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少年犯罪データベース 異常犯罪

※昭和24年以前の年齢表記は数え年のため満年齢にすると1〜2歳低くなる※





昭和7年(1932).4.7〔16歳(満14〜15歳)が幼女惨殺 美智子殺し〕
 大阪府大阪市船場の荒物商宅で、従業員(16)が主人の長女の小学2年生(8)を殺害、その日の夜に自白した。せがまれて「幼年倶楽部」を読んでやっているうちに強制猥褻をしようとしたが、「おかあさんにいってやる」と云われたためカッとなって首を絞め、暴れたので傍の火鉢で真っ赤に焼けていた火箸で喉を刺して絶命させたが、生き返ると困るので女の子の母親が脱ぎ捨てていた割烹着でさらに首を絞め、もう1本の火箸を胸に突き刺してから、火鉢で熱していたコテで頭を滅多打ちにしたもの。侵入者がいたと見せかけるために窓ガラスを割り、何喰わぬ顔で他の従業員と事件に驚くふりをして、新聞記者のインタビューにも答えていた。長女とは日頃から仲がよかった。


昭和8年(1933).5.11〔17歳(満15〜16歳)が幼女レイプ殺人〕
 東京市品川区で、油売り(17)が、女の子(6)に「ナイフをあげる」と空き家に誘い込みレイプしようとして騒がれたので絞殺、トイレの便器に捨てて逃走、7.10に死体が発見され、8.4に逮捕された。茨城県多賀郡生まれで、3年前に小卒で上京、叔父の経営する油屋に住み込んで町中で油の行商をしており、昨年8月にも女の子(8)に「鏡をあげる」とこの空き家に誘い込むなど、顔見知りになった幼女に次々いたずらをしていた。無口で大人しく商売は下手だった。懲役10〜15年が求刑されたが、東京地裁は5〜10年の不定期刑判決を出した。


昭和8年(1933).8.20〔小2(満9〜10歳)が3人殺害〕
 大阪府北河内郡四条畷町で、小学2年生(11)が、女の子(9)の家でこの娘のこずかい2銭を盗って逃走した。女の子と妹(6)、姉妹の親戚の小学2年生(9)ら3人が追い掛け、返してくれと迫ったが、小2生は返すと騙して池に誘い込んで女の子を突き落とし、男の子の頭を棒で殴って倒してから池に放り込み、逃げる妹を追い掛けて後ろから絞殺して池に投げ入れ、3人とも殺害した。深夜に死体が発見されて警察の取り調べを受けたが、姉(15)が1人でやったと嘘をつき、父と自分の共犯、姉と自分の共犯などと自供を変えたが、8.23になって自分1人でやったと自白した。日雇い人夫の長男。


昭和9年(1934).3.15〔20歳(満18〜19歳)の真面目な長男が何人殺せるか試すため一家皆殺し〕
 奈良県北葛城郡の農家で深夜2時、長男(20)が就寝中の家族5人の頭を斧で殴り、母親(48)、2男(18)、長女(15)、3男(13)を殺害、父親(53)を重体とした。すぐに隣家に押し入り、就寝中の長女(18)の頭を斧で殴り、逃げようとするところを肩と足を切って重傷を負わせ、母親(36)にも切りつけたが斧を奪われ逃走、百メートル離れた線路で列車に飛び込んで自殺した。真面目な働き者の模範少年だったが、数日前に「自分が命を投げ出したら、幾人くらい殺せるだろうか」と話していた。


昭和9年(1934).12.6〔中1(満12〜13歳)連続通り魔が女性27人を切る〕
 岐阜県岐阜市で夜10時前、中学1年生(14)が自転車に乗って、夜学から自転車で帰宅中の女工(17)に近づき「コンチクショウ!」と叫びながら押し倒して、ナイフで顔、首、胸などめった刺しにして重体として逃走した。
 翌年2.10の朝6時、民家に侵入して就寝中の女性(23)を出刃包丁で15回めった刺しにして重傷を負わせて逃走したが、女性に指を噛み付かれてケガをしていたためその日に逮捕、警察の威信を賭けた警戒網を嘲笑いながら1年前から路上で女性27人に切りつけて5人に重傷を負わせた連続通り魔事件の犯人であることを自供した。
 小学校ではトップクラスの成績だったが、中学入試のため深夜まで猛勉強を続けて神経衰弱となり、探偵実話小説を読みふけった影響もあって、小6の2月に初めての犯行を犯し、女を襲わないと寝られない変質者となった。裕福な家庭の次男で高額なこずかいをもらっており、両親はタンスから血まみれのガーゼなどを見つけていたが、犯行にはまったく気づかず逮捕に茫然としている。


昭和10年(1935).2.20〔19歳(満17〜18歳)ニートが老女レイプ殺人〕
 長野県埴科郡で、無職(19)が民家に押し入り、一人暮らしの老女(61)をレイプしながら両手で首を絞めて殺害、2.26に逮捕された。
 裕福な家庭で銀行支店長などもいる9人兄妹の7男だが、父親(68)と母親(64)は極めて厳しく吝嗇のため、昨年に松代商業学校を卒業して銀行に勤めたが給料はすべて親が取ってこずかいも与えられず、同僚の金を盗んで年末にクビになってぶらぶらしていた。しかし、外出も禁止されていたため夜中に抜け出し、通行中の女性を30人以上も襲っていたがすべて未遂に終わり、近所の知り合いの老女をレイプ目的で襲ったもの。


昭和10年(1935).4.13〔17歳(満15〜16歳)通り魔が女性10人以上を襲う〕
 東京市荒川区南千住の路上で深夜、工員(17)が女工(20)を襲ったが大声を出されたので逃走、女工は追い掛け、通行人とともに捕まえた。1.9に深夜の路上で女性(21)の耳たぶを切るなど、女性ばかり10人以上をナイフやキリで襲っていた。「ぼくはどうしてもやめられないんです」と自供。


昭和10年(1935).11.16〔17歳(満15〜16歳)の名古屋連続通り魔、女性80人襲い1人刺殺〕
 愛知県名古屋市中区の鶴舞公園で、洋服職人(17)が帰宅途中の女性事務員(23)を刺殺、松坂屋女性店員(19)を刺して逃走、12.18に逮捕された。それまでに女性ばかり80人以上を襲っていた。5男3女の4男で、自宅で兄がやっている洋服屋を手伝っており、凶器は別の兄が中国戦線に出征するときに形見としてもらった白鞘の短刀。内気で無口な性格で、まわりの者は笑ったところを見たことがないという。


昭和11年(1936).4.16〔18歳(満16〜17歳)の向島幼女連続殺人事件〕
 東京市向島区の空き地で、無職少年(18)が赤貧の母子家庭の小学3年生の次女(10)の首を刺して殺害、5.31に近くの海産商宅で長女(3)の首を刺して殺害した。6.6に肉切り包丁を所持して新たな標的を求めてうろついているうちに逮捕され、6.12に犯行を認めた。
 北海道生まれで樺太で育ち、小学生のときに家族と共に上京、成績は優秀で2番を通していたが大工の父親が病死したため小卒で就職、仲間に頭の形がビリケンみたいとからかわれて4.8に工場をやめてぶらぶらして強盗を思いついたが、空き地で母親の帰りを待つ女の子を見るといきなり刺殺、海産商宅でも侵入して寝ている女の子を見るといきなり刺殺して何も盗らずに逃げている。「1人で寝ている幼女の姿が恐ろしかったから刺した」と自供。
 探偵小説や犯罪記事のマニアで、昨年8月には工場経営者や大店に脅迫状を送って騒ぎが起こるのを喜んでいた。親孝行で近所の評判、祈祷師の母親(42)は「我が子ながらよくできた子供です。あの子に限って大それたことをするはずがありません」と語る。兄と弟がいる。取り調べには平然と答えて捜査官を唖然とさせる。なお、小3生はいたずらをされた形跡があった。
 海産商の事件では両親が疑われて、新聞はいかに酷い親だったかとプライバシーを連日書き立てた。東京地裁は無期懲役判決を出したが、不服として控訴。


昭和11年(1936).4.23〔19歳が幼女の首を絞める〕
 東京市日本橋区の薬局で、店員(19)が近所の小学3年生の女の子(10)を店内に誘って、包装用の木綿糸を首に巻いて階段下に押し込んだ。窒息寸前の女の子は危うく家に逃げ帰り、大騒ぎとなったので店員は逃走したが、翌日殺人未遂で逮捕された。


昭和11年(1936).4.25〔19歳(満17〜18歳)が主人一家6人惨殺〕
 東京市世田谷区の染物業宅で深夜3時、雇人(19)が主人一家を襲ってから台所でガス管をくわえて自殺を謀って倒れていたが命は取り留めた。小学5年生の長男(11)が頭蓋骨骨折の重傷を負いながら派出所に駆け込み通報、警察が急行すると妻(35)と長女(6)はすでに死亡、主人(35)次男(10)二女(4)と雇人(16)が瀕死の重傷で血の海にうめいており病院に運んだが、長男以外の6人全員が死んだ。
 6年前から住み込みで真面目に働いていたが、金勘定のことでいつも叱られていた。また妻に対しておかしな態度だと注意され「世の中が嫌になったので全部殺して自分も死ぬつもりだった」と自供。マサカリで寝ている家族を次々襲い、柄が折れるとクワで惨殺したもの。「余り疑ふな。頼まれたからやりました」という遺書を書いていた。殺したもう1人の雇人は従兄弟に当たる。


昭和11年(1936).12.10〔16歳(満14〜15歳)がムシャクシャして幼女に通り魔〕
 東京市浅草区の路上で、商工学校2年生(16)が小学2年生の女の子(9)を抱き上げ、匕首でお尻を刺して2週間の重傷を負わせて逃走、すぐに捕まった。浅草公園で不良にからまれ殴られムシャクシャしていたが、女の子が微笑み掛けたのが嘲笑われたように受け取って刺したもの。鉄工所経営者の次男。


昭和12年(1937).5.6〔中1(満12〜13歳)がスカート切り魔〕
 東京市省線の四谷〜信濃町駅間のトンネルに電車が入った瞬間に女学生のスカートや着物を肥後の守で切っていた中学1年生(14)が捕まった。4.20から10人以上を襲っていた。女学生が泣き出す顔を想像して楽しむ、小学生のときからこういういたずらに興味を持っていたと自供。国家公務員技師の長男。


昭和12年(1937).5.18〔19歳(満17〜18歳)が女体に興味を持ち姉殺害〕
 東京市深川区亀久町の下宿で、女工(29)が6日から泊まりに来ていた実弟の陸軍糧秣廠臨時工(19)に殺害された。女の身体に興味を持ち、明け方4時に寝ている姉を襲って、匕首で乳下を刺したもの。


昭和12年(1937).6.15〔15歳ニートが理由なく美貌の人妻を惨殺〕
 東京市中野区大和町の姉の家で、若妻(20)が殺害され、少年(満15歳)が愛知県に差し掛かった東海道線の車内でその夜に捕まった。
 金沢市の裕福な袈裟衣商の長男で、昨年10月に万引きや同級生の持ち物を盗んだため金沢第二中学を2年で中退してぶらぶらしていたが14日に家出して上京、叔父の家を訪ねたが叔父は仕事に出ていて叔母と近所に住むその妹の若妻がいた。書斎の本を読んでいるうちに所持していたナイフを抜いてちょっと刺してみたいような気がし、家の中をうろうろしていると若妻が四つん這いでお尻をこちらに突き出しながら新聞を読んでいるのが目に入った。衝動的にお尻を刺し、家中を逃げ回る若妻を追い掛けて58カ所めった切りにして殺害、35銭入りの財布を盗んで逃走したもの。叔母は30分ほど外出しており、幼い長男が犯行を目撃していた。
 少年は内気で探偵小説マニア、おしろいや口紅をつける趣味があり、逮捕時に「婦人の美容」という本を持っていた。「カマボコかコンニャクのようにくにゃっとしたもののように見えたので刺した」と自供。
 被害者は海軍少将の令嬢で金沢第一高女時代にバレーボール選手として活躍した美貌の人妻。少年はバレーの試合を見に行ったことがあり、また新聞に載った写真も見て一方的に知っていたため当初はストーカー殺人として大々的に報道されたが、特に恋愛感情はないと判り、少年の理由無き殺人事件として世間に大きな衝撃を与えた。
 精神鑑定の結果不起訴となり、松沢病院に7ヶ月入院。昭和15年3月、満18歳になった少年は大学受験のため上京、独り暮らしをしながら受験勉強をしていたが、4月に同じアパートに住んでいた子連れの27歳の女と滋賀県大津市で心中を図って死亡した。女は軽症で姿を消した。


昭和12年(1937).10.5〔15歳(満13〜14歳)が幼女百人以上誘拐しレイプ殺人〕
 兵庫県武庫郡の路上で、米店員(15)が小学1年生の女の子(8)を自転車で誘拐、芦屋の山林に連れ込んでレイプしようとしたが、抵抗したので口にハンカチを詰めて窒息死させ、翌日に手足を縛られた全裸死体が発見された。
 翌年1.8に神戸市の路上で、下校中の小学2年生の女の子(8)を無理やり自転車に乗せて誘拐しようとしたが通行人に見られたので女の子を突き落として逃走。1.9に御影町の路上で、小学3年生の女の子(10)を無理やり自転車に乗せて走っているところを昨日の誘拐事件を捜索していた刑事に逮捕され、2.15に先の殺人を自白した。
 1年前に中学1年で中退して実家の米店を手伝いながら、小学1〜3年生の女の子百人以上をおかしを与えるなどして誘拐しレイプ、殴ったりもしていた。


昭和13年(1938).1.2〔少年が幼女(満5〜6歳)を誘拐殺人して文字を刻み付ける 諏訪山幼女惨殺事件〕
 兵庫県神戸市新開地の映画館で、17歳くらいの学帽学生服の少年が、小学3年生の女の子(9)と一緒に来ていた正月の晴れ着の女の子(7)を連れ出し、諏訪山の林で腰ひもで絞殺、顔2カ所を刃物で切り、性器から腹にかけて10センチ以上を切り裂き、さらに腹に文字を刻み付けた。翌日に死体が発見され、1.6に新聞記事の女の子の写真を貼り付けて「コノ少女ヲ殺シタノハ自分ダ。コレカラ先キマタ殺スカモ知レナイカラ注意セヨ」という脅迫状が警察署に送られてきて、死体の文字と筆跡が一致した。
 付近では昨年10.3から毎週日曜日に若い男が幼女の顔を切る通り魔事件が7件起きており、同一犯人と思われる。文字はカタカナ3文字で、どの新聞にも内容の記載はないが、かなりひどい言葉らしい。
※犯人が捕まったかどうかご存じの方はご教示をよろしく。


昭和13年(1938).1.14〔18歳(満16〜17歳)が墓を暴いて女性の死体を弄ぶ〕
 神奈川県高座郡で、人夫(18)が墓を暴いて女性(24)の遺体を自転車で杉林に運んだ。満月の月明かりの下、裸にして木に縛りつけて撫で回して眺めた。さらにナイフで腹を割いて内臓を手で掴み出して臭いを嗅いだ。墓の盛土の様子が変わっているのに気づいた遺族が掘り返して遺体が盗まれたことが発覚して無惨な姿の遺体が発見され、すぐに逮捕。村一番の美人で女子青年会長もしていた女性が2日前に病死したと聞いて、「あんなにきれいなキクさんの腹の中はどんなになっているんだろう」と思ったと自供。指紋を隠すために手袋をして遺留品を残さないように細心の注意を払っていた。友達もおらず、無口で暗い性格。少年の猟奇事件としてセンセーショナルに報道された。


昭和14年(1939).4.6〔20歳(満18〜19歳)ニートが母親ら4人刺殺〕
 岡山県岡山市の自宅で、長男(20)が突然母親(40)の喉をナイフで刺して殺害、遊郭に押し入り仲居(34)を刺殺、食堂でコック(33)と女給(33)を刺殺、駆けつけた巡査3人ら大勢を相手に暴れ回りコック2人も重傷としてから逮捕された。父親は工場事務員で、1年前に中学を卒業して高等商業学校の入試に落ちてから神経衰弱となっていた。


昭和14年(1939).6.17〔15歳(満13〜14歳)が幼女2人連続殺人死体レイプ〕
 千葉県印旛郡の路上で、工員(15)が小学2年生の女の子(9)をいきなり絞殺、死体を小学校裏の林に運んでレイプした。6.18に死体が発見されたが、この日に同じ村の小学4年生の女の子(11)を絞殺、死体を神社の裏山に運んでレイプしてからナイフで腹から胸まで割いて内臓が見える状態で放置、6.19に死体が発見された。6.21に警官に見つかり逃走したがすぐに逮捕。知能が低く、子供たちにも日頃からかわれており、3月には少女(16)を襲っていた。


昭和14年(1939).11.23〔18歳(満16〜17歳)ニートが親戚女性2人殺害して自殺〕
 大阪府大阪市で朝6時、無職少年(18)が祭日の赤飯を炊いていた従姉妹の女工(20)の胸をいきなりナイフで刺して殺害、逃げようとした従兄弟(31)の妻(24)の背中から心臓を刺して殺害、叔母(55)の胸などを3回刺して重体として逃走、5百メートル離れた空き地で服毒自殺した。小卒後は結核のため仕事に就けず憂鬱症になっていた。大阪市に住んでおり、2日前に叔父宅を訪ねてきて泊まっていたが、昨日は父親の説教を受けていた。動機不明。


昭和14年(1939).11.28〔女学生(満13〜14歳)が出産して兄(満18〜19歳)と母親が赤ちゃん殺人〕
 京都府京都市の自宅で、同志社高等女学校3年生(15)が、この日に病死した父親(59)の通夜の席で陣痛を起こして男の子を産んだ。驚いた母親(45)が赤ちゃんの口を塞ぎ、長男の同志社本科1年生(20)が窒息死させて遺体を父親の棺桶に入れたが、翌日の火葬中に作業員が発見して逮捕された。女学生は成績優秀でスポーツも得意、妊娠には学校も母親も本人も気づいていなかった。父親は京大講師も勤めていた医学博士の開業医で、体調がおかしいという娘を診察していたが、やはり妊娠には気づいていなかった。


昭和15年(1940).2.17〔18歳(満16〜17歳)ら4人組通り魔が少女刺殺〕
 東京市渋谷区の路上で夜8時過ぎ、運送屋運転手(18)、電気工(19)、新興キネマ小道具係(20)、運送屋店員(21)の4人組が、洋裁学校女生徒(19)の太もも動脈をナイフで刺して殺害、1時間後に英語学校女生徒(22)に無言で切りつけて脣に3センチの傷をつけて逃走、3.27に逮捕された。主犯は1月に宮城県から勉学のために上京、新宿の喫茶店で他の3人と知り合い、路上強盗などを繰り返していたが、女性2人からは何も盗らずにただ刺している。


昭和15年(1940).6.25〔18歳(満16〜17歳)主婦が妊娠中に近所の幼女殺人〕
 東京市城東区で、女工(18)が自宅裏の家に侵入して金目のものを物色中に、昼寝していた小学1年生の女の子(8)が目を覚まして顔を見られたため後ろ手に縛ってから帯で絞殺、何も盗らずに逃走、引っ越した千葉県銚子市の自宅で7.25に逮捕された。工員(21)の内妻で妊娠7ヶ月だが、夫が病弱で仕事を休みがちなので出産費用に困り、裕福な家を狙ったと自供。これまでも近所の家や職場の同僚から窃盗を繰り返していた。


昭和16年(1941).8.26〔中2(満13〜14歳)が空気銃で無差別に撃つ〕
 東京市渋谷区道玄坂で、中学2年生(15)が通行中の博士夫人(41)と娘(17)を空気銃で撃って、腕と額に傷害を負わせて逮捕された。オモチャ屋の次男で、店の2階から通行人を無差別に何人も撃っていた。警察署で説教されただけで、その日のうちに家に帰された。


昭和16年(1941).10.26〔17歳(満15〜16歳)ニートが一家皆殺しを謀り幼い甥と姪殺人〕
 茨城県真壁郡の農家で深夜3時、4男(17)が就寝中の長兄夫婦(38,27)をナタで殴って重傷を負わせ、次兄(28)の長男(9)と長女(1)の2人を殺害、逃走したが周辺住民総出で警戒中の4時に戻ってまた長兄の頭をナタで殴って逃走、昼に逮捕された。
 小学校では級長も務めており、昨年に小学校高等科(現在の中学に相当)を優秀な成績で卒業したが農作業もせずにぶらぶらして、読書をしながら思索に耽って創作に熱中、兄に叱られていた。同じ村の少女(17)に恋文を贈ったが相手にされず、10.25の夜に少女に逢おうとして家族に追い返され、深夜0時に友人宅で青年団服を借りてゲートルをつけ遺書を書いてから、深夜2時に隣家で日本刀を借りようとして断られている。犯行後の朝6時に少女に逢おうとして家族に怒鳴りつけられナタを投げつけて逃げ、カミソリを所持してうろうろしているところを見つけられた。
 祖父から血族結婚が続いている血統を断絶するため、次兄の次男(3)だけを後継として残し、母親(58)、弟(14)を含めた一家皆殺しにして少女と無理心中をする計画で、「世間では自分を早熟だとか変態とかいうかも知れない、また悪鬼の仕業といわれることも覚悟している」と自供。父親はすでに死んでいる。当初は精神異常と考えられたが、検事は取り調べでまったくの正常と判断した。


昭和17年(1942).7.30〔19歳(満17〜18歳)が幼女レイプ殺害〕
 兵庫県美嚢郡別所村(現在の三木市)で、少年(19)が小学6年生の女の子(13)をレイプして絞殺した。翌年2.10に逮捕。知的障害のためまともな自供を得ることができなかったが、慎重な取り調べの結果、少女11人を強姦していたことが明白となり4.1に送局。


昭和17年(1942).10.12〔18歳の浜松9人連続殺人事件〕
 静岡県浜松において9人を次々殺害し6人に傷害を負わせた犯人が捕まった。中村誠策(最後の犯行時満18歳)は満17歳だった昭和16年8.18に置屋に侵入して芸妓を刺殺、もう1人の芸妓に重傷を負わせて逃走。8.20には料理屋に侵入、就寝中の女将(44)、女中(16)、雇い人(67)を殺害。警察の取り調べを受けながら、9.27には自宅で強盗を装って兄を殺害、兄の妻、父親と姉に重傷を負わせた。昭和17年8.30には電車でたまたま乗り合わせた女性(19)の家に侵入、女性と両親と弟を殺害。10.12に逮捕され、翌日に犯行を自白した。これとは別に4年前の昭和13年8.22未明に置屋に侵入して女将と芸妓をナイフで刺して重傷を負わせ逃走した事件も自供した。
 兄弟7人のうち誠策だけが生まれつきの聾唖者で家族から冷たくあつかわれていた。知能は高く聾唖学校で1番の成績、学費を自分で稼ぐためと強姦目的の犯行だった。
 逮捕直後に父親は世間に申し訳ないと自殺。戦時刑事特別法によって二審だけですみやかに死刑判決が確定し処刑された。
※少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』で、この事件の詳細を解き明しています。


昭和18年(1943).3.18〔少年通り魔が女性3人襲う〕
 東京市板橋区の路上で、16,7歳の少年が女性(22)の顔をカミソリのようなもので切って2週間のケガを負わせた。10分後には女性(21)の顔を切って2週間のケガ、さらに30分後には女性(23)に3週間のケガを負わせた。


昭和18年(1943).4.21〔15歳(満13〜14歳)がノコギリ通り魔〕
 兵庫県姫路市の山陽電車ガード下で夜8時過ぎ、少年(15)が通行中の女性(22)の顔をノコギリで切った。翌日に逮捕。


昭和18年(1943).7.19〔19歳(満17〜18歳)戸畑の通り魔3人殺し事件〕
 福岡県戸畑市の通り魔5人殺傷事件で鉱山会社給仕(19)が逮捕された。5.19に路上で女性事務員(19)を刺殺。5.20に路上で工員(19)2人の腹を刺して重傷を負わせてから、数分後に専門学校生徒(21)を刺殺。7.17深夜2時に民家に侵入して寝ている専門学校図書館員(19)を刺殺。
 女性事務員と図書館員は学校時代の同級生で2人からいつもバカにされていたので復讐し、他の3人は面識がないが道で擦れ違ったときに自分を笑ったように思ったから刺したと自供。


昭和19年(1944).7.29〔中4(満16〜17歳)が同性愛の果てに友人一家3人殺害〕
 神奈川県足柄上郡の友人宅で、東京都大森区の旧制中学4年生(18)が深夜1時過ぎに中学1年生の友人(14)を殺害、友人の祖父と祖母も殺害し、母親に重傷を負わせ、放火して裏山に逃走したが家が全焼したことに安心して降りてきたところを捜査中の警官に逮捕された。
 近所に住み同じ中学校に通っていた中1生と同性愛の関係になったが、中1生が家庭の事情から祖父母と同居するようになって遠距離恋愛となってしまった。逢えないことに悩み、それならいっそ彼をこの世にないものにしてしまおうと、出刃包丁とナイフを用意して遊びに行って泊まり、就寝中に襲ったもの。一度逃走したが、証拠隠滅のため戻って放火したと自供。伯爵の孫。
 昭和20年9月5日に死刑が確定したが、昭和23年10月に恩赦で無期懲役に減刑された。


昭和20年(1945).4.17〔17歳(満15〜16歳)が一家5人を惨殺〕
 長野県下伊那郡の農家で、3男(17)が、父親(45)、母親(44)、4男(12)、2女(8)、3女(3)を殺害、3キロ離れた山林で猟銃で自殺した。前日に近所の家から米を盗んで両親に叱られており、就寝中の家族の顔や頭をまずカナヅチで殴り、カナヅチの柄が折れると斧でめった打ちにしたもの。金目の物を物色したあともあった。





昭和21年(1946).8.26〔20歳(満18〜19歳)が両親いじめる兄一家4人を惨殺〕
 青森県三戸郡の水車小屋で、農家の弟(20)が兄一家4人を殺害した。他県にいた兄一家は1年前に実家に戻ったが、嫁姑の折り合いが悪く、父(70)母(68)に対して包丁を持って追い掛けたり「死んでしまえ」と怒鳴ったりして一家で虐待した。母親は「このままでは殺されるので先に殺したほうがよい」と同居の弟に言ったため、弟は水車小屋で就寝中の兄(43)をナタでめった打ちにして殺害、妻(42)、長女(16)、長男(8)に兄が事故死したと水車小屋に誘き出してナタで惨殺、水槽に投げ入れた。子供が水槽から這い上がろうとしたので丸太で突き落とした。血痕を追及されて28日に自白、懲役15年となったが、サンフランシスコ講和条約恩赦で11年に減刑。殺人教唆の母親は高齢のため不起訴処分。


昭和21年(1946).9.16〔19歳ニートが母親と妹殺害して死刑〕
 広島県佐伯郡の自宅で、無職の邑神一行(満19歳)が母親(49)と妹(16)を殺害した。自動車会社の金を使い込んでクビとなって2月に実家に帰ったが、田舍の仕事を嫌って働かず、母と妹の内職でかろうじて食べていた家計を圧迫したため冷たくされ、妹に「仕事もせずに遊んでいる者は飯を食べなくてもよい」と云われたことから殺人を計画、深夜1時に就寝中の2人の顔をワラ打槌で殴って死体を井戸に捨てた。翌年1.17、2人が行方不明になったことを不審に思った友人に死体を発見されて逮捕。父親は小4のときに死んでおり、貧しい家庭だった。
 1審無期だったが、2審で死刑判決が出て、死刑は残虐で憲法違反と上訴。最高裁は「一人の生命は、全地球よりも重い」としながらも、死刑は必ずしも残虐とは云えないと上告棄却して死刑が確定した。


昭和21年(1946).12.21〔18歳(満16〜17歳)ニートが兄に嫉妬して祖母殺害〕
 神奈川県川崎市の自宅で、次男(18)が祖母(72)の頭を鈍器で殴ってから絞殺、死体を床下に隠して、長男(22)に祖母は田舍に行ったと騙し、翌朝4時に就寝中の長男を殺そうとバットで殴って重傷を負わせて「おばあさんはこの下にいます」という遺書を残して逃走した。持ち出した母親の服を闇市で1600円で売り、和洋女子専門学校女生徒(16)と逢ったのちに駅で女性(23)をナンパして旅館に泊まり、2人で信州の温泉に逃亡しようとしていたところを12.25に上野松坂屋前で逮捕された。祖母が長男ばかりを可愛がることに嫉妬したもの。
 父親は会社員で、中学を卒業したが成績が悪く進学できずにぶらぶらしていた。警察の留置所では毛布をくれないとハンストすると要求している。


昭和22年(1947).9.19〔17歳(満15〜16歳)が女性2人をレイプ殺人 大阪少年小平事件〕
 大阪府高槻市の農業の少年(17)は、列車でたまたま乗り合わせたキャバレーダンサー(33)をつけてレイプしようとしたが抵抗されたためナイフで殺害、逮捕された。昨年7.7には洋裁見習いの女性(21)を刺殺するなど女性をナイフやカナヅチで襲う50数件の強姦傷害事件を自供。女性の悲鳴や血に快感を感ずるという変質者で、犯行を綿密にメモしていた。10人の女性を強姦殺害して昭和21年に逮捕された小平義雄を崇拝し、記事の切り抜きを常に所持しており「少年小平」と呼ばれた。体格がよく力が強かったため小卒後に相撲部屋のスカウトを受けたが、無口で人付き合いが苦手のため断っていた。周りの者は「あの無口でおとなしかった男が・・・」と一様に驚く。


昭和22年(1947).12.18〔17歳ニートが働くのが嫌で幼女ら2人を強盗殺人〕
 鹿児島県鹿児島市の雑貨商宅で、無職(満17歳)が押し入り、主人(41)、長女(5)の頭を斧でめった打ちにして殺害、妻(31)に瀕死の重傷を負わせ、3千4百円と衣類などを強奪、証拠隠滅のため放火して屋久島に逃走したが逮捕された。
 横浜市の関東学院中等部2年生のときに窃盗で中退、軍属となったが1ヶ月で逃走して窃盗や強盗で満15歳の時の昭和20年7.17に軍法会議にかけられ昭和22年11.23に刑務所を仮出所、見習い工になったが働くのが嫌いで退職し、暖かいだろうという理由で鹿児島に来たがおもしろくないので帰る金を盗ろうとしたもの。裁判長に「働いて旅費を稼ごうとは考えなかったのか」と問われて「働くのは嫌だ」「殺しても悪いと思わぬ」と答える。昭和23年11.29に福岡高裁は死刑判決を出したが、少年法改正に伴い昭和24年4.6に恩赦で無期に減刑された。
 精神障害となり医療刑務所に移され、現在、無期懲役受刑者として60年の最長の服役となっている。※『司法精神医学研究』による。


昭和23年(1948).3.20〔14歳ニートが完全犯罪の実験のため幼女殺害して死体に文字を刻む〕
 神奈川県鎌倉市の自宅で、無職少年(満14歳)が隣家の二女(3)を紐で絞殺、物置に運んで頸動脈を断ち切って家に戻ったが、大人の犯行に見せかけようと裸にして出刃包丁で全身40数ヶ所を切って肋骨が見えている状態にして、お尻から背中にかけて「マタコロスナマイケナ女メ」という文字を刻み付けた。東京に逃走しようとして駅で逮捕。
 中学を2年で中退したばかりで、父親に何度も叱られても聞かずに犯罪雑誌を熱心に読んでおり、2週間前から猫を殺して腹を割いたり自分の太ももを切って研究し、殺人をしても判らない方法を実験しようと考えていたところに女の子が遊びに来たので実行したもの。日頃、この女の子を可愛がっており、「何故あんなことをしたかわからない」とも話す。知能は高いが怒ると見境がなくなるキレやすい性格だった。


昭和23年(1948).4.29〔16歳女子(満14〜15歳)が幼女を誘拐強盗殺人〕
 兵庫県神戸市で、女子(16)が顔見知りの女の子(5)を海岸に連れ出し、パンツ以外の服6点をはぎ取って突き飛ばして溺死させた。服を古物商に売って現金にして、翌日逮捕。小遣い銭欲しさ。家の近所だとすぐバレるので誘拐して、犯行を隠すために殺したと自供。これまでも窃盗で何度か捕まっている。神戸地裁は窃盗傷害致死で懲役3〜5年の不定期刑判決。


昭和23年(1948).6.11〔18歳小学校教師が叱られたため両親殺害して死刑〕
 広島県加茂郡の自宅で、小学校教師(満18歳)が入浴中の母親(53)を「よう虐めてくれたのう」と匕首で刺し、許しを乞うて逃げようとするのをさらに刺して殺害、父親(57)を玄関で待ち伏せして刺殺した。ひとり息子で、2年前に私立中学を卒業して小学校の助教員となった。元少尉で厳格な両親は細かいことでたびたび干渉して殴るため怨んで殺害計画を立てていたが、同僚女性教員(満21歳)と教室で関係して妊娠させ、墮胎させようとしたことでこの日に激しく叱られ殴られたため復讐したもの。昭和25年2月に最高裁で死刑確定。のちに恩赦で無期に減刑。


昭和23年(1948).12.6〔中2女子(満13〜14歳)が厳しい母親に反発し一家皆殺し〕
 福岡県大牟田市の中学2年生の三女(15)が、夕食の大根雑炊に殺虫剤のアヒ酸を入れ、父母、祖母、姉、妹の家族7人皆殺しを謀る。たまたま食べなかった祖母以外の6人が苦しみ出して、五女(10)と六女(6)が死亡、ほかの4人は寝込んだが命に別状はない。三女も食べずに元気だったので疑われてすぐに自供した。
 三女は成績も良くバレー部の選手をしていたが、部活で遅くなると遊んでいたのだろうと厳しい母親にたびたび叱られ殴られた。こんなことでは一家皆殺しにしたほうがよいと考えたと、取り調べにも笑顔で話す。バレー部顧問の教師は、ずるい生徒でよくケンカをしており、皆には好かれていなかったと語る。


昭和24年(1949).6.10〔14歳子守女子が幼児2人殺害、1人殺人未遂と放火〕
 茨城県真壁郡で、子守女子(満14歳)が負ぶっていた女の子(3)の襟を引っ張って窒息死させた。3月に栃木県芳賀郡の小学校を卒業して子守に出され、この子が死ねば家に帰れると思ったもの。病死と診断されて実家に帰ったが、翌昭和25年5.10に真壁郡の違う家に子守に出され、家が焼ければ帰れると思い5.18に放火して全焼させ、6.1に男の子(3)を殺害しようとして意識不明としたが手当てを受けたため未遂に終わった。すぐに他家に子守に出され、女の子(1)を絞殺、病死と診断されて実家に帰ったが、相次ぐ不審死のため12.18に逮捕され追及されて自白した。


昭和24年(1949).9.14〔18歳ニートが覗きで隣りの銭湯一家5人殺害〕
 神奈川県小田原市の銭湯に深夜1時過ぎ、隣家の無職(満18歳)が押し入り、主人(48)、妻(43)、母親(81)、長女(19)をナタでめった打ちにして、次女(7)、長男(4)の首を肉切り包丁で切り、長女を除く5人を即死させた。長女は病院で危篤状態。2月に工場を辞めてからぶらぶらしており、日頃からトラブルが絶えず、3ヶ月前に2階から浴場を覗くので窓をふさいだことに馬鹿にされたと激怒、1ヶ月前から包丁を買って研いでいた。自宅から猟奇小説雑誌が大量に発見された。
 横浜地裁で死刑判決が出て控訴しない手続きをとっていたが、判決を出した裁判官が死刑反対論者で涙を流して上訴を勧めた。結局、昭和27年に最高裁で死刑が確定したが、その年のサンフランシスコ講和条約恩赦で無期に減刑、昭和45年に仮釈放された。
 昭和59年7.8、53歳になった男は東京都杉並区の路上で、中学3年生(14)と2年生(13)の女子2人を登山ナイフでめった刺しにして逮捕された。小学生の時から2人と交際し、家出中の2年生と横浜市のアパートで同棲していたが別れ話をされて、3年生のせいだと疑って3年生の自宅に押し掛けた。そこにいた友人7人に「歳が違い過ぎる」「おじさん帰れよ」などと言われてケンカして家を出て、激怒して2人とも殺そうと呼び出し首や顔などを刺して2ヶ月と3週間の重傷を負わせたもの。殺人未遂で東京地裁は懲役8年の判決を出した。3年生はシンナー遊びで2回の補導歴がある。


昭和24年(1949).11.12〔16歳(満14〜15歳)ら2人組が野球の口論で友人殺害〕
 東京都中野区の自宅で、新聞配達少年(18)が殺され、友人の17歳と16歳が逮捕された。三人は野球仲間で「プロ野球の一番強いチームはどこか」で口論となり、犯人二人は新聞配達少年に言い負かされた。仕返しのために二人はナタを持って押し入り、顔などをめった打ちにして殺害したもの。
 16歳は逃走先で入っていた仙台刑務所から12.20に東京に移送されたが、日暮里駅で看守の隙をついて逃走した。


昭和25年(1950).2.15〔19歳がアベック連続殺人〕
 東京都品川区で、無職少年(19)が工員と密かにデート中の人妻(38)の首を切って殺害、3.9に目黒区で恋人とデート中の酒店女店員(30)の首と頭部をめった切りにして殺害、3.22に渋谷区で慶応大学医学部3年生と恋人の洋裁店店員(20)を小学校校庭に連れ込み両手を縛り、慶大生の眼の前で女性の首と後頭部13カ所をナイフでめった切りにして殺害した。慶大生が「毎日死体解剖をしているので殺されたくない」と云うと「駅まで送ってやるよ」などと云い姿を消した。5月に逮捕。内向的で友達のいない元工員で、「女の倒れる姿に興奮した」と自供。
 上記3件以外にも強盗殺人未遂1件、殺人未遂1件、窃盗7件、強盗1件で起訴されたが、昭和33年に心神喪失で無罪となった。


昭和25年(1950).4.26〔18歳が少年は罪にならないと強盗殺人で死刑〕
 宮城県仙台市の魚屋で深夜2時過ぎ、無職(16,18)2人が押し入り、マサカリとナタで就寝中の主人(42)を意識不明の重体、妻(36)を殺害、店員(20)を50日の重傷として、現金10万円と預金通帳を強奪して逃走したが4.29に東京で逮捕された。少年院で知り合い、1月に釈放されてから一緒に暮らしていたが、近所の食堂で魚屋が金持ちだと聞き、「俺たちは未成年だから人を殺しても罪にならない。やるならいまだなあ」と言っていた。この年の大卒銀行員初任給3,000円。
 18歳は一審無期だったが最高裁で死刑確定。16歳は懲役15年の判決。


昭和25年(1950).9.26〔19歳が恋人など2人殺害〕
 神奈川県藤沢市の海岸で、秋田県庁職員(19)が恋人の女給(18)を絞殺して自首した。2年前から交際しており、秋田市から家出して熱海で遊んだあとに心中するつもりで頼まれたのでウイスキーを多量に飲ませて意識を失わせてから殺害したと自供。優等生だったが不良化したため旧制中学を4年で中退、潜水夫など職を転々として役所に優秀な成績で合格したばかりだった。嘱託殺人で懲役1年判決が地裁で出たが、控訴したため12.1に保釈。
 2週間後の12.18に山形県新庄市の特殊飲食店(現在の特殊浴場と同じく表向き飲食店の風俗店)で女給(23)に多量に酒を飲ませて熟睡させてから深夜2時に紐で絞殺、ナイフで性器を14回、乳房を2回刺し、死体に小便をかけて逃走したが翌日に自首した。一度秋田に戻ったが家族や周りから冷たくされヤケになり、華々しい犯罪をやって世間をアッと云わせたかったと自供。法廷では頼まれたので殺害したと自供を翻したが、殺人と死体損壊で懲役20年となった。恋人殺害については控訴を取り下げ懲役1年が確定し、二件合わせた判決とはならなかった。
 模範囚だったため国連加盟恩赦で減刑、昭和32年7月に仮釈放、秋田市の実家に戻ったが、12.12に家出、12.18に鹿児島市の特殊飲食店で女給(25)に多量に酒を飲ませて熟睡させてから紐で絞殺、ナイフで性器をえぐって乳房を刺して、翌日大阪府警に自首した。頼まれたので殺害したと自供。弁護側は心神耗弱を主張したが、死刑が確定した。


昭和26年(1951).1.12〔中2が幼女を踏み殺す〕
 山形県東置賜郡で、中学2年生(14)が隣家の女の子(4)を殺害して逮捕された。昨年11月にこの家の同級生(14)と遊ぼうとやってきて妹の女の子に話しかけたが返事がないので殴った。口止めしたのに女の子が母親に告げ口したので怒って、12月に殴る蹴るの乱暴を加えて傷を負わせた。女の子の母親が自分の母親に抗議したのでますます怒り、柔道の技を掛けたり踏みつけたりして意識不明にし、同級生に自分がやったことにして病院に連れて行けと命令して逃走したもの。直後に女の子は死亡した。
 父親は亡くなっており、母親は女中として働いている妹と二人兄弟の貧しい家庭で放任され、学友らにリンチを加えて金を脅し取ってパチンコに熱中しており、同級生もいじめられるのが怖くて云いなりになっていた。被害者も母子だけの貧しい家庭だった。


昭和26年(1951).1.6〔高1が夜の男を刺殺〕
 東京都世田谷区の旅館で、高校1年生(16)が男性(30)を刺し殺した。新宿で女装した男性を女と思いこみ一晩千円の約束で買ったが、連続3時間の性交の後に男と気づいてカッとなり、就寝中の男性の胸など10数ヶ所を所持していたナイフで滅多刺しにしたもの。慌てて男性のズボンを履いて逃走してしまったため逃げ切れないと考えて自首した。この年の銀行員大卒初任給3千円。東京地裁は懲役3年、執行猶予5年の判決。


昭和26年(1951).2.19〔高3が小学生を空気銃で撃って失明させる〕
 埼玉県南埼玉郡春日部町の路上で、春日部高校3年生(18)が小学生(6)を空気銃で撃ち、左目に当たって弾が眼底に入り眼球が飛び出すという50日間の重傷を負わせて逃走したが、2.22に自首した。友人に空気銃を借りて、たまたま通りかかった小学生3人に撃つぞと脅したが逃げようとしたため撃ったもの。


昭和26年(1951).3.24〔16歳が両親ら3人殺害〕
 新潟県南蒲原郡の自宅で夜11時、無職の3男(16)が就寝中の父親(50)、母親(48)、同居している従兄弟(20)の3人をマサカリで頭を殴って殺害、5千円を奪って駅に電話して電車の有無を確かめてから深夜3時の急行で大阪に逃走、さらに長崎まで行って女を買い、3.30に東京都上野公園で逮捕された。中3から精神病で病院に通っていたが治らず、自転車泥棒で逮捕されたため家に軟禁されていた。虐待されたから復讐したと自供。殺人が悪いことだとは認識しているが両親を嫌悪しているので罪の意識はなく、楽しそうに笑い歌っている。取調官は頭が非常によいと判断し、起訴された。


昭和26年(1951).6.6〔8歳が盲目の叔母を殺害〕
 愛媛県喜多郡の自宅で、母親(25)に豆の収穫を言いつけられた長男(8)は、同居している父の叔母(72)にやらせようとしたが、盲目で年寄りのためなかなか終わらず怒って青竹で頭を3回殴り殺害した。父親(33)は息子の犯行を隠すために、死体を山に隠して叔母が行方不明になったと届けたが、村人総出の山狩りが連日続いたため、死体を袋に入れて海に捨てた。12.27に発覚し、2人とも捕まった。


昭和26年(1951).8.5〔17歳が幼女レイプ殺人〕
 兵庫県神戸市で、無職(17)が自宅前で遊んでいた小学1年生の女の子(7)を道案内してほしいと連れ出し、首を絞めて失神させてからレイプ、池に放り込んで溺死させた。22日に逮捕。父親の墓参りに行く途中の犯行。5歳の時に父親は死亡し炊事婦の母親に商業学校まで行かせてもらったが、経済的理由で昭和22年に中退してパン屋職人見習いとなった。職場の先輩の猥談や小平義雄事件に影響を受けて、昭和24年9月に女の子(5)を道案内してほしいと連れ出し、首を絞めて失神させてからレイプ、川に放り込む強姦殺人未遂事件を起こして少年刑務所に入り、3月に出所したところだった。他にも幼女ばかり3件のレイプ事件を自供。


昭和26年(1951).9.13〔中2が母親を殺人未遂〕
 東京都武蔵野市の自宅で、中学2年生(14)が就寝中の母親の首をカミソリで切ったうえに錐で突いて重傷を負わせて逃走、血だらけになってさまよっているを警官が見つけて逮捕した。2年前に学校でネコの解剖をしてから精神がおかしくなり、母親と一緒に死のうとした発作的な犯行。


昭和26年(1951).10.8〔中2がカッとして幼女殺人、32年後に自白〕
 東京都大田区で、中学2年生(14)が女の子(3)を殺害した。迷子になった飼い犬を近所に住む女の子と一緒に探していたが、些細なことですぐにキレる性格で、女の子が泣き出したためカッとして泣きわめくのもかまわず頭の上まで持ち上げてから池に投げ込んで溺死させたもの。警察の取り調べを受けたが否認。現場が家から2キロも離れているため幼女誘拐殺人として大々的に報道されたが、外傷もなく事故死として捜査は打ち切られた。
 母親と兄には殺人を告げて、すぐに一家で九州に引っ越し、中学も中退した。女の子の赤いスカートが脳裏を離れず、赤色を見ると異常に興奮して赤い服の女性を襲ったり、赤い振り袖を切ったり、赤い服を盗んだりして、17回逮捕されて人生のほとんどを刑務所で過ごし、昭和58年2.23に横浜市の民家に押し入って女性(63)を日本刀で刺殺、放火して3万円を強奪、3.12に逮捕された。女の子の名前を刻んだ位牌が実家にあったことから追及されて、8.27に32年前の犯行を自白。男は46歳になっており、すでに時効を過ぎていた。


昭和26年(1951).12.6〔19歳が独占のために幼女殺人〕
 京都府京都市で、店員(19)が小学4年生の女の子(10)の背中や首を匕首で刺して殺害、派出所に自首した。父親が会社員で同じ社宅に住んでおり、女の子が好きで好きで頭の中がいっぱいになって苦しくて仕事も手に付かなくなり、また女の子の親が白眼視することに怒りを覚えて殺してしまおうと決意し、女性が殺された新聞記事ばかりを毎日スクラップして影響を受け「殺人をしても判らないだろう。人殺しは罪となる。それより頭の晴れるほうがよい」と考え一週間前には近所の人に「社宅をびっくりさせてやる」などと云っていたが可愛いのでなかなか殺せず、今日こそはと風呂の帰りを待ち伏せして、畑に連れ込んだが手を振り切って逃げようとしたのでカッとして刺したもの。心神耗弱と自首が考慮されて、5〜10年の不定期刑判決が地裁で出されて確定した。
 国連加盟恩赦で昭和32年7月に仮釈放、昭和34年(1959).4.5、27歳になった男は京都市の路上で中学1年生の女の子(12)の全身を包丁で14回滅多刺しにして殺害、警察に電話をしてから自首した。近所に住み自宅にテレビを観によく来るこの女の子が好きになったが幼女殺しの前科があり歳も離れているので結婚できないと思い詰め、他の男と結婚されるくらいならいっそ殺してしまおうと包丁を買って計画しており、この日にテレビを観に来た女の子を工場の同僚三人でレイプしようとしたが抵抗されて未遂に終り、家を出たところを襲ったもの。二年前に両親とこの地に引っ越しており、近所の人は前科を知らなかった。女の子は中学の入学式前だった。
 死刑が求刑されたが、軽い精神薄弱のため心神耗弱を認めて京都地裁は懲役15年判決を出した。


昭和27年(1952).3.11〔19歳が青酸カリウイスキーで毒殺〕
 長野県下高井郡で、少年(19)が友人(17)を毒殺しようと青酸カリ入りのウイスキーを郵送したが、友人の父親(53)が飲んで重傷、知人(53)が死亡し、3.15に逮捕された。友人が年下なのに周囲の信頼が厚く、祭の主役の獅子舞役を取られたことで怨み、2月には青酸カリ入りの甘味料を友人宅に投げ入れて毒殺を謀ったが失敗していた。東大医学部助手が助教授をウィスキーで毒殺した事件や探偵小説に影響されて、筆跡を隠すため包装紙を買った店で宛名を書かせたり完全犯罪のための工作をいくつもしていたが、却ってここから足がついたもの。
 山奧の小さな村の中流農家の7人兄弟の次男で、中卒後は農業をしていたが、頭がよく読書好きで、自分でも探偵小説を創作して同人雑誌に投稿、また毎週街に出て映画を観ていた。2年前に「死はすべてを解決してくれる人生の花園である。親の躾が悪いので神経症になった。親を恨み自殺する」という遺書を書いてアドルム自殺を図ったが死に切れず、家出もしていた。無期懲役判決。


昭和27年(1952).5.25〔中3が幼女レイプ殺人〕
 愛媛県越智郡で、中学3年生(14)が女の子(5)を神社裏山に連れ込んでいたずらしようとしたが、泣いたので下腹部に竹を刺して殺害、逃走したがその日のうちに逮捕された。


昭和27年(1952).11.30〔中3が幼女を川に突き落とす〕
 大阪府大阪市で、中学3年生(16)が顔見知りの女の子(5)を連れ出し、ドブ川に逆さまに突き落として救出し、何者かが石の重りをつけて女の子を突き落とし自転車で逃走したと警察に届けたが、挙動不振のため追及されて翌日にいたずらでやったと自白した。これまでに犬を縄で縛って川に突き落として救出するといういたずらを何度か繰り返していた。


昭和27年(1952).12.10〔16歳の挫折した秀才が罪をかぶせるため友人殺害〕
 福井県敦賀郡の高校1年生(16)が行方不明となり、次の日「自分の罪を他人にかぶせたくない。友人のA君には迷惑かけてすまなかった。自分は死ぬのが一番幸福と思う」という父親宛の遺書が届いた。
 A(16)はエリートコースを進む野望があったが、家庭の事情で9月に高1で中退して土木出張所の臨時雇いとなって理想が崩れ、時計と現金950円の窃盗で11.29に逮捕され保護者に身柄を預けられているところだった。前科があっては将来にさしつかえると考え、気の弱い友人の高1生を待ち伏せして山奧に連れ出し「あの窃盗をやったのはお前だ。俺は試験に受かって警官になることが決まっているのでお前を逮捕する。身体の弱いお前はいつ死ぬかわからないから遺書を書け」と脅し、罪をかぶる手紙を書かせてから腕時計と500円を奪い、両手で絞殺し谷川に突き落としていたことを自供した。
 行方不明の息子を探す被害者の父親を呼び出し、自分の父親と2人の前で「盗みをやったのは彼で自分は罪を被っただけですから自首させてください。放っておくと自殺するかもしれません」などと言っていた。
 貧しい農家の長男で明朗快活、中学では成績優秀で知事賞を受け、生徒会長も勤めて周りから信頼されていた。高1で高3の資格検定に合格するほどで、「俺のような秀才が学校に行けない世の中なんて」と世を嘲笑していた。


昭和28年(1953).6.3〔高1女子が恋路の邪魔者を殺害〕
 京都府京都市東山区の路上で、高校1年生女子(15)が恋人の工員(17)に協力させて、工員(17)を殺害した。
 女子に想いを寄せていた被害者は、自分の言うことをきかないと女子が万引きしたことを警察に通報すると脅した。警察に捕まると恋人に逢えなくなるので女子は殺害を決意、恋人は必死に止めたが強硬に主張するためやむなく協力することになった。
 女子が高台から線路に突き落として列車に轢かせる計画だったが誘い出しに失敗、恋人がカナヅチで頭や顔をめった打ちにして、女子も被害者の下駄で顔を何度も蹴ったが死なないため、女子が渡したベルトを恋人が首に巻き女子が足を引っ張った。悲鳴を聞いて逃げようとした恋人を引き留め、女子はベルトを使って1人で絞殺、溝に突き落としてからさらに下駄で顔を何度も蹴った。
 被害者は家の金品を盗んで遊び歩く不良で鑑別所にも入っていた。女子は美人で勝ち気な性格、虚栄心が強く中学の時から万引きを繰り返して逮捕歴もあり、腕に恋人の名前を刺青しており、取り調べにも単独犯を主張して恋人をかばい続けた。恋人は内気で気弱な性格だった。


昭和28年(1953).6.26〔高1があっと驚かすためピストルで警察襲撃〕
 茨城県鹿島田町の警察署で深夜1時、定時高校1年生(15)が車庫でパトカーのクラクション鳴らし、宿直の刑事を誘き出してピストルで左腕を撃ち、銃声で飛び出してきた部長刑事の脇腹を撃って自転車で逃走したが、すぐに逮捕された。
 「どうせやるならでかいことをやろう。それには警官を襲撃するのが一番だ」と前日に別の地区の派出所の宿直室で寝ていた巡査のピストルを奪い、わざわざクラクションを鳴らして正面から堂々と警官を撃ってパトカーを奪って東京に行き、同士を集めて房総半島の山中の地下にレーダーでも見つからない秘密基地を作り、銀行強盗で何千万も稼いでギャング団のボスとして世間をあっと驚かせる計画だった。
 IQ130で中学を1番の成績で卒業、高校はほとんど行ってなかった。父親(57)は戦前に工場を経営して裕福だったが戦争と病気のため生活保護を受けるほど貧しくなった。しかし、家庭は円満で継母との折り合いもよく、親孝行で弟たちの面倒もよく見ていた。マゼランを尊敬する冒険好きで総理大臣になるのが夢の明るい性格だったが、日常に退屈し、設計図を引いてピストルを自作していた。父親は「本当に頼もしい息子と思っていましたので、今度の事件は本当にうちのせがれがしたとはどう考えても考えられません。背後に不良がいて脅迫されて仕方なしにやったのでないかとしか」と語る。「現在の法律に正面から反抗したかった」と自供し、まったく罪の意識がなく平然としている。水戸少年鑑別所の精神鑑定では、動機は社会への反抗ではなく「空想性」によるもの。


昭和28年(1953).7.5〔18歳ニートが幼女をレイプ殺人して死体を切り裂く〕
 新潟県南魚沼郡で、無職(18)が女の子(5)を山中に連れ出してレイプ、「家の人に云ってやる」と云ったので右手で絞殺、好奇心から子宮を見たいと思い、所持していた羅紗切り用の小刀で腹を割いて内臓をつかみ出し、鼻を切り取り、死体を川に放り込んで逃走、警察隊の山狩りで逮捕された。中流農家の長男で、知能が低く、小学校卒業後はぶらぶらしていた。小学生の時から女性に抱きつくなどしており、6月には群馬県で強姦致傷事件を起して逮捕されていた。


昭和28年(1953).7.11〔20歳ニートが小説執筆のため少女殺害〕※参考
 愛知県名古屋市の路上で、夜間高校4年生(20)がたまたま見かけた中学3年生女子(14)をいきなり首を絞めてから田んぼに顔を浸けて窒息死させ。自転車で運んで自宅の床下に隠して家出した。13日に下半身ハダカの死体が発見され、15日に逮捕。高校にはほとんど登校せずぶらぶらしており、両親とも口を利かず、自室に閉じこもり文学に熱中、17歳の時に文芸部の同人誌に愛する女を殴る「マゾヒズム」という小説を掲載していた。
 レイプなどの目的はまったくなく、殺人者の心理をテーマとした小説を書いて有名になるため誰でもいいから殺してみたかったというのが動機。「殺さないとどう書いてよいか判らないからだ」「人を殺したことが何故悪い。殺してもよい場合がある」「ドフトエフスキーの罪と罰については批判は差し控えるが作者は尊敬する」などと自供。
 無期を求刑され、弁護側は精神分裂症で無罪を主張。「多少の性格異常があっても精神異常というほどのものではない」という鑑定が採用され、名古屋地裁は懲役15年の判決を出した。


昭和28年(1953).10.1〔15歳が心中しようと恋人射殺〕
 福岡県柏屋郡の山中で、映画館の次男(15)が女中(16)を射殺した。1年前から自宅に住み込んでいる少女と中3の少年は恋仲となった。中卒後は勉強が嫌で父親の映画館を手伝っていたが、少女が妊娠3ヶ月となって処置に困り、心中するため朝4時に父親の猟銃で2発撃ってから首を絞めて殺害、自分も死のうとしたが薬莢を抜くのに手間取っているうちに夜が明けて少女の死顔を見て怖くなって交番に自首したもの。冷静に自供して留置場でもその日からよく寝ているので警察も驚く。両親はふたりの関係にまったく気付いていなかった。映画マニア。


昭和28年(1953).11.1〔高3が体育祭のために小犬殺害〕
 愛知県名古屋市の旭丘高校で、3年生が体育祭の仮装行列の出し物のために、ぼろぼろの服に「死とは」と書かれた紙を貼った扮装をして、学校で飼われていた小犬を殺して死体を縄で引き擦り、苦しげに倒れる演技をした。犬を可愛がっていた生徒たちや見学のPTAからも非難されたが、とくに処分はされなかった。
 「目的のためには手段をえらばないという現代の十代の世相をみせつけられるようでいやでした(千種区主婦)」(談話は中日新聞11.22引用)


昭和28年(1953).11.15〔中3が恋人殺害して死体隠す〕
 三重県南牟田郡の山中で、中学3年生(15)が1年生女子(13)を絞殺、死体を隠して220円を盗って逃走、翌日から何喰わぬ顔で学校に通っていたが12.19に逮捕された。昨年の春から恋人同士で深い関係にあり、デート中に首を抱いていた腕に力が入ってしまって死亡したので殺意はないと自供したため傷害致死での取り調べ。模範少年と云われていた。
 県警刑事部長も「解剖結果や現場の状況などから、偶然死に至らしめたという自供は間違いない」と断言していたが、10.3の体育祭のときに体操服姿の女子を見て妊娠していると思って殺人を計画していたことや、同校の他の女生徒をレイプしていたことも発覚し、12.26に殺人、窃盗、強姦で送検された。


昭和28年(1953).12.1〔中2が姉をバラバラにして埋める〕
 福井県大飯郡の自宅で、中学2年生(14)が姉(27)を殺害した。姉が職場から昼食に帰宅し、学校をサボって家で遊んでいた中2を見つけて叱ったので、職場に戻ろうとした姉を垣根に隠れて待ち伏せして背後から頭を丸太で殴り、倒れたあともナタやスコップで滅多打ちにしたもの。死体を40メートル離れた川辺に運んで埋め、たびたび死体が出ていないか見回っていたが、翌年の4.4に近所の人に死体を発見され、その日のうちに逮捕された。
 貧しい家庭の7人兄弟の3男。父親(58)は大工で母親は8年前に亡くなっており、上の兄や姉は家を出ていたので、被害者の2女が母親代わりに弟たちを育て、学校をよく怠けて盗癖もあった3男をたびたび叱って殴ることもあった。死体は手足が切断されており、日記には髑髏の絵を描いたりしていた。事件後は何食わぬ顔で4ヶ月間毎日学校に通っていた。
父親談「あの子は家でも内気な方でそんなことをしたとは思われません。ヨシ子がいなくなってから早速捜索願を出しどうしたのかと心配してはおりましたが、まさか殺されていようとは思いませんでした」
校長談「学校では内気で友達関係もなくいつも一人ぼっちでどちらかといえば消極的な生徒でした。そのような大それたことをしたとは思われません」
(談話は福井新聞引用)


昭和29年(1954).2.8〔18歳ニートが両親を窮地に落とし入れるために無差別殺人〕
 静岡県磐田郡の山林で、無職(18)が薪拾いに来た女性(20)の頭や顔をナタで14回滅多打ちにして殺害、崖から転落死したと診断され一度は埋葬されたが、死因に不審を抱いた母親が掘り出し鑑定して殺人と判明、2.16に逮捕された。
 小学生の時は不登校で父親が毎日付き添って登校していたが、学校を抜け出し山で弁当を食べ、小卒後は働かずにぶらぶらしていた。14歳だった昭和25年8月に母親に馬乗りとなって殴り骨折で一ヶ月の重傷を負わせ、父親に石を投げて10日間の傷害を負わせて逃走、村中総出で山狩りをするという事件を起こして初等少年院送致。昭和26年10月に退院して保護観察中だった。両親を窮地に落とし入れるには殺人を犯すしかないと計画したもの。精神分裂症として医療少年院送致。


昭和29年(1954).3.23〔高2が女給殺害〕
 東京都新吉原の特殊飲食店で、夜間高校2年生(17)が女給(22)を殺害、6.2に新潟で逮捕された。東京の肉屋で住み込みの店員をしていたが、6.1に刑事が取り調べに行くとその日のうちに売上金2千円を持って逃亡していた。女給と遊んでいるうちに変態的な行為を強要し拒否されるとカッとして腰ひもで首を絞め、ジャックナイフで刺して殺したもの。


昭和29年(1954).5.17〔18歳が半身不随の母親を殺害〕
 東京都江東区の自宅で、三男(18)が母親(50)を殺害、逮捕された。父親が同僚から預かっていた5万円を盗もうとして病気で半身不随の母親に見られたため、母親に馬乗りとなって片手で首を絞めて殺した。以前にトイレで母親が倒れたことがあるのを思い出して運んで病死を装い、服を盗んで質入れしていた。少年院を何度も脱走したことのある不良。


昭和29年(1954).5.23〔14歳が幼女をレイプ殺人 宮子ちゃん殺し〕
 山口県豊浦郡の防空壕で、下校中の小学1年生の女の子(7)がレイプされ口に土砂を詰め込まれて殺害された。電気工(19)が逮捕されて一旦は犯行を認めたが裁判では一貫して無罪を主張、一審は証拠不十分で無罪判決、二審の公判中、昭和31年8.25に隣家の母親(44)や二女(14)、居合わせた男性(56)の頭や顔を薪割りで殴りつける強盗殺人未遂を犯して5年以上10年以下の不定期刑を言い渡された少年(18)が、昭和32年8月に14歳の時にやったと自供した。強盗殺人未遂事件について女の子の母親が「まじめな青年だから」と減刑嘆願運動をしているのを知って良心の呵責を感じたため。昭和33年2.1に検事は控訴を取り下げて、電気工は無罪となった。真犯人は地裁で懲役12年判決。


昭和29年(1954).5.23〔中3が女を憎んで連続通り魔〕
 東京都中央区の路上で深夜0時前、中学3年生(14)が女性(37)の腹をナイフで刺して3週間の重傷を負わせて逮捕された。一年前から路上で13人の女性にいきなり抱きついて押し倒したり、お尻を殴ったりして襲っていたが、まったく警察に届けが出ていなかった。両親が貧しかったため生後10ヶ月で裕福な叔父に引き取られて育てられていた。「叔母や姉に冷たくされて近所の女にもからかわれて女を憎むようになった」と取り調べでは自供したが、鑑別所の精神鑑定では虚言と判定されている。


昭和29年(1954).6.3〔19歳ニートが野球見物のため母親殺害〕
 京都府京都市で、次男(19)が昼寝中の母親(48)の頭をカナヅチで滅多打ちにしてベルトで首を絞めて殺害、死体の懐から千百円入りのサイフを強奪して逃走、逮捕された。大工である父親の元で見習いをしていたが、一ヶ月前から仕事をせずに遊び歩くようになり、母親から働くように厳しく叱られて、またプロ野球観戦の金が欲しかったために就職が決まったと騙して定期券代をもらおうとしたが、嘘を見破られて罵られた。父親に知られると叱られるので殺し、刑務所に行く前にナイターを見物しようと計画したもの。内気で無口な性格だった。


昭和29年(1954).9.1〔18歳女子同性愛の恋人が父親殺害〕
 青森県青森市の自宅で、無職の二女(20)と無職の少女(18)が父親(54)を殺害した。少女が「金が欲しい」と言うと、二女が「それならうちの親父を殺せばいい」と国鉄を退職したばかりの父親の退職金30万円を奪うことに話がまとまった。二女が父親に出刃包丁を突きつけて口論している隙に少女が後ろから紐で首を絞め殺した。二女も大勢の犯行に見せかけるため死体をめった刺しにして石炭箱に投げ込んで、懐中時計と5百円を奪って逃げた。退職金は長女が保管していたので見つけられなかった。発見されるまで数度家に戻って死体に手を合わせて詫びたが、4日に逮捕。翌日、留置所で少女はネコイラズ自殺を図ったが命を取り留めた。青森地裁で、二女は尊属殺と強盗で懲役15年、少女は5〜10年の不定期刑判決。
 二女は中学3年生のとき強盗殺人で、少女は強盗未遂で少年院に入ってそこで知り合って同性愛関係となった。退院後も男装して2人で遊び歩き、遊興費が必要になったもの。この年の銀行員大卒初任給5,600円


昭和29年(1954).10.23〔小4が幼女を刺殺〕
 北海道旭川市の「七人の侍」上映中の映画館のトイレで、女の子(5)が首と左胸に深さ12センチの傷を受けて殺害された。一ヶ月後にナイフでの脅しや盗みをしている小学4年生(11)を取り調べたところ、ナイフで殺害したことを自供。映画が静かな場面になって退屈で廊下に出たが、トイレで女の子を見たときにまた映画の大音響が聞こえてきて夢中で刺したと話す。





昭和30年(1955).3.6〔17歳女子が弟を毒殺〕
 群馬県群馬郡で、17歳女子が中学1年生の弟(13)を毒殺して逮捕された。少女は昨年の11月から2月まで病気で自宅で寝ていたが、弟に邪険にされたため殺害を計画、4日に近所の子供にネコイラズを買ってこさせて夕食の雑炊に混入し食べさせて、弟は2日間苦しんだ末に死亡した。両親は離婚して炊事婦の母親と三人暮らしだった。


昭和30年(1955).3.10〔16歳ニートが老人を通り魔銃撃〕
 石川県輪島市の山中で、無職(16)が男性(76)をいきなり猟銃で撃って2ヶ月の重傷を負わせ、翌日逮捕された。聾唖者で、聾学校を窃盗で中退し、父親に叱られたのでムシャクシャしてたまたま通り合わせた老人を撃って腹に散弾30発も命中させ、老人が苦痛にのたうち回って崖から落ちるのを見てから逃走したもの。「倒れたのを見たとき胸がスッとした」と通訳を通じて自供。


昭和30年(1955).3.17〔17歳通り魔が9人の女性を襲う〕
 東京都江戸川区の路上で9人の女性を襲った17歳の少年通り魔が逮捕された。昨年の暮れから自転車に乗って擦れ違いざまに長さ10センチの工事用キリで女性の下腹部などを刺していた。


昭和30年(1955).3.20〔21歳が少年殺害〕※参考
 東京都葛飾区の工場で、無職(21)が小学2年生(8)を絞殺し、3.22に死体が発見されて逮捕された。甥(4)がいつもいじめられているので、復讐のため映画に連れて行った帰りに殺害したと自供。茨城県猿島郡の農家の4男で病的性格の精薄児として入院歴があり、子供の頃から動物や小鳥を包丁で切るなどしており、4人の男の子(9〜13)の首を絞めて猥褻行為をする殺人未遂も犯していた。精神薄弱で不起訴、精神病院に入れられ昭和38年6月に退院した。
 昭和45年9.26に、36歳になった男は葛飾区の空き地で、小学5年生の男の子(10)を絞殺してから猥褻行為をした。10.3に腐乱死体が発見され、10.20に逮捕。男の子の父親の知り合いで犯行の日にも家に行って男の子と遊んでいた。父親に冷たくされたので復讐したもの。「首を絞めて子供が苦しむのに快感を覚えた」とも話す。誘拐殺人で懲役12年となった。
 昭和58年11.17に、49歳になった男は葛飾区の神社で、小学6年生の男の子(12)の首を絞めてから蹴飛ばしたが死んだふりをすると去ったので男の子は家に逃げ帰り、男はすぐに逮捕された。10.30に刑務所から出たが職につけずに賽銭泥棒で暮らしており、「2日前から何も食べていないのでムシャクシャして殺そうとした」と自供。染色体異常による知能障害と異常性格で心神耗弱だったと、東京地裁は殺人未遂で懲役6年の判決。


昭和30年(1955).5.6〔17歳ニートが幼女を誘拐レイプ殺人 三枝子ちゃん殺し〕
 静岡県小笠原郡で、無職(17)が登校途中の農家の二女の小学2年生(8)を自転車で誘拐、1日中連れ廻して浜松の中学校でレイプしたのち夜を明かし、翌日河原でもレイプして荒縄で絞殺、生き返らないように口と鼻に砂利を詰めてから埋めた。誘拐事件として捜索していた警察に殺害直後に逮捕される。
 農家の次男で中卒後に就職したがすぐに辞めてぶらぶらしており、家出して2回自殺未遂を起こしている。人に笑われるからと中学もあまり行っていなかった。友達はおらず、読書と映画が趣味。小学生の時に女の子の兄にいじめられた復讐だと自供。逮捕されても父親(43)は「凶暴性はなくみなさんが心配するようなことはないと思う」と語る。


昭和30年(1955).5.14〔高1が幼女をいたずら殺人 芳子ちゃん殺し〕
 神奈川県横須賀市の自宅で、工業高校1年生(16)が女の子(5)を殺害、翌日、死体が発見されて逮捕された。公園で遊んでいた女の子に絵本を見せてあげると誘って、いたずらしたが騒がれたため絞殺したもの。この犯行の30分前にもべつの少女(11)に「いい本がある」と自宅に誘いこみ、首を絞めていたずらしようとして逃げられていた。
 米軍基地職員(40)のひとり息子で甘やかされ、悪いことをして近所の人が怒鳴り込んでも親は相手が悪いと放任していた。連行時に被害者の母親が「ひどいことをしたのね」となじったが、「何をしたのだ」と平然と答え口笛を吹いていた。風俗店に通っている友人の話を聞いて刺激を受けたと自供。


昭和31年(1956).3.9〔19歳女子が結婚に邪魔な家族4人を皆殺し〕
 東京都江戸川区で、家族が一家心中したと女子(19)が隣家に駆け込んだ。母親と小学校1年生の三男はすでに死亡。工員の長男(17)と中学2年生の次男が苦しんでおり、間もなく病院で死亡した。
 「おまえは飲まなくていいよ」と母親が言ってから弟たちとジュースを飲んだと女は証言したが、追及すると勤め先の工場から拾ってきた青酸ソーダをジュースに入れて殺害したことを自白した。
 昨年の夏に母親の勤め先の理髪店で知り合った青年に結婚を申し込んだが、「扶養家族が多いのは嫌だ」と断られた。そこで一家皆殺しを計画、家族でケンカをしたとき三男がジュースを飲みたいと言ったので、「それじゃ、ケンカの仲直りに」と毒入りジュースを飲ませたもの。
 女は犯行が発覚しても顔色ひとつ変えず、留置されるとわかってはじめて泣き出した。父親は5年前に病死していた。
 無期懲役が求刑されたが、母親とケンカしての発作的犯行であり、未成年であるため、東京地裁は懲役15年の判決を出した。


昭和31年(1956).8.14〔高2が継母など2人殺人未遂〕
 東京都中野区の高校2年生(17)が、6.2に継母(43)を殺害するためネコイラズ入りの団子を台所に置いたが、継母は異臭のため食べなかった。8.2には貸したトランペットを返せと言ってきた同級生を殺害するため朝5時に畑に呼びつけ背中をナイフで刺して2ヶ月の傷害を負わせたが、人が来たため時計を強奪して逃走した。警察に届けがなかったので発覚しなかったが、立川市の路上で男性(21)が殺害された事件の容疑者として逮捕されて自供したもの。製図師の長男。


昭和31年(1956).11.12〔17歳が幼女をレイプ殺害〕
 青森県弘前市の旅館で、従業員(17)が近所の小学1年生の女の子(7)を連れ込んでレイプして絞殺、死体を自室の天井裏に隠して、客から預かった19万4千円を持ち逃げ、秋田、大阪、熱海で豪遊して11.19に東京浅草の旅館で逮捕された。この年の大卒銀行員初任給5,600円。旭川市の高校を中退して、父親が番頭をやっている旅館に勤めるようになっていた。
 懲役15年の判決を受け、昭和41年2月に少年刑務所を仮出所。上京して洋服店で仕立て職人となった。昭和42年8.2、27歳になった高橋正彦は浅草の飲み屋で、女将(41)に女の紹介を断られてカッとしてナイフで刺殺して逃走。
 昭和43年1.1、渋谷の旅館で、連れ込んだ小料理店女中(34)をナイフで97カ所刺して腹を十文字に切り裂き内臓を引き出して逃走。
 7.12、新宿区の飲み屋で、女将(48)をナイフで刺して3週間の重傷を負わせて逃走、悲鳴を聞きつけた隣の店のバーテンなどに捕まった。
 昭和43年10月、東京地裁で死刑判決。控訴を取り下げて確定。昭和47年8月に死刑執行。


昭和31年(1956).12.26〔中3が電車で女性ばかり7人の腿切り〕
 東京都秋葉原駅で、中学3年生(15)が電車から降りようとした女性事務員(24)のスカートをカミソリで切り裂き1週間のケガを負わせたが、被害者が捕まえて駅員に突き出した。「下着が見えたり、驚く女の顔がおもしろく、すごいスリルがあった」と自供。通学途中の総武線で先月から女性ばかり7件のモモ切りを犯していた。江東区の中流家庭の長男だった。


昭和32年(1957).1.13〔19歳女子が美空ひばりに塩酸かける〕
 東京都台東区の浅草国際劇場で、女中(19)が客席から上がって舞台脇で出番を待っていた美空ひばり(19)に、塩酸300グラムを浴びせかけた。左顔面、胸、背中に3週間のヤケド。
「ひばりちゃんに夢中になっている。あの美しい顔、にくらしいほど、みにくい顔にしてみたい」と書かれたメモがバックのなかにあった。


昭和32年(1957).3.4〔18歳ニートが一家7人皆殺し〕
 神奈川県川崎市の自宅で深夜2時、長男(18)が父親(41)、母親(39)、二男(16)、三男(14)、長女(11)、四男(10)、五男(8)の7人を薪割りで殺害してから放火して全焼させて逮捕された。
 他の兄弟は成績優秀なのにひとりだけ成績が悪いと父親に叱られノイローゼになって昨年高校を中退して精神病院に入っていたが、先月退院したばかり。父親との仲が悪く発作的に殺したもの。


昭和32年(1957).4.2〔26歳が同性愛から中1を殺害してばらばら〕※参考
 東京都中野区の自宅で、棋士の長男(26)が中学1年生(12)を殺害した。銭湯から連れ帰り、裸にしようとしたが抵抗されたため、ナタで殺害。2日間徹夜して死体はばらばらにして、熱帯魚用ガラス箱2つ、ガラス瓶2つにホルマリン漬けにした。4日に被害者宅に15万円を要求する脅迫状を郵送したり、7日に被害者を装って無事を知らせる手紙を送っていた。
 昭和28年に明大商科を卒業したが、その後度々精神病院に入院。昨年11月から中野区立図書館の臨時職員としてまじめに働いていたが、通行中の子供をいきなり抱きしめたり、美少年を自宅に引き込んだりしていたため、近所から嫌われていた。凶暴な所があり、両親は言いなりなっていた。先月20日には男の子をいたずらするために殺そうとして失敗していた。「ついに探し求めていた可愛い男の子をみつけた」などとすべての犯行を5冊のノートに克明に記録していた。
 東京地裁は、残虐な犯行ではあるが精神分裂症の心神耗弱状態であったとして、懲役10年の判決を出した。


昭和32年(1957).5.22〔5歳と6歳が殺人〕
 鹿児島県加世田市で、男子2人(5,6)が近所の民家に侵入して、寝かされていた女の子(生後8ヶ月)を縁側まで引きずり出して庭に落とし、荒縄で縛って40メートルほど引きずって溝に落とし殺害、5.24に補導された。


昭和32年(1957).11.21〔中1が勇気を得るため幼女を殺害〕
 兵庫県神戸市の雑木林で、中学1年生(13)が同居している従兄弟の女の子(5)を殺害、翌日に発見者を装って通報したが、12.6に家出して警察に保護され、追及されて12.8に自供した。友人の中学2年生(14)2人に「殺人をすると勇気が持てる」と言われ、誰を殺せと指定はされていないのに、折り紙を盗むために幼稚園の塀を乗り越えようとしているところを女の子に見られ、厳しい祖父に叱られることを恐れたこともあって山に誘い出し、探偵小説で知った方法で絞殺、アリバイ工作もしていた。中2生は殺人教唆で取り調べ。父親は戦死、母親は米軍人と結婚して米国に行ってしまい、祖父母に育てられていた。成績は悪く、内気な性格で、学校も休みがちだった。


昭和33年(1958).1.26〔16才少年の理由なき殺人事犯〕
 温泉旅館で雑役夫として働く16才の少年が、深夜洗濯物乾燥室で鋭利な小刀を手にした際「人を刺して見たい」という衝動にかられ、就寝中の女中をつき刺し即死させた事犯。(33年1月新潟県) 警察庁「少年非行」引用。


昭和33年(1958).2.18〔18歳がレイプ殺人してさらに強盗殺人〕
 北海道稚内市の牧場で、使用人(18)が日頃から想いを寄せていた主人の二女(16)にキスをしようとして拒否されカッとして手拭いで絞殺後にレイプ、金庫を開けようとしているところを主人の妹(24)に見つかりマサカリで頭部を殴って殺害、現金、株券、カメラのほかに猟銃を盗んで逃走した。翌日、山中で警官隊に追い詰められ猟銃を構えて対峙していたが、空き缶に散弾を詰めて火を付け爆発させて自殺を図り1週間のヤケドを負って逮捕された。
 兵庫県有馬温泉の菓子屋の4人兄弟の長男で、中卒後に全国を放浪しながら窃盗を続け少年院にも入っていた。3ヶ月前に前科を隠して牧童として住み込み、家族同然のあつかいを受けていた。昭和35年3.15、最高裁で死刑確定。


昭和33年(1958).2.27〔中3が女子生徒をリンチ〕
 東京都北多摩郡の中学校で、3年生男子(15)が3人の仲間を引き連れて「殴り込みにきた」と教室に入り、女子生徒の髪をつかんで引きずり倒して殴る蹴るの暴行を加えた。ほかの女子生徒が留めようとすると頭を何度も殴りつけ、倒れたところを腹を蹴って、頭部内出血で重体となった。
 前日のホームルームの時間に女子生徒が「私の名前をつけたラブレターを書いていたずらしている」と発言したことに腹を立てての犯行。


昭和33年(1958).3.18〔高3が小学校時代の教師を刺殺〕
 神奈川県川崎市の南部線登戸駅に停車中の通勤ラッシュの電車内で、小学校副校長(40)が背中から心臓をジャックナイフで刺され殺害される。
 逃走した元教え子の高校3年生(18)は、21日に八王子市の竹やぶで、雑誌「アトリエ」に「先生の死を知りました。先生すいません。ぼくは色男でも助平でもない。お父さん、お母さん、姉さん、弟、親孝行が出来なくてすみません」という遺書を書き残して睡眠薬を飲み自殺した。
 ヌードデッサン法が載っている雑誌をとがめられたことを恨んだと推測されるが、2人とも死んだので真相は判らない。美術クラブに所属していた。
 内気で人付き合いが苦手、「おじいちゃん」というあだ名だった。8日に卒業したが極端な無口のため5社の面接試験に全部落ちて就職先が決まっておらず、18日から家出していた。


昭和33年(1958).3.24〔22歳少年愛好者が小6絞殺〕※参考
 神奈川県横浜市の横浜市大病院のトイレで、無職(22)がこの日に卒業したばかりの小学6年生(12)を絞殺、スボンを下げたままの死体が発見され、翌日逮捕された。アパート経営者の長男で、3.21に父親の補聴器を質入した3千円を持って家出したが金もなくなり、銭湯や映画館で見かけていた少年に目をつけ猥褻行為をし、心中するつもりだったと自供。普段から子供らに小遣いをやってはいたずらしていた。


昭和33年(1958).5.12〔中2がカッとして幼児殺人〕
 広島県高田郡で、中学2年生(14)が男の子(6)を殺害した。男の子が造っていた砂山を蹴飛ばしたため「馬鹿」「がんぼう(不良)」と云われ、カッとして頭を竹で突いて転倒させて失神させた。処置に困って林に運んだが、まだ生きていると気づいてこれ以上苦しまないように殺そうと石で頭を殴ったもの。性格は爆発性が顕著で、これまでも些細なことでカッとして幼児3人を殴ったりしていた。父親は戦死して、母親に甘やかされて育てられていた。初等少年院送致。


昭和33年(1958).5.21〔18歳が甥を誘拐殺人〕
 愛知県碧南市の小学校内の貯水池で、4年生が腐った子供の足首を釣り上げ、水をかい出してみると幼児(6)の死体が発見された。昨年の12.16に誘拐され「60万円よこせ」という脅迫状が何通も届いており、死体に重しとして結びつけられていた鉄棒が幼児の叔父(18)のものだったため逮捕された。
 昨年6.17、雪村いづみに脅迫状を送り、金を受け取りに現れたところを逮捕され、7月に少年鑑別所を出所していた。中2の時にこの池で溺れていた子供を救助して表彰されていたが、助けたのは発見者の4年生だった。


昭和33年(1958).5.22〔少年の幼女強姦事犯〕
 小学生時代には級長もやり明朗な性質だったが、歓楽街の影響を受けた中学3年生の少年(15才)が、放課後、運動場で友人と遊戯中の小学2年の少女(7才)を「屋上にのぼると海が見えるから」と誘って校舎の屋上へ連れていき、ナイフで脅迫して強姦した事犯。幼女はおどろきのあまり失神してよろめき、約19米下の地上に転落して死亡した。少年は、このほかにも幼稚園の園児(5才)ほか4名の幼女に対してもわいせつ行為をしていた。(33年5月福岡県) 警察庁「少年非行」引用。


昭和33年(1958).6.〔ギャング映画に刺戟された17才少年の殺人事犯〕
 ギャング映画「血の岩壁」を見て興奮した17才の少年が、刃渡り6.7糎の折畳式ナイフを購入し所持して飲食店を飲みあるき、たまたまバーで知りあった被害者と街を徘徊するうち、些細なことから口論し、その場で殴るけるの暴行を加えた上、更に英雄気取りで同人を殺してやろうと思い、所持していたナイフを取り出し、驚いて近くのうどん屋に逃げこみ調理場にかくれた被害者を探し出し、同人の腹部及び心臓部の2ケ所を刺して殺害した事犯。(33年6月三重県) 警察庁「少年非行」引用。


昭和33年(1958).7.3〔19歳が通り魔殺人〕
 埼玉県北足立郡の路上で女性(43)が自転車に乗った男に「金を出せ」と脅され、胸や顔に切りつけられ、ドブに落ちたあと尻や腕を刺された。30分後に女性(36)が胸など数カ所を刺されて殺され、付近にいた無職男(19)が逮捕された。男はこの日の昼間にも民家に侵入して女性(51)の首を絞めて逃走していた。これまでも夜の一人歩きの女性に抱きついたり首を絞めたりしていたため警察にマークされていた。


昭和33年(1958).10.2〔17歳が片想いの幼なじみを駅で惨殺〕
 福島県伊達郡の保原駅ホームで、土木作業員(17)が高校3年生女子(17)を電車から引きずり出してシノ(とび職の道具)で首を数回突き刺した。血まみれの手を洗って煙草を吸ってから倒れている女子の周りをうろうろして「警察を呼べ」とわめき、「これでもか!思い知ったか!」と叫びながらさらに20数回めった刺しにして殺害、その場で逮捕された。夜のラッシュ時で大勢の乗客や駅員がいたが誰も留めようとはしなかった。
 隣り同士の家で小中学校の同級生。貧しい家庭の5人兄妹の3男で、中卒後は各地で出稼ぎをしてたが、たびたび帰郷して女子への想いを募らせ、酒に溺れて自殺未遂もしていた。オート三輪を親に買ってやるため貯金していた4万円を渡して、二度と戻らないつもりで家を出たが、電車でたまたま登校中の女子を見て、帰宅を駅で待ち伏せて好きだと告白したが相手にされなかったため逆上したもの。取り調べにも煙草を吸って平然としている。女子は成績優秀、美人で評判だった。


昭和34年(1959).1.27〔荒川通り魔・女性21人殺傷〕
 東京都荒川区の路上で、自転車に乗った15,16歳の少年が、1時間のうちに女性9人を襲って1人を殺害した。
 夕方6時過ぎに小学5年生女子(10)の肩をナイフで突いて1週間の傷害を負わせ、7時15分に少女(18)の左胸を刺して重体、女性(23)の左胸を刺して10日間の傷害、中学2年生女子(13)の左胸を刺して1週間の傷害、中学3年生女子(16)の胸を刺して即死させ、女性(20)の胸を刺して1週間の傷害、女性(22)の胸を刺して10日間の傷害、少女(17)の左胸を刺して1週間の傷害、高校1年生女子(16)の左胸を刺して1週間の傷害。1.20から出没、被害は21件。3日後に被害者や遺族宛に「こんどはきっと殺す」などの脅迫状が送りつけられ、また自分が犯人だと警察にいたずら電話して逮捕される者もいた。迷宮入り。


昭和34年(1959).3.6〔18歳が首相暗殺のため警官襲撃〕
 東京都秋葉原駅近くの交番で、巡査が顔をナイフで3カ所刺されて殺害され、名古屋市の修理工(18)がその場で捕まった。勤め先のオートバイ修理店から1万2千円を持ち逃げして3日に上京、「岸首相がいなくなれば労働者が助かる」とナイフを手に首相官邸に忍び込もうとしたが警戒が厳重で果たせず、まずピストルを奪おうと警官を襲ったもの。
 おとなしい性格で取り調べにも素直に答えていたが、地裁では無期懲役を言い渡された。


昭和34年(1959).4.8〔16歳が義妹を殺害し捨てる〕
 北海道野付郡の自宅で、長男(16)が小学1年生の義妹(6)の頭を木片で何回も殴り、4.12に死亡させ、死体にセーラー服を着せランドセルを背負わせて登校途中に倒れたように見せかけて1.5キロ離れた山の中に運んで捨てた。4.18に死体が発見され自供、傷害致死罪で逮捕された。出産のため両親が二十日間不在で、長男が7人兄弟の面倒を見ていた。実母は3年前に死亡、女の子は義母の連れ子で、全身に無数の傷や、手のひらにやきごての跡があった。一年前にも義妹を殴って三週間の傷害を負わせて保護観察処分となっている。釧路家裁は中等少年院送致決定。


昭和34年(1959).6.5〔15歳ニートが幼児を投げヤリ殺人〕
 東京都世田谷区の路上で、無職(15)が自転車に乗って小学1年生(6)の胸を手製の投げヤリで刺して殺害、6.29に逮捕された。裕福な会社社長の1人息子で、教育熱心な両親から勉強部屋を与えられ家庭教師をつけられて猛勉強をさせられていたが都立高校入試に落ち、私立高校もすぐに辞めてぶらぶらしていた。これまでも子供を木に縛りつけてナイフで脅したり、竹で目を突いてケガを負わせたりしている。友人がおらず家に引き籠もりがちで、テレビを見たりラジオを組み立てたりしていた。父親は「絶対に違う」「気が弱いので、責められるままにいいかげんな話をしたのでしょう」と言う。


昭和34年(1959).6.15〔16歳がテレビドラマで興奮し刺傷して自殺〕
 大阪府河内市のクシ製造業者宅で、住み込み店員(16)が主人の長男の妻(23)の首を絞め包丁で刺して逃走、線路に飛び込み自殺した。毎日テレビのドラマ「麻酔と手術」で手術に失敗した患者が死ぬ場面を見て興奮し、発作的な犯行。山口県熊毛郡の小さな島出身。


昭和34年(1959).8.22〔15歳が幼女ら殺傷〕
 兵庫県城崎郡の公園で、パン職人(15)が小学2年生の女の子(7)と看護婦(17)を崖から二十メートル下の海岸の岩に突き落とし、女の子を殺害、看護婦に瀕死の重傷を負わせて逃走、すぐに逮捕された。推理小説を読み耽った影響から、たまたま見かけた看護婦をレイプしようとして突き落とし、目撃者の女の子も殺そうとしたもの。精神分裂症らしく自傷や糞尿を飲んだりする癖があり、罪の意識もない。


昭和34年(1959).11.17〔17歳がケンカでピストル射殺〕
 福岡県山田市の路上で、少年(17)が男性(32)と肩がぶつかったことでケンカとなり、所持していたピストルで頭と胸を撃って殺害、すぐに自首した。少年の兄の炭鉱採掘会社社長(34)は昭和33年5.1に配下の炭坑夫(29)のケンカ騒ぎを叱ったことでピストルで射殺されており、犯人の兄であり、この炭鉱採掘会社の幹部だった男性への報復かと思われたが、結局たんなるケンカ殺人として懲役5〜8年の不定期刑となった。
 なお、兄の炭鉱会社社長も昭和24年2.20に殺人を犯して刑務所に入った乱暴者で、また、今回の被害者男性は弟の裁判費用などで山田市会議員に金を借りた上に脅したことで恨まれ、義理の弟が昭和33年12.28に市会議員にめった切りにされて殺害されている。この義理の弟も同じ炭鉱会社幹部で昭和26年に殺人を犯しており、関係者一同が血にまみれていた。


昭和35年(1960).1.3〔18歳が幼児を通り魔殺人〕
 石川県金沢市で、高校生(18)が小学1年生の男の子(6)の腹を包丁で滅多刺しにして殺害、逮捕された。精神病院に入院していたが、正月なので帰宅を赦された。「人を殺してこい」という女の声が耳元で聞えたため、家を飛び出して子どもを見つけるといきなり襲ったもの。


昭和35年(1960).2.19〔18歳予備校生が女性のオーバー切り盗ってコレクション〕
 東京都の山手線で、立川市の予備校生(18)が女子大生(23)のオーバーを切ってその場で逮捕された。女性のモヘアのオーバーばかりを狙い、切り盗った一部をコレクションしていた。被害者は40人以上。


昭和35年(1960).5.27〔12歳女子が近所の赤ちゃん殺害〕
 東京都西多摩郡福生の自宅で、3女(12)が近所の女の子(生後2ヶ月)を井戸に放り込んで殺害した。母親に連れられて遊びに来て隣りの部屋で寝かされていた子を連れ出したもの。精神異常だった。


昭和35年(1960).7.11〔小2と小1が褒美欲しさに幼女殺人〕
 神奈川県川崎市の小学校の貯水池で、女の子(2)が溺れていると、小学2年生(7)と小学1年生(6)が母親に知らせたが、間もなく死亡した。26日にじつはこの2人の少年が盆踊りに来ていた女の子をおもちゃで誘って連れ出し池に落とし、はい上がろうとする女の子を3度も突き落としていたことがわかった。
 4月に小学1年生の女の子がこの池で溺れているのを助けて現金200円とノート4冊をもらったのに味を占めて、もう一度ほうびをもらおうとしたもの。


昭和35年(1960).10.15〔10歳が殺人、11歳と9歳がさらに殺害〕
 山梨県中巨摩郡の養護施設から男の子(8)が行方不明となり、翌日200メートル離れた場所で殺されているのを発見された。同じ施設の10歳が男の子の人気を妬んで寝巻きのひもで絞殺したもの。施設でも最低の知能で粗暴性があった。
 10歳児は中巨摩郡の精神病院に入れられたが、12.5に病院の風呂場で殺されているのを発見された。10歳児の母親(51)が見舞いに訪れたときにみやげのパンをくれなかったのを恨み、隣の病室に収容されている11歳と9歳が寝巻きのひもで絞殺したもの。


昭和36年(1961).1.16〔16歳が強盗殺人2件〕
 千葉県千葉市の民家に工員(16)が押し入り、主婦(59)の首をナイフで刺して殺害、長男の妻(20)を重体にして現金2万6千円を強奪して逃走。
 20日に東京都港区のアパートのOL(30)部屋に強盗に入り、妻子ある愛人の会社員(52)の首を絞め7カ所を庖丁で刺して殺害、金を奪った。すぐに他の家に押し入り「人を殺した。電話を貸せ」と脅し、「今四人殺してきた、今度はお前の番だ。覚悟してろよ」と勤め先の社長に電話し、社長宅に押し掛けようとしているところを捕まった。
 千葉の中学を中退して北区のボール箱製造工場に住み込みで働いていたが、社長の長男とケンカして飛び出していた。乱暴な性格でナイフでケンカを繰り返し、社長の長男のアパートに放火、レイプも犯しており、「死刑に相当する残虐な犯行だが、てんかんの発作で軽い心神耗弱状態だった」と東京地裁は懲役15年の判決を出した。


昭和36年(1961).3.29〔小5が通り魔〕
 群馬県伊勢崎市の路上で、小学5年生(11)が自転車に乗っていた女性(19)のズボンをナイフで切り裂いた。30分後にも女工員(23)のズボンを切り裂き捕まった。「きれいな女を見たらいたずらしたくなった」と自供。


昭和36年(1961).5.13〔中1が友達をあっと言わせるため幼児殺人未遂〕
 宮崎県宮崎市の中学校で、1年生(13)が「お前なんかに人が殺せるか」とケンカした友達に言われてすぐに学校を飛び出し電車で隣町まで行き、路上で遊んでいた男の子(5)の腹をナイフで刺して泣き叫ぶのを持ち上げて深さ6メートルの井戸に投げ入れて逃げた。溺れていた男の子は泣き声を聞きつけた人に救助され5日間のケガですんだ。
 「誰でもいいから殺して友達をあっと言わせてやろうと思った。宮崎市内でやるとばれるので隣町まで行った」と自供。成績も性格もごく普通の生徒だった。


昭和36年(1961).5.16〔高3ら25人が病院襲う〕
 東京都北多摩郡の結核療養病院に、高校3年生(17)ら高校生25人が投石して鉄柵を乗り越えて押し入り、鉄棒で患者(27)ら3人に1ヶ月などのケガを負わせて窓ガラスを割り逃走したが、すぐに捕まった。11日に患者(22)が女性患者と散歩しているときに高校生2人がからんでケンカとなり殴られたのを恨み、仲間と復讐したもの。


昭和36年(1961).8.21〔19歳が悪口云われたと思い込んで刺殺〕
 京都府京都市で、工員(19)が向かいの家に押し入って、いきなり女性(21)の脇腹を匕首で刺して殺害、すぐに警察署に自首した。ギターを弾いているときに女性が自分の姪(1)をあやしているのを見て、「学校も出んくせにギターばかりひいている」(京都新聞8.22引用)と莫迦にされたと勘違いしてカッとした。兄に留められて一度は収まったが、すぐに匕首を持って襲ったもの。ノイローゼのため昨年11月まで精神病院に入っており、退院後も被害妄想に囚われていた。


昭和36年(1961).10.28〔19歳自衛官が妄想抱いて通り魔〕
 東京都港区の路上で、海上自衛隊自衛官(19)がオートバイの男性(21)をナイフで刺して1ヶ月の傷害を負わせた。休暇で実家に戻っていたが帰隊時刻に遅れ、上官に怒られると思い詰めて、オートバイの男性が捕まえに来る警務隊と妄想を抱いたもの。


昭和37年(1962).1.25〔18歳が入院先の病院を放火し7人殺害〕
 東京都北多摩郡狛江町の病院で、入院患者(18)が放火し全焼、老人7人が焼死した。手足をかみそりで切って自殺しようとしたが死にきれず、派出所に自首。
 昨年6月から慢性腎臓炎で入院していたが、ラジオでジャズを大音量流し注意されると逆に音量を上げ、寝るように言われると外出するなど普段から態度が悪く、2週間前から「放火して皆殺しにしてやる」と話していた。


昭和37年(1962).2.2〔中2が幼女にいたずらして置き去り〕
 東京都江東区で幼女を連れ去りいたずらして置き去りにする事件が5件起き、中学2年生(14)が逮捕され3件を自供した。1.17に男の子(4)を深川の自宅近くから自転車で連れ去り千葉県船橋市の競馬場近くに置き去りにした。1.22に女の子(5)を自宅に連れ込んで、墨田区に置き去りにした。1.30に女の子(4)を連れ去り煙草の火を手や顔に押しつけ殴って10日間のケガを負わせて羽田空港近くに置き去りにした。母親と姉の3人家族で、昭和34年には幼女へのいたずら、昭和35年には空き巣で捕まっている。


昭和37年(1962).6.3〔中3が幼女をいたずら殺人〕
 群馬県佐波郡の小学2年生の女の子(7)が行方不明になり、家の裏の消防用貯水池で死んでいるのが発見され、近所の中学3年生(14)が犯行を自供した。女の子が友達4人と遊んでいるところに中3生がやってきて「ジャンケンに勝った子にデンデンムシをやる」と言い、勝った女の子を誘い出して女の子の家が留守だったので裏でいたずらしようとしたが抵抗したため首を絞めて池に投げ込んだもの。
 中3生はほかの小学生にもいたずらしようとしたことがあり、2年前にはこの女の子にいたずらしようとして拒まれたのを恨んで女の子の家に放火している。柔道部に入っており、性格が荒かった。


昭和37年(1962).7.17〔20歳ニートが授業中の女高生を射殺〕※参考
 富山県東砺波郡の県立高校で、無職(20)が猟銃2丁と弾帯を持って授業中の教室に押し入り、教師と生徒18人を黒板の前に整列させて、女子高生(18)に2発撃って殺害、逃走して橋から飛び降りて自殺する計画だったが下を覗いて怖くなって死ねず、橋の中央で銃を構えて追っ手と対峙したが、説得されてすぐに逮捕された。
 3月までこの高校に通っており、殺した女子高生に片思いしていたが相手にされていなかった。農家の6男で、国体で活躍するスキー選手だが、凶暴性があり学校でもたびたび暴力事件を起こし、卒業後はぶらぶらしていた。銃は近所の家から盗んだもの。富山地裁は懲役15年の判決。山奧の小さな村での事件。


昭和37年(1962).9.3〔中3が通り魔と主婦殺人〕
 愛知県名古屋市の路上で、中学3年生(14)が女店員(21)を刺して逃走した。9.8には民家に押し入り、主婦(21)の下腹部を傘の柄で刺して殺害し、逮捕された。少女に対する猥褻事件も繰り返していた。孤独でおとなしい性格。


昭和37年(1962).9.16〔中3がレイプ殺人〕
 東京都港区の民家で深夜3時、中学3年生(15)が強盗に入り主婦(41)をレイプしようとしたが抵抗されたため台所の庖丁で刺し殺して逃走、逮捕された。ほかにも民家に忍び込んで人妻の下着を刃物で切ったり窃盗などの犯行を数10件繰り返していた。学校にはほとんど行っていなかった。


昭和38年(1963).2.12〔中1が幼女を猥褻殺人〕
 愛媛県松山市の路上で、中学1年生(13)が通行中の女の子(11)を無理やり傍の高校に連れ込み、猥褻行為をしてから首を絞め、12キロのコンクリートを腹や顔に3回投げつけて殺害、5.12に捕まった。他にも小学校に侵入するなどして、幼女に2件の猥褻未遂事件を起こしている。両親は屋台経営だが教育熱心で、テレビやステレオを買い与えて家庭教師までつけていた。姉と2人の弟がいる。IQ107だが極めて無口で無関心無感動。


昭和38年(1963).3〜昭和39年(1964).10〔17歳杉並切り裂きジャックが幼児を連続傷害〕
 東京都杉並区を中心にして小6生の陰部切断や、顔、腹などを切られる事件が11件続発。「切り裂きジャック」を名乗り、警察や被害者宅へ傷害のさし絵や予告挑戦状など送り続け、親たちを不安がらせた。12.26に落としたノートから都立高校2年生(17)を逮捕。中流家庭で成績も優良。普通の高校生に潜む異常性に慄然とさせされた事件。


昭和38年(1963).5.17〔17歳が近所の小3を殺して隠す〕
 広島県因島市の自宅で、長男(17)が小学3年生(8)を殺害、死体をコウリの中に入れ、40歳ぐらいの見知らぬ男が預ってくれと言ってコウリを置いて行ったと母親(41)に話した。母親は5.20に死体が入っているのに気づき床下に隠したが、5.28に警察に通報、長男は逮捕された。普段からよく遊んでいたが、些細なことからカッとしてタオルで首を絞めたもの。


昭和38年(1963).6.22〔16歳が誘拐して3度の脅迫〕
 岩手県宮古市の水産加工業者(43)に再三脅迫を繰り返していた無職少年(16)が捕まった。5.27に電話で先生が呼んでいると誘い出して二男の中学1年生(12)を誘拐、船に乗せて川沿いの小屋に監禁し、「金を持ってこないと殺す」と脅迫電話を掛け20万円を取得。6.6に長男の中学3年生(14)を殺すと脅迫電話を掛け10万円を取得。そして3度目の脅迫の際、夜の9時から10時の間、4度の電話に被害者がたまりかねて警察に通報したもの。奪った金はバーなどに使い、3回目が成功した際は高飛びする予定だった。
 銃砲刀剣類等不法所持、暴行、ゆすりなどで2回の補導歴。母親が女工だったためこの家の内情に詳しかった。この年の大卒初任給19,380円。


昭和38年(1963).8.〔高1が幼い姪を猥褻殺人〕
 愛知県西加茂郡の自宅で、県立高校1年生(16)が姪の小学3年生(8)に強制猥褻をしたが、女の子が両親に言いつけると泣き叫んだので、風呂敷で首を絞めてから近所の川に放り込んで殺害した。前日行ったキャンプで友人らから聞かされた猥談に刺激を受けて、この日に遊びに来ていた姪を襲ったもの。6人兄弟の末っ子で、成績も良く明朗快活な優等生だったが、中1の時に母親が病死してから成績は落ち性格も変わっていた。


昭和38年(1963).11.4〔21歳が理由無く幼女を殺害〕※参考
 東京都江戸川区のアパート自室で、店員(21)が勤め先の銅鉄商の普段から仲のよかった小学5年生の三女(11)を誘い入れ、テレビを見ているところを後ろからハンマーで滅多打ちにして天井裏に隠そうとしたが、血のりで足を滑らせると急に怖くなって逃走、新聞報道を見て観念し翌日自首、少女は6日に死亡した。リンドバーグ誘拐事件を元に銅鉄商の子供のうち誰かを殺し、誘拐と見せかけて身代金10万円を取って自動車免許費用にするつもりと自供したが、東京地裁は精神異常による理由無き犯行として心神耗弱で無期懲役判決を出した。
 17歳のときに京都の修学旅行で宿泊した旅館に放火して睡眠薬自殺を図り、その翌年にはハイキングですれ違った女性に果物ナイフで切りつけて重傷を負わる通り魔事件を起こし、精神異常者として医療少年院に入って2年前に退院していた。


昭和39年(1964).3.24〔19歳ニートが近視の救済のためアメリカ大使を刺す〕
 東京都港区のアメリカ大使館内公邸玄関で、無職(19)がライシャワー駐日大使の右腿をナイフで刺し、1ヶ月の重傷を負わせ、その場で逮捕された。1.20には同大使館宿舎に放火もしていた。
 静岡県沼津出身。中学を優秀な成績で卒業。県立商業高校に進学したが、2年生の時に頭痛を訴え、メニエル氏病と診断され、程なくして精神分裂症で入院。退学して家の手伝いをしていたが、自分の眼の悪いことを悩み、近視者の救済を訴えるため、たびたび大使館を訪れて、2.25には大使あてに陳情書を渡していた。
「1)世の中で一般に読書に適した距離は眼前30糎(センチ)というが、それはあやまりで、50糎が適当である。それなのに30糎の距離で本を読ませるから近視になる人がふえ、とくに女性はきれいな人に限って眼を悪くする。近視のために眼鏡をかけなけさばならないことは、ことに女性にとって不幸なことである。男性も今は平和だからよいが、戦争になったら戦地へいって困ってしまう。このことに気づいたのは、新聞なんか少し離すとぼっとしてしまう。その限界が45糎だということに(自分の眼で)気がついたのです。したがって、そこが近すぎるか遠すぎるかの境い目です。30糎は45糎より内側だから、不自然なわけです。
 昔の人はさむらいが姿勢を正して本を読むとか、女子が膝の上でお針をするとかによって、近視がなかったのです。
2)今の勉強方法は毎日毎日の積み重ねであると教えられているが、今の丸暗記の勉強方法は要領のよい勉強方法ではないから、勉強の真の要領をおぼえさせることを学びなさいということ。
3)学校で女子に強制的に海水浴をやらせるけれども、男女が一緒に泳ぐのは風紀をびん乱するからよくないことです。しかし女子も水着を着てもよい。
4)教室での男女の机の配列を男子を前半分、女子を後半分に並べるようにすることで、これは性道徳のための必要なことである。形の上だけで道徳を守のではなく、眼に見えない頭の中での性道徳が大切です。もし女子が前半分にいると、勉強しながら妄想するから、そういうことではいけない。一番良いのは学校を分けることですが、手っ取り早いのは席を今言ったように分けることです。」  8.1に心神喪失状態で不起訴処分。陳情書は「日本の精神鑑定」引用。


昭和39年(1964).5.4〔高3がタクシー運転手を刺殺〕
 大阪府大阪市で、府立高校3年生(17)が、タクシーに乗って登山ナイフで運転手(38)の頭と首を20回めった刺しにして殺害、死体をトランクに入れて乗り回した後、自宅近くに乗り捨て、「どうか天国にいけますように」という遺書を残して家出した。8日に和歌山県白浜海岸で自殺しようとしたが釣り人がいたため中止。学生服とズック靴を残し、自殺したものと見せかけて失踪。11日に山口県山口市のパチンコ店に住み込みで働いていたところを逮捕された。
 「運転手殺しをやってみたらどうかなと、かなり前から考えていた。ただサラリーマンになって漠然と生きていても、人間としての意味がないので何か思い切ったことをやりたかった」と自供。2.12には大阪府河内長野市でタクシー運転手(29)を鉄棒で殴って重傷を負わせ、5千円を奪っていた。名門校の生徒で、成績が下がってむしゃくしゃしていたための犯行。大阪地裁は懲役15年の判決。


昭和39年(1964).7.15〔エリート一家の高校生弟殺害事件〕
 東京都三鷹市の自宅で、慶応志木高校3年の長男(18)が2年の次男(16)をナタで惨殺、逃走したが2日後に捕まった。「3人組が侵入して自分はクロロホルムをかがされて自由を失い弟は殺された。犯人のことを言うと自分も殺される」という詳細な筋書きを綴ったノートを持っていたが、じつは兄弟とも野球チームリーダーで人気のある弟をねたんでナタで頭を20数回も殴ったもの。父親は大学教授、母親は日本初の女性検事で少年問題の専門家。


昭和39年(1964).8.11〔16歳の保護観察少年が通り魔殺人して電車に轢かれて死亡〕
 東京都世田谷区代田の羽根木公園で、クリーニング店手伝い(16)が、少女とデート中の国士舘大学生(21)をいきなりナイフで刺殺して逃走、50メートル離れた小田急線の踏切を無理に渡ろうとして電車に轢かれ、死亡した。
 補導歴10回。2年前にレイプ未遂と恐喝で少年院に。その後精神異常から、東京医療少年院に入って4月に退院、保護観察中だった。事件当日、空気銃が欲しいと保護司に相談したが、16歳では許可されないと断られ、帰宅途中に洋品店でポロシャツを万引きして捕まり、兄が警察から身柄を引き取った1時間後の凶行だった。家のクリーニング店で働いていたが、いらいらして家族に物を投げつけたり、窓ガラスを割ったりしていた。






昭和40年(1965).1.3〔高2らが集団レイプして谷底へ転落〕
 神奈川県愛甲郡で、高校生や工員など7人(16〜17)が前日夜に自動車に分乗して知り合いの女工(16)を中津渓谷に連れ出して代わる代わるにレイプした。翌3日深夜3時に女工は隙を見て逃げ出したが、追ってきた少年2人と揉み合いになり、3人は谷に転落した。20メートル下の木に引っかかっていた県立高校2年生(17)は救助されたが、工員(17)と女工は谷底で死亡しているのが発見された。


昭和40年(1965).7.29〔18歳少年ライフル魔〕
 神奈川県高座郡で、東京都世田谷区の無職(18)が警官をライフル銃で射殺。奪ったピストルでもう1人の警官に重傷を負わせてから、車を何台もハイジャックして、渋谷の銃砲店で店員3名を人質に130発を乱射し夕方逮捕。山手線もストップ。15人が重軽傷。
 中流家庭で、両親は職をやめてぶらぶらしても何も言わず甘やかしていた。2審で無期から自ら望んだ死刑となり、昭和44年最高裁で確定。
※少年ライフル魔事件の詳細


昭和40年(1965).9.9〔児童殺人、死体遺棄事件〕
 大工見習の少年(16才)は、昭和40年9月9日午後1時30分ころ、顔児知りの小学校5年生の児童(10才)から金銭を喝取しようと、甘言を用いて人通りのない神社裏に連れ込み、金銭を持参するよう要求したが、断られたため手拳、棒等で強打して失神状態におとし入れ、3メートル崖下の同神杜奥本殿土台石に突き落して殺害し、さらに神社拝殿床下に引きずりこみ、柱に藁縄、ロープ等でしばって隠匿遺棄した。
 本人は3男として出生後、両観に養育され、中学卒業後父のもとで大工見習として働いていたものであるが、小学校3年生ごろから小学校5年生までの間、左足の疾患のため殆んど通学せず、知能程度も低かった。中学3年当時、友人とともに窃盗を行ない、保護観察中であった。性格的には怠惰で、仕事が嫌になると無断で家を飛び出して窃盗、詐欺を行ない、また野宿して、何日も帰らない等放浪癖を有し、一見無口で小心者のように見えるが、友人と口論等すると「殺してやる」と怒号するなど、激情的な面もあり、罪悪意識も低かった。(石川県) 警察庁「昭和40年の犯罪」引用。


昭和40年(1965).10.24〔中2がレイプしようとして主婦を殺害〕
 大阪府吹田市の自宅で、中学2年生(14)が近所の主婦(40)を殺害、死体を勉強部屋の押入れに隠したが、翌日逮捕された。
「小学1,2年のころは成績も良かったのに上級生になって異性に対する興味から勉強も手につかなくなった。主婦がやって来たのでいたずらしようと勉強部屋に誘い込んだが抵抗されたために首を絞めて殺した。遺体を全裸にしていたずらした」と自供。ポケットから「完全犯罪の計画書」というメモが見つかり、乱暴や殺害の方法、死体をバラバラに切断してコンクリート詰めにして川に捨てることや捕まったあとのことまで30項目に渡り細かく書かれていた。推理小説にヒントを得て、10日前に道徳の授業中にまとめたという。一人っ子で成績は中くらい、明るく評判のいい生徒だった。


昭和40年(1965).11.1〔中3が教師を刺し人質取って逃走〕
 神奈川県平塚市の中学校で、3年生(15)が刃渡り50センチの旧陸軍の銃剣を持って登校してきた。担任教師が警察に連絡しているあいだに中3生は校長を刺し、2年生の女生徒を「いま先生を4人刺した。俺と一緒に来い」と4キロ離れた行楽地の湘南平の頂上に連れ出した。そこにハイキングに来ていた会社員の女性(16)2人にも同行するように強要、追ってきた教師も「近づくと女を刺すぞ」と言われたため手出しできなかった。山の麓で主婦3人を脅し、会社重役宅に侵入して「逃走資金をよこせ」と脅して1750円を奪った。会社員の女性1人だけを連れてトラック運転手を脅して逃走したが、踏切で停車中に追ってきたパトカーに捕まった。
 「自分をやっかいものにした先生たちを刺し殺そうと計画的にやった」と自供。銃剣は昨年古物商でアルバイトしたさいに盗んで持ち帰ったもの。少年鑑別所に入れられたが父親の希望で在宅の観察処分となり、翌年1.18箱根の旅館で客の夫婦を脅して4万8千円を強奪する事件を起こしている。


昭和40年(1965)..〔思慕する女性の寝姿をみようと侵入して傷害を与えた事案〕
 山間の平和な町で、一見問題性がないと思われるA県立高校生(17才)が平素から思慕する女性(24才)の寝姿を見ようと、深夜女の自宅に侵入したが、家人に発見されたため自制心を失ない、所携の出刃包丁をもって、同女および両親の3人に対して切りつけ、それぞれ頭部、顔、腕、背中などに全治20日から1ヶ月問の刺切創の重傷を与えた。
 少年の家庭は実父母と妹の4人暮しで生活は中流である。性格は明朗で素直であったようであるが、少年が10才のとき幼い妹を子守中に過って落し、それが原因で死亡したこと、また次の妹の手足を熱湯で火傷させるなどの過失事故を起し、母から「お前も一緒に殺してやる。」など厳しく叱られたことがあった。鑑別の結果によると家族との情緒的結びつきの必要性がとりあげられている。知能指数は110であるがものの考え方がかなり独断的で独りよがりなところがあった。中学2年ごろから自慰行為を覚え、学業成績も低下していた。(兵庫県) 警察庁「昭和40年の犯罪」引用。


昭和41年(1966).2.12〔慶応大生が女の悲鳴に快感を覚えて引ったくり〕※参考
 東京都北区の路上で、慶応大学医学部3年生(21)が女性(24)のハンドバッグをひったくって逃走したが、女性が追い掛け警官によってすぐに逮捕された。引ったくりをすると女性が悲鳴を上げるのがおもしろくてやったので金が欲しいのではないと自供。


昭和41年(1966).2.12〔中2が赤ちゃん誘拐〕
 愛知県海部郡で、中学2年生(15)が民家に侵入して男の赤ちゃん(生後8ヶ月)を誘拐、走って逃走したが、母親(23)の叫び声で近所の人が6百メートル追い掛けて赤ちゃんを無事取り返した。赤ちゃんを名古屋市内に置き去りにして驚かせてやろうとしたと自供。他の家に脅迫状を届けたこともあった。


昭和41年(1966).2.13〔17歳ニートがピストルで3人殺傷〕
 京都府京都市東山区の路上で夕方6時過ぎ、無職少年(17)が巡査(51)の背中を刺し6ヶ月の重傷を負わせてピストルを奪った。6時40分に1.5キロ離れた自宅裏の民家に侵入、いきなり主婦(33)を射殺、10分後に8百メートル離れた民家で叔母(32)にも無言で発砲して重傷を負わせ逃走した。
 2千3百人の警官を動員したが発見できないため、2.14の11時30分に少年としては異例の公開捜査となって氏名と顔写真が公表され、母親(40)が涙ながらにテレビで訴えて、20キロ離れた京都府綴喜郡の派出所で夕方6時過ぎに逮捕。2人から冷たくされたのを恨んで、殺すために肉切り庖丁を盗んだがピストルのほうが確実と警官を襲ったもの。
 定時制高校を中退してから仕事も続かず自宅に引き籠もり、ノイローゼで精神病院に入院しており、睡眠薬自殺を3回試みている。内気でおとなしい性格だった。


昭和41年(1966).5.9〔18歳がこまどり姉妹と心中図る〕
 鳥取県倉吉市の市福祉会館で公演中の舞台で、農業手伝いの少年(18)がこまどり姉妹の並木葉子さん(26)を刃物で刺し、1ヶ月の重傷を負わせた。心中を図って、自身も舞台上で腹を刺し1ヶ月の重傷。これまで何度も結婚を迫る手紙を出していた。性格はやや内向的だが、ごく普通の少年だった。広島高裁で2〜5年の不定期刑となったが、1年後に首吊り自殺。


昭和41年(1966).9.7〔21歳大学生が8年前の弟の失明恨んで一家4人皆殺し〕※参考
 北海道瀬棚郡で、北海道学園大学生2年生(21)が深夜1時に特定郵便局に押し入り、局長(42)、妻(42)、次男(16)、3男(14)の一家4人をナイフでメッタ刺しにして殺害、逃走して東京都の会社に本名で就職、9.15に逮捕された。8年前の昭和33年3月、3男が弟(当時6歳)の眼を弓矢で撃って失明させ、百万円の治療費が掛かったが裁判の結果5万円の慰謝料しか払わず恨んでいた。町の有力者で比較的裕福な町役場出張所長の長男でIQ124高校では一番の成績だったが、治療費で費用がなくなったので新潟医大進学を断念、働いて学費を稼いで2年後に進学したがほとんど出席していなかった。この年の大卒初任給24,890円。


昭和41年(1966).9.30〔16歳がニートコンプレックスから連続幼女通り魔〕
 東京都品川区の路上で、無職(16)が遊んでいた女の子(4)の下腹部をカミソリで切るなど、幼女4人に対して傷害、暴行、強制猥褻事件を繰り返し、11.26に逮捕。同様の事件がほかにも10件起きており、少年の犯行ではないかと見られている。父親は元警官の中流家庭。工員を7月に辞めて遊んでおり、「ブラブラしている自分を笑っているような気がしたので刺した」と自供。


昭和41年(1966).10.16〔高3が幼女殺しを依頼され実行〕
 茨城県日立市の鮎川橋橋脚台で、幼女(3)の死体が発見された。犯人は日立市の無職青年(25)と水戸市の私立高校3年生(18)。青年は殺害した幼女の母親と駆け落ちしようとしたが、幼女が邪魔になり殺害を計画。50万円の報酬で少年に殺害を依頼。幼女を連れ出し、「完全犯罪だから大丈夫だ。早く突き落とせ」と命令され、高3生が13メートル下の橋脚台に落下させた。この年の大卒初任給24,890円。


昭和42年(1967).1.23〔16歳の混血少年連続レイプ殺人事件〕
 千葉県柏市で、広域手配の元自動車修理工(16)が逮捕された。前年12.13、豊橋市の民家に強盗に入り主婦(24)をレイプして紐で首を絞めて殺害、フロに放り込んで2万円を奪って逃げた。12.27、千葉県我孫子町で空き巣に入り帰宅した主婦(28)を縛ってレイプして帯で首を絞めて殺害。逮捕の8日前の1.16、甲府市で強盗に入り三女(25)をレイプして電気コードで首を絞めて殺害、死体を鴨居に吊して1万円を奪って逃げたもの。
 米黒人兵と日本女性との混血少年で、父親は朝鮮戦争で消息不明となり母親は別の米兵と結婚して渡米したため両親の記憶はほとんどなく、学校でも「黒人」とからかわれた。「道で擦れ違うとき必ずあざ笑う若い女性が憎かった」と自供。
 18歳未満としては異例の死刑を求刑されたが無期懲役となり、38歳となった平成1年4月、合わせて22年の拘禁の後に仮釈放された。


昭和42年(1967).2.27〔中3が教師への仕返しに刀を振り回し通行人を切る〕
 東京都大田区の路上で、中学3年生(15)が日本刀を振り回し、1人に3ヶ月、1人に2週間の怪我、さらに車5台の窓ガラス、商店4軒のショーウィンドを叩き割って捕まった。教師に叱られ、その後自宅で友人らと酒を飲み、泥酔。叱った教師宅に刀を持って暴れながら向かった。そして教師宅に到着したが、件の教師は留守。妻が応対し、やさしく諭されると泣きながら刀を収めた。学校での素行・成績は悪く、窃盗、暴行など7回の補導歴があったが、家では甘えん坊だった。


昭和42年(1967).4.25〔高3がひかり号爆破未遂〕
 熱海付近を通過中の新幹線下り「ひかり21号」の座席に、『源氏物語』の本をくり抜いてダイナマイトと雷管を仕掛けた時限爆弾があるのを車掌が発見した。箱から本を引き抜くと爆発する仕掛けだったが、たまたま上下を逆にして抜いたため接触不良で爆発はしなかった。
 翌年2.19、窃盗容疑で留置中の18歳の無職少年が「火薬とSFを研究した成果を見るため」「高速で走る新幹線で爆発が起これば大勢の人が死ぬだろうと思った」と犯行を自供した。
 福島県の裕福な農家の末っ子で成績も良かったがSFと爆弾の研究に熱中、工事現場からダイナマイト百数十本と雷管などを盗み、相次ぐ爆弾事件に刺激されて親にアパートを借りてもらい本型の時限爆弾を自作、山中で何度も爆破実験をしていた。高校3年生(17)の修学旅行で東京駅に来たときに新幹線に仕掛けていた。
 研究資金のため盗みをはじめ、1月には学校も退学、自動車を盗んで逮捕され指紋が一致したため追及されて自白したもの。部屋の中からは国会議事堂や警視庁に丸爆印の付けられた地図も発見された。


昭和42年(1967).6.27〔21歳がただ殺したいから幼女殺害 ひとみちゃん殺人事件〕※参考
 島根県太田市の路上で、無職(21)が下校中の小学2年生の女の子(7)の首を絞め、雑木林に連れ込んでナイフで刺殺した。7.8に長野県松本市で窃盗で逮捕され、「誰でもよいから一度人を殺してみたかった」と自供。車を運転していて、たまたま目に付いた女の子を理由なく殺したもの。6.25には歩行中の男性を車で轢いてからナイフで胸を刺して殺し、死体を海に遺棄したことも自供した。島根県周吉郡生まれで、中卒後は窃盗を繰り返して逮捕歴もある。学校の成績はよく、おとなしい性格だった。罪の意識はまったくなく、連行時に詰めかけた群衆にも笑顔を見せて平然としていた。


昭和42年(1967).6.29〔17歳が映画「天国と地獄」まね3千万円脅迫〕
 福岡県北九州市八幡区の八幡製鉄相談役(76)宅に、職業訓練生(17)が覆面をして押し入り、妻(67)とお手伝い(56)をモリで脅して現金8万円を強奪した。7.20に同じ家に「電車から3千万円を投げろ。警察に知らせたらきっと殺す」という映画「天国と地獄」を真似た脅迫状を届け、7.22に警察が指定の「SSS」と書かれた布がある場所に新聞紙の束を投げたが、ヘリまで動員する警備の多さに恐れて現金強奪を断念、7.30に逮捕された。
 裕福な家庭で育つも2度の補導歴があり高校も中退。父親(49)の上司である相談役の家なら金を持っているだろうと計画したもの。「ヨットや自動車が欲しかった」と自供。


昭和42年(1967).9.17〔17歳店員が10分間に女性5人を刺傷〕
 東京都足立区千住で、店員(17)が10分の間に女性5人をナイフで襲い、2人に1週間の怪我を負わせた。他の3人は無事だったが、母と娘の二人組を追回す始末。睡眠薬を入れた酒を飲み、泥酔状態での犯行。埼玉県の農業商校中退後上京し、働いていた。


昭和42年(1967).10.12〔17歳が園まりと心中する練習のため殺人と通り魔〕
 埼玉県南埼玉郡の食品店で、工員(17)が顔なじみの主人(29)を刺殺。鉄棒で妻(27)を殴打して3週間のケガを負わせた。6.4には路上で女子工員(20)を鉄棒で殴りつけ3ヶ月の重傷を負わせていた。
 福岡県糸島郡の農家の末っ子で、中卒後は埼玉の工場でまじめに働いていたが、園まり(23)のファンになってから性格が一変。他のファンに負けじと借金をしてまでがんばっていたが、次第に「独り占めにしたい。その為には殺すしかない」と思い詰め、度胸をつける練習のため一連の犯行を犯したもの


昭和43年(1968).1.16〔17歳が幼女2人をレイプ殺人〕
 千葉県船橋市の路上で、工員(17)が下校中の小学4年生の女の子(10)に駅への道を訊いて一緒に歩いているうちに物陰に連れ込もうとして抵抗されたので首を絞めて失神させてからレイプ、殺害した。東京都墨田区に住んでいたが中学生の時から船橋ヘルスセンターでひとりでゲームをしていて土地勘があり、工場をさぼってレイプ目的で幼女を物色していたもの。
 迷宮入りとなり、警備員に転職、昭和48年2.17に船橋市の空き家で、小学5年生の女の子(11)をレイプして絞殺した。11.15に松戸市で幼稚園の女の子(6)の首を絞めてレイプした事件で、11.28に23歳になった男が逮捕された。11.24に仕事を辞めて、人目が少なく幼女レイプをやりやすい千葉県鎌ケ谷市で独り暮らしをはじめたところだった。それまでは両親と2人の妹と実家に住んでいた。
 内気な性格で小学生しか友達がおらず、「大人の女性は自由にならないので子供を狙った」と50人以上の女の子や男の子に乱暴を繰り返していたことを自供。死刑が求刑されたが、涙を流して人間らしさを取り戻したとして、無期懲役となった。


昭和43年(1968).2.20〔中3が叔母をレイプしようとして従兄弟の幼児殺害〕
 福島県須賀川市で、中学3年生(15)が隣家に押し入り、叔母(26)をレイプしようとして抵抗されたため包丁で顔や手に切りつけ10日間の傷害を負わせたが、叔母は逃げて助かった。その前に犯行に邪魔な叔母の長男(2)を外に連れ出そうとしたが戻ってくるので絞殺して2百メートル離れた池に死体を捨てていた。盗んだ自転車で宇都宮駅まで逃走、大宮行きの切符を持っていたが、夜に逮捕された。父親が3年前に死亡している貧困家庭の3人兄妹の2男。学校は休むことが多く、成績も悪く、内気で友達もいなかった。自宅にテレビが無いので隣家で見せてもらっていたが、先月から叔母が見せてくれなくなったため、母親と叔父が上京して留守だった機会に仕返しとしてやったと自供。医療少年院に入った。
 昭和51年(1976).6.15、24歳になった男は、千葉県銚子市の民宿で主人の妻(24)をレイプしてコードで絞殺、長女(生後1ヶ月)が泣いたために絞殺、逮捕された。土木作業員をやっており、近所の工事のため仲間4人で泊まっていて、この女性が中学の時の初恋の相手に似ていたため深夜に1人で抜け出して襲ったもの。昭和55年3.11、最高裁で死刑確定。


昭和43年(1968).2.22〔19歳浪人生が弟を殺害〕
 千葉県佐倉市の自宅で、浪人生(19)が寝ていた三男の中学3年生(14)の喉を小刀で刺して殺害、交番に手を血だらけにしながら「おまわりさん、おまわりさん、いま人を刺してきました」と自首した。
 父親は高校教師、母親は歯科医だったが最初から千葉と長野に別れて住み、学校の休みに父親が長野に来るという変則家族だった。浪人生は母方の祖母(おなじく歯科医)に甘やかされて育ち、父親にはなつかなかった。7年前に千葉の父親の元で家族が暮らすようになったが、すぐに母親と祖母が亡くなり、勉強だけに打ち込んで一流高校に入ったが成績は下がり東工大の受験にも失敗、「俺はこの家の子じゃない。本当の母親は生きている。どこにいるんだ、教えてくれ」などとわめき、精神分裂症として病院に入れられた。退院してからは家でごろごろしていた。三男とは仲が良く、「人間は宇宙に帰らなければいけないんだ。弟は宇宙に送られるのだから幸せだよ」と言って罪の意識はない。父親が勉強の邪魔になるとテレビは家に置いていなかった。


昭和43年(1968).3.16〔15歳が幼女絞殺〕
 中学生時代に強盗未遂によって不処分にされたことのある少年(15歳)が、隣家に町内会費を集めに行つた際"○○が来ているよ〃と名前を呼び捨てにするのを聞いたことから、自分を白眼視していると恨みを抱き、昭和43年3月保育所から帰宅途中の隣家の長女(5歳)を自宅に誘い入れて絞殺し、死体をダンボール箱に詰め、5.5キロ離れた山中の山芋穴に埋めて遺棄した。(福岡) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和43年(1968).3.22〔19歳大学生がカインとアベルをまねて小学生の弟を殺害〕
 北海道滝川市の自宅で深夜1時、長男の大学1年生(19)が三男の小学校3年生(9)を殺害した。二男の中学生が物音で眼を覚ましたので「お前はあっちに行け」と隣の部屋に追い立ててからの犯行。
 大学生は両親に可愛がられている三男を日頃から妬んでおり、旧約聖書のカインとアベルの話を読んでから弟を殺さないと兄の権利が奪われると思い5,6年前から機会を狙っていた。春休みのため東京の大学から帰省中で、両親が留守の隙に針金で首を絞めて殺害したもの。


昭和43年(1968).3.31〔18歳女子が警察に捕まるためバス客刺す〕
 福岡県福岡市の走行中のバスで、女子店員(18)がたまたま乗り合わせた女子会社員(19)の顔や背中を庖丁で何回も刺して1ヶ月の重傷を負わせた。父と二人暮し。パン屋で働くもすぐに辞め、今月クリーニング店で勤め始めたが働かずに遊び歩いていたために給料が出ていなかった。給料を父親に渡さないと怒られるので、警察の世話になろうとしたもの。


昭和43年(1968).6.〔高校生など少年3人が祖父母が哀願する目前で少女を輪姦〕
 少年3人(大工1名、高校生2名)が、昭和43年6月深夜、強姦の目的で、祖父母と3人暮しの少女(18歳)の寝室に侵入したが、同女が大声を出して祖父母の部屋に逃げたため一旦屋外に逃走し、そこで家族を脅かして目的を遂げるべく相談したうえ再び屋内に侵入し、病床の祖父の枕元にあった果物ナイフを突きつけて脅迫し、少女を物置小屋に運んで姦淫し、その際首を絞めたため失神したのを死亡したものと感違いし、驚いて祖父母の部屋に運び入れて逃走しようとしたが、祖母が少女の脈をみて「脈があるから医者を呼ぶ」と言うのを聞くや"それなら生きているんだ"と逆戻りし、祖父母が哀願する目前で少女を輪姦し、処女膜裂傷の傷害を与えた。(島根) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和43年(1968).12.25〔19歳浪人生が本当の気持ちを伝えるために母親を刺殺〕
 山口県下関市の自宅で、浪人生(19)が母親(40)を出刃包丁で刺し殺し、留めようとした水産大学校助教授の父親(46)にも2週間の傷を負わせた。
 「お母さんとはよく話していたが、自分の本当の気持ちが理解してもらえなかった。台所で言い争いになったが本当の気持ちを訴えるつもりで刺した」と自供。一人息子でこの春に神戸大学の受験に失敗、夜遅くまで熱心に勉強していた。高校時代の成績は中程度で、柔道部に属する陽気で人に好かれる性格だった。


昭和43年(1968).12.28〔19歳工員が買物の行き違いから一家3人刺殺〕
 栃木県那須郡の呉服店で夜10時前、鉄工所工員(19)が3歳の幼女含む一家3人を刺殺、1.9に逮捕された。靴下を注文したが足袋を出したため文句を言うと、店主の妻(33)が「たかが靴下で夜遅くに買いに来るなんて」と言ったため激怒。傍にあった裁ち鋏で妻を数回突き刺し、靴下を取りに2階に居た店主(39)も刺殺。そして泣き出した妻のいとこの長女(3)を刺殺した。2年前に空巣で捕まっている。


昭和44年(1969).1.8〔19歳が青年を刺して車で圧殺〕
 東京都葛飾区の亀有駅前で深夜1時、千葉県山武郡の店員(19)が乱暴運転をして、男性(20)が注意。店員は車から降りて乱闘。持っていた小刀で胸を刺し、倒れた男性を車で店舗シャッターに6回もぶつけて圧殺した。店員は無免許の上、飲酒運転。注意の言葉に逆上して、大勢の目撃者もいる前での犯行。


昭和44年(1969).4.23〔高1のいじめ復讐首切り殺人事件〕
 神奈川県川崎市の私立高校のそばで1年生(15)が全身47カ所を刺され首を切り落とされて殺害された。一緒にいた同級生(15)は「日本刀の3人組に襲われた」と言っていたが、25日に「見下げられ、悔しまぎれに刺殺した」 と自供。中学の時からいじめられ、この日には辞書に毛虫をはさまれた。脅かすつもりで万引きした登山ナイフを見せたところ、「お前の顔は豚に似ているな」と反対に嘲笑されたのに憤激して刺殺し、ナイフだけで首を切断した。裕福な家庭の長男。
※サレジオ首切り殺人事件についてのルポルタージュ。『心にナイフをしのばせて』奥野修司 。


昭和44年(1969).9.3〔保護観察中の少年による強姦殺人事件〕
 被疑少年S(19歳)は、小学生(11歳)を強姦しようとして傷害を与えた非行により保護観察中であつたが、その後もエロ本やエロ映画等を観ているうちに再び強姦を企て、前回非行の際、被害者に顔を見られ、そのまま帰したために検挙されたことから、今回は刃物で刺し殺せば安全だと考え、あらかじめ「切出しナイフ」を購入し、昭和44年9月1日午後7時15分頃、亘理郡山元町で通勤帰りのS女(20歳)を背後から5.6回突き刺し、さらに顔面、頸部を突き刺したうえ、道路脇の水田に引きずり込み、着衣をナイフで引き裂き、全裸にして姦淫して殺害した。(44.9.3検挙、宮城) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和44年(1969).12.29〔19歳ニートが医師2人を刺殺〕
 大阪府大阪市の病院で、無職(19)が院長(41)を刺身包丁で刺殺、すぐそばの病院でも院長(41)を刺殺、またべつの病院でも女性院長(64)を殴り自転車で逃走、自宅ですぐに逮捕された。飛田新地の風俗店で淋病になり、大病院で治療を受け完治したが治っていないものと思い込み梅毒恐怖症となって病院を渡り歩き、気のせいと一向に治してくれない医者を怨んだもの。失業中の父親の三男で、中卒後に職を転々として、今年3月には時津部屋に入門していた。


昭和45年(1970).2.6〔中3が通せんぼの園児殺害〕
 兵庫県姫路市の住宅街の路上で、中学3年生(15)が幼稚園児の男の子(4)の首を刺さして殺害、男の子(5)の後頭部を切って10日間のケガを負わせ、捕まった。中3生が自転車で通りかかったときに2人の園児が通せんぼして自転車を揺すった。一度帰宅したが怒りがおさまらず「犬でも刺せば気が晴れるだろう」と小刀を持って外出したがまた同じ場所で通せんぼして自転車を揺すられドブに落ちた。カッとして園児に襲いかかったもの。おとなしく明るい性格だった。


昭和45年(1970).7.1〔19歳が女装の男性を殺害〕
 神奈川県横浜市の旅館で、元新聞配達員(19)が男性(25)を殺害した。関内駅で女装した男性を女と思いこみ一晩1万円の前金で買ったが、男とわかってカッとなりビールビンで頭を殴ったもの。


昭和45年(1970).10.3〔19歳がセスナ機爆破してカーチェイス〕
 高知県南国市の高知空港で午前3時、同県吾川郡の少年(19)が無人のセスナ機を爆破、4日に国鉄鉄橋を時限爆弾で爆破した。5日に発見されたが盗んだ車を猛スピードで飛ばして、追跡のパトカーにダイナマイトを5回も投げて爆発させながら次々に検問を突破、70キロのカーチェイスの末バリケードに阻まれ、6日に逮捕された。精神不安定で無免許運転などたびたび犯罪を犯しており、先月19日に遺書を残し家出していた。工事現場からダイナマイト58本を盗み、銀行強盗を計画したが断念、世の中をあっと言わそうと爆破事件を起こしたもの。
 高知地裁は「心神耗弱としても無差別で反省もなく再犯の可能性が高い」と殺人未遂、汽車往来危険、爆発物取り締まり違反などで懲役13年の判決。


昭和46年(1971).1.27〔小1の2人が4歳児殺害〕
 福島県郡山市の田んぼで男の子が全裸の死体となって発見され、迷子の末の凍死だと思われたが、じつは小学1年生(7)2人の犯行であることがわかった。小1生2人はキックボクシング遊びで男の子を殴った。鼻血を出して逃げる男の子を追っかけ裸にした。さらに逃げた男の子は田んぼの溝に落ちぐったりして動かなくなった。怖くなった小1生2人は逃走し、置き去りにされた男の子は凍死したもの。


昭和46年(1971).4.〔バカといわれたことに激昂し幼女をナイフで刺殺した事件〕
 中学1年男子(12歳)は、友達の家へ遊びに行ったところ留守で帰ろうとしたとき、横手から被害幼女(5歳)がでてきて「バカ」とか、「カバ」等といったことに激昂し、所持していたプラモデル用ナイフで刺殺した。(山形4月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和46年(1971).5.1〔18歳が刑務所に行くために幼児殺害〕  兵庫県津名郡(淡路島)の酪農農家で、牧童(18)が主人の2男(1)を家から連れ出し1キロ離れた山中の溜池に放り込んで溺死させ神戸に逃走、金がなくったため5.2に自首した。4.28に少年院を出て、保護司のあっせんで4.29に雇われたばかりだったが、朝5時から乳搾りをやらされるなど仕事がきつく、仕事の楽な刑務所に行きたいと考え、窃盗ではまた少年院に入れられるので殺人を計画したもの。尼崎市で両親と兄と暮らしていたが2年前に奈良県で自転車を盗んで東京に逃走して逮捕されていた。


昭和46年(1971).5.11〔16歳が弟を虐待殺人〕
 宮崎県児湯郡の農家で、無職の兄(16)が小学2年生の4男(7)を殺害した。1か月前から嫌がる弟を空手の相手にして、投げ飛ばして頭を打って脳内出血にさせたもの。内蔵破裂と肋骨骨折もしていた。


昭和46年(1971).8.2〔19歳ストーカーが一家4人殺傷〕
 静岡県掛川市の民家に、自衛隊二等陸士(19)が短大2年生の次女(19)の寝姿を見ようと深夜2時に上半身裸で侵入したところを見つかり、父親(48)を包丁で20回めった刺しにして殺害、母親(45)と長女(21)に3週間のケガを負わせ、祖父(71)を階段から蹴落として頭蓋骨骨折の重体とし、逃走したがすぐに逮捕された。
 中学時代の同級生の次女に想いを寄せていたが相手にされていなかった。次女は旅行でこの日は家にいなかった。


昭和46年(1971).10.3〔中3が応援演説が嫌で殺人〕
 神奈川県足柄下郡で、中学3年生(15)が1年生女子(12)を殺害して逮捕された。翌日の生徒会選挙に立候補する女子の応援演説を頼まれていたが、人前で話すのが嫌で、1日閉じ込めておこうと裏山の洞窟に呼び出した。「今日逢ったことは2人だけの秘密にしよう。誓いのために目隠しして縛ってもいいか」と言うと、女子は「面白いからいいわよ」といいなりに後ろで手を縛られ目隠しされた。しかし、誘拐事件が発覚したら困るので殺してしまおうと、棒で頭を殴り首を絞めたもの。裕福な老舖旅館の長男で、卓球部のキャプテン。女子は部員だった。


昭和47年(1972).2.14〔中2が幼女をいたずら殺人〕
 大阪府羽曳野市の倉庫で、中学2年生(13)が小学3年生の女の子(9)に強制猥褻をとしたが騒がれ殺害、4.4に逮捕された。数年前に見たテレビドラマ「キーハンター」で女性の首をつかんで持ち上げ数歩歩くシーンを思い出し、試してみると女の子は口からアワを出してぐったりしたので逃走したが、告げ口されると困るので引き返して絞殺したもの。知能が低く、おとなしい性格で、教室に置いてあった女生徒のスカートを焼却炉で焼いたこともある。女の子とは近所に住み、昔から親しかった。
 少年院に1年間入り、旋盤工となった。昭和55年3.18、21歳となった男は富田林市の路上で、車の窓からヤリを撃って女性(23)の心臓に命中させて殺害、翌日自首した。工場で手製の銃と、ドリルの刃を尖らせて40センチの竹につけたヤリを作製、昨年9月から3人の若い女性を銃で撃ったり鉄パイプで殴ったりしていた。3.23に母親(51)が服毒自殺を図って重体となった。


昭和47年(1972).5.17〔4歳児が殺人〕
 富山県婦負郡の国鉄職員宅に近所の男の子(4)が遊びにきて、二階に寝ていた三女(生後5ヶ月)を抱き上げ高さ3メートルの階段から下に落とした。男の子はさらに三女を抱いて家の前の農業用水へ投げ込んだ。近所の人が流されていた女の子を見つけて助け上げたが間もなく死亡。水を飲んでおらず、階段で頭を打ったのが死因。
 次女(3)と「仮面ごっこ」をしていたが欲しいものをくれなかったので妹の上に乗ったが泣き出したので下に連れて行こうとして階段で落としたと話す。


昭和47年(1972).6.5〔小5が殺人〕
 東京都中野区の児童公園で男の子(2)が母親が目を離した隙に行方不明となり、2日後に3百メートル離れた6階建てマンションの屋上で全裸死体となって発見された。朝鮮初級学校5年生(10)が学校をさぼって砂場で遊んでいると男の子に砂をかけられ、怒って自転車でマンション屋上に連れ込み顔を数回殴った。あまり泣くのでそのままにしていったん家に帰ったが、気になって戻ると男の子が寝ていた。起こして家に帰るように言うとまた泣くので、裸にして腹を数回殴るとぐったりしたので服を下に投げ捨て逃げたという。学校に友達はおらず、さぼっては小さい子と遊んでいた。先月にも別の幼児に腹を立ててプールに投げ込んでいる。


昭和47年(1972).6.21〔17歳が小学校から女の子誘拐〕
 奈良県吉野郡の小学校で、授業中の2年生の女の子(7)を急用で帰宅させて欲しいという電話が掛かり、しばらくしてサングラス姿の無職(17)がやって来て連れ帰った。それを知人が目撃し、女の子の親に伝えて誘拐だと発覚した。
 住民総出で探索し、1時間後に木に縛りつけられている女の子を保護、別の場所で犯人が見つかったが車で逃走、パトカーに追い詰められると民家に押し入り、主婦(41)を縛り上げ、ジャックナイフを突きつけて人質とした。2時間後に警官10人以上が突入して取り押さえたが、主婦と警官5人が1週間の傷害を負わされた。
 愛媛県西宇和郡出身の住所不定で、10日前からこの女の子に眼を付けていた。女の子を縛りつけてから、家に行って直接身代金を要求するつもりだったが、すでに誘拐騒ぎで家はからっぽで、金庫から22万円を盗んでいた。「海外旅行のために10万円欲しかった」と自供。


昭和47年(1972).11.14〔中1が1人で育てていた弟を折檻殺害〕
 大阪府摂津市の自宅で、中学1年生の長男(13)が妹(1)をいじめる次男(2)をせっかんして殺害した。父親(39)は先月蒸発、継母はホステスとして働きに出て家に帰ってこないために、長男が学校に行かずに継母との間にできた子供2人を育てていた。妹のおもちゃを取り上げて泣かせるので、弟の顔や腹に殴る蹴るの乱暴を働いたもの。


昭和48年(1973).1.19〔高1が女友達のことでけんか殺人〕
 岡山県津山市の丹後山で、高校1年生(16)が同級生(16)を刺殺、5.19に逮捕された。女友達のことでケンカして44カ所メッタ突きしたと自供。小学校教諭の次男で、母親が事件を知ってガス自殺。


昭和48年(1973).2.4〔高3ら3人が教師恨んで爆弾〕
 大阪府大阪市の私立浪速高校教師(43)宅のベランダで、深夜2時過ぎ爆弾が爆発、ガラスが4枚割れたが教師が軽いケガをしただけだった。15日に卒業したばかりの3年生(17,18)2人と去年中退している家事手伝い(17)の3人を逮捕。授業態度をたびたび注意され、1人の中退もこの教師のせいだと恨んでいた。爆竹4百本の火薬とパチンコ玉百個を空き缶に詰めた殺傷能力もある強力な爆弾を自宅で製造、窓に吸盤で設置していた。それまでにも脅迫電話や脅迫状投函を繰り返していた。


昭和48年(1973).2.〔角材等を振って暴力抗争を行った小学生番長グループ〕
 S小学校5年のA少年(11歳)ほか5名とM小学校5年B少年(11歳)ほか4名の番長グループは、日ごろから勢力を誇示しあい対立していたが、2月28日午後4時ごろ、先に双方で取り決めていた空地において、S小学校側35名、M小学校側17名が集結し、角材等を振って乱闘した。(大阪2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和48年(1973).8.14〔高2が恨んで爆弾〕
 群馬県館林市の飲食店で、県立館林高校2年生(16)が送った小包を開くと爆発、店主の妻(29)は4ヶ月の重傷、女性(21)も重傷を負った。25日に逮捕。家賃を払わない店主(39)とケンカして「お前は泥棒だ」と罵って竹竿で殴られケガをして恨んでいた。成績がトップだったため得意の化学の知識で爆弾を自宅で製造したもの。厳格な父親の二男、内気で犯罪書を読むのが趣味だった。


昭和48年(1973).10.7〔16歳ら5人が長嶋茂雄誘拐計画〕
 神奈川県川崎市の社員寮に住む少年工員(16,18)と工員(22,24,25)の5人組が、長嶋茂雄選手(37)の誘拐計画を立てて逮捕された。「どうせやるなら世間をあっと言わせてやろう」と天地真理(21)を狙ったが所在が判らないため長嶋に変更、車に追突して出てきた長島選手をナイフで脅して家族を縛って現金を奪う計画で実行したが車を見失って失敗。19歳が弱気になって警察に届けたもの。主犯の24歳は去年に大阪の金物屋に日本刀で強盗に入り40万円を強奪していた。


昭和48年(1973).10.15〔中3女が叔母を刺殺〕
 静岡県富士市の自宅で、中学3年生女子(14)が養母(42)を殺害した。1日に家出し14日に保護されて帰宅したが、説教にカッとして台所の庖丁で15カ所をめった刺しにしたもの。
 生まれてすぐに母親が亡くなり父親も行方不明となって3歳から叔父夫婦に育てられていた。これまでも二度の家出と自殺未遂をしている。「説教してうるさいから消した。これで意見する者がいなくなってせいせいした」と平然としている。


昭和48年(1973).11.24〔小3女子がお菓子をくれないのを恨み幼女を裸にして縛る〕
 東京都町田市で、女の子(3)が行方不明となり、数時間後に林の中でハダカにされて手足を縛られ放置されているのが発見された。近所の小学3年生の女子(9)が前にお菓子くれと頼んで拒否されたのを恨みに思って、下着まで脱がして全身を引っ掻いたりつねったり傷だらけにしたもの。冬で発見が遅れていたら凍死するところだったが、14歳未満のため親への注意だけで家に帰された。


昭和48年(1973).12.7〔小6女子3人が学校嫌と薬飲んで傘差して飛び降り自殺〕
 茨城県鹿島郡の小学校で放課後、6年生女子(12)4人が「学校にいるのが嫌だから、飛び降りて死のう。飛び降りるときは傘を使おう」と相談し、1人が「そーれ」とかけ声を掛けながら開いたコウモリ傘を持って3階から飛び降り、腰骨骨折で2ヶ月のケガを負い、続けて2人が一本のコウモリ傘で相合い傘をしながら飛び降り脊椎損傷で重体となった。1人は怖じ気づいて飛び降りなかった。
 前日に眠れないと薬局で鎮痛剤を購入、この日の朝に1人10錠以上飲んで興奮状態だった。日頃から飲んでいたらしい。10人以上の同級生が見守るなかでの飛び降りだった。


昭和49年(1974).2.17〔高3ら6人の連続爆弾事件〕
 栃木県真岡市の警察署で、トランジスターラジオ型の爆弾が爆発、手に取ろうとした警察官(29)が左手を吹き飛ばされ、片目失明の重傷を負った。2月11日から2月17日までの間、県庁、デパート等5カ所に同様の爆弾が仕掛けられたが、爆発しなかった。1.27には宇都宮市の交番に火炎ビン4本が投げ込まれている。3月4日までに高校3年生(18)4人と高校2年生(17)が逮捕。過激派思想に影響を受け、採石場から盗んだダイナマイトで爆弾を製造したものとされた。
 革命思想を吹き込んだ主犯の高校3年生(18)は東京の大学に入学することが決まっていたが、家出して逃走、6年後に自首した。酒盛りをしていたモーテルで火事があり、消火して消防署に表彰されたが、校長には怒られたことを恨んで爆弾事件を起こしたと自供。革命思想とは関係がなかったことがわかった。全員が裕福な家庭だった。


昭和49年(1974).3.9〔高3が冷たい恋人をストーカー刺殺〕
 新潟県新潟市で、高校3年生(18)が恋人の高校1年生女子(16)を殺害、逮捕された。高3生はバレー部で活躍する人気者だったが、2度も自動車を盗んで退学、女子は避けるようになっていた。冷たい態度に怒ってナイフを持って自宅へ押しかけ、病気就寝中の女子を10回以上刺したもの。


昭和49年(1974).3.12〔18歳が科学研究のためハイジャック〕
 愛知県名古屋市のホテル従業員(18)が、羽田発沖縄行の4百人乗りボーイング747をハイジャックして、2億円と5千5百万ドルの計167億円とパラシュート15個を要求した。那覇空港に着陸したのち「羽田に引き返せ」と命令したが給油に時間が掛かると足止めし、7時間後に警官隊が突入して取押えられた。
 東北の山中にパラシュート降下して海外に渡り、身代金で生態学、鉱物学、エネルギーなどを研究する予定だった。爆弾に見せかけたカバンには何も入っておらず、凶器も持っていなかった。


昭和49年(1974).3.17〔中1のウルトラ山田事件〕
 大阪府大阪市の近鉄百貨店阿倍野店7階子供服売り場で、爆弾が爆発。
「次の事を実行せよ われわれの要求に応じるならわれわれは第二第三と爆破及び放火計画を中止する われわれの要求とは千葉兄弟を訳放せよ 要求に応じないときはわれわれに近鉄百貨店 近鉄電車が攻激目標となる  われわれは利益を目的としない 甘くみるな ウルトラ山田より」
(訳放や攻激などの誤字は原文のまま。千葉兄弟とはコインロッカーを爆破して近鉄から1億円を脅し取ろうとして3.13に逮捕された44歳と31歳の犯人)
という脅迫状が現場で発見され、また若い男から同内容の脅迫電話があった。
 4.7には近鉄百貨店上本町店で見つかった落し物の懐中電灯を派出所で点検中に爆発し、警官6名が指を吹き飛ばされるなどのケガ。4.6には国鉄天王寺駅トイレも爆発。
 手がかりはまったくなく迷宮入りになりそうだった9.26に、堺市の中学2年生(犯行当時13歳)を逮捕した。前日にこの中2生が空き巣を捕まえ、参考人として調書に押した拇印が爆弾の指紋と一致したため。
 中2生はまったく学校に行っておらずこのような難しい字は書けないと母親は主張したが、じつはこの脅迫状は犯人の言うままに母親が代筆したものだった。


昭和49年(1974).3.23〔中2の九州爆弾マニア〕
 福岡県北九州市の連続爆発事件で、中学2年生(14)が逮捕された。友達ができずにむしゃくしゃしてやったと自供。国鉄小倉駅構内のコインロッカーに仕掛けて爆発させ、通行人5人に対して重軽傷を与えたほか3月7日から3月20日までの間、4件の爆破事件とニセ爆弾事件を重ね、爆破予告の脅迫状を送っていた。科学が得意で爆弾を自作していたが、両親が異変に気づいて警察に通報した。


昭和49年(1974).8.28〔中3が幼女をいたずら殺人〕
 埼玉県北葛飾郡の自宅で、中学3年生(14)が幼稚園児の女の子(5)殺害した。女の子が遊びに来たのでいたずらしようと両腕を縛ったが、親に言いつけると抵抗したのでサラシで首を絞め殺害し、庭の段ボール箱に隠したもの。成績は悪く内気だが近所の人にもきちんとあいさつしていている普通の生徒で、教師は「まさかあの子が」と驚く。


昭和49年(1974).8.28〔高3が下着ドロ見つかり主婦殺害〕
 高校3年の男子生徒(18歳)が8月28日近所の家に女性の下着を盗むため空巣に入ったが、帰宅した主婦にみつかったため、犯行の発覚をおそれて同女子を殺害した。(鹿児島、9月3日検挙)。 警察庁「少年の補導及び保護の概況」昭和49年版引用


昭和49年(1974).11.19〔18歳テレビタレントの女が不倫相手の妻惨殺〕
 東京都板橋区のマンション自室で、主婦(29)がテレビタレントの女(18)に殺害された。夫のバンドマン(24)と半年前から交際しており、家にやって来て妻に離婚するように迫って拒絶されたり、またバンドマンからも冷たくされて追い詰められ、包丁を持って押し掛け自殺しようとしたが、とめようとする妻と揉み合いとなって妻のほうに包丁が刺さった。「人殺し」と言われて逆上し、全身を40回もめった刺しにしたもの。しかし、部屋を荒らして強盗を装うなど計画的な面があるので、最初から殺すつもりだったと見られている。


昭和49年(1974).11.23〔高2が受験ノイローゼでハイジャック〕
 北海道岩内町の高校2年の男子生徒(16)が、千歳空港から成田行ボーイング727に搭乗し、ダイナマイトに見せかけた紙筒を持って操従席に侵入、ハイジャックしようとしたが、ニセモノと見破られ乗務員に取押えられた。成績はトップだったが下がったことでノイローゼ気味となり、「受験よりも刑務所のほうが楽だから」と犯行を犯したもの。「世間をあっと言わせたかった。北朝鮮に行って赤軍派の人と暮らしたいが、赤軍派の思想は興味ない」と自供。





昭和50年(1975).4.11〔3歳女子2人が嬰児殺人〕
 大阪府岸和田市の民家で、女子(3)2人が勝手に侵入し、二階のベビーベットで寝ていた赤ちゃん(生後17日)を抱き上げ、階段を引き擦ったまま下ろし、家の前の路上で裸のまま転がして遊んでいたのを近所の人に発見された。頭蓋骨陥没骨折と全身の擦り傷のため病院で死亡。
 ママゴト遊びのお人形にしようとしたが3500グラムのため3歳児の力では持ち上げられなかったらしく、階段には肌着やおしめ、汚物が散乱していた。


昭和50年(1975).8.18〔5歳と3歳と2歳が赤ちゃんをなぶり殺し〕
 鹿児島県出水郡の農家で、産まれたばかりの女の赤ちゃん(生後18日)が、近所の男子(5)と妹(2)、この2人の従兄弟(3)に殺害された。
 3人は赤ちゃんを見るために部屋に勝手に上がり込んだが、「切ってみよう」と台所の包丁で足を刺し、テレビの脚で頭や顔を殴り、庭に引きずり出して物干しに犬の鎖で縛りつけた。両親と叔母(15)の3人は側の養蚕小屋で作業をしていて1時間ごとに交代で赤ちゃんの様子を見ており、叔母が包丁を持った男子と血まみれの赤ちゃんを発見して病院に運んだが、翌日、頭蓋骨骨折による脳内出血で死亡した。
 「テレビのマネをした」と話す。刑事ドラマをよく見ていた。


昭和50年(1975).8.18〔高1が教室爆破計画〕
 愛知県岡崎市の私立高校の教室に置かれたボンベからガスが出ているのを、夏休みの補習に来た生徒が発見。そばにラジコン戦車があり、校庭の朝礼台には送信機が残っていた。スイッチを入れると火花でガスに点火する仕組み。高校1年生(15)が「教室を爆破しよう前から計画していた」と自供。昨年学校のベランダから落ちて脚が不自由になったのを級友に笑われたことを恨んでいた。爆破しようとした際に近くを友人が歩いていたため逃げたとのこと。
 戦車がショートするように事前に実験し、20キロのボンベ2本を1人で運び込み、職員室の電話線を切断していた。大卒初任給83,600円の時代に5万円のラジコンを買ってもらっていた。


昭和50年(1975).8.28〔19歳が替え玉受験のため大学生を監禁〕
 東京都北区の元新聞配達員(19)が北大工学部にどうしても入学したいと、仕事仲間の芝浦工大工学部3年生(21)をアパートの自室に監禁、替え玉受験のための試験勉強を強要させて捕まった。「逃げたらヤクザに頼んで殺してやる」と脅し、毎日5時間、大学が休みになると10時間の猛勉強を監視してやらせ、居眠りをすると殴ったり煙草の火を押し付けたり暴行をくわえていた。この日も火で焙ったナイフを腕に押し付けられたためにスキを見て逃げ出し、110番通報した。
 兵庫県出身で香川県の高専を中退して上京、受験勉強をしていたが成績が上がらず替え玉を思いついたもの。科学者になるのが夢だった。


昭和51年(1976).1.28〔中3が幼女をレイプ監禁殺人〕
 長崎県長崎市で小学4年生の女の子(9)が殺され、3ヶ月後に当時中学3年生だった高校生(15)が自首してきた。下校中の女の子の背後から抱きつき口をふさいでむりやり自分の部屋に連れ込み、逃げだそうとする少女を投げ飛ばしたり首を絞め意識不明の状態にし、全裸にしていたずら、押入に監禁した。
 このままでは犯行が発覚し、高校進学もできなくなり、家族に迷惑がかかることを恐れ、殺害して犯行を隠そうと決意、翌日に自宅近くの駐車場にて工作用のきりで胸や首を刺したが女の子が意識を回復して泣き騒ぐので刺殺をあきらめ、人頭大の石2個を頭部に落下させ惨殺し、死体をがけ下に投げ落して遺棄したもの。
 少年院医療部に入れられ昭和53年5月に仮退院。昭和59年(1984).8.23、23歳になった男は、長崎市立立山公園で高校2年生女子(17)を殺害し逮捕された。レイプしようとしたが抵抗されたため、果物ナイフで38カ所めった刺しにして全裸で放置したもの。犯行の手口と似顔絵が似ていたため捜索されていたが、逃走で所持金を使い果たして29日にふらふらになって出頭した。


昭和51年(1976).8.23〔高1が親友を刺殺〕
 山形県天童市の県立高校1年生(16)が、深夜3時に自室で親友の2年生(16)をナイフで20カ所もめった刺しにして殺害、逃走したがすぐに捕まった。成績トップで東大目指して猛勉強をしていたがノイローゼとなって留年、「親友は自分より成績が悪いのに人気者で、中学の時に生徒会長になって自分は落選したからねたんで殺そうと計画していた」と自供。家庭内暴力も激しかった。父親は小学校校長。


昭和51年(1976).10.4〔19歳のもてない予備校生が幼女レイプ殺人〕
 鹿児島県鹿児島市で、予備校生(19)が下校中の小学2年生の女の子(8)の首を絞め失神させて林に連れ込み注射器で腕に空気を注入、下着を切り裂いてレイプして絞殺、10.12に逮捕された。「背が低く容姿に劣等感があり、女にもてないのでやった」と自供。


昭和52年(1977).5.27〔中3が父親殺害して仲間と相談〕
 兵庫県神戸市の自宅で、中学3年生(14)が父親(43)を殺害した。煙草をくわえながら女友達と電話中に父親が「また煙草を吸ってる」と殴った。カッとした中3生は「ちょっと待ってくれ」と電話で告げてから台所の庖丁で父親を刺し「いま親父を殺してやった」と言ったが相手が信じないので電話で父親のうめき声を聞かせた。それから風呂場に連れて行って心臓を刺して殺害、死体を寝袋に入れた。
 女友達を含めた同級生の仲間8人(男3人、女5人)に連絡を取り集合して死体を前に相談をした。皆は自首をすすめたが、「自首をするなら死ぬ」と言ったため警察には連絡せずに翌朝全員が学校に登校、中3生は「父親がいなくなった」と教師に言い、2人で自宅に向かっている途中に警官を見て山に逃走した。腹を空かして女友達に電話で食料を頼んで取りに行こうとして逮捕された。
 父親は10年前に離婚、母親がいないのでとくに躾には厳しくしていた。「父親は釣りなどで遊んでいるのにボクのしつけにはうるさく身勝手だ。就職したかったのに高校に行けと言われた」と自供。仲間は血まみれの死体を見ても平然としていた。


昭和52年(1977).9.22〔高3が同性の片思いの相手をワラ人形殺人〕
 埼玉県浦和市で私立高校3年生(18)が登校中の同級生(18)を待ち伏せして殺害した。牛刀で心臓と腹を刺したもの。現場には血の付いていないもう1本の牛刀と、30センチの「丑の刻参りのワラ人形」が残されていた。24日に高3生は「人をあやめてしまった。ゆるしてください」という遺書を書いて自宅で首吊り自殺。
 被害者はサッカー選手で、人気があった。内気な高3生はあこがれていたが相手にされず、ペレの引退試合チケットを贈ろうとしても無視されたため、恨むようになっていた。「殺してやる」という脅迫状を2度出していたが、裏に「I love you」と綴られていた。
 弁護士と女流画家の二男。マンガや推理小説のファンで、映画「八つ墓村」「獄門島」のパンフレットが部屋の屑籠から見つかった。


昭和52年(1977).10.13〔2歳女子がカミソリで赤ちゃんの顔を切り刻み殺害〕
 岩手県東磐井郡の農家で、長女(2)が三女(生後2ヶ月)の顔をカミソリでずたずたに切り裂いて殺害した。
 母親(29)が顔剃りに使っているカミソリのため、マネをしただけだという分析もあったが、祖父が気づくまで異常な泣き声を上げている赤ちゃんに17回も切り付けており、残虐性があると考えたほうが自然であろう。
 この日に父親(27)が出稼ぎにでかけて、ほかの家族も畑仕事に忙しくて相手にされていなかった。赤ちゃんのことはお人形のように可愛がっていた。


昭和52年(1977).10.17〔女子高生風の女カミソリ通り魔が幼女襲う〕
 大阪府大阪市東淀川区で、自転車に乗った女子高生風の女が、カミソリで幼女に切り付ける事件が続発。17日に女の子(4)が頬を切られ、19日には女の子(5)がマブタを切られるなど幼女ばかり7件。


昭和53年(1978).1.2〔中1ら3人がスカート切り通り魔〕
 東京都町田市の路上で、中学生1年生(13)3人が、2日から小学校6年生の女の子ばかり6人のスカートを切り、6日に7人目を襲おうとして捕まった。マンガ週刊誌をマネて、カッターの刃を指ではさんで切ったもの。1人には5日間のケガを負わせていた。


昭和53年(1978).4.27〔中3が入院中の友人を刺殺〕
 福岡県福岡市の病院で、中学3年生(15)が高校1年生(15)を刺殺。いじめのためノイローゼとなって1年間休んで留年しており、3.31に「いじめの仕返しをするので助けてくれ」と元の同級生だった高1生を騙して誘い出し、路上で刺して2週間の傷害を負わせて補導されており、その時の傷で入院中の高1生を訪れ登山ナイフでめった刺しにしたもの。


昭和53年(1978).7.7〔高1が幼女をいたずら刺殺〕
 三重県度会郡御薗村の自宅で、小学2年生の女の子(7)が顔、胸、腹、足など全身17カ所をめった刺しにされ、パンツを引き裂かれて殺害された。向かいの家に住む高校1年生(15)がすぐに逮捕。
 「いつも遊んでいる女の子の勉強を見てやろうとしたが、鉛筆で突いてきたので殴った。お母さんにいいつけると言われてカッとして台所の出刃包丁で刺した」と自供したが、靴のまま上がり込むなど不自然なところがあるので、最初からいたずら目的で両親が働きに出ているのを知っていて侵入したものと見られている。
 女の子の兄の高校2年生とは友人で、犯行のあと同じ職場のアルバイトに出かけている。大工の長男で、姉がいる。


昭和53年(1978).7.14〔小・中学生くらいの通り魔幼女襲う〕
 東京都練馬区の路上で、2歳の女の子が小〜中学生くらいの男子にカッターナイフのようなもので顔と手を切られ7針を縫う傷害を負った。2時間後に5歳と4歳の姉妹が同一人物らしい男子にカッターナイフのようなもので顔と足を切られた。犯人は捕まっていない。


昭和53年(1978).8.26〔小4女子が嬰児殺人〕
 神奈川県川崎市の民家に小学校4年生の女子(9)がベランダから土足で侵入、この家の長男(生後2ヶ月)のおむつを取りかえようと持ち上げたが落としてしまった。赤ちゃんが泣き出したので母親に見つかると叱られると思い、顔や胸を踏みつけ頭蓋骨骨折と内臓破裂で殺害した。


昭和53年(1978).10.28〔小6が仕返し殺人〕
 福島県いわき市で、小学6年生(12)が、1年生(6)にバカと言われた仕返しに数回殴ったうえに墓地の高台から突き落として殺す。知能テストではクラス1でスポーツが得意だった。


昭和53年(1978).12.1〔高3ストーカーが一家皆殺し未遂〕
 島根県簸川郡で、県立高校3年生(18)が深夜に、3年生女子(18)宅のプロパンガスを細工してビニールテープで目張りしてガスを充満させ、女子を一家ごと殺害しようと謀ったが失敗、12.15に逮捕された。
 同じ応援団員でチアガールの女子にラブレターを送ったが、女子が野球部員と交際するようになったため、7.23に野球部室にガソリンをまいて全焼させていた。さらに迫ったが相手にされず、殺人計画を立てたもの。


昭和54年(1979).1.21〔高2がシンナー乱用して女友達一家を殺傷〕
 定時制高校2年生(17歳)は、日頃から女友達の家に出入していたが、当日も同女宅に泊り、同女とともにシンナーを乱用していたところ、精神錯乱状態に陥り、「お前らは俺を殺そうとしている」などとわめきながら、台所から持ち出した刺身包丁で、次々に家人を刺し1名を死亡させ、4名に重傷を負わせた。(1月、広島) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和54年(1979).2.12〔17歳女子が刑務所入るため通り魔殺人〕
 大阪府大阪市ミナミの地下街のトイレで、無職女子(17)が側の洋品店の女性店員(25)を殺害した。「誰でも殺せば刑務所に入ることができて家に帰らずにすむ」と刺身庖丁を買い、「女子トイレなら鏡に向かってじっと立っているので思いっ切り刺せる」と背中から刺したもの。
 母親は幼い頃に家出して、父親と兄と3人家族。中卒後に職を転々としてたびたび家出、2年前には覚醒剤乱用の前科がある。3ヶ月前に祖父が亡くなってからおかしな言動をするようになり、覚醒剤の影響があるものと見られている。


昭和54年(1979).4.28〔中3女子が学校内で同級生を刺殺〕
 北海道羽幌町の中学校で、3年生女子(14)が同級生女子(14)を殺害した。小学校時代は親友だったが、中2頃から別のグループとなって仲が悪く、被害者が自分のグループの友人の悪口を言ったことから休み時間に呼び出したが、逆に運動用具室に連れ込まれて顔を殴られ押し倒されて首を絞められたため、用意していた果物ナイフで胸や腹部など5カ所を刺したもの。
 「男子に水をかけられた」と返り血をあびた制服を体操着に着替えて平然と次の授業を受けていたが、被害者がいないことから教師が捜して血まみれの死体を発見し、警察の追及にも「グループを守るため」と冷静に犯行を自供した。成績優秀でスポーツも得意な美女で人気者。被害者は母子家庭で目立たない性格だった。


昭和54年(1979).6.17〔中3が63歳の女医をレイプ殺人〕
 沖縄県の北大東島の村立診療所で、中学3年生(15)が夜に訪れ韓国人女性医師(63)にいきなり抱きつき、抵抗されると足払いで転倒させ顔を殴って気を失わせ、レイプしてから首を絞めて殺害した。中3生は自分の下着を残したまま逃走、何食わぬ顔で学校に通っていたが26日に捕まった。農家の末っ子で明るくスポーツ好きだが、レイプの前科があった。


昭和54年(1979).6.22〔18歳女が近所の女の子殺害〕
 大阪府箕面市で、看護婦見習い(18)が同じアパートの小学校2年生の女の子(7)を殺害し、8.18に逮捕された。下校中の女の子を誘って連れ歩いたが、習字教室に遅れるから帰りたいと女の子が言ったため、この子の母親に怒られると考え、自宅から紐を持ってきて空き家で絞殺したもの。行方不明となった女の子の捜索に何喰わぬ顔で加わっていた。この春に私立女子高を卒業し病院に勤務。離婚した母親と2人暮らし。


昭和54年(1979).8.18〔中2が厳格な父親を刺殺〕
 静岡県磐田市の自宅玄関前で、父親(47)が中学2年生の一人息子(14)に殺害された。10年間可愛がっていた飼い犬が病死して遺影の現像を写真屋に頼んだが取りに行くとまだできていなかった。父親は「お前がのろのろしているからだ」と丸めた新聞紙で頭を叩いた。「殴られたら殴り返せ」といつも言われていたので反撃すると「父親に反抗するとは何事だ」と殴られた。ナイフを持ってきて突き付けると足払いをかけられたのでカッとして逃げる父親の背中を数回刺したもの。
 「一人っ子と言われるな」と厳しく育てられ、テレビも好きな番組は見られず、部屋には父親の書いた「努力」「勉強」「素直な心」などの言葉が貼られていた。成績はトップで、近所の人にも立ち止まって挨拶していた。父親に反抗したことはなかったが愛犬の死で日頃のうっぷんが爆発したもの。警察の追及に初めは「犯人あつかいするならウソ発見器にかけろ」などと言っていた。


昭和54年(1979).10.11〔小4女子が友達を13階から突き落として殺害〕
 東京都台東区上野で、小学4年生の女子(10)が小学2年生の女の子(7)を13階マンション屋上から突き落として殺害した。運動会でクラスがいつも負けていると悪口を言われ、こらしめようと誘い出し「ドリフのマネをしよう」と騙して両手をしばりタオルで目隠しして後ろから突いたと自供。


昭和54年(1979).10.27〔小6が幼女をいたずら殺人〕
 小学6年生(11歳)は、自宅近くの広場で幼稚園児(6歳)らと砂遊びなどをしているうち、以前テレビで見た女の裸を見たくなり「いいものをあげるから一緒においで」と、アパートの空室に誘って裸にし、陰部を触ったりしたところ泣きだしたため、このままでは、お母さんに告げ口をされ叱られると考え、少女のブラウスで絞殺した。(10月、岡山) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。
 ※kangaeru2001付記。この小6生は何喰わぬ顔で行方不明となった女の子の捜索に加わっていた。4月にも小学1年生の首を縄で絞め失神させる事件を起こしている。


昭和54年(1979).11.〔小6の12人が同級生少女に猥褻〕
 ボス的存在の男子1名を中心とした小学6年の同級生12名は、前期の児童会長で学習、スポーツにも優れ美貌でクラスのアイドルである少女(12歳)を教室に残し、集団で同女を押え全裸同様にするなどして猥せつ行為をし、5日間の打撲症を与えた。(11月、岩手) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和55年(1980).2.2〔小1が幼女猥褻殺人〕
 栃木県小田原市で、小学1年生(7)は近所に住む幼女(3)をいたずらしようとポンプ小屋に連れ込んだが、「お母さんに言ってやる」と言われたことから、告げ口を恐れ、小屋脇の井戸に突き落として溺死させた。


昭和55年(1980).2.〔中1が「14歳未満は罪にならない」と母親殺害未遂〕
 中学1年生(13歳)は、犯罪や刑罰といったことに異常な関心を持ち、六法全書を愛読するなどしていたが、盗みで補導されてから母親より「悪いことはするな、勉強しなさい」と注意され不満を抱いていた。最近、慕っている祖母宅に出入りすることを戒められたことから憤激するに至り、「14才未満は罪にならない」と母の就寝をまって、登山ナイフで腹部等を突き刺し傷害を負わせた。(山形、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和55年(1980).3.〔16歳がシンナー吸って母子死傷〕
 寿司屋の店員である少年(16歳)は、自宅でシンナーを吸入した後、刃渡り20センチの文化包丁を持ち出して母子家庭に侵入、階下に就寝中の母親をメッタ刺しにして殺害し更に2階で就寝中の娘(18歳)の胸部、腹部を突き刺し瀕死の重傷を負わせた。(埼玉、3月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和56年(1981).6.〔中3が硫酸通り魔〕
 中学3年生(14歳)は、理科の授業で教えられたことがほんとうかどうか試すため、学校から注射器、硫酸を盗み出し、通行中の主婦及び小学2年生の背中に、注射器を使用して約1ccの硫酸をかけ、全治8週間と10日間の火傷を負わせた。(静岡、6月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和56年(1981).6.〔中3がムシャクシャして通り魔殺人〕
 中学3年生(14歳)は、進路指導で高校進学はむずかしいと言われたことや、母親からステレオ購入をことわられたことで、ムシャクシャしていたが姉とけんかしたことから、果物ナイフを所持して家をとび出し、小学校の校庭で小学6年生の小女(11)を見かけ、からかってやろうと声をかけたが、無視されたのでカッとなり所携の果物ナイフで胸部、腕等を突刺し殺害した。(千葉、6月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和56年(1981).7.5〔中1が通り魔殺人未遂〕
 北海道札幌市南区の団地エレベーターで、中学1年生(13)が幼椎園の女の子(4)をいきなりナイフで胸と腹を刺して重傷を負わせた。両親から勉強するよう連日厳しく叱られることに反発し、相手は誰でもよいから刺し殺そうと考え、果物ナイフと切出しナイフを万引きして実行したもの。
 4.4にも別の団地で、小学6年生の女の子(11)の頭をアイスピックで刺して2週間のケガを負わせていた。


昭和56年(1981).8.26〔小6がムシャクシャして通り魔〕
 東京都足立区千住の都営団地で、小学6年生(11)が小学4年生の少女(9)など3人をカッターナイフで次々と切りつけ、全治1〜2週間の傷害を負わせた。クラスの女の子から髪形を馬鹿にされたりしてムシャクシャしていたため。20日にも中学2年生女子のスカートを切って10日間の傷害を負わせていた。
 成績は普通だが情緒不安定で教室の窓ガラスを殴って割ったりしていた。鉄工所経営の両親はわがままな少年をよく殴って叱りつけていた。


昭和56年(1981).9.1〔高3が幼なじみをストーカー殺人〕
 青森県八戸市の民家で、私立高校3年生(17)が昼の11時に侵入、高校3年生女子(17)を殺害、逃走したがその日に逮捕された。日頃から想いを寄せている女子をレイプしようと計画、電話で被害者の弟を外出させ、女子に隣の家の子供が交通事故で入院したと告げさせて隣家も留守になってから覆面で侵入し、いきなりバットで頭部を殴った。女子は自室に逃げて家具で扉をふさいだが、無理やり押し入りレイプしようとしたが激しく抵抗して顔も見られたのでコードで絞殺してから台所にあった包丁でめった刺しにしたもの。親戚関係で近所に住んでいた幼なじみ。


昭和56年(1981).9.11〔小3ら2人組が連続通り魔幼女4人襲う〕
 大阪府大阪市の路上で、小学3年生(9)と5年生(11)が自転車に乗って、小学2年生女子(8)3人に刃物で切りつけて、腕に5針の傷害を負わせた。1時間後に小学2年生女子(8)に「金を持ってるか」とスカートのポケットをまさぐった上に刃物で切りつけて腕に軽傷を負わせて逃走したが、翌日捕まった。5年生は会社員の長男で何度も家出しており、11日からも家出して捜索願が出ていた。


昭和56年(1981).9.25〔中3が教師の車をダイナマイトで爆破〕
 宮崎県西臼杵郡で、中学3年生(15)が教師(27)自宅前の車のバッテリー電極にダイナマイトの雷管を接続して爆発させ、車両を中破させた。同級生との喧嘩のことで、教師から注意されたことをうらみ、工事現場から盗み出したダイナマイトを仕掛けたもの。


昭和57年(1982).1.〔小6がケンカに負けた腹いせに通り魔〕
 小学6年生(12歳)3名は、けんかに負けた腹いせに自転車で帰宅途中の小学6年生(12歳)を呼び止め、自宅から持ち出したノミでいきなり背中を刺して全治2週間の傷害を負わせ、さらに、その1時間後、塾の前にいた小学6年生(12歳)に対し、ひもの先に付けた南京錠で頭部を殴り、全治10日間の傷害を負わせた。(警視庁、1月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和57年(1982).12.11〔19歳帰国子女が日本語バカにされ伯母刺殺〕
 大阪府大阪市の伯父(64)宅に、東京都杉並区の甥の浪人生(19)がやって来て伯父とケンカとなり、伯母(55)がとめようとするとスパナで頭を殴って果物ナイフでメッタ刺しにして殺害、自分で110番して逮捕された。父親は大手家電企業の米国副社長で、4年前に帰国しており「英語ができても日本語ができなくては」と馬鹿にされ恨んでいた。凶器とニューヨーク行きの航空券を所持していた。


昭和58年(1983).4.21〔高1が自転車蹴られ、小1殺害〕
 岩手県和賀郡東和町のバス停待合室で、県立高校1年生(15)が小学1年生(6)を殺害。自転車を蹴られてカッとして、首を絞め尖った金ぐしで頭を刺したもの。昭和60年10月に盛岡地裁は2200万円の賠償判決を出した。


昭和58年(1983).5.〔高1が叔父家族襲う〕
 男子高校1年生(16歳)は、中学校の教員が進路指導を誤ったために自分が希望する高校に入学できなかったと思いこみ、4月下旬から登校拒否するようになった。たまりかねた母親は、父親が単身赴任中で不在のため、父親の弟(叔父)に注意してもらったところ、これを逆恨みし、切り出しナイフを持ち、全身に灯油をかぶったまま、父親の弟(叔父)方を訪れ、居あわせた同妻(叔母)に「おじさんは俺の悪口を言っているだろう。こうなったら、俺はやるしかない。」などと怒鳴り、持っていたナイフをかざして、同妻に襲いかかり、こぜりあいになり、近くにいた同妻の次男(いとこ、3歳)の胸部を刺し全治2か月の重傷を与えた。(愛知、5月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和58年(1983).10.〔小6がナイフで少女刺す〕
 小学6年生(11才)は、近所の小学4年生の少女2人と一緒に遊んでいたが、このうち1人から「友達が遊びにくるから帰って」と言われカッとなり、持っていた切出しナイフと近くにあったハサミで少女2人に切りかかり、それぞれ2週間の傷害を負わせた。(神奈川、10月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和59年(1984).2.5〔19歳がレイプ目的で小6刺殺し、時効直前に逮捕〕
 愛媛県新居浜市の路上で、大工見習い(19)が小学6年生の女の子(12)を刺殺した。レイプするため刃物で脅したが叫んだため胸を刺したもの。迷宮入りしそうになった時効1週間前の平成11年(1999).1.29に新たな情報を元に34歳になっていた服役中のこの男を追及すると自供した。


昭和59年(1984).2.12〔中3の3人がテレビ番組まね同級生に油かけ火だるまリンチ〕
 東京都板橋区で、中学3年生番長グループ3人組が、去年の9月に仲間が殴られたときに加勢せずに逃げた同級生に制裁するため、作業衣とコールテンズボンに着がえさせて空地に連れ出しライターのオイルを振りかけ火だるまのリンチを加え1か月の大やけどを負わせて捕まった。テレビ番組まねたものでビデオ撮影しており、「ロケごっこ」と称していた。


昭和59年(1984).2.〔高1女子が母親に暴行〕
 一人娘で両親の過保護下で育った女子高校1年生(15歳)は、不良グループと交際するうち知り合った18歳の無職少年と同棲を始め高校も中退し、その後、生活費が無くなる度に自宅に戻り母親に無心ていたが、母親が注意したり、無心を断わると大声で罵声をあげながら髪を引っぱるなどの暴力を加え、次第にエスカレートしていき、ついには母親に殴る、蹴る等の暴力を加え、肋骨骨折させたうえ、沸騰した湯を浴せて火傷させるなどの暴力を振った。(山形、2月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和59年(1984).3.〔中1がムシャクシャして通り魔〕
 中学1年生(13歳)は、遅い帰宅を両親に叱られ気分がムシャクシャしておさまらないため、かつて読んだ「人を切ると気分がスッとする」という雑誌の記事を思い出し、翌朝ジョギングするような振りをしてカッターナイフを持ち出し、出勤途上のOL2人を後方から切りつけ1名に全冶1週間の傷害を負わせた。(熊本、3月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。


昭和59年(1984).6.18〔高3が退部を恨んで日本刀で野球部監督斬る〕
 大分県津久見市の県立津久見高校で、4日前に退学した無職(18)が侵入し、野球部監督(25)に日本刀で斬りつけ両足に2ヶ月の重傷を負わせて殺人未遂で逮捕された。名門野球部の主力選手だったが、素行が悪く退部させられ退学した。「野球部に復帰できなくなったのはお前のせいだ」「俺たちは将棋の駒のように動かされていた」などと叫びながら、他の教師の眼の前での犯行。


昭和59年(1984).6.24〔18歳が金属バットで祖父殺害〕
 北海道千歳市の自宅で、無職(18)が祖父(67)を殺害した。借金のことでケンカとなって「出ていけ」と言われてカッとして、金属バットでめった打ちにしたうえ、包丁で背中や両手首を切り、ポケットから現金1万円を奪って逃走、スナックで酒を飲んでいるところを捕まった。


昭和59年(1984).7.11〔高3ストーカーがふられた復讐に小包爆弾〕
 神奈川県大和市の女子高校生(17)が届いた郵便小包を開けると爆発し、顔や手に1ヶ月の重傷を負った。翌日に愛知県西尾市の高校3年生(17)が逮捕。
 中学の1年先輩の短大生(18)に手紙20通を出したりたびたび電話して交際を申し込んだが断わられ、1月にもう一度呼び出すとボーイフレンドとやって来たため恨み、「腕の一本も吹き飛べば不幸になる」と自分の犯行を隠蔽するため第3者を経由して短大生に小包爆弾が届くように計画、女性を装って文通中だった女子高校生に不幸の手紙のようにして郵送したところ、女子高校生が中身を確かめようと小包を開封したため爆発したもの。


昭和59年(1984).9.17〔19歳の予備校生がノイローゼで祖父を刺殺〕
 東京都中野区の自宅で、予備校生(19)が血が騒ぐと居間でいきなり祖父を刺殺。早大入学を目指しており、ノイローゼだった。


昭和59年(1984).11.1〔高2ら2人がいじめる学級委員を復讐殺害〕
 高校2年生2名(15歳)は、学級委員をしている同級生から、理由もなく殴られたり、自転車を盗むよう強制されるなど、2か月にわたって手下のような扱い方をされいじめられ続けてきたが、柔道初段で腕力も強いことから反抗することもできないため、殺害しようと決意し、両名共謀の上、被害者を呼出し、用意した金鎚で被害者の頭部を数十回殴打して仮死状態にさせた上、川に投げ込み溺死させた。(大阪、11月) 警察庁「少年の補導及び保護の概況」引用。





昭和60年(1985).1.15〔高2が恋人殺すピストル奪うためボーガンで警官を襲う〕
 東京都杉並区で深夜2時に、高校2年生(17)が派出所にいた巡査(31)に2メートルの距離からボーガンを撃って逃げた。矢は巡査の胸に命中したが、制服の下に厚着をしていたので助かり跡を追った。高2生はナイフを振り回し暴れ、巡査は3週間のケガを負い、威嚇射撃をしてもさらに抵抗するので右足を撃ち、「いたいよ。いたいよ」と言いながら倒れたところを騒ぎに集まってきた住民10人と取り押さえた。
 成績優秀でまじめな性格、信頼もあったため学校では驚いている。「恋人が最近冷たくなったので、ピストルを奪って彼女を殺し、自分も死のうとおもった」と供述。


昭和60年(1985).2.23〔高2が3年前の復讐のため同級生を殺人未遂〕
 北海道千歳市の路上で、高校2年生(16)が同級生(16)を刺して殺人未遂で捕まった。中学2年生の時に自転車を壊されたことを恨み、3年間復讐の機会を伺って、殺そうと果物ナイフで背中を刺して重傷を負わせたもの。


昭和60年(1985).3.9〔19歳浪人生が母親を殴殺〕
 神奈川県横浜市の自宅で午前4時、浪人生(19)が母親(43)を20センチの飾り石と植木鉢で殴り殺した。さらに二階自室で就寝中の高校2年生の妹(17)を襲ったので妹は逃げたが、母親が玄関で殺されているのを見てまた自室に逃げた。兄は追い掛けて「明治天皇が殺せと命令している。指令が聞こえるか」と言いながら包丁で顔や手など10数カ所に3週間の傷を負わせたが、妹はとっさに「聞こえますお兄ちゃん。明治天皇が110番しなさいと言っているよ」と答えると、自分で「明治天皇の指令で母を殺した」と警察に通報した。
 内気で友達もあまりおらず、成績は普通だったが裁判官になるため早慶の法学部を目指し、受験を終えて発表直前だった。父親は商社員で福岡に単身赴任。


昭和60年(1985).4.25〔高3姉が小5弟を刺殺〕
 千葉県木更津市の山林で、高3の姉(17)が小5長男(10)を果物ナイフで刺し殺した。姉は当初「弟と自宅近くの山林を散歩していたところ、ナイフを持った男に突然襲われて、弟が連れ去られた」と、嘘の供述をしていた。普段から兄弟仲が悪くいじめていた。


昭和60年(1985).7.8〔15歳ニートが両親を殺害〕
 北海道札幌市の自宅でで、無職の長男(15)が、父親(42)と母親(41)を斧で殴殺、中2の長女(13)も重体となった。就職せずにいる事を咎められての犯行。両親はしつけが厳しく、反発して中学に入ってから家庭内暴力を続けていた。


昭和60年(1985).9.21〔中1が小学生に連続注射〕
 山形県山形市の公園で、中学1年生(13)が知らない小学校1年生に「注射すれば、野球遊びに入れてやる」「腕に毛が生えなくなる」などと騙して水を腕に何度も注射して10.1に捕まった。23日と28日にも犯行を犯しており、被害者は小学生ばかり合わせて4人。
 中1生は注射嫌いで、小学生が泣くのが面白くて2年前に病院のゴミ箱から拾った注射器で何回も注射して泣かしていた。サラリーマンの長男で妹がおり、非行歴などはない。


昭和60年(1985).10.4〔28歳ニートがエスパーから逃れるため幼女殺害〕※参考
 神奈川県横浜市で、無職(28)が登校のため自宅を出た小学2年生の女の子(7)を待ち伏せして肉切り包丁で胸を刺して殺害、悲鳴で飛び出した父親(38)に1週間の傷害を負わせて逮捕された。「女の子は自分の心を読むエスパーで逃れるために殺した」と自供。法政大学法学部を卒業したが、幻覚症状のため働かずにぶらぶらしており、向かいの自宅から女の子を殺害する機会をうかがっていた。心神喪失で不起訴。


昭和60年(1985).10.13〔18歳通り魔が少女を刺す〕
 埼玉県朝霞市の路上で、左官(18)が通行中のウエートレス(19)を果物ナイフで3ヶ所切りつけ2ヶ月の重傷を負わせて逃走、すぐに捕まった。「ムシャクシャしていたので刺した」と自供。


昭和61年(1986).7.6〔高3がいじめ復讐のため駐在所襲って殺人未遂〕
 福井県鯖江市の駐在所に、私立高校3年生(17)が「指をケガしたのでテープを貸してほしい」とやって来て、巡査の妻(26)の首と胸を包丁で刺して重体とし、次女(1)の胸を刺し1か月の重傷を負わせ、長女(3)の顔を切って逃走、近所の民家に押し入り、会社員(28)に2週間の傷害を負わせて山に逃げたが逮捕された。学校でいじめにあっており、ピストルを強奪して復讐する計画だった。


昭和61年(1986).8.30〔中2がバカにされた恨みで2人刺す〕
 栃木県下都郡の学習塾に中学2年生(13)が出刃包丁を持って向かっているところを中学3年生(15)が見咎めて、「そんな物をどうするんだ」と訊くと「馬鹿にしたAを刺す」と言いながら中3生の腹を刺して重傷を負わせた。そのあと塾の教室に叫びながら押し入り、大勢の生徒の前で中学2年生のA君(13)の胸などをめった刺しにして重体にした。
 すぐに外に出ると車を無理に止めて血まみれの包丁を見せながら「人を刺した。警察に行ってくれ」と乗り込み、警察署で自首した。
 酷いいじめをするので停学処分となっており、この塾にもたびたび来ていたずらをしていた。17日から家出をしていたが、A君が悪口を言っていると聞いて包丁を買って復讐したもの。


昭和61年(1986).9.7〔小4女子が幼女殺人〕
 群馬県太市市の蛇川で、小学校4年生の女子が、友達の女の子(5)を水の中に押さえ込み殺害。遊びに誘ったのに断ったので、こらしめようと思ったと自供。


昭和62年(1987).5.10〔16歳2人が児童相談所職員殺し少女連れ去る〕
 青森県の児童相談所で、無職少年(16)2人が侵入し、中学2年生の少女(13)をレイプするため連れ出そうとしたが、当直の職員に気付かれたため、暴行を加え、内臓破裂により殺害した。


昭和63年(1988).7.8〔中2が両親と祖母刺殺〕
 東京都目黒区の自宅で、中学2年生(14)が父親の会社役員(44)、母親(40)、祖母(70)を殺害した。友人(13)が数万円で殺人の手伝いを頼まれて朝4時にやって来たが、中2生が祖母の首に電気コードを巻きつけたのを見て怖くなって逃げていた。両親は教育に厳しく冷たかったので、就寝中に金属バットで殴り、目を覚ました父親にバットを取り上げられると包丁で、父親37回、母親72回、祖母56回めった刺しにしたもの。別の友人に犯行を打ち明けて死体を見せ、この友人が教師に告げて警察に通報され捕まった。
 サッカー部に所属し、礼儀正しく明るい性格で人気者だったので周囲は皆驚くが、数ヶ月前から友達数人には親を殺すと話していた。また、大ファンだった南野陽子をレイプして自殺するが、迷惑を掛けるので先に家族を殺すと1週間前に打ち明けており、南野陽子のスケジュールを調べて7.8をその決行日と決めていた。初等少年院に長期収容となった。


昭和63年(1988).9.29〔高3が、同級生女子をプロレスごっこで殺害〕
 東京都葛飾区の自宅で定時制高校3年生(18)が、同級生の女子をプロレスごっこで死なせ庭に埋めようとしているところを見つかり捕まった。靴の紛失を自分のせいにされてカッとなり、脚を持って振り回して柱に頭を打ち付け紐で絞殺した。一旦埋めたが、水をかけたら生き返ると考え、掘り出してバケツで水をかけていた。精神病院に通院歴がある。





平成1年(1989).1.4〔16歳ら4人が女高生コンクリート詰め殺害事件〕
 東京都足立区綾瀬の自宅で、無職少年(16〜18)4人が高校3年生女子(17)をリンチして殺害、コンクリート詰めにして江東区の埋め立て地に遺棄した。暴力団下部組織「極青会」のメンバーで昨年11.25に埼玉県三郷市で誘拐、40日間監禁してレイプやリンチを繰り返していた。別のレイプ事件で逮捕されて1.29に自供。
 女子に「心配しないで」などと自宅に電話をかけさせていた。また、監禁していた16歳の家の親は女子の存在に気づいていたが家に帰るように言っただけだった。
 リーダー(18)は私立高校で悪質ないじめを受けて中退。暴走族に属し、家庭内暴力を繰り返し、暴力団とも関係するようになってシンナーも吸っていた。懲役20年の判決。


平成2年(1990).1.24〔17歳が妹刺殺〕
 千葉県市川市のマンション自室で、長男の無職少年(17)が小学6年生の長女(12)を殺害した。果物ナイフで妹の首を数回刺したもの。精神科に通院していた。母親(43)と3人暮らし。


平成2年(1990).2.2〔17歳が男子小学生にいたずらして殺害〕
 福岡県太宰府市で、無職(17)が小学1年生の男の子(7)を殺害、2.13に殺人と略取誘拐で逮捕。高校受験の帰りに下校中の男の子に声を掛け、1時間半にわたって連れ回し、殴ってから絞殺したもの。いたずらをしていた。14歳の時に女の子(8)を山中に連れ込んで猥褻行為をして少年院に入っていた。5〜10年の不定期刑判決となって少年刑務所に10年間入って平成12年12月に出所した。
 平成15年5月から翌年7月までに福岡県と佐賀県で、男女幼児14人(6〜10)にナイフで脅す猥褻目的誘拐、強姦致傷を繰り返して、福岡地裁は懲役16年判決。


平成2年(1990).8.〔中3の3人が友人の弟を殺害〕
 宮崎県都城市で深夜、中学校3年生3人(15歳2人、14歳1人)が友人の家に侵入し、就寝中の友人の弟の小学2年生(7)が「生意気だ」として抱え上げて畳の上に落とすなどの暴行を加えて殺害した。


平成3年(1991).1.7〔高2の少年、母親を絞殺〕
 福岡県春日市の自宅で、高校2年生の長男(17)が母親(55)を殺害して自分で110番した。長男は首と右胸を刺して自殺を図り入院。幻覚症状があり学校を休んでいたが、母親に学校に行くように言われて絞殺したもの。


平成4年(1992).2.6〔17歳女子が他人の家に押し掛けて幼女殺害〕
 大阪府大阪市のマンション12階で、無職女子(17)が突然押し入り、主婦(37)が留めるのを振り切って次女(1)をベランダから投げ落として殺害した。精神病で入院歴がある。


平成8年(1996).9.6〔17歳女子が警察に捕まるために赤ちゃん殺人〕
 宮城県多賀城市で、無職女子(17)が会社員宅に侵入、長男(生後6ヶ月)を連れ出して庭のくみ取り式トイレ便漕に投げ込んで殺害した。この長男の子守をしたことがあり、「警察に捕まりたかった」と自供。


平成9年(1997).3.16〔中3が通り魔殺人と首切断 酒鬼薔薇聖斗事件〕
 兵庫県神戸市の路上で、中学3年生(14)が小学4年生の女の子(10)の頭部をハンマーで殴打して殺害、直後に通行中の小学3年生の女の子(9)の腹部を刃物で刺して2週間の傷害を負わせた。
 5.24に小学6年生の男の子(11)を絞殺、首を切断して中学校の正門に遺棄した。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗って脅迫状をマスコミに送りつけ、6.28に逮捕された。





平成10年(1998).1.8〔19歳シンナー常習者が通り魔殺人〕
 大阪府堺市宮下町の路上で、無職少年(19)が、幼稚園児(5)とその母親(35)、女子高校生(15)の背中などを包丁で刺し、幼稚園児を殺害するとともに、他の2人に傷害を負わせた。シンナー常習者だった。


平成10年(1998).5.14〔19歳が主婦を殺人未遂〕
 愛知県岡崎市のショッピングセンターで、少年(16)がいきなりアイスピックで主婦(37)の後頭部を刺し、主婦が抵抗すると斧で切りつけ、殺人未遂で逮捕されて特別少年院送致となった。


平成10年(1998).10.2〔19歳が男児突き落とし殺人未遂〕
 兵庫県西宮市で、無職少年(19)が、通りがかった小学1年生(6)を死ぬかどうか試すため、マンション6階から1階植え込み付近に投げ落として傷害を負わせ、殺人未遂で逮捕された。


平成11年(1999).4.14〔18歳がレイプ目的で母子殺害〕
 山口県光市で、会社員(18)がアパートに侵入し、主婦(23)の口を粘着テープでふさぎ両手を縛って絞殺してから押入に押し込み、長女(11ヶ月)を絞殺して首にひもが巻き付けたまま天袋に入れて何も盗らずに逃走したが、4.18に逮捕された。レイプ目的で「人間として大変恥ずべきことをした。今は涙が止まらない。胸が痛んでいる」と自供。3月に高校を卒業し、今月に会社に就職したばかり。
 一審、二審は無期懲役判決だったが、最高裁は「罪責は重大で、量刑は甚だしく不当。破棄しなければ著しく正義に反する」として差し戻し、広島高裁は死刑判決を出した。


平成12年(2000).4.25〔中3らが5千万円恐喝〕
 愛知県名古屋市の中学3年生(15歳)ら10数人は、同級生(15歳)から、9ヶ月間、約130回にわたり現金約5,000万円を恐喝して捕まった。殴って肋骨を折るなどしており、母親が亡き父親の生命保険金などを出していたもの。


平成12年(2000).4.28〔高2が「人肉を食べたくて」教師を殺人未遂〕
 広島県広島市の県立高校で、定時制2年生(16)が、教師(30)から授業態度を注意されたことに逆上して、殺害しようと出刃包丁で腕を突き刺し、他の教諭に取り押さえられた。「人の肉を食べたくて、機会をうかがっていた」と自供。精神鑑定にかけられたが責任能力ありとなり、少年院に収容された。
 6.30に大分県中津市の初等少年院のソフトボール大会で、高2生は突然、主審である教官(29)の頭部を金属バットで殴って頭蓋骨骨折の重体とさせた。


平成12年(2000).5.1〔高3が「人を殺す経験したかった」と主婦殺害〕
 愛知県豊川市の自宅で主婦(65)が殺され、次の日に私立高校3年生(17)が自首した。「人を殺してみたい」との思いから、たまたま扉の開いていた家に侵入、主婦の首などを包丁で40回突き刺して殺害した。教師の息子で成績優秀、スポーツも得意で、近所の人にもきちんとあいさつする優等生だった。


平成12年(2000).5.5〔17歳が高速バス乗っ取り、1人殺害〕
 佐賀県佐賀市の無職少年(17)は、走行中の高速バスにおいて乗客に対し牛刀を突きつけ人質にして乗っ取り、女性(68)を殺害、4人に傷害を負わせた。広島県で警官隊が突入して逮捕。ネオむぎ茶という名前で、2ちゃんねるというインターネット上の巨大掲示板に犯行予告をしていた。


平成12年(2000).5.12〔高2が電車内で金づち通り魔〕
 神奈川県横浜市の高校2年生(17)は、不特定の人を殺害しようと、JR根岸線の走行中の電車内で、男性乗客(48)の頭部をハンマーで殴り付け全治3週間の傷害を負わせたが、取り押さえられた。「夢で子供が殺せと命令した」と自供。


平成12年(2000).6.21〔高3が金属バットで母親殺害〕
 岡山県邑久郡の高校で、3年生(17)が、野球部の後輩にいじめを受けて殴られ、復讐するため殺害しようと、部員4人を金属バットで殴打し、2年生(17)に頭蓋骨骨折の重傷を負わせた。
 殺人を犯したと思い込み、母親(42)に心配をかけないためには殺すしかないと決意、自宅に戻って母親の頭部を金属バットで殴打して殺害した。自転車で逃走したが、7.6に秋田県で逮捕された。



『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の著作第二弾。
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!これぞ、21世紀の道徳感情論!



『戦前の少年犯罪』少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の本が出ました。
『戦前の少年犯罪』

戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!







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『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』
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少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の著作第二弾。
『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』

冤罪、殺人、戦争、テロ、大恐慌。
すべての悲劇の原因は、人間の正しい心だった!
我が身を捨て、無実の少年を死刑から救おうとした刑事。
彼の遺した一冊の書から、人間の本質へ迫る迷宮に迷い込む!
執筆八年!『戦前の少年犯罪』著者が挑む、21世紀の道徳感情論!
戦時に起こった史上最悪の少年犯罪<浜松九人連続殺人事件>。
解決した名刑事が戦後に犯す<二俣事件>など冤罪の数々。
事件に挑戦する日本初のプロファイラー。
内務省と司法省の暗躍がいま初めて暴かれる!
世界のすべてと人の心、さらには昭和史の裏面をも抉るミステリ・ノンフィクション!

※宮崎哲弥氏が本書について熱く語っています。こちらでお聴きください。




『戦前の少年犯罪』

アマゾンで購入
少年犯罪データベース主宰・管賀江留郎の本が出ました。

戦前は小学生の人殺しや、少年の親殺し、動機の不可解な異常犯罪が続発していた。
なぜ、あの時代に教育勅語と修身が必要だったのか?戦前の道徳崩壊の凄まじさが膨大な実証データによって明らかにされる。
学者もジャーナリストも政治家も、真実を知らずに妄想の教育論、でたらめな日本論を語っていた!

『戦前の少年犯罪』 目次
1.戦前は小学生が人を殺す時代
2.戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代
3.戦前は親殺しの時代
4.戦前は老人殺しの時代
5.戦前は主殺しの時代
6.戦前はいじめの時代
7.戦前は桃色交遊の時代
8.戦前は幼女レイプ殺人事件の時代
 9.戦前は体罰禁止の時代
10.戦前は教師を殴る時代
11.戦前はニートの時代
12.戦前は女学生最強の時代
13.戦前はキレやすい少年の時代
14.戦前は心中ブームの時代
15.戦前は教師が犯罪を重ねる時代
16.戦前は旧制高校生という史上最低の若者たちの時代




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13歳以下の犯罪

戦前の少年犯罪

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少年犯罪統計データ

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子どもの犯罪被害データーベース



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主要参考文献

〔年表〕子どもの事件 1945-1989

戦前の少年犯罪

戦後死刑囚列伝 増補・改訂版

新聞集成昭和史の証言

新聞集成昭和編年史

日本の精神鑑定

日本長期統計総覧

年表 昭和の事件・事故史

昭和史全記録 1926〜1989

値段史年表 明治・大正・昭和

事件・犯罪大事典 明治・大正・昭和

20世紀にっぽん殺人事典

青少年非行・犯罪史資料1-3

教育事件・論争史資料

法律新聞 複製版

大審院刑事判例集

朝日新聞縮刷版

読売新聞縮刷版

毎日新聞縮刷版

戦前紙面データベース昭和元年-9年[CD-ROM

戦前紙面データベース 昭和10年-20年編[CD-ROM

警察白書

犯罪白書





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