差別をするなら覚悟ぐらい持て
売春婦に対する差別の問題について、いくつものエントリが上がっていて、それを読むとかなり安易な姿勢で差別が語られていて驚きました。
ある意味、語り易い分野であるし、興味がある分野でもあるということでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/macska/20070318/p2
http://d.hatena.ne.jp/lowbooks/20070317
http://tail.s68.xrea.com/blog/2007/03/post_75.html
これらはある意味で「良識的」なのでしょう。であるからこそ、耳に触りも良く、賛同もつきやすい。率直に言って害悪だと思います。
この議論ではある行為(この場合は、売春者を侮辱すること)が「差別にあたるのかどうか」が論点となっているのであり、「理由があれば差別しても良いのかどうか」なんて誰も論じていない。
http://d.hatena.ne.jp/macska/20070318/p2
無茶苦茶な話だよ。
売春者を侮辱することが、差別かと問うならば! 問うならば! それは明らかに差別ですよねぇ?
そう、明らかに差別でしょう。それを差別ではないと強弁したって、それは差別と言われるよ。実際に差別なんだから。
売春者を侮辱することが差別ではないと言うのなら、それは何だと言うのでしょう?
何故にこんなに議論の余地なく明白な「差別」に対して、差別にあたるのかどうかが論点に成り得るのかがわからない。
論点も何も決定的に差別だよ。莫迦じゃなかろうか。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BA%B9%CA%CC&kind=jn&mode=0&base=1&row=0
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%B7%AE%E5%88%A5&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=07426900
憲法14条では不合理な差別は禁止されていますが、合理的理由に基づく差別(差別という語に否定的ニュアンスがあるので以下区別という)は禁止されていません(中略)
http://d.hatena.ne.jp/lowbooks/20070317
差別はなくすべきだと思います。しかし、その過程には差別的発言も必要なのではないでしょうか。
「差別」をわざわざ「区別」と言い換える必要がわからない。自分で差別的発言も必要と言うならば、堂々と「差別」だと言えばいい。自分が「差別」を「区別」と言い換えておいて言うセリフではない。
よく聞く「差別と区別は違う」という偏差値があまりにも低い言説はどうにかならないものかと思う。
「差別の中で、悪いものは差別と言い、悪くないものは区別と言う」などというのなら、最初から素直に「悪い差別」と「悪くない差別」と言えばいいじゃないか。
ここにどんな心象が隠されているのかと言うと、差別とは、基本的には概ね後ろ暗い行為である。
何かしらの後ろ暗さがあるが故に、敢えて「区別」という言い換えによって、その後ろめたさから逃れようとしている。
そして、言い換えたところで、実態は同じである以上、他者から「差別だ」と言われ、それに対して「区別です」と言い逃れる。これは卑怯だ。
正しいと思うのであれば堂々と「良い差別だ」とか「正しい差別だ」と言えばいいのだし、正当であると思うのであれば「正当な差別だ」と主張すればいい。
後ろめたさから「区別」などと言い換えをしておいて、指摘されたら「差別とは違う」などと言い逃れようとするなど、なんとさもしい根性だろうか。
差別をするなら差別をするで、それに伴う後ろめたさや後ろ暗さなどの不快感ぐらいちゃんと引き受けろよ。情けない。
macskaさんはこうも言う。
>妥当な理由があるとした場合、それは定義上「差別」とは呼ばないのね。
>yuki さんが反論しているコメントの書き手はみんな「これ(売春者を侮辱すること)は差別の問題として語るべきではない」と言っているわけです。
>「yukiさんの言うそれは『差別』ではない」という人はいても、「理由があれば差別しても良い」と言う人はいないわけ。
莫迦なことを言ってもらっては困る。
まず、売春婦を侮辱する行為に妥当な理由がどうあったのかは別にして、妥当な理由があろうとも、「差別」はどこまでいっても「差別」である。言葉の言い換えなど意味はない。
もし、売春婦を侮辱することをみんなが「差別」ではないと、本当に言っているのならば、それは、全員が莫迦だからである。
私は、別の価値観を優先するがために差別をする場合、私は普通に差別するだろう。「理由があれば差別しても良い」と言うだろう。しかしそれを「差別ではない」などと嘘の強弁をするほど卑劣な真似はしない。
私は自らを差別者と規定し、その上で多少の後ろめたさと付き合うだろう。
そして、その私のした選択を「差別だ」と糾弾されるのであれば、私は、自分の選択した別の価値観をもってして、糾弾者の「差別」という価値観と争うだろう。
怯むことなく、堂々と自分の価値観を主張すれば言いだけの話だ。その程度の覚悟は持っている。
「差別」を「区別」と言い換える姑息な真似をしておいて、心病むことなく差別だけしようとする卑怯な心象は、差別者である私にとって、迷惑なことこの上ない。
売春者を侮辱することが差別に当たるかどうか、という論点であれば、どう考えたところで、一方的にid:yuki_19762さんが正しい。それは差別だ。当たり前だろ、こんなの。
私とyukiさんの衝突点は、これ以降の問題となる。が、私としては、yukiさんには、私との議論で消耗して欲しくないと思っている。
少なくとも、今のyukiさんの状況は、その余裕はない。いつか、この大売春差別大会ともいえる売春エントリのオカスが去った後に、機会があればと思いますが。