ヨーロッパでコロナに感染して入院した話
恥ずかしながら帰ってまいりました
皆さまいかがお過ごしでしょうか。
外出自粛でしょうか、リモートワークでしょうか。
私は僭越ながら見事に新型コロナウイルスに感染し、しかも入院までした。
ベルギーで。
今はもちろん回復して自宅で療養している。
今までの人生、入院とは無縁の生活で、思い返せば幼稚園児の時に腸炎になったぐらいだろうか。
健康優良20代がいかにしてコロナに感染し、そして帰ってきたか。
時系列順に適当に書きます。
2020年3月1週目
ヨーロッパでもそろそろコロナやべえという空気が広まりだすが、まだ普通に生活している。
3月2週目
レストランや映画館が閉鎖され始める。
仕事でパリに行って帰ってくる。
3月16日
フランスでロックダウンの発表があり、ベルギーもそろそろかとざわつく。
買い占めが始まりトイレットペーパーとパスタと卵がスーパーから無くなる。
3月17日
ベルギー政府もロックダウン発表。仕事がなくなる。
引きこもり生活へ向けて買い出しに行く。周りの日本人は帰国し始めるが、まあそんなに長く続かないだろうと高をくくる。
3月18日
ロックダウン施行。
最後の買い出しに行ってから大人しく引きこもる。
3月19日
引きこもる。
3月20日
引きこもる。
3月21日
最低限認められた買い出しに行く。
帰宅後、なんとなく体調が悪い気がする。
3月22日
明らかに体調が悪い。
体温を測ると38℃あったので日本から持ってきたロキソニンを飲んで寝る。
3月23日
ロキソニンのおかげで熱下がる。一安心する。
念の為薬を飲み続けることにする。
3月24日
薬を飲み続けているおかげか、微熱(37℃ちょい)で推移する。
そんなにしんどくはない。
3月25日
前日と変わらず。ただ治ったという感覚もない。
3月26日
薬の量を減らす。と、一気に熱が上がる(39℃以上)
再び薬を飲んで寝る。
3月27日
薬を飲むと一時的に下がり、時間が経つと再び高熱と繰り替えす。
かなりつらい。
3月28日
前日と同じ。熱だけでは病院は受け入れてくれないのを知っているので、ひたすら耐える。
高熱による頭痛が激しい。
3月29日
流石につらくなって市が用意しているコロナ対策緊急番号に電話する。
医師にロキソニンをやめてパラセタモールに変えて様子を見ろと言われる。
まだ肺炎症状を認識していなかったため、病院に行くのは見送られる。
右がパラセタモール(左は日本から持ってきたロキソニン)
3月30日
パラセタモールが全然効かず、39.5℃の高熱が続き意識が朦朧としてくる。
呼吸がなんとなく苦しくなる(高熱のせいだと思っていた)。
3月31日
意味があるのかは分からないが大使館に連絡する。
「それだけ高熱が続くのは明らかにおかしいのでもう一度医師に連絡してください!」と軽く怒られる。
医師に連絡し、熱もやべえし呼吸もなんか変と伝えると「うーん、じゃあ病院行こっか。許可証送るからこれ持って〇〇っていう病院の救急搬送口に行ってね。」と言われる。
19時半頃、軽く検査するだけのつもりだったので最低限の荷物を持ってコンビニに行く感覚で出発。
少し歩くだけで激しく息切れすることに初めてここで気付く。病院まで汗ダラダラになり到着。
緊急搬送口で医師の許可証と自分の滞在許可証を提示すると受け入れられる。
症状を一通り説明し、採血や検温をするも病院までの道中の発汗で熱が下がってしまい、変な空気になる。
若い兄ちゃんの看護師が面倒くさそうで申し訳なくなる。
21時頃、別室に移される。検査を受けるたびにスタッフが優しくなっていくのを感じる。
このあたりで再び高熱に。色んな管を身体に取り付けられる。
酸素吸入器を装着して初めて呼吸が楽になることに気付く。
22時頃、CTスキャンを撮られる。
スマホやら財布やらポケットから出そうとすると「いいよいいよ気にしないで!全部台に載せちゃうから!」と酸素ボンベやら高そうな機械まで私の周りに載せ始め、さながら中国の派手な葬式のような様相でスキャンされる。
点滴の管がCTの機械に挟まるも、無理やり引きちぎるおばちゃんに西洋人の強さを垣間見る。
朦朧とした意識の中、カタコトのフランス語で指示を受けるもよくわからず不安になる。
スキャン中に金玉が熱くなり又もや不安になる。
深夜にCTスキャンの部屋の廊下に放置されてこのまま死ぬのかなって思ってる時の写真
0時頃、すっかり優しくなった若い兄ちゃんに励まされながら「今日は遅いから泊まっていきましょうね」と言われる。
コロナの薬といわれ錠剤を飲む。この時点で「あーやっぱコロナかー」ってなる。
1時前、車椅子に載せられ入院病棟に移される。通り過ぎる部屋の扉に「COVID19+」という張り紙がされており、否が応でも緊張感が増す。
「ぼくコロナ、ポジティブなんですか…?」と質問すると「まだ『疑い』です」と言われる。
ボンニュイと言われ就寝。
4月1日
朝5時頃、屈強な男2人に起こされいきなり腹に注射され、薬を飲まされる。(特に起床時間でもなかった)
8時頃、検温と血中酸素と血圧の測定。まだ38.5℃以上あった。
その後、朝食。パンとキウイとコーヒー。病院食ってコーヒー出るんだ…
体拭きシートと新しい着替えを貰う。あと新品のマスクも貰った。太っ腹。
完全防備の看護師に世話をされると自分がウイルス持ちであることを認識する。
このときドクターがやってくる。
検査結果はまだだけど、バイタルは回復してるので近く退院できるんじゃないかと言われる。
安心する。
病院の治療のおかげでかなり回復する。
午前中は寝て過ごす。
13時頃、昼食。
ラザニア、きのこスープ、カスタード
病人に出す飯なのだろうかこれは。
平時でもかなり胃に来るやつだが、病気の胃には致命的である。
お腹は減っていたが2口でギブアップ。
お粥とかそういうの食べたい…
これを平気で食えるやつはもはや病気ではないのではないか。
重病の人でもううぅ…と呻きながらこれを平らげるのだろうか。
欧州情勢は複雑怪奇にも程がある。
この時点で38℃程度。頭痛が残っていたので午後も寝て過ごす。
途中どこの保険に入っているか聞きにおばちゃんが来る。
17時頃、部屋の扉が開きベッドに乗せられたおっちゃんが運ばれてくる。
酸素吸入器に繋がれてつらそう。ここから相部屋になる。
18時頃、夕食。パン、チーズ山盛りのサラダ、果物のピュレ、ヨーグルト。
えげつない量のチーズに笑ってしまう。
隣のおっさんと話しながら飯を食う。
モロッコ系ベルギー人のおっさんで熱と咳が10日続いてここ3日は眠れなかったそうだ。
「奥さんはポーランド人のクリスチャンで自分はムスリムだけど問題はない、というのも我々の信じている聖典は3つあってそのうちのゴッホゴッホエッホ!!」と話の最中に急にむせ始めそのままどこかへ連れて行かれた。
おっさんは帰ってきた頃にはすっかり寝ていた。
夕食の片付けにきたおばちゃんが盛大にヨーグルトを布団にぶちまける。
"C'est vivant!(生きが良いわね!)"と大阪のおばはんみたいな事を言う。
この時点で私は平熱に戻り頭痛が少し残っていたのみだった。
4月2日
4時頃、看護師に起こされて隣の個室へ移動させられる。二度寝。
8時頃、検温と血中酸素と血圧の測定。朝食はパンとヨーグルトとりんご。
病気でもりんごはまるまる一個を齧れというスタイル。
また今日も謎の注射を腹に打たれる。腹に画鋲を刺されるぐらいの痛さだ。
ドクターがやってくる。
PCR検査は陰性。だが、CTスキャンの結果から新型コロナ肺炎であることはほぼ100%間違いないらしい。
タバコを吸わず、年齢も若かったため軽症ですんだそうだ。(全然軽くなかったけど…)
もう投薬と点滴でほぼ回復してるから、今すぐ帰っていいよとのことだった。
10日間は他人に伝染す可能性があるから自宅で療養しないといけないらしい。
肺炎の息苦しさも3,4日すれば治るだろうから処方箋だけ貰ってね!とだけ言い残して帰っていった。
おお…もう帰れるのか…
9時頃、おばちゃんが点滴を外しに来る。「良かったわね。もう帰れるわよ!」
帰り支度をし、部屋を出る。
昨日までいた部屋にはCOVID19+の紙が貼られ、モロッコ系のおっさんが力無く手を振ってくれた。がんばれよおっさん。
帰る前に精算カウンターへ行く。
これだけの高度医療を受けたのだからウン十万請求されるんだろうかと怯える。
カウンターのお姉ちゃんには笑顔で「保険適応で1泊17ユーロです」と言われる。
おお…やすい…
世話になった病院を後にし、途中薬局に寄ってから徒歩で帰宅。
そして今日に至る…
肺炎もほぼ完全に治りもう症状はない。
2週間続いた発熱も無くなると逆に違和感を感じるほどだ。
これで喫煙でもしていたらもっと重症になっていたのだろうか…
日本はこれからコロナ本番かもしれないが、なかなか結構つらいものなので心して迎え撃ってほしいと思う。
グッドラック!