自民党の増税案について
ニートは扶養控除外 自民が検討
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060522-00000007-kyodo-pol
これ自体は小さな問題かもしれないが、こういうことを考える現政権の思考様式には大きな問題がある。
そもそも増税は「余裕のあるところから」というのが大原則である。奢侈品や嗜好品の税金が高いのはそういう原則に基づいている。しかし「ニート」や「ひきこもり」と言われる人の家庭に「余裕がある」のかと言われると、実は「下層」のケースも少なくないことはよく指摘されている。「ニート」や「ひきこもり」は親も当の本人も社会に出て働きたいと考えているのが普通であり、社会に出れないことへの引け目や劣等感が強い。これだけは断言できるが、「ニート」や「ひきこもり」を抱えている家族と当の本人が自らを「幸福」だと考えている人はまずほとんどいないし、特に周囲は「大変ねえ」「恥ずかしいよな」とは思っても「それはそれでいいよな」とは絶対に思わない。これは、「ニート」や「ひきこもり」に関する本を少しでもかじれば容易に手に入る事実である。こういう層を対象にした増税を認めるということは、「余裕のあるところから」という増税の大原則を解体することになる。
しかし、この案のもっと根本的な問題は、「ニート」や「ひきこもり」の問題を、その周りの環境の改善ではなく、悪化させることで解決しようとしていることにある。「ニート」や「ひきこもり」あるいはフリーターが定職につこうとしないのは、単純化して言えば労働によって得られる人生にあまり魅力を感じないからである。また、「ニート」や「ひきこもり」と言われるような人が、今すぐ労働市場に出ても雇用者側が迷惑がることは確実であり、また職にありつけたとしても低賃金で長時間、いつでも首を切られるという環境で仕事をすることになり、その上「仕事のできない奴」「付き合いも悪い」と職場で評価される可能性も高い。「ニート」や「ひきこもり」自身も問題はあるのかもしれないが、働くことの社会的な環境を改善する以前に(景気が上がれば雇用環境は自然と回復するなどと言っているが、竹中大臣が「雇用なき景気回復」という世界的な潮流を知らないわけがない)、「働かないでいるともっとつらい目にあうと思わせるような環境を作ればいい」という安易な発想はもっと問題である。こういう発想があらゆる場面で応用されたらたまったものではない。
おそらくこうした増税案の根底にあるのは、「俺たちと同じように苦労して働け!」というものである。自民党執行部が「公務員の削減」を全面的に遂行しようとして世論もそれを支持しているのも、彼らが「楽をしている」と考えているからである。しかし、働いている人の理由の大部分は「楽な生活をする」ためであるはずで、「楽をしている」ことにルサンチマンを感じるような社会(またこうしたルサンチマンを利用して増税案を作成している自民党執行部)は不健全であるとあえて言っておきたい。