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2018年3月15日木曜日

「肉じゃが発祥の地」を巡る真相

Yahoo!ニュースのトピックスに、ABC朝日放送のこんな記事が掲載されていました。

【ABC特集】舞鶴か?呉か?  海軍ゆかりの町の仁義なき「肉じゃが論争」ついに決着か]

記事そのものは肉じゃがの発祥の地を巡って、海軍ゆかりの町である舞鶴と呉の間で争われているという話で、「ついに決着か」とタイトルにありますが、結局は分からずに終わっています。そして記事中、肉じゃがの誕生についてこのように説明されています。

 明治34年(1901年)、海軍鎮守府の長官として、舞鶴に赴任した東郷平八郎は、イギリス留学中に食べたビーフシチューを作るよう料理長に命令。しかし、当時は赤ワインやバターなど手に入らない調味料もあったため、料理長は、しょうゆと砂糖、ごま油を使って味付け。そうして出来上がったのが「肉じゃが」、というのが舞鶴では定説なんだそうです。


日本海軍の東郷平八郎がその誕生に関わったという、肉じゃが誕生の「定説」については、ご存知の方も多いと思います。トピックスにも掲載されたので、多くの方がご覧になったでしょう。しかし、この「定説」について、実際はどうなのでしょうか?

『海軍さんの料理帖』(ホビージャパン)の著者である海軍史研究家の有馬桓次郎氏によれば、シチュー自体は明治初期には既に日本に入ってきており、明治22年に日本海軍が制定した「五等厨夫教育規則」にはシチューの作り方が記載されているそうです。また、赤ワインベースのシチューは当時のヨーロッパでも一般的ではなく、赤ワインを入れるようになったのは近年のことだとか。このことから、「シチューを赤ワインとバターの代わりに、しょうゆと砂糖で味付けしたのが肉じゃが」という肉じゃが発祥説は、「9割がた誤り」としています。

では、なぜ肉じゃが誕生の経緯や発祥の地についての伝説がまことしやかに拡がっているのでしょうか? このことについては、記事中にも登場する海軍料理研究家の高森尚史氏は、自身の著書の中でネタばらしをしているのです。

高森氏の著者『帝国海軍料理物語』(光人社)によれば、1988年にテレビ局の番組ディレクターから肉じゃがのルーツを探るという番組企画について、「<肉じゃがは海軍にそのルーツがあった>という結論でいきたい。それも最終的に舞鶴にその手がかりがあったということにしたい。(中略)ついては、そのための証拠を明らかにしておいてほしい」という依頼がされ、「ずいぶん乱暴な話」と思いつつも制作に協力した旨が書かれています。この時は調査で発見された昭和13年の海軍資料に似たような料理があったことから「肉じゃがのルーツは海軍にあることが、舞鶴の資料でわかった」とひとまず言えると考え、番組でもそのように紹介されました。この時点では、舞鶴は発祥の地でもなければ、東郷平八郎の名前も出てきません。

ところがその後、この肉じゃがが舞鶴の町おこしになると考えた人がいました。そこから地域や海上自衛隊も巻き込んだ結果、「舞鶴に赴任した東郷平八郎が〜」という'''肉じゃが起源の伝説が90年代中頃に創られました'''。これに呉も便乗する形でうちも発祥の地と名乗りを上げた結果、現在の「肉じゃが発祥の地論争」に至っています。が、そもそも両市ともに肉じゃが発祥の地である根拠はなく、これは分かった上でのプロレスのようなものなのです。

料理の起源にまつわる話はよくわからないものが多く、国民食とも言えるラーメンもその起源はよく分かっていません。肉じゃがの起源も同様ですが、ここに町おこしのネタを見出した人がいたのです。町おこしに「伝説」を用いるのは様々な地域に見られるものですが、伝説と史実はしっかり分けて考えたいものですね。

【参考文献】



また、肉じゃが海軍起源説の経緯と検証については、『と学会誌34』の光デパート「肉じゃが海軍起源説はこうして捏造された」で詳しく解説されており、興味のある方には一読をおすすめする。