あなたの中の最良のものを
人は不合理、非論理、利己的です
気にすることなく、人を愛しなさい
あなたが善を行うと
利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう
気にすることなく、善を行いなさい
目的を達しようとするとき
邪魔立てする人に出会うでしょう
気にすることなく、やり遂げなさい
善い行いをしても
おそらく次の日には忘れられるでしょう
気にすることなく、し続けなさい
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
気にすることなく正直で、誠実であり続けなさい
あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう
気にすることなく、作り続けなさい
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう
気にすることなく、助け続けなさい
あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい
けり返されるかもしれません
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい
マザー・テレサ
上記のメッセージを読んだ感想を、あなたなりのストレートさで表現してください。
人は気にすることなく何かをし続けるのは困難ですよね・・・
いつも常に、何かを気にしてしまう
そうですねぇ。正直で、誠実であり続けたいものです。ありがとうございます。
素晴らしいと思います。
願わくば、「マザー・テレサ」という署名は外して欲しかった。
なぜなら、署名が見えてしまった時点で、「ああ、もしかすると私は、これがマザー・テレサの言葉だから素晴らしいと思ったのではないか」と疑心暗鬼になってしまったからです。
あぁ~確かにそうですね。自分が作ったみたいになっちゃうかと思って・・。
ありがとうございます。
きっぱりお答え致します。
つまりこのご質問の趣旨は、今の世の中に生きる方に対して「こういう生き方が必要で重要かと思うが、いかが思うか?」を問う、という事かと思います。
成る程、マザーテレサのお話は大変素晴らしいもので、是が非にも、このように生きたいものです。「挫折感」についての話かとも思います。しかし、ニュースを見ても、歴史を紐解いても、仕事をしても、世の中はこの話で足りるようなものではないことは、語るまでもなく皆さん知っておられることと思います。
しかし結論として重要な事は、右の頬を打たれたら相手の右の頬を打ち返す事だけでは逆にそれもまた不足で、常にどこかでポジティブで地道な生産的思考が必要ではないのでしょうか?。いかがでしょうか?。
ほぅほぅ。確かにポジティブで地道な生産的思考は必要だと思います。趣旨の解釈は間違っているとはいえませんけど、そこまで哲学的に考えたわけではありません。
ただ、自分は素直に感動したけれど、自分と違う考え方を持った人はどういった感想を持つのだろう。と気になったのです。
ああ、マザー・テレサの有名な言葉ですね。
マザー・テレサは、アッシジのフランチェスコの生涯に感動し、
それがきっかけとなって修道女になったと言われています。
主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです。
これが「聖フランチェスコの祈り」と呼ばれる言葉です。
もちろんこれは、フランチェスコ自身の作ではありません。
実際に作られたのは、かなり近世でしょう。
しかし、フランチェスコの思いをよく表したものとして、
第一次世界大戦の動乱の中で、広く人々の間に広まっていきました。
暴力は、全てを破壊します。
全ての善を力ずくで破壊します。
しかし、戦争という最大の暴力が吹き荒れたその中で、
人々はこの穏やかなフランチェスコの祈りに
救いを見いだしました。
マザー・テレサもまた、貧困と死という
全ての希望を完膚無きまでに打ち壊す現実の中に飛び込み、
そして人々の希望となりました。
それを思う時、この安定した世の中での些細な困難など、
まったく取るに足らないものであることが分かります。
そんなもの、何を恐れることがあるでしょうか。
ただ、自分の出来る行いに最善を尽くすのみ。
障害はあって当たり前。
当たり前のことに何をうろたえる必要があるでしょう。
正なり善なりと確信するならば何一つ恐れない。
ただ誠実に堅実に、自分の行える最上の道を歩んでいく。
私の人生も、そうありたいと思っています。
すごくいいです。言葉だけでなくTomCatさんの人間性も素晴らしく感じられます。自分の悩みがちっぽけに感じられました。ありがとうございます。
今の自分の生き方そのものです。
自分の心に素直に耳を傾け、自己の倫理に従って生きることが大切である。
素晴らしい生き方ですね。是非私もその生き方を見習いたいです。ありがとうございます。
自分が信じている「最良のもの」と
受け取る人の「最良のもの」が違うということがあると思います。
蒔いた種が、全て芽吹く事
(=ここで書かれている善意が、全面的に相手に伝わる)
は、とても難しい事だと思います。
しかし、蒔いた種がひとつも芽を出さない時は
種が死んでいるのか、見当違いな育て方をしているのか、
なにかしら自分のやり方にも落ち度があるのではないかと思います。
その全てを『気にすることなく』継続することは
少なくとも、私の生活している環境では、危険な行為だと思います。
…ストレートな回答ではないですね。ごめんなさい。
本人にとっては最良のものでも相手にとっては余計なものになる時も少なからずありますね。いい回答ですよ。ありがとうございます。
素直に、「よし!頑張ろう!」って気になりました。
それを実行するのは難しいですけど・・・。
ストレートですね。確かに難しいですけど、一つの教えとして頭にストックしておくのも良さそうですよ。ありがとうございます。
有名なお言葉のようですが、私は知りませんでした。
私達はいつでも最良で最善、そして最短の道を選びたいと願って毎日模索しているのだと思います。
しかし万人に対して、最良で最善で、最短の道など本当は無いと言う事を生きていくうちに段々と分かってくるのではないでしょうか。
私はもしかしたら心の中で、万人に受け入れられる道がどこかにあると信じているのかもしれません。
本当に有るのかもしれませんし、無いのかもしれません。
でも子供の頃は、絶対に有ると思っていました。
かの偉人がこの言葉を残したのが何歳の頃だったか分かりません。
でもきっと、万人に受け入れられる道は無いと判断したのではないでしょうか。
道を模索するよりも、実行する方がいい。
そういう意味として、私は捉えました。
bayandskyさんと同様、具体的に「こうしよう!」という訳ではありませんが、がんばろうと思いました。
いい言葉に出会ったと思います。
…実行するのは難しいでしょうけれども…(^^
「道を模索するよりも、実行する方がいい。」
いい言葉ですね。そういう意味に捉えられるのは素晴らしいことだと思います。ありがとうございます。
●まず、指向として立派なのは理解できます。そういう方を否定する言葉を持ちません。
●私の母の姉妹は、設問ほどではないけれど善人ばかりなのですが、正直なところ、その中にいると息苦しく感じることがあります。身の置き所がないという気持ちになります。
●私の父の兄弟は、トンデモ集団です。人に話しても「そんな人、本当にいるのか」という方が揃っています。その中にいると、自分がしごく常識的な人間であると感じられます。
●ストレートに言ってしまうと、澄みすぎたことばにも、濁りきったことば(そのようなものがあるとすれば)にも、居心地が悪く感じてしまいます、というところでしょうか。
ほぅ、興味深い意見ですね。そんな親戚がいるのがちょっと羨ましいです。トンデモ集団のほうもまた、気にすることなくトンデモないことを続けてるのでしょうかね。ありがとうございます。
自分で良かれと思うことは、気後れすることなく実行しなさいということでしょう。
自分の考えや行動が常に正しいわけではないという自戒の念が欠落していますが。
自分が良かれと思っても常に正しいわけではないというのがまた難しいところですよね。
そうなると「正しさ」って何だろうって考えちゃいます。何が正しいのかわかんなくなっちゃいますね。いろいろ考えさせられる回答でした。
ありがとうございます。
一言で言って「無償の愛」を貫け!ということですね。
「無償の愛」と口では言いながら、また頭で分かっていながら自分のした「奉仕」に対して「理解をしてもらいたい」「評価されたい」「報酬が欲しい」と思ってしまいがちなもの。
それは、マズローの5段階欲求の「社会的評価への欲求」で示されているように、人間にとってはごく自然な欲求です。
しかし「無償の愛」は評価もされず、恩が仇で返されようとも貫き通す強い意志であり、そこに真の誠意があるのでしょう。
普通の人間が常にこういう高尚な徳のある人であり続けるのは難しいと思います。でも、時にはそのような志を持って臨むことも人生の場面ではあると思いますし、その時に自分の意志の強さが試され、真価が問われるのかも知れません。
私もそういう強い人間でありたいですね。
ほぅほぅ、無償の愛・・・これもまたいい言葉ですね。感想もメッセージと一緒に覚えたいくらい素晴らしいです。ありがとうございます。
素直で喜怒哀楽豊かな人間や生き方が称揚されることが多く、やせ我慢や努力の価値が軽く見られがちな昨今ですが、私はそういうのが結構好きです。報われない努力を抱えて生きている、なんていうのが。「成功しなきゃいけない」という強迫観念にとらわれていると、生きることの意味とか努力の価値とかそういうのを見失いがちな気がします。
それは、「報われない人『こそ』尊い」とかそういうことではなく、むしろ、この世で一番美しく重要なものは決して尊ばれず報われないものだと心の根っこの部分で考えているからかな、と思います。自分が大事だと思っているものごとや考え方はこの世では決して勝者たり得ないと思っているから。
上の言葉を読んで、マザーテレサは一般的には「報われた人」のように思われているかもしれないけど、多分似たようなことを考えていた人ではないかなあと思いました。リンク先にあるような「敗者」というか。厳密に言えばこれは西洋的な(あるいはキリスト教的な)文化伝統や物の考え方からはみだすような考え方なのではないでしょうか。少し小難しめに言うと、大体そんなことを考えました。
で、もう少しストレートに思うことですが、これってはてな回答者の心得のようだなあ、と。きっとマザーテレサなら素晴らしい回答者になったに違いないでしょうね(笑)。
すごく考えさせられる感想ですねぇ。何度も読んでしまいました。このメッセージからはてな回答者が思い浮かぶとは驚きです。すごいっす。
ありがとうございます。
短くて申し訳ないのですが、
『迷うな』
と感じました。
ほぅ、素晴らしくストレートです。気にしない、ということは迷わないということかもしれませんね。ありがとうございます。
長生きできなさそうですが、そういう人がいてくれるから世の中何とか動いてくれているのかなぁとか。
がんばれピュアハート、みたいな?
がんばれピュアハート。これを書いたあなたもなかなかピュアですね。混じりけないストレートさです。長生きできなさそうですかぁ、こういう人こそ長生きしてほしいですよね。
ありがとうございます。
自分の思ったことを思ったとおりにやりなさい。って事ですね。
実際には何をするにしても人の目が気になってしまいます。たまに人の目を気にせずに善行を行っている人をみると「なぜ俺には出来なかったんだと」思う時があります。
出来る限り己の思う道を進みたいと思ってはいるのですがまだまだ鍛錬の途中です。
人の目って気になりますよね。私も周りを気にしてついつい消極的になってしまいます。己の道を進むには強い心が必要なのかな。私も鍛錬が必要ですね。ありがとうございます。
僕は、上に書かれている中で、自分が正しいと思ったことに対しては
『迷わずに行動しろ』
自分が間違っていると思ったことに対しては
『間違っている』
ということを言いたかったのではないかと思います。
最初と最後に
「あなたの中の最良のものを」
「気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」
と書かれているので、そう思いました。
考えられる言葉ですね。
ふむふむ。迷わずに行動することも大事ですけど、自分の間違いを認めるのも時には必要ですよね。ありがとうございます。
それがどうした、というのが最初の感想。だってあたりまえですし。
普遍的なこと。
それに怒ったりないたりわめいたりしたってしょーがない。
いや、どうしても気持ちってのは揺れてしまうものだけれども、
誰かに気持ちを伝えるというのはこういうことだと思っています。
誠意というものは時間と繰り返される行為によってでしか判断されません。
誰かには最悪でも誰かには最良でる。
相手の価値観だったり気分だったりはフラフラ安定してないものだし。
おまけに自分のもフラフラしっぱなし。
だけどそのなかで「伝えたい」ものがあるならば、当然こうなる、と思います。
これをあたりまえと思える心の持ち主に私もなりたいです。「誰かに気持ちを伝えるというのはこういうこと」ですかぁ・・正直、悩みを見透かされたような気分です。元気が出ました。
ありがとうございます。
肯定的な意見が多いようなので、少し穿った見方をば。
なぜ人を愛するのか、なぜ善を行うか、あるいはそうすることによってどのような結果があるのか、ということが述べられていません。そのため、人を愛する衝動のある人、善を行いたいという欲求のある人の心には深く響くと思いますが、そうではない人にはあまり響かないかもしれません。
また、
> 人は不合理、非論理、利己的です
という出だしで既に人の性善説を否定しています。善ではない人間がどうして善なる行いを当たり前のように行うことができるのだろうか。などとちょっとひねくれたことを考えてしまいました。
ほぅほぅ。こういう感想も歓迎です。人は不合理、非論理、利己的。マザー・テレサも人ですものね。なぜ愛するのか、なぜ善を行うかは自分で見つけたいですね。
ありがとうございます。
すべての言葉が生きる上で自分を励ましているように思います。
それだけ生きることは大変なんだなっと思ってしまいます。でもすべてやる気を出させる言葉ですね。
私もこの言葉に励まされました。慰めとしてもいい言葉ですよね。ありがとうございます。
考えすぎて、悩んでしまう人にはとてもいい言葉ですね。
ストレートにいうなら「そんなに悩むな!生きて行こう!」
考えすぎて悩んでばっかいる自分には確かに響きましたねぇ。ありがとうございます。
肯定的な意見が多いようなので、書きづらい感がありますが… 読んだ時にそれを肯定する気持ちとともに、批判したい気持ちがありました。この言葉は結構独善的ですよね。周りや受ける側には関係なく、自分がよいと思ったことを貫けって言ってますよね。
私はストーカー被害にあったことがあります。私がどんなに迷惑だと言っても、その人は自分でポジティブなロジックを作り上げて、全く悪気なくつきまとってくるのです。「あなたは人に心を開けない人だから私がそれを解放してあげる」「わたしが愛を捧げることに遠慮しないで」みたいな感じで(そこの君、笑ってはいけな〜い( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ)私にとっては迷惑だったので本気で止めて欲しかったのですが、その人は疑いなくで良いことをしていると思っていたみたいです。人に対して善を尽くすにしても、受ける側と送る側がシンクロしていないとストーカーの例のようにお互いに不幸になる事もあるわけで、独善的なのは良くないことであり、ある意味怖い言葉だなぁとも感じました。
ふ~む、ストーカーですかぁ、こう捉えるとある意味では怖いですね。独善的・・・難しいなぁ。
ありがとうございます。
ありがとうございます。支離滅裂ですかぁ。