僕がニューヨーク・タイムズ紙に書いた「イノベーションを迫られ続けるオープンソース社会」の元のバージョンをここに紹介したい。ニューヨーク・タイムズ紙版も悪くないが、オリジナルはこちらだ。
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インターネット、イノベーション、学習について
インターネットは、本当は技術というよりも信念の体系、すなわち信条と呼べるものだ。
自分のコンピュータに小さなソフトウェア「MacPPP」をインストールした日を、僕は明確に覚えている。「MacPPP」はコンピュータ上で実行中のプログラムをグローバルなインターネットに接続するためのものだ。こじゃれたテレックス装置であった僕のコンピュータは、これを入れた瞬間、我々が今日当たり前のように享受しているマルチメディア的なインターネットの原始バージョンとも呼べるものに変貌を遂げた。
僕は当時、テレビ、映画そして音楽に関わる仕事をしていて、インターネットが何もかもを変えるだろうこと、そして僕が直ちにメディア業界を辞めて、キャリアの梯子を登ろうとするのをやめ、インターネットの構築に取り組むべきだと考えたのを記憶している。
僕がインターネット構築に参加する第一歩は、日本国内で最初の商業的インターネットサービスプロバイダであったPSINet Japanでの経験だ。僕はそこの最初のCEOになった。国連と関連のある大規模な標準化団体、CCITTが推奨する、当時インターネットの対抗馬であったプロトコル、X.25との争いを今でもおぼえている。各国政府を連携する大規模な国際機関が各国の専門家と世界屈指の大企業を集め、情報通信インフラのDNAの様々な面を統制する基準、すなわち企業がネットワークや製品を作っていく際の規範となる技術的基準を策定させるというものだ。
X.25とインターネットとの間の争いは、潤沢な資金と政府の支持を得た専門家 対 研究者および企業家たちのゆるく繋がった一団 の争いだった。X.25側の陣営は起こりうるあらゆる問題と実現しうるあらゆる応用方法を予測して計画に含めようとしていた。彼らは複雑で非常に考え抜かれた基準を編み出し、定評ある最大規模の研究所や会社がそれらを元にソフトウェアおよびハードウェアを作り出す想定だった。
一方のインターネットはと言えば、その主たる設計者の一人であるデービッド・クラークが提唱した「大まかな合意と、動作するコード」を信条とした、研究者の小グループによってその設計を進め、展開していた。インターネットの基準は各国政府が連携する巨大な国際機関ではなく、許可や権限を必要としない複数の小さな組織が世話人となり、シンプルで軽快な基準を提示する方法として「Request for Comment」(コメント求む)と謙虚に銘打たれたものを発信し、それに基づいて小規模な開発者グループが、後に合わさってインターネットとなる要素を生み出していったのだ。
ご存知のようにこの争いは、インターネットが勝利した。中央集権化されたイノベーションに対する、分散型のイノベーションの一大勝利であった。
インターネットの信念体系とは、誰もが接続する自由、イノベーションする自由、そして誰の許可を得ずともあれこれといじくる自由を与えられるべきだ、というものだ。誰もインターネットの全容を知ることはできない。中央集権的に管理することは不可能で、イノベーションはネットワークの「外縁」で、小規模なグループによってもたらされる。
この信念体系は分散型革新者からなる巨大なネットワークを生み出した。インターネットの革新者は互いに基準を作り合い、その取り組みの成果をフリーかつオープンソースなソフトウェアという形で共有する。最近ではエレクトロニクス系や、物理的なデザインさえも共有しつつある。
豊富なフリーウェアとコンポーネントの存在は、インターネットの構造と相まって、製造、配布、コラボレーション、すなわちイノベーションのためのコストを大幅に低下させた。かつてソフトウェア会社の立ち上げには何百万ドルものベンチャーキャピタルを要したが、今日では雀の涙ほどの資金、時には無一文であったとしても、企業家たちは「最低限の有効な製品」を開発、リリースすることができ、投資家から資金を集める前にインターネット上で実際のユーザー相手にテストすることもできる。
実のところ、今では大抵の場合、何かを試すべきかとウダウダ考えるよりも、とにかく試してみるほうが安上がりだ。地図というのは、実際は想定よりも多くの場合複雑で、いきなり作ろうとすると、やりながら試行錯誤していくよりも高くつく。今はコンパスが地図にとって代わり、「大まかな合意、動作するコード」の概念は、ネットワークアーキテクチャのためのイデオロギーであるだけでなく、そこから広まって新規事業と「リーンスタートアップ」傾向のための基礎的な信条にまでなっている。
3Dプリンター、レーザーカッター、オンライン配信、サプライチェーン関連のサービス、そして繊細な製造分野でさえ、インターネットを通じて安く、標準化され、繋がった状態となっている。また、インターネットのフリーかつオープンソースなソフトウェアを書いている開発者のコミュニティのような、ハードウェアハッカーやオープンなハードウェアデザインのコミュニティが生まれている。僕はソフトウェア側で起こったような草の根的イノベーションがハードウェア界隈でも爆発的に起こると予測しており、MITメディアラボではこの機運のあらゆる要素に深く関与している。
メディアラボは、教員、学生そして参加企業による学際的なグループが共同で、「大まかな合意、動作するコード」の信条を、未来のハードウェアデザインに加えて多種多様な分野にも適用し、未来を創造している。
メディアラボでは指導よりも創造を通じた学習に焦点を当てている。個人個人に実験、創造、反復試行する権限を与えている。我々はデモやプロトタイプを制作し、インターネットおよび人の関係で成立する分散型ネットワークを通じて、他の世界と共有、協働できるようになっている。我々は中央集権型の指導ではなく、分散型の創造を行う広大なネットワークの中にある1つのノードなのだ。
シリコンバレーでの消費者向けインターネット新興企業にとって劇的に有効なモデルであったものが、結果的に多種多様な分野や専門における学習向けにも素晴らしく優秀なモデルであったことが判明した今、我々はより多くのコミュニティが、技術、そして参加して創造する力を持てるよう、エンパワーメントを進めている。
例えばHigh-Low Tech(ハイ・ロー技術)グループでは、新しい素材や技術要素をデザインすることで、オンラインおよび実世界のコミュニティからなる非常に多岐に亘る非技術的グループが、自力で電子機器を製作する方法を学び、技術について学べるようにしようと試みている。
Lifelong Kindergarten(生涯幼稚園グループ)では、プログラム言語「Scratch」を中心に若い面々からなる巨大なコミュニティを管理しており、驚くくらい若年の子供たちが自分でソフトウェアを書いてプロジェクトをオンラインで共有し、互いのコードや発想を活用しあうことを可能にしている。
僕の大好きな言葉の一つである「ネオテニー」は、大人になっても子供らしい要素を持ち続けることを意味している。子供らしい要素には、学習、理想主義、実験、感嘆、創造などがある。目まぐるしく変化し続ける今日の世界にあって、我々はもっと子供のような行動をし続ける必要があるだけでなく、子供たちに対して、世界を変えうる革新的な大人になれる要素を持ち続け、未来を再発明する一助となるような生きかたを教えることができる。
A man's maturity consists in having found again the seriousness one had as a child, at play.
Friedrich Nietzsche, Beyond Good and Evil
Great Article !.インターネットは、本当は技術というよりも信念の体系、すなわち信条と呼べるものだ。っていう言葉がとても素敵です。 インターネットに惹かれる理由ってこういうところにあるんでしょうね。
少数精鋭の分散型チーム、インターネットチームが
勝利したのは、管理や束縛が必要としない環境のなかで
自由に発想や創造がはぐくめたのにちがいない?
秩序やルールがないわけではない。その環境では秩序やルールを必要としないのだ。