約300人も社員がいながら、管理職やマネージャーと呼ばれる人は1人もいない。新入社員を含め社員全員が自由に自分の仕事を決められ、自分のプロジェクトにすべての時間を費やせる。配属先を決める人事部はなく、命令を下したり、仕事ぶりに文句を言う上司もいない。完全にフラット(平坦)な組織であり、しかも個人の生活が良い仕事の原動力になると、プライベートを充実させることを会社が支援してくれる……「組織のプレッシャーに悩まされない」という点では天国のような会社。しかし、こんな会社がビジネス組織として機能するのだろうか?

冒頭の会社は、「Half-Life」「Left 4 Dead」「Portal」などのゲームシリーズや、デジタル配信プラットフォーム「Steam」で知られるゲーム会社Valveである。ゲーム開発会社というと、ヒット作が出ても利益は次の作品に回され、寝る間もなくなるようなプロジェクトを社員に押しつけるブラックな会社というイメージが一般的かもしれない。しかも、Valveは社員1人あたりの利益率がGoogle、Amazon、Microsoftよりも高い。「社員はよほど過酷なプロジェクトを負わされているだろう、お気の毒に……」と想像されても不思議ではない。ところが、Valveの新入社員向けの手引きがネットで閲覧可能になり、その天国ぶりに多くの人が驚いた。ValveのWebサイトの会社紹介には「We've been boss-free since 1996 (1996年からずっとボスが存在しない会社です)」と書かれているが、それが誇張でも、対外的なメッセージでもなく、本当にValveを現す言葉だったのだ。

Valveでは、社員が自由にプロジェクトやタスクを作ったり選択できる。ルールは一切ない。また、すべてのエンジニアに厳密な役割もない。プログラマが音響をやっても良いし、必要ならプラモデルをずっと作り続けていても構わない。

Valve社員の机には車輪が付いているそうだ。電源コードを抜いて、仕事をしたい場所に机ごと移動できる。給湯室の近くで仕事をしてもよいが、大概は自分が参加しているプロジェクトの仲間が集まることになる。そうやって、社内に自然発生したプロジェクトの規模が変化する。ボス・フリーだが、リーダー・フリーではない。プロジェクトグループには自然と中心になる人物が定まってきて「Lead」と呼ばれるようになる。ただし独断的にプロジェクトを導くリーダー的な役割ではなく、プロジェクトに関するあらゆる情報を把握し、リソースまたは生き字引のようになるという。

新入社員の手引きで「机の移動方法」を説明

部下の仕事に目を光らせる上司はいないが、社員のパフォーマンスをチェックする仕組みが2つある。交代で組織されるグループが、定期的に全社員をインタビューする。その時に関わっているプロジェクトや仕事、グループについて聞き、その内容はフィードバックとして発言者を隠して本人に伝える。ピア・レビューと呼ばれており、社員それぞれが自分を周りの視点から見つめ直す機会になる。もう1つはスタック・ランキングという、価値の創造という点からすべてのピアを比較し、1年に一度ランキングを作成する。これが給与の額を決める土台になる。

すべての社員が自由にプロジェクトを立ち上げたり、好きなプロジェクトに参加して製品を作り、極端な話、入社して間もない社員でも自分が作った製品の出荷に自分でゴーサインを出せる。その分、各社員に責任が重くのしかかる。だが、Valveでは失敗やミスを理由に、社員を解雇したり、社員に罰を与えることはないそうだ。

アイディアを思いついたら、同僚に相談してとにかく取り組んでみる。思えば当たり前のことだが...

信頼で成り立つ大人の組織

創設者のGabe Newell氏であっても、Valveでは社員の1人でしかない。

なぜ、こんなヒエラルキーのない予測不能な会社が機能しているのか? いくつかのポイントがある。1つは、Valveがもの作りのモチベーションを持ったクリエイターの集団であること。それぞれが自分のやりたいことを分かっている。自立したクリエイター(=大人)であり、そのように会社も扱うから、ボス・フリーな組織が機能する。これが、もし「上司のチェックが入らないから楽」と思うような人たちの集まりなら、手を抜く方向に全体が向かう悪循環に陥る。

一生懸命に仕事する人であっても、必ずしもValveにフィットするとは限らない。自分で自分の仕事を作り出す自由さになじめず、Valveを去る人は少なくないという。すべての人にとってValveが天国のような組織ではないのだ。Valve社員は責任を自覚できる人物でなければならないし、コミュニケーション能力も欠かせない。手引きには、入社したらとにかく周囲と話すことを説いている。いくつものプロジェクトが進行している環境に投げ出されて、自分が活躍できる場所を見いだす第一歩は会話なのだ。この社員(ピア)の結びつきはValveの基本とも言える。すべての社員(ピア)に権利を与える組織の基盤は"信頼"だ。それは絆の太さで決まるからだ。98年に社員旅行でメキシコに行ったときは社員30人が参加し、その時に子供はゼロだった。今年のハワイ旅行には293人の社員が参加し、子供は185人だったそうだ。社員が家族を持ち、家族ぐるみのつきあいを深めるコミュニティを会社が育んでいる。

1つの分野の深い知識を持ったスペシャリストであり、偏りのないジェネラリストであるのがValveの理想

明言はしていないが、手引きを読んでいると、「ユーザーが求めること」に各自がどのように応えられるかを考えるように促しているのが伝わってくる。自由な組織とはいえ、ビジネスなのだから顧客と向き合うのは基本である。

もう1つ付け加えると、Valveは出資を受けていないプライベート所有の会社であり、また全てのIP (知的財産)を自ら所有している。外部から束縛されない会社であるのも、ユニークな組織作りを可能にしているポイントだと思う。

Valveのやり方を真似れば、あらゆる組織が創造的でビジネス的にも成功できるというものではない。「効果的に人員を補給できない」「会社として集中的に進めるべきプロジェクトが進まない」など、デメリットも多い。むしろ有効なケースの方が少ないと思う。ただ、ネットによって、またはネットにおいてフラットな形態が機能するチャンスは増している。例えば先週、E-Inkディスプレイを採用したスマート時計「Pebble」が、Kickstarterを通じて770万ドル超 (4月30日時点)もの資金を集めて話題になったばかりだ。

アイディアを持つ人がエンドユーザーや支援者と直接的に結びつき、資金調達などに縛られることなくアイディアを実現している。誰もがフラットな状態から勝負できるのは、インターネットの大きな持ち味の1つである。インターネットに関わる多くの人にとって、Valveはとても参考になる成功例であり、それぞれのケースに照らし合わせてみる価値のあるものだと思う。