小飼弾から若きアルファギーク予備軍たちへの愛情こもった本
「小飼弾のアルファギークに逢ってきた」を読んだ。
弾は本書の冒頭を、「ギーク」という言葉の由来について、Wikipediaを引きながらこう説明するところから始める。
もともと "geek" とは、サーカスやパレードなどの見世物で、ヘビやニワトリを食いちぎったり、昆虫を呑み込んだりするパフォーマーのことをさしていた。(中略) 中世低地ドイツ語で「愚者」「嘲笑すべきもの」「騙されやすい者」といった侮蔑的な意味の語であった。(p3)
ギーク (geek) とは、アメリカの俗語で卓越した知識があるということを指す。特に、ある種の趣味には長けているが、人付き合いが得意でない人に対して用いられる。そもそも良い意味では使われなかったが、インターネットが注目されるようになると共に、コンピュータやインターネット技術に時間を費やし、深い知識を有する者もギークと呼ばれるようになった。(p3-4)
そして弾はこう続ける。
それでは、なぜ「ただのバカ」だった「ギーク」が「尊敬すべきバカ」に変わったのか。それはギークたちが世界を少しずつ、しかし確実に良い方向に変えてきたからです。(p4)
小飼弾のアルファギークに逢ってきた (WEB+DB PRESS plusシリーズ)
- 作者: 小飼弾
- 出版社/メーカー: 技術評論社
- 発売日: 2008/04/14
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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語源に侮蔑的な意味を持ち、「人付き合いが得意でない」、つまり社会性が欠如している、という意味をも併せ持つ「ギーク」という生き方は、とてもリスクが高い。凡庸にその生き方を追い求めるだけでは「ただのバカ」で終わる可能性も高いのだ。そうならず「尊敬すべきバカ」になるのは本当に大変なんだよ。でもそんな大変な道を歩んだ先にあるのは、とても素晴らしい生き方だ。弾はこう考えているのだと思う。
厳しさ、そして素晴らしさ。その両面の真実を、きちんと後輩たちに伝えたいという弾の気持ちが、本書の対話の随所にあらわれている。
巻末のきたみりゅうじとの対話で、弾はその厳しさについてこう語っている。
弾 エンジニアとしてだけ優れていればいいのかっていう問題が、まず一つありますよね。刀鍛冶は刀だけ作っていればいいのかと。今後はある意味すごく厳しくなってきて、刀だけではなくて、作戦のことまでわからなければ、まともな給料を得られなくなるんじゃないかと。一所懸命刀を作ってました、でも、これからは鉄砲の時代ですって言ったときに、刀これだけ作りましたから、お金くださいって言ったからって、お金くれないわけですよね。何が売れるのかというよりも、どんなニーズがあるのかというのがわかっているエンジニアでないとこれからはキツイなと。
きたみ エンジニアとして、生きていく。単にアルファギークとして新し物好きなだけではいけないと。
弾 ダメですね。(p213-214)
少なくともソフトウェアの世界では、一生ものの技術なんてないのだと。せいぜいアルゴリズムとかだけれども、それも誰か一番腕の立つ人がライブラリーにして公開しちゃったら、「もうあんたお飯の食い上げだよ」と。極論してしまうと、そのことに関して、一番通じている人がたった1人だけいればいいというのがソフトウェアの世界の厳しい現実でもあります。(p216)
僕が見るところ隙間はいっぱいあるんです。何でみんな、同じところにたかるのか。(中略) バカかと。だから、すいません、そういう人には同情できません。そういう人たちは、中国人やインド人にリプレースされるのは当然です。彼らだって、食っていく権利があるんだから。(p217-218)
きたみりゅうじは、そんな弾との対話の感想をこう書いている。
僕は「技術技術」と声高に言う人には、あまり良い印象を持っていない・・・というか、反射的に身構えてしまうところがあります。というのも、そういう人に限って「好きなことをやらせろ」論が強く、そのためにお膳立てする土壌作りを他人に丸投げして知ったこっちゃなかったりするケースが多々あるからです。
そりゃズルいでしょと。(中略)
弾さんとの会話の中には、そうした「技術屋という言葉を免罪符にする」ところがまるでありませんでした。すみません、この点で僕は弾さんを少し誤解していたような気がします。(p219)
弾の風貌、スタイル、ブログでの言葉遣いなどから、きたみと同じような誤解をしている人も多々いるのではないかと思うが、本書の弾は、色々な意味で、とてもバランスが取れている。
今、流行のKYで言えば、私も実は空気を読んでいないわけじゃないんですよ。読んで逆のほうへ行っているだけで。(p209)
と自らについて語る弾の持ち味は、じつは本書の中にはあまり現れない。アルファギークたちと彼が交わす対話は、とても真摯でストレートなものなのだ。
そしてそれは、「ギーク」という生き方の厳しさと素晴らしさの両面を、何とか後輩たちに誤解なきよう伝えたい、という弾の愛情ゆえのものと思われる。
一読に値する好著である。