持たない。ゆえに広がらない。結びつきは強固でもそれがソーシャルなリターンに繋がることはない。 だから閉鎖的なmixiに業を煮やしたユーザーがTwitterに流れている。
逆に、別のコミュニティで満足なリターンを得ていて、Twitterがそうではない場合、Twitterの面白さを感じることは難しいだろう。どっかの社長が「俺がTwitterはじめたのに皆見向きもしない!Twitterはカス!」みたいなことを言ってたけど、そういうことだ。
2ちゃんねるという権威
実世界では自分の立ち位置を確定させなければいけないが、ネットはそうではない。人間関係はかくもややこしいのだけど、それを意識しない匿名という選択肢がある。
実名を押し売りする有名ブロガーの皆さんは、それなりに社会的な背景があったり、ネット上の活動が長かったりで、この「誰とも繋がっていない」「自分の発言に誰も耳を貸してくれない」状態を忘れているのではないだろうか。或いは考えが及んでいない。
そこから繋がりを得ることは、あなた達が思っていることより、遥かに勇気がいることだ。非マッチョな一般的な敷居で考えて、ね。
Twitter以前は、2chが主にそこに価値を見いだせないユーザーを接収していた。そして2chの匿名という権威に自分を同一化させることで、満足感を担保した。
この「絶望感」のすれ違いといえば、Twitterにおける勝間和代の行動がそうだ。自分はこんなことを書いていた。
勝間和代は全体からみた自分の特異性と、その特異性ゆえに生まれている特殊な環境をさも一般論のように語るのをやめてほしいまあ個別にいろいろ指摘したいことはあるのだけど*2、勝間和代のTwitter指南は有名人的な使い方で、一般ユーザーの使い方にそぐわない点が多々あるのだが、影響力が大きいだけに真似するユーザーが多く、オピニオンリーダーとしては厄介だなぁと思っている。
いや、自分の意見を広がらせる方法、バズらせる方法は、無名・匿名でもやりようは全然あるんだけど、それに気づくには実際にパフォーマーとして振る舞ってみる経験とハウツーがいる。
匿名の「無敵の人」が、強者の論理に従う道理は全くない。同じフィールドに立った途端、ほぼ負けが確定しているのだし。
参考:無敵の人の増加。 : ひろゆき@オープンSNS
匿名という文化
僕らはちっぽけな人間なので、あなた達と同じフィールドに立つのは労力がいるのです。呼吸するように言葉を戦わせ、責任を負い続ける、そういう生き方以外の可能性も考えてほしい。
そういうことを、こっそり実名で書きました。何の価値もない名前です。