ネト貧の描く未来は暗黒社会。あるいは、本当にウェブは世界を変えるのか
先日、ある企業のセミナ−で「インタ−ネットが放送コンテンツと融合したらどうなるか?」というテ−マで学生間でディスカッションを行ったのだが、そこでのメンバ−の発言に驚いた。
「パソコンが身近になって小さい頃からコンピュ−タに触れてるから、オタクが増えるんじゃない?」
「あと、パソコンを使って育った子は理系に進むから、理系離れが解消されるかも」
「ネットに夢中になって、家族の団欒が減るよね」
「現実との区別ができなくなって、犯罪者が増えそう」
判を押したようにマスメディアのネット批判そのものなのだ。なんだこれは。本気でそう思っているのか?マスメディアの議論を鵜呑みにしているのか?自分の意見がないから無難な一般論を言っているつもりなのか?僕は軽く絶句して、彼らの顔を凝視していた*1。
世代を指して"デジタルネイティブ"と称するのは間違っている
彼らは学部三年生。87/88年生まれと僕よりほんの少し若く、デジタルネイティブと言われる世代だ。
デジタルネイティブ―次代を変える若者たちの肖像 (生活人新書)
- 作者: 三村忠史,倉又俊夫,NHK「デジタルネイティブ」取材班
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2009/01
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僕は「ちょっと待って。みんなはネット使うの?」と聞いてみた。彼らは少しばつが悪そうに笑いながら、あまり使わない、と答えた。ネットを使わないでどうやって生きているのだろうか。いやそれはいい。
問題は、ネットを使わない人間が、若者の名札を下げてネット社会の未来を語っている*2ことだ。
ちなみに、学校では何を専攻してるのかを聞いたところ、文学部、経済学部、法学部とのことだった。上記の発言例にも見て取れるが、パソコンとかインターネットとかいったキーワードを「理系」と結びつけ、「文系」の自分とは関係ない話だとみなしているなら、それはあまりにも危険だ。
これでは、情報化社会の生んだ新世代どころか、ただのゆとり以外のなにものでもない。もちろん彼らと同じ世代に属する僕は、時代による知識・経験セットの貧弱さをどうこう言う資格はない。
だが、少なくとも僕は、そういった考えを持つ人と一緒に仕事したくないと思う。
キャズムのどちらに立っているのか
id:starposさんにメ−ルをいただいて誘われ*3、先週の土曜に初めてお会いし、食事しつついろいろと情報交換してきた。
即日上げられた報告エントリの中で、starposさんは僕を"デジタル移民"と称した。
私が思うに,彼はデジタルネイティブではなく,デジタル移民である.彼が自分を発信しはじめたのは,まだ3年ほど前からだからだ.デジタル移民とは,デジタルネイティブ特有のコミュニケーションを取れるスキルを持っている,と言うのが正しいだろう.私は彼のようになりたいと思う.これからは,デジタルネイティブとも話せるし,デジタルのことが全く分からない人ともコミュニケーションができる人材が必要であると思う.そして,それは,時代の狭間にいる我々の世代が担うべきであると感じている.
デジタルネイティブとデジタル移民 - starposの日記
さらにそれを進めて、"デジタルバイリンガル"という言葉を使っている。キャッチーでおもしろい言葉だと思う。
なんか最近ブログでデジタルデジタル言ってるもんだからそろそろ戦隊物でも作れそうな気がしてきた。デジタルネイティブ!デジタルデバイド!デジタルフロンティア!デジタルバイリンガル!デジタルイミグラント!五人揃って(ry
放送コンテンツ on インターネット
ディスカッションが行われたセミナーでは、"答え合わせ"のように、
Joost
Watch TV. Watch Movies. | Online | Free | Hulu
この二つのサービスが紹介されていた*4。インターネットと放送は、既に融合していた。狭義のネット未来社会は、既に到来していた。
僕は、インタ−ネットの力を過剰評価しすぎているのだろうか?
この事実を考えるにつけ、僕は総体として人間を変えることの難しさを痛感せざるを得ない。
自発的に変化に気付く人は少数であり、変化に気付く機会を得る人も少数であり、変化に適応しようと試行錯誤*5するだけの柔軟性を持ち合わせている人はさらに少数である。そして大多数は、不平を言いながら、変化の波に押し流されてゆく。
初めて見る火を恐れた人間の祖先は、火を恐れなかった人間の祖先に駆逐された。
言葉を利用しなかった人間の祖先は、言葉を利用した人間の祖先に駆逐された。
社会を形成しなかった人間の祖先は、社会を形成した人間の祖先に駆逐された。
変わらないのは世界ではなくて、それを構成する人間の方なのかもしれない。インターネットを自在に使いこなして世界とフラットに繋がり、ネットとリアルを区別せずに生きる人は、新しい形で情報と付き合う方法を獲得した、別の生物種のように見える。彼らはいずれ訪れるであろう、不可避な環境の激変を生き残るだろう。
インターネットは、生物としての人間に影響を与えているのか。与えうる革新的技術なのか。世界を良い方向に変えてくれるのか。
僕には確実なことは何もいえないが、少なくともそれを見きわめられる場所にいたいと思っている。