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馬から猫、猫からかもめ、そして馬。


 日曜日。散歩に出る。

 散歩のための服装もいろいろと試行錯誤をして本日は、半袖のエアリズムの上にウールの入った無印の長袖のあったか下着、そこにジャージ(英国のサッカーチーム・アーセナルのレプリカ)を羽織る。強い北風吹く今日の天候を考慮してその上にColumbiaの防風・防寒のウインドブレーカーを着用する。足元は、膝の痛い人にオススメと聞いた(この年代のご多分に漏れず膝が痛い)ニューバランスのフレッシュフォームというクッションが入ったランニングシューズを装着した。これで怖いものはない。

 今日は、高田馬場駅まで電車で行き、そこから歩いて神保町までいく予定。

 学生の頃、このルートで早稲田の古本屋と神保町の古本屋を覗き、その勢いで秋葉原駅まで歩き、そこから地下鉄に乗り埼玉の自宅まで帰ったということが何度かあった。そのルートを40年振りに辿ってみようと考えた。

 昼前に高田馬場駅に到着。右手にBIGBOXの建物を見つつ早稲田方面に歩き始める。以前は行われていたBIGBOX前での古本市が懐かしい。早稲田の古本屋街へ差しかかって早稲田の古本屋は日曜定休であると気付く。古書現世も丸三文庫もやってないのかと一瞬歩みが止まった。40年前の再現は早くも頓挫する。

 いやいや、今日は歩きに来たのだと気を取り直し、早稲田の通りを神楽坂方面に歩いて行くと右手に穴八幡宮が。ここでも以前古本市が開かれていたんだよなと思いながら歩を進める。どこも寄らないのは寂しいので、弁天町の手前を右に曲がり、“漱石山房通り”という名前の通りにある“漱石山房記念館”に行ってみる。思っていたよりも随分立派な建物だった。漱石生誕150年の平成29年(2017年)に建設されたとのこと。300円の入館料を払い、展示室に入ると漱石の書斎が再現された部屋があった。「吾輩は猫である」初版本の書影の入ったトートバッグと漱石がデザインした「こころ」の装幀を使った文庫本用のブックカバーを記念に購入。

 大通りに戻り、進んでいくと神楽坂に到着。通りに“かもめブックス”という本屋があるのを発見。どこかで聞いたことがあるなと検索してみると、書籍の校閲専門の校正会社である鷗来堂がやっている書店だった。入ってみる。入口の左手にはカフェスペースがあり、右手は奥まで書棚が続いている。思ったよりも奥行きがあり、本は判型や出版社、作者名の別で分類されてはおらず、店独自の分類で並べているスタイルだ。雰囲気は恵文社一乗寺店をもっと明るくした感じ(個人の見解です)。棚を見るのが楽しい店だ。出たのを見逃していた本を見つけたので買っておく。

・マグナス・ミルズ 柴田元幸訳「鑑識レコード倶楽部」(アルテスパブリッシング)

鑑識レコード倶楽部

 

 知らない作家だが、月曜の夜に、バーの小部屋に3枚のレコードを持ち寄って、ただ黙って聞く男たちを描く英国の小説という帯の説明に惹かれた。柴田元幸訳というのも安心材料だ。

 店を出て、神楽坂を下っていく。インバウンドの波はここにも押し寄せており、外国人観光客と多くすれ違う。この神楽坂には漱石も通った洋食の田原屋があった。2002年に閉店したらしい。一度だけ食べに来たことあったはず。何を食べたかももう覚えていないが。

 飯田橋駅横を通り、九段方面へ。人通りも少なくなり、周囲は学校が多くなる。正面に日本武道館が見える。天気がよく、強い北風が吹いているので雲一つない空に金色に輝く玉ねぎが光っていた。右手には靖国神社の大きな鳥居とその先に続く参道の坂が見えた。靖国神社には入った記憶がない。行ってみようかと思ったが、気持ちは神保町の古本屋街にあるので、左に曲がる。

 神保町に到着。あまり寄り道をしていないせいか、記憶よりも距離も短く、あっというまにここまで来た感じだ。早稲田で本屋に寄れなかった分を神保町で本の栄養補給。

 ・松本莞「父、松本竣介」(みすず書房
 ・鈴木伸子「大人の東京ひとり散歩」(だいわ文庫)
 ・佐藤徹也「完本 東京発半日徒歩散歩」(ヤマケイ新書)

 

父、松本竣介

大人の東京ひとり散歩~いつもの街をもっと楽しむ (だいわ文庫)

ヤマケイ新書 完本 東京発半日徒歩旅行

 

 松本竣介は、洲之内徹の「気まぐれ美術館」シリーズで知って好きになった画家。、宮城県美術館等で実物の絵も見、画集も手に入れた。その松本竣介の息子である著者が書いた父・松本竣介の伝記。みすず書房の白い瀟洒な本で出たことを喜ぶ。
 後の2冊は、東京とその近郊の散歩本。これからの散歩計画を立てるための資料として購入。

 水分補給と足休めをかねて神田伯剌西爾で、コーヒーとレアチーズケーキ。ほっとする。まだ、余力はあるからいっそ秋葉原駅まで歩くかとも思ったが、強い北風が吹くコンディションと鍛錬ではなく楽しみとしての散歩である(続けるためには重要なポイントだと考えている)ことを考えて、本日はここまでとする。

 

 帰りの電車の中で堀江敏幸「いつか王子駅で」(新潮文庫)を読む。ある必要から再読(実際には3度目だから再々読)している。本文中に安岡章太郎の「サーカスの馬」の話が出てきて、主人公が九段の学校に通っているという記述を読み、今日歩いてきた九段周辺の風景を思い出した。

いつか王子駅で (新潮文庫)

 
 
 
 

サンデー散歩


 今年の目標は「歩く」と決めて日々歩いている。定年後にあることをしようと決意した。そのことをするためには1日20キロ程度は歩かなければならない。そのためにも今から歩くことへの耐性をつけておく必要があるのだ。年明けからバスをやめ、職場へも徒歩で通っている。

 1月5日は、用事があって南武線の駅に行った。用事が済んで、その駅が国立市に位置することを思い出した。ここと中央線の国立駅はどのような位置関係にあるのかと地図アプリで検索すると、その駅前の道をまっすぐ行けばそこが国立駅であることがわかった。まだ、時間は昼過ぎ、しばらく中央線沿線の古本屋巡りもしていない。これは行くしかないと歩き始め、思いのほかあっけなく国立駅前に到着。三鷹・吉祥寺・西荻窪荻窪・阿佐ヶ谷・高円寺など寄りたい駅は数あれど、時間は有限のため西荻窪荻窪にポイントを絞る。快速に乗ったためまずは荻窪で降りる。歩くことを実践するためtitleまで歩き、そのまま西荻まで徒歩で移動しようと考えたが、titleが休みで不成立。そのためささま書店跡の古書ワルツをのぞくだけで切り上げ、西荻窪へ。
にわとり文庫、ねこの手書店(初めて行ったが新刊書店のような広い店内に驚く)、盛林堂書房を経て古書音羽館へ。大きな古本屋台(『本の雑誌』連載中)のイラストが飾られていてニンマリする。いつ来ても音羽館は自分の気をひく本が多くてうれしい。
いくつかの店で買った本でカバンを重くして帰った。

 12日は、自宅から隣の駅まで歩く。コロナ禍で自宅勤務の時、地元の駅ビルが閉鎖され、駅ビル内の本屋にも行けなかったため、何度か隣の駅まで歩いて、その商店街にある2フロアの書店に本を買いに来ていた。小一時間で到着。書店の前まで来てみたら、ビルはあったが、他の業種の店に変わっていた。驚いて検索してみると昨年秋に惜しまれつつ閉店したとのこと。知らなかった。この店の支店が昔地元にあり、そこが随分前に閉店して、本店であるこの店は続いていたのだった。調べてみると経営としては2015年にトーハングループの傘下に入っており、本店は閉店したが、東京・千葉などにも支店があるらしい。
 閉店ショックにしばらく立ちすんでいたが、もう一つの目的を思い出して歩き出す。コロナ禍の時にこの地にある評判のよいコーヒーの自家焙煎の店で豆を買おうとしたが、巣ごもり生活特需で予約が殺到しており、豆を買うことができなかった。今回はそのリベンジで、その店で豆を買って帰ろうと思っていた。ネットで日曜も営業日となっていることは確認済みである。てくてく歩いて店の前に着くと、貼り紙が「11日・12日は臨時休業します」と告げていた。この町まで歩いてきた目的が2つとも消滅してしまった。すごすごとその町を後にし、地元の駅まで歩き、駅ビルで買い物をして歩いて家まで帰った。

 次の休日である本日は、神保町から湯島を経由して東大近くにある古書ほうろうまで歩く。先日、湯島天神にお守りを買いに行った時に、不忍池の周辺を歩いたにも関わらず、谷根千から移転した古書ほうろうがその近くにあることを失念していた。また、混雑のため初詣をあきらめた湯島天神に改めて初詣をしておきたいと思い神保町まで地下鉄に乗る。生まれて初めて買った文庫本が漱石「こころ」(新潮文庫)だったものとしては、Kを裏切った先生が歩いたルート(小川町から万世橋を通って神田明神を過ぎ、湯島から菊坂を通って東大横へ)で行きたいと思ったのだが、4時過ぎから雨の予報が出ていたため、聖橋からまっすぐ湯島へ向かうルートを選択して歩き始める。ゆるい坂を上っていくとあっけなく湯島天神に出てしまう。三が日が嘘のようにすぐに賽銭箱の前に到達。初詣を済ませる。

 古書ほうろうの開店が12時。まだ時間が早い。せっかくなので東大の周囲を歩いて時間を潰すとともに歩く距離も稼ごうと不忍池を離れて東大へ向かう。坂を上っていると“無縁坂”という表示に目がとまる。グレープ「無縁坂」に歌われた坂がここかと立ち止まる。中学生の時に、さだまさしの最初のソロアルバム「帰去来」、最初の著作である「本 人の縁とは不思議なもので」(八曜社)を買った者としては感慨深い。東大の敷地沿いをぐるりと歩き、赤門前に出る。ここに来るのは初めてではないか。通りの向こうには“こころ”という名前の店が見える。本日実施の共通テストの会場となっているため幾分かの緊迫感のある東大周辺をぐるりと一周するように歩いてきたら古書ほうろうの前に来た。

 谷根千の時よりはひと回り小ぶりになった店内だが、本の濃度は変わらない。店頭の文庫棚に漱石新潮文庫が数冊並んでいるのが土地柄を感じさせる。店内を一回りして、数冊購入。“不忍ブックストリートMAP2024”をもらう。店内にはエノケンの音源が流れていた。このところ職場の休憩時間などに青空文庫で「古川ロッパ日記」をちょこちょこ読んでいるので、日記の登場人物であるエノケンの歌声はタイムリー。

 古書ほうろうを出て、神保町へ向かう。聖橋を渡り、お茶の水駅前へ差しかかると丸善があった。高校生の頃は神保町へはお茶の水駅下車で来ていた。すると最初に目にする本屋はこの丸善だった。その頃は梶井基次郎檸檬」に出てくる丸善はこの店だと思っていた(もちろん京都の丸善が正解)。その錯覚を誘導したのはさだまさしの「檸檬」。聖橋から檸檬を投げるこの歌と聖橋の近くの丸善を結びつけるのは自然な行為だった。まだこの丸善が残っているのがうれしくて店内で1冊購入。

安部公房三島由紀夫大江健三郎「文学者とは何か」(中央公論社

 

文学者とは何か (単行本)


 明治大学前の坂を下って神保町へ帰ってくる。東京堂へ。

金井美恵子「目白雑記Ⅰ 日々のあれこれ」(中公文庫)
関川夏央「昭和時代回想 私説昭和史3」(中公文庫)
ー大西寿男「みんなの校正教室」(創元社

 

目白雑録Ⅰ 日々のあれこれ (中公文庫)

 

昭和時代回想-私説昭和史3 (中公文庫 せ 9-6)

 

みんなの校正教室

 

 中公文庫の2冊は地元でも買えるが、両方サイン本とあれば手が出る。関川本にはサインだけではなく“明日できることは今日するな”と書かれていた。
 大西本は校正の底本となるテキストに西東三鬼「神戸・続神戸・俳愚伝」の本文が使われているのがすばらしい。新潮文庫にも入ったこの本はとても面白かった。

 雨が降る前にと神保町から地下鉄に乗り、地元へ帰る。駅前で白菜と豚バラを買い、帰宅して白菜と豚バラの無水鍋を土鍋で作って食べた。

 

加齢にはカレー。

 元旦はいつものように朝風呂で古今亭志ん朝の「御慶」を聴く。

 ニューイヤー駅伝を見ながら、年賀状を書いた。食事は大晦日のすき焼きの残りで済ます。

 2日は、箱根駅伝の往路を見てから買い物へ。まず本屋へ初詣。


 -梶原麻衣子「「"右翼"雑誌」の舞台裏」(星海社新書)
 -新保博久・法月綸太郞「死体現場で待合せ」(光文社)

 

「“右翼”雑誌」の舞台裏 (星海社 e-SHINSHO)

死体置場で待ち合わせ 新保博久・法月綸太郎 往復書簡

 

 

 前者は『週刊読書人』の"新書特集"の"三宅香帆さんが新書を買う"で買われていた新書の1冊。10万部を超える右翼雑誌の編集者であった著者がその内情を語る本。編集者の回顧録は面白いものが多いのでこの手の本はなるべく買うようにしている。買った理由の所に「星海社新書はいつも尖った面白い企画を出していて、本当に尊敬します」と書かれていて、思わず頷いてしまう。
 後者は"坂口安吾の幻の短編「盗まれた一萬円」を書籍収録!"と帯に書かれていたのに惹かれた。全集に載っていないこの短編は発見後『新潮』2023年1月号に再録されたが、書籍に入るのはこれが初めてだとのこと。

 本屋の後は脂肪燃焼カレースープを作るための材料を買って帰宅。タマネギ・ニンジン・ダイコン・キャベツ・茄子に3種類のきのこと豚肉を入れて、カレールーで味付けしてスープにする。脂肪燃焼スープを作るのは、年末年始に体重が増加してしまったため、スーツを着なければいけない仕事始めまでに体重を適正数値にまで落とさなければならないためだ。

 ここまで体重が増えたのは、毎日乗っている体組成計の不具合によるものだ。12月に入って体組成計の示す体重がいきなり自分の標準体重から2キロから4キロほど低い数値を示すようになった。痩せるような運動もしていなければ食事の量も減っていない。これは病気なのではないかと訝りながらもしっかりと栄養をとったほうがよいと考えて、いつもより炭水化物も多めにとり、食事の後にポテトチップを食べ、クリスマスの楽しみである知人の店のシュトレンを毎晩口にしていた。そんなある日、ズボンのボタンがとめにくくなっていることに気付いた。痩せているはずなのにズボンがきついとはこれ如何にと体組成計をいつもの場所から移動させて乗ってみると自分の標準体重より2キロ以上重い数値を示しているではないか。一日で5キロも太るわけがない。どうやらいつも体組成計を置いている場所が板の間との境目にある畳の上であったため、体組成計が水平を保って居らず、乗っている自分の重心がしっかりと下にかかっていなかったらしい。場所を変えてから人が変わったように毎日2キロ以上オーバーの数値を安定してたたき出すようになってしまった。これはいかんということで脂肪燃焼スープの登場となった。年を重ねると体重が落ちにくくなる。落とすためには先ず食生活をコントロールする必要がある。脂肪燃焼スープを定期的にとっていると体重が安定しやすいというのは過去に実践済み。醤油ベース、味噌ベースなども作ったが、カレーベースのものが一番飽きがこない。一度に6食分作るので、飽きずに食べられるのは重要なポイントになる。

 夜は、作ったカレースープを食べ、野木亜紀子脚本の新春スペシャルドラマ「スロウトレイン」を観る。鎌倉の江ノ電沿線に住むフリーの編集者である松たか子と妹(多部未華子)と弟(松坂桃李)の家族のドラマ。松たか子がいい。ドラマ「カルテット」の好演を思い出させる。役者・松たか子を味わう時間となった。

 食事を変えただけではそう簡単に体重は減らない。適度な運動も必要となる。そこで3日は箱根駅伝復路を見た後に、長めの散歩に出ることにした。目的無く長く歩くことは苦痛なので、最近行っていないブックオフや本屋を徒歩で回ることにした。急な坂を下り、同じような急な坂を上り、そして下ったところにあるブックオフへ。ゲームやCDのコーナーが広がり、前よりも本の割合が少なくなっているような気がする。スマホと棚をにらめっこしながら、籠に大量の本を入れている男性がいた。まだ、ブックオフで大量セドリをする人がいるのだなあと思う。110円の棚から柳瀬尚紀ジェイムズ・ジョイスの謎を解く」(岩波新書)を買う。「ユリシーズ」の第12章が犬の視点から書かれているという独自の解釈を展開した本。著者による「ユリシーズ」完訳を楽しみしていた者としては著者の死によって未完に終わったのが残念だ。人によってはトンデモ本扱いされかねない本なので、今後再版される可能性は低いだろう。持っている本だがストックとして買っておく。

 ブックオフを出て、前の通りをずんずん歩き、大通りとぶつかる交差点にあるショッピングモールに入る。ここには、くまざわ書店がある。いつもの本屋には入荷していないこの本を見つけて購入。

 -橋本麻里・山本貴光「図書館を建てる 図書館で暮らす 本のための家づくり」(新潮社)

 

図書館を建てる、図書館で暮らす―本のための家づくり―

 

 著者の2人が、図書館のような家を建て、その本に囲まれた家で暮らす様子が書かれた本。データではない物としての本に囲まれて暮らすことへの親近感と本棚がたくさん写っている本に弱いという性質によって買ってしまう。

 ショッピングモール前の大通りをずんずんと上り、駅前へ出る。いつもはここからバスに乗っているのだが、今日は乗らずに徒歩で家に向かう坂道をずんずんと上がっていく。ダウンジャケットを着てきてしまったので、下に着ている薄手のトレーナーに汗がにじむ。2時間弱の散歩を終えて帰宅。夕食は脂肪燃焼スープ。

 今日(4日)は、神保町のPASSAGEに本の補充に行く。9冊ほど追加した。
 東京堂で1冊購入。

 -新田和長「アーティスト伝説 レコーディングスタジオで出会った天才たち」(新潮社)

 

アーティスト伝説―レコーディングスタジオで出会った天才たち―

 

 毎週月曜日の夜9時から聴いているBAYFMのスージー鈴木とミラッキ大村「9の音粋」にゲスト出演した著者の話が面白かったのと番組でこの本を推していたので買おうと思っていた。東芝EMIのプロデューサーでありファンハウスの創業者である著者が関わったミュージシャン達との逸話が記録されている本。

 神保町から地下鉄を乗り継いで湯島へ。湯島天神に行く。必要あってお札を買いに来たのだが、せっかくだから初詣もと思ったら長蛇の列だったので断念。お札を手に入れて天神を後にする。

 さあ、今日も歩こうということで、歩いて近くの不忍池へ。池の周囲を歩く。池の向こうに東天紅のビルが見える。子どもの頃何度か東天紅のバイキングに連れてきてもらったことを思い出す。冷やし中華好きの子どもだったので(今も好きだが)、自分で麺や具を好きにとって冷やし中華を作れるここのバイキングは夢のような空間であった。
 
 久しぶりの上野散策を楽しんでから帰路につく。

 車中では原田ひ香「古本食堂 新装開店」(角川春樹事務所)を読む。神保町で古本屋を営んでいた兄が亡くなり、その妹(珊瑚)と親戚の娘(美希喜)が店を引き継いでいくという「古本食堂」の第2弾。本の話だけではなく、神保町周辺の飲食店も話題に絡めているのがこのシリーズの売りだろう。前作で「共栄堂」「ランチョン」「ガヴィアル」「揚子江菜館」「ボンディ」が登場。今回は「いもや」「なかや」「新世界菜館」「メナムのほとり」「狐兎」「豊前うどん(武膳)」などが出てくる。やはり、神保町だからカレーの店が多い。「新世界菜館」の話にもカレーが出てきた。カレーの店はほとんど行ったが、それ以外の店は行っていないものが多い。「豊前うどん」などは一度行ってみたくなる。

 

古本食堂 新装開店

 

 今日も駅からバスに乗らず、歩いて帰宅。昨日とはルートを変えて回り道になるが、車の来ない遊歩道を歩いて行く。新型コロナで自宅勤務を余儀なくされていた頃、運動不足解消に勤務時間を過ぎるとよくこの遊歩道を歩いていた。あの時の独特の緊張感を抱いた日々を思い出す。ついこの間のような、遠い昔のような不思議な時間。

 帰宅して今夜も脂肪燃焼カレースープ。

 

なければ本を取りにいく。

 今年の仕事は28日に終わった。

 29日は片道2時間近くをかけて両親の墓参りに行った。車中は、中野翠「本日、東京ラプソディ」(毎日新聞出版)を読む。年末の風物詩本。年々、『サンデー毎日』連載分が少なくなっているような気がするのが寂しい。

 

 

本日、東京ラプソディ

 

 昨日やっと大掃除にかかったが、昼までになんとか外回りを終わらせただけ。昼過ぎに家を出て、先日スマートフォンの機種変更をしたため、下取り対象の前機種を持ってauの営業所へ行く。今日が提出期限なのだ。先日機種変更に訪れた時は混雑していたこの場所はスタッフも2人だけ、客も僕を含めて2人だけ。もう1人の客は別の営業所で契約した内容への苦情を繰り返しスタッフに語り続ける。僕が店に入って出るまでそれは続いていた。さして遠くはない契約をした営業所に行かず、なぜここに来て苦情を申し立てているのかは最後まで疑問だった。
 返すものを返したので、近くのそば屋で一日早い年越しそばを食べる。
 本屋へ。年末年始に読む本を求める人が多いのかレジ前には長蛇の列。
  -リュウジ「リュウジの料理質問箱」(河出新書
  -山本文緒無人島のふたり」(新潮文庫
     -津野海太郎「生きるための読書」(新潮社)
 の3冊を購入。

 

リュウジの料理質問箱 (河出新書 077)

無人島のふたり―120日以上生きなくちゃ日記―(新潮文庫)

生きるための読書

 


 リュウジ本は、この人のYouTube動画のレシピが自分の作る料理を支えてくれているので、せめて本を買って感謝の意を表しておく。
 「無人島のふたり」は単行本を持っているのだが、『本の雑誌別冊 文庫王国』でこの文庫の角田光代解説が必読と書かれていたので入手。58歳で病没した作者の余命の日々の日記だ。
 津野本は86歳の作者による読書エッセイ。80代がどのように本を読み、感じ生きているのかに興味が湧いた。
 58歳と86歳の間を自分は生きているのだなあと思いながら帰る。

 今日は午前中に部屋の中の大掃除。まあ、大掃除という名の本の移動なのだが。昼過ぎに買い物に出る。
 今年最後の本屋。買い忘れていた『箱根駅伝2025完全ガイド』(ベースボール・マガジン社)を購入。
 駅ビルのスーパーで、今夜のすき焼きの材料を買う。その他にも1人用の厚焼き玉子・黒豆・伊達巻きも入手。家についてドアに今年で4年目となる注連飾りを掛ける。
 本の山が消えて広く感じるリビングにて、すき焼きで夕食。すき焼きは毎年土井善晴レシピで作る。昔ほど量が食べられなくなったため、紅白歌合戦が始まる頃には食べ終わってしまう。

 今年ももう終わる。若い頃は「いつまで生きられるだろう」と思っていたが、気がつけば「いつまで生きるのだろう」と思うようになっていた。100歳まで生きるとしたら、どうやって生活費をまかない、日々何をして生きていけばいいのだろうとふと考える。「二百歳まで生きる」を目標とする成瀬あかり(「成瀬は天下を取りにいく」)はすごいなと思う。すっきりしたリビングを出ると先ほど本を移動した他の部屋が見える。少なくとも100歳まで読む本には困らないことに気付く。しのごの言ってないで買った本を読めということかと笑う。することがないのなら隣の部屋に本を取りにいこう。

 今年もありがとうございました。

 よいお年を。

下鴨にひかれて善行堂参り。

下鴨納涼古本まつりが、8月11日(日)から16日(金)まで開催されると知った。12日(月)と13日(火)は仕事が非番となるスケジュールであった。たまたま職場から永年勤続の副賞として提携しているホテルの割引券をもらっていた。その提携するホテルは京都にもあった。予約がとれた。新幹線も押さえた。あとは行くだけだ。

 

10日(土)に同僚から電話があった。帯状疱疹になったので明日からの仕事を代行してほしいとの依頼だった。新幹線とホテルの予約をキャンセルした。

 

同僚が週の半ばに復帰できることになった。15日(木)が非番となった。16日(金)も休めなくはなかったが、台風によって16日は新幹線が運休とのニュースが流れてきたため日帰りと決めた。

 

15日。朝家を出て、新横浜から新幹線に乗る。朝食に駅で買った“たいめいけんカツサンド”を食べる。幸いに隣は空席だった。行きの読書は吉田篤弘「京都で考えた」(ミシマ社)。せっかくだから京都にちなんだものと部屋を物色していたらこれがあったのでカバンに入れた。冒頭近くに「昼下がりの新幹線で東京からやって来て、古本屋を三軒ほど渡り歩いたら、ほどなくして夕方になっていた。(略)行くところはあらかた決まっていて、古本屋と古レコード屋と古道具屋である。あとは喫茶店と洋食屋だろうか。」というくだりがでてきて、古道具屋以外はまったく自分のことのようである。

 

京都で考えた

 

途中、地震の影響での速度調整があったため7分ほどの遅れで京都駅に着いた。曇りの予報であったが、雲間から日射しが差し込んでおり、暑くなりそうだ。既に下鴨納涼古本まつりの開始時間は過ぎているため、まっすぐ会場へと向かう。

 

出町柳駅を出て、鴨川を渡り、下鴨神社への参道を歩く。正面に木々の生い茂る世界遺産糺の森が見えてくる。何度来てもこの瞬間は、気持ちが高揚し、細胞の一つ一つが震えるような気分になる。泉鏡花作品の登場人物のように異界へと導かれていく。

 

 小さな水の流れを越えるとそこに立ち並ぶテント、そして視界はどこまでも続くような本の背表紙に塞がれる。もうこの雰囲気の中に入れただけで、ここまで新幹線に乗ってきた甲斐があると思う。極論すれば、本を買わなくたって構わない。ここにいて糺の森と本の気に触れているだけで多幸感に包まれるのだから。とはいいながらもやっぱり本は買いたい。日射しと暑さに負けないように気合いを入れて本の背を追っていく。本を買い始めて、本屋に通い始めて50年以上経っているので、見たことのある本、思い出のある本にであう確率が高く、すぐに過去の記憶へと誘われてしまう。学生時代からでも40年は経っているので、あの頃の新刊は古本と名乗ってなんの問題もない状態になっているわけだから、次から次へとあの頃の書店の棚の本が目に飛び込んでくる。雑誌『現代のエスプリ』の並びに反応してしまう。興味のある特集を1冊くらしか買ったことのない雑誌なのに、確かに学生時代を思い起こさせる風景なのだ。

 

赤尾照文堂の棚から2冊購入。古本まつりの団扇をくれる。うれしい。竹岡書店や口笛文庫でも数冊購入。1時間を過ぎ、体調と日帰りのタイムスケジュールを考えて、会場を後にする。モンベルの日傘と古本まつりの団扇で暑さをしのぎながら、出町柳駅まで戻る。

 

叡山電車で、一乗寺駅まで行き、恵文社一乗寺店へ。空調のきいた店内がオアシスのようだ。そこここにみすず書房の“大人の本棚シリーズ”が新刊として置いてあるのがうれしい。このシリーズが大好きなのだ。かなり持っているのだが、こんどコンプリートしてみようかという気になる。

 

昼を過ぎ、近くで昼食をと思ったがお盆休みで食べ物屋はのきなみ休み。一乗寺駅近くのラーメン二郎(なぜか看板が白い)だけが行列を作っているという状況なので、出町柳に戻って店を探す。駅からしばらく歩いたところにある三高餅食堂に入る。冷やしそばとカレーきつね丼のセット。中高年の客と部活帰りの学生が同居する雰囲気がさも食堂という感じ。お冷やをおかわりして水分補給。

 

今出川通に出て、7番のバスに乗り、「銀閣寺道」バス停まで。通りを渡って善行堂へ。今日の午前中も下鴨の古本まつりに行っていたことをXでチェックしていたので、山本善行さんが戻っているかなと思いながらドアを開けるとそこに善行さんが。先日まで糖尿病で入院されていたので心配していたが、まずはお元気そうで安心する。それでもまだ慣らし運転状態ということで、あまり長居をせず(いつもは2時間コースとなる)、本を数冊購入して1時間ほど滞在する(それでも長いよ)。善行さんは、「ソニー・クラーク・トリオ」(ブルーノート盤)のジャケットがプリントされたTシャツ姿(僕も同じ物を持っている)。僕がソニー・クラーク好きなのを知っていて、バリトンサックス奏者のサージ・チャロフのレコード「ブルー・サージ」をかけてくれる。このアルバムでピアノを弾いているのがソニー・クラークだからこのレコードなのだろう。こういった心遣いが心地いい店の雰囲気を作り出しているのだなと思う。レコードがタイム盤の「ソニー・クラーク・トリオ」に変わる頃に店を後にする。

 

ソニー・クラーク・トリオ (限定盤)(UHQCD)

 

ブルー・サージ(限定盤)

 

ソニー・クラーク・トリオ

 

また、7番のバスに乗り、京都市役所前へ。地下道に降りてふたば書房御池ゼスト店をのぞく。以前にも書いたがこの店の棚はセンスが感じられて好感を持っている。店に「成瀬は天下を取りに行く」(新潮社)の作者・宮島未奈の色紙が飾ってあった。本屋大賞を受賞したこの作品と続編「成瀬は信じた道を行く」をこの夏読み、にわか成瀬ファンとなったので、作者が自分の好きな書店に色紙を残しているのがなんとなく喜ばしい。

 

成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ

 

寺町通りに出て、アスタルテ書房の建物の前まで行く。先日売りに出されることをネットで知ったので、ひさしぶりにその前に立つ。随分前に一度だけアスタルテ書房に入ったことがある。ビルの一室にあり、靴を脱いで入る独特の雰囲気の店で、その趣味のよい空間に気圧されて、それ以降敬して遠ざけてしまった。

 

ここらでお茶でもと思い、イノダコーヒー本店へ向かう。車中で読んだ「京都で考えた」にイノダコーヒー三条店の話が出てきたので、三条店に行きたかったのだが、改装中ということで近くの本店へ。別館ならすぐに入れますと言われて何も考えず別館へ。ピンクと白のストライブに彩られた店内には女性客しかいなかった。自分の場違い感にいたたまれなくなる。いまさらやめますとも言えず、腰を下ろす。隣の席には若い女性3人組がディープな恋愛話を展開中。聞きたくなくても音声は耳に届く。若く軽やかな声で語られる、暗渠を流れるような低い情念を感じさせる内容は、頼んだコーヒーフロートのようなどろっとした感触を残して耳元を通り過ぎる。そうそうに店を後にする。

 

京都市役所前まで戻り、中古レコード屋へ。ワークショップレコードは木曜日定休だった。1階下の100000tアーロントコだけ覗く。

 

四条まで歩いて地下鉄で京都駅へ。帰りの車内で食べる駅弁を探す。暑さのせいかご飯物が重く感じられてしまい気がつくと手には「中之島ビーフサンド」。行きも帰りもカツサンド(行きが豚で帰りが牛)となった。

 

6時前の新幹線に乗って帰る。台風に追いつかれる前に家に着いた。

 

長くふくらむ読書。

 

 今月中に休める日曜日は今日で最後のため、昼前に出かける。

 

 妙蓮寺で途中下車して、石堂書店と本屋・生活綴方を覗く。気になっている小出版社本を探すが見当たらず。

 

 妙蓮寺から馬車道へ。真夏のような日射しを受けながら伊勢佐木モールのブックオフまで歩く。神保町のPASSAGEの貸し棚に置くための本を探す。自分好みの本が結構あり,あれこれ迷いながら7冊ほど購入。「仕入れ」という言葉についつい気前よく買ってしまい鞄はすでに重くなる。

 買った7冊は以下の通り。

-山下賢二「ガケ書房の頃」(夏葉社)

-三砂慶明編「本屋という仕事」(世界思想社

-市川慎子近代ナリコ「ふたりの本棚」(出版芸術社

-若林恵「さよなら未来 エディターズ・クロニクル 2010ー2017」(岩波書店

-小堀杏奴「のれんのぞき」(みすず書房

-エドナ・オブライエンジェイムズ・ジョイス」(岩波書店

-十重田裕一岩波茂雄」(ミネルバ書房)

ガケ書房の頃

本屋という仕事

 

ふたりの本棚 ナリコとノリコの往復書簡

さよなら未来――エディターズ・クロニクル 2010-2017

 

 

のれんのぞき (《大人の本棚》)

 

ジェイムズ・ジョイス (ペンギン評伝双書)

岩波茂雄: 低く暮らし、高く想ふ (ミネルヴァ日本評伝選)

 

 

 この先にも古本屋があるのだが、暑さと重さで伊勢佐木モールを先に進むのは断念。引き返す形で有隣堂本店に入る。吹き抜けの広い空間が心地よい。文学の棚の前に、島田潤一郎「長い読書」(みすず書房)、岡崎武志「ふくらむ読書」(春陽堂書店)、「本に出会ってしまった。私の世界を変えた一冊」(ele-king books)の3冊が横並びで平積みになっていた。すべて持っている本だから見るだけだが、この並びを見るだけで同好の士の書店員さんがいるのだなと少し気持ちが浮き立つ。

 

長い読書

 

ふくらむ読書

本に出会ってしまった。私の世界を変えた一冊 (ele-king books)

 

 

 

 

 馬車道に戻り、ディスクユニオンへ。ジャズのレコードを探す。最近神保町のディスクユニオンのジャスの棚が寂しい状況のため(たぶんお茶の水のジャズ専門の店の方に傾注しているんだろう)、充実している馬車道店の方が探す楽しみを味わえるのだ。

 隣の棚で手早くレコードをチェックしてこちらにプレッシャーを掛けてくるおじさんにめげることなく自分のペースで楽しみながらレコードを漁る。見つけて買うことだけでなく、この棚を眺めることも楽しんでいるのだから、こちらのペースでやらせて欲しい。自分が若い頃に新品で買った日本プレスのブルーノートが、結構な値段で出ているのを横目で見ながら、お手頃なものを6枚ほど購入。京都の善行堂のトートバック(LPレコードにちょうどいい大きさ)に入れて帰る。

 

 車内では三宅香帆「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」(集英社新書)を読む。映画「花束みたいな恋をした」のサブカル好きの主人公が、就職をした途端にゲームの「パズドラ」はできるのに、本を読めなくなったことをキーとして(本書で何度もこのことが出てくる)、題名の問題を考えていこうとしている。とはいえ、本書の大半は明治から令和にいたる読書をめぐる状況をたどることに費やされている。新書なので簡略な通史となっているが、手際よくまとめてくれているため面白く読める。

 確かに、日々働いていると本が読めなくなる。特に電車通勤をしていないため、通勤時に本を読むことができない。通勤のため15分程度バスに乗るのだが、バスでは活字の本を読むと酔ってしまうため読めない(なぜかスマホの画面を見ているのは大丈夫なのだが)。休日に電車で遠出をすると読書がはかどる。三宅本にも、戦後、サラリーマンの通勤時間が延びることによって読書が時間つぶしのアイテムとして利用された様子が描かれていたが、本を読むためには引っ越しをして、通勤時間を長くふくらませられれば、もっと本は読めるのかも知れないが、そうすると睡眠時間も減ってきっと帰りの電車では寝落ちしてしまうに違いないとも思う。

 

なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書)

 

 

 

 帰宅して、買ってきたレコードを聴きながら、岡崎武志「ふくらむ読書」を少し読み、大河ドラマ「光る君へ」を観る。

 

 

ふらり、観光地。

2024.3.28.(木)

 

 

 ゆっくりと目覚める。久しぶりによく寝られた。

 

 シャワーを浴びて、着替え、朝食をとりにホテルを出る。四条烏丸近辺に泊まった時には毎回前田珈琲本店でモーニングを頼むことにしている。今回も同じ。職場に向かう人々の流れに混じってのんびり店まで歩くのは京都に泊まった朝の喜びとなっている。

 

 朝食を終えてホテルに戻り、支度を整えてチェックアウト。昨日の買い物ですでにボストンバッグは肩に食い込む重さとなっている。まずはこちらをロッカーに預けないことには動き回れない。京都駅のロッカーはまだ午前中ということもあり、すんなりと空きが見つけられた。

 

 身軽になって地下鉄に乗る。昨日、たまたまネットで善行堂の話題を見ていた時に、今日まで村田画廊で林哲夫さんの2人展をやっていることを知った。この偶然を逃してはならじと松ヶ崎駅で下車して画廊へ。住宅街の中にある落ち着いた雰囲気の画廊。ご夫婦でやっていらっしゃるようで、気軽に声を掛けてくれる。書いた住所が横浜だったので驚いたようだった。お茶とお菓子が出てきて驚く。アットホームな場所で好きな画家の絵を見て心安らぐ。その中でパリの書店を描いた水彩画がこんなに安く買っては申し訳ないという値段で出ていたので迷わず購入する。すでに林さんの油彩のパリの書店の絵を持っているため、同じシリーズが増えて嬉しい。そういえば善行堂にも林さんが描いた小津安二郎のポートレイトが置いてあったことを思い出す。あれもいい味わいの絵だったなあ。善行堂でも林さんの絵は買えるのだった(以前にリクエストして坂口安吾のポートレイトを善行堂経由で購入したことがある)。最終日ということで林さんと会えるかなと思っていたが、午後から来るとのことなので、よろしくお伝えくださいと伝言を頼んで画廊を後にする。

 

 

 天気予報アプリは午後3時過ぎから雨と告げているので、先を急ぐ。地下鉄丸太町駅で下車し、京都御所の横を歩いて鴨川近くにある誠光社へ。すでに数人のお客さんがいた。この書店も来るたびに必ず客の姿がある人気店だ。店頭の面陳棚に橋本倫史さんの新刊が置いてあった。地元でも買えるがこの本は観光地・京都で買うべきだろう。

 

-橋本倫史「観光地ぶらり」(太田出版

観光地ぶらり

 

 橋本さんの本は著者自身が撮った写真がカバーに使われることが多く、この本も同じ。そしてそれらが皆いい写真なのだ。橋本作品では個人的に「東京の古本屋」(本の雑誌社)が好きで、自分で読むだけでは飽き足らず、神保町のPassageで借りている貸し棚でもこれまで4冊売っており、今5冊目が並んでいる状態だ。

東京の古本屋

 

 

 会計をしにレジに行くとレジ前でオリジナルブレンドのコーヒー豆が売っており、六曜社由来の豆であると書かれていたので一緒に買う。家で飲むのが楽しみだ。

 

 

 時間は正午を過ぎ、昼食をとるために京都市役所方面へ歩いて移動。京都という街が好きなのは、大通りと大通りを繋ぐ小さな通りを歩いていても、不意に小さな書店や古書店と出会うところ。東京の都心ではこうはいかない。いつの間にか寺町通に出ていたらしく、不意に目の前に三月書房の姿が見えて思わず「あっ」と声が出た。三月書房が週休7日となってからどれくらい経ったのだっけ。戸が閉まっているだけで、店も看板も以前のままだ。今でも京都に行くことを考える時にスケジュールに三月書房を入れそうになってしまう。それくらいこの店に行けなくなったことは大きな損失なのだ。編集工房ノアの PR誌『海鳴り』をもらうのはこの店で編集工房ノアの本を買う時と決めていた。今は善行堂が自分にとっての『海鳴り』の窓口となっている。

 

 

 三月書房前を通り、スマート珈琲店へ。ここでスマートランチでもと思ったが、案の定店前に列ができている。諦めて新京極通へ移動し、スタンドへ行ってみる。カウンターの端の席に空きがあったので滑り込む。正午過ぎだというのに樽酒やサワーが飛び交う店内でスタンドランチを頼む。ここは観光客よりも地元民の割合が高いと感じさせてくれる店。会話の多くが地元の言葉であるのがそれを教えてくれる。隣のおじさんが50年ぶりに食べるというハムカツを「うまい。うまい。」と繰り返す。小学生の時にハムカツを食べている友達から端っこを分けてもらて以来のハムカツらしい。確かにハムカツはそんなに頻繁に食べるものではないが、50年間まったく出会わないというほどレアな食べ物だとも思われない。日本に住んでいて50年ハムカツと出会わない人生というのがなんだか不思議な気がしてしまう。

 

 関東も夕方から雨の予報が出ており、本を抱えて雨に降られるのは避けたいので、3時の新幹線で帰ることにする。四条烏丸進々堂で食後のコーヒーを飲んで時間調整をして、京都駅へ。

 

 

 この頃からくしゃみと鼻水が止まらなくなる。花粉症の薬は飲んでいるのだが、この2日野外で花粉を浴び続けた影響が出たらしい。新幹線では読書を諦めて目をつぶり、身を背もたれに預けてイヤフォンでラジオのタイムフリー録音を聴きながら帰る。

 

 定年退職したら、京都で1年、ロンドンで1年暮らしてみたいとよく冗談めかして言っている。しかし、暮らしてしまったら現在の京都が持っている非日常感は失われてしまうだろう。昼の本屋巡りも夜の京都散歩も僕にとっては日常を忘れさせてくれるこれ以上ないアイテムであり、この2日のために1年ストレスにまみれて働いているようなものだ。それを考えると京都はふらりと行く観光地のままにしておくのがいいのかもしれない。

 

 なんとか雨が降る前に家へたどり着いた。