「とんでもないことです」。日帝強制占領期間に強制労働の苦痛を味わったキム・ハンス氏(97、大田市)は5日、ハンギョレ記者との通話で、日本政府が長崎県の三菱造船所などを近代産業化に貢献した遺産としてユネスコ世界遺産への登載を推進している事に対して「良心なき行動」と批判した。
韓国首相室所属の対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会の調査結果によれば、日本政府が当初産業化遺産として申請した28カ所(登載申請勧告は23カ所)のうち、長崎など5地域の造船所と炭鉱など11カ所(遺跡目録)に強制動員された朝鮮人は6万3900人に達する。
キム氏も1944年8月、黄海道(北朝鮮西部)延白(ヨンベク)郡のチョンメ地区の現場で労務職として働いていたが強制動員された。彼は航空母艦を建造していた三菱重工業長崎造船所に配置され、重労働に苦しんだ。そこでは最大4700人の朝鮮人が強制動員された。
彼は「鎖が切れ左足の親指の骨が折れたのに、病院では木の板をあてがっただけで働かされた」と回顧した。 最大の苦痛は空腹だった。「油を搾って残った油粕をすりおろし、飯粒をいくつか入れて飯だと言って与えた」と話した。
キム氏は1945年8月9日午前、原子爆弾が投下された長崎市から3キロメートル程離れた工場にいた。「目の前が真っ黄色になって気がおかしくなりそうでした。ある人は目の玉が飛び出した状態で病院に行き…」。命拾いして生き残ったキム氏は帰国した後、三菱重工業が月給をただの一銭も故郷へ送っていなかった事実を知り、憤りが爆発した。 キム氏は「強制徴用に対して日本政府が謝罪の一言もないことに腹が立つ」と話した。
キム氏は9日「勤労挺身隊ハルモニ(おばあさん)と共にする市民の会」の主管により光州で開かれる講演会で、日帝強制占領期間強制動員の実状を証言する。同会は5月から8月まで原爆、朝鮮女子勤労挺身隊、浮島丸爆沈事件の被害者と遺族の証言を聞く。同会のイ・クコン常任代表は「日本政府が強制徴用に対して賠償金一銭も払わずに強制徴用地を産業遺産というもっともらしい名分で汚名を濯ごうとは図々しい」と批判した。