どうして「0」を割ることはできるのに、「0」で割ることはできないのでしょうか。
基本的に「0」は無だから、存在しないもので割ることはできない、という説明をされてきました。
しかしそれだと、存在しないもの“を”割ることもできないと言う理屈になるのではないかと釈然としません。
当方、完全文系頭ですので、証明などによる説明ではなく、小学生の子供でも判りやすい説明をいただければと思います。
(例えば、6÷3を「6つのリンゴがあります。これを3人で同じ数だけ分けると2個ずつになりますね」と具体的に説明する感じ)
例えば 1リットルの水が入った桶から 200ミリリットル入るコップで汲み出したら何回で空にできますか (コップの形による隙間とか厚さとかは考えない)。
5回ですね。
では、容量がゼロ = 水が入らない = 底の抜けたコップでは何回汲み出したら空にできますか。
何回やっても空にはできませんね (現実的にはそのうち蒸発するでしょうが、汲み出して空にしたわけではないので)。
空にすることはできない = 割ることはできない ということです。
ではゼロを割るということはどういうことか。
まず 1リットルの水を5人で分けることを考えます。一人当たり200ミリリットルずつ公平に分けることができます。割り算は「公平に」分ける術なのです。
ゼロリットルの水を5人で分ける。一人当たりはもちろんゼロです。分け隔てなく公平に全員ゼロです。
公平さが保たれているということは割り算が成立しているということなのです。
ゼロ除算(ぜろじょざん、division by zero)とは、数学において、除数がゼロである除算を言う。
このような除算は正式には \frac{a}{0} と記述され、aが被除数となる。 この式が意味のあるものとなるかは、解釈によって異なる。これは、1/0=xとするとき、0x=1になり、矛盾を生むからである。
詳しくはこんなページを見てみてくださいね。
ご回答、ありがとうございます。
Wikipediaの回答はちょっと文系頭の自分には判りづらかったのですが、要はあとのURLで判りやすく書かれているように「矛盾してしまうから」ということなんですね。
その「矛盾する」ということが、判りやすく説明されて頭では判ったつもりでも、心がついて行かないのですねえ。
ゼロ個のりんごを3人で分けてもゼロ個。貧乏は悲しいなあ。貧乏を何人で分けあっても心があったまっても体がひもじいという事実はかわりませんね。
じゃあ3個のりんごをゼロ人に分けたら?
答えは常識なら「どうでもいい」ですよね。だれの割り当てでもない、宙ぶらりんなものなんだからスキに腐らせてもボール投げして遊んでもどうでもいいよってことです。小学校で「答え、ゼロアマリ3」なんていうときもこれに近いかな。
高校の数学的には、
1人に分ければ3個の林檎を、もっと小さい人に与えるとすると0.5人に3個を与えると考えれば1人あたまにもどすと6個もらえるはずで、と少しずつ分ける対象を小さくすることを考えていくのです。
3つの林檎を分けあたえる対象を人ではなく蟻、ノミ、酵母、ウィルスくらいに小さいものにすれば、人一人にたとえれば十分、一生分以上の食料になる量であり、ゼロの存在に対して分けあたえようとするなら自動的に無限大となるわけです。
さらに、こういう話も高校ででてきます↓
ゼロは同じ種類のゼロでなら「通分する」ことができるのです。
林檎が限りなく小さくなり、しかしそれを分けようとする存在も限りなく小さくなり、その縮小の速度が同じとき、
通分して1となります。(まあ、象にとっても酵母にとっても一食分は一食分だよって感じですが、通分することによって、ゼロにまどわされずに本質を取り出せます)
もちろん割る数と割られる数の両方にゼロが存在するからといって、通分でゼロを消しきれない式も沢山あります。結局最高に通分しおわってもゼロが割る数に残った場合、解が「無限大」になり、「発散」するといいます。「無限大」の方は、上で説明した、分けようとする存在がウィルスよりもさらに小さくなる点から考えていったときの言い方、「発散」はそもそも存在しないんだからどうでもいいよに近い考え方の言い方ですが、実際、答えが無いとして扱われることは同じです(高校レベル)。
キレイに通分できたときも、通分する前の式を見れば、ゼロを割ることも、ゼロで割ることも、一応達成したうえで、本質を取り出したのだということになります。
ごまかしと感じられるでしょうか?では逆に、ゼロで割るというのはその、無限大だか発散だかわけのわからない状態を名づけるための式として作り出されたのだと思ってもわかりやすいかもしれません。
詳細なご説明、しかも判りやすく噛み砕いてのご説明をありがとうございます。
しかし高校生レベルでのご説明になると、とたんに頭の悪さが露呈してしまい、とたんにこんがらがってしまいました。
(何だか哲学的なレベルに行ってしまっていると感じたのはやはり頭の悪さからでしょうか)
うーん、どうしてもごまかされていると感じるのですよね……と思ったら最後にちゃんとフォローしてくださっていましたね。
「無限大だか発散だかわけのわからない状態を名づけるための式として作り出された」
どうなるか判りませんが、高校生レベルでは少なくとも理解できるよう、また何度も読み返させていただきます。
N/0=? (Nは0でない)の計算は、見方を変えると、
0*?=N となる?を求めようとしているといえます。
0は何を掛けても0ですので、0でないNになるような数の
?は存在しない(不能)ということになります。
また、Nが0である場合は 0*?=0 となる?を求めるわけで、
これは?がどんな数でも成立(0にはどんな数を掛けても0)し、
?が定まりません(不定)。
ということで、どちらも解が無いのでそういう計算はしない
約束になっているのです。
ご回答とコメントをありがとうございます。
そうなんです。何が納得できないかというと、「そんな計算をしてはいけない」いうお約束がある、ということ自体が気持ち悪いのですね。
数学レベルになると、「お約束」もたくさん出てくると思いますが、算数レベルでは他に禁止事項というものを習った覚えがないのですね。
それだけに、算数の時間に先生からこの「0で割ってはいけない」という禁止事項を学校で習ったので、ずっと「おかしいよなあ」と思っていたのです。
今回、「小学生レベルで」とお願いしたのは、要はそこから算数に対する成長が止まってしまった自分の総決算をしたかったから……ということで勝手なお願いをしました。
数学的に困ったことになるので割れないことになっています。
1÷0は分数で1/0これだとどうやって計算していいかわからないですよね。
そこで0を0に近い数字にしてみます。
1/0≒1/0.1=10
もっと0に近づけます
1/0≒1/0.01=100
・・・・・
1/0≒1/0.0000000001=10000000000
ずーと小数を小さくしていっても0にならないのですが
1/0はどんどん大きくなって
1/0は無限大になってしまいます。
=は同じものなので 1/0は同じものが無い。
0では割れないって事になっちゃいました。
ご回答をありがとうございます。
実は、次に機会があれば訊いてみたかったことが「無限大のその先」なんです。
無限大だからその先はない、と言われるのですが、例えば単純な反比例のグラフでも、「ずっとその先はどうなっているのか」が気になって仕方ありませんでした。
「平行ではない。でも決して交わらない」というのが、現実世界ではあり得ないだけに子供心に気持ち悪かったのです。
そもそも、反比例のグラフも机上計算だけで、本当のその先は誰も見たことがないじゃん、と思っていたのですね。
だったら「そんな誰も見たことがないのに、どうして「平行にはならない」「でも交わらない」なんて言い切れるんだ」と思っていました。
結局は「0」で割ってはいけないの疑問と、「反比例のその先が見たい」と思っていたことは、同じコトだったのですね。
せっかくの回答をいただいたのに、全然的外れなコトを思いついてしまった頑固な頭で申し訳ありません。
すごくわかりやすい解説をしているところがあったのでそのまま引用です。
5÷0の答えはなんだと思う? 「わからない」「0」「?」 じゃあさ,15÷3の答えは? 「5」 そうだよね.どうして? 「15個のものを3人で分ければ5個ずつだから」 え,いつもそうやって割り算してるの? 「・・・」 15÷3の答え5を出すとき,何してる? 「三五十五」 お!掛け算の九九だね.えらい,よく知ってる! おれさぁ,いまだに7の段の後半が苦手でさ.しちろく四十八とか言っちゃう時がある. それはともかく, 15÷3の答えが5なのは,15=3×5 だからなんだよね. じゃあ,5÷0 の答えを □ とするよ.すると 5=0×□ じゃなきゃだめだよね. 0倍したらどうなる? 「みんな0」 だよねー.0倍して5になるような数は? 「全然ない」 そう,OK! ,5÷0 の答えは『全然ない』んだよ. 次にさ,0÷0 の答えを □ とするよ.すると 0=0×□ じゃなきゃだめだよね. □ は 0倍して0になる数が入るよ. それはどんな数? 「なんでも」「全部」 正解!みんな良くわかるなぁ. 0で割ると『全然ない』か『全部』になっちゃうから,意味ないでしょ.だから数学では,そんな無意味なことは考えないことにしているんだ.
http://www.uja.jp/contents/math/divbyzero.html
本質的には割り算というのは「分けること」が本質ではなく「1あたりを求める」こと。
そして掛け算は「1あたりがいくつぶんあるか求める」ことです.したがって数学的には 割り算は掛け算の逆算 になるということです。
ご回答ありがとうございます。
そうなんです、実際に人に訊いたときでも、よく引用先のような説明をされました。
ただ、この説明は言葉がものすごく悪いのですが、どこか騙されているような気がしてならないのですね。
よくあるクイズの類で、いつの間にか論点をすり替えていて、最終的にはおかしなことになってしまうという類の、あんな感じを受けてしまうのです。
「0」で割ってはいけない理由のために、突然に0を掛けると何の数字にもなってしまうんだ、おかしいよね、とすり替えたうえに無理矢理納得しないと行けないんだぞ、と脅迫されているような気がして仕方ありません。
確かに「割り算は掛け算の逆算」というのは、ルールです。そのルールに外れているから「やってはダメだ」というお約束なのは頭で判っているのですが……。
やはり「リンゴ6個を3人で同じ数だけになるように分けました」レベルの説明では難しいと言うことなのでしょうか。
例えば 1リットルの水が入った桶から 200ミリリットル入るコップで汲み出したら何回で空にできますか (コップの形による隙間とか厚さとかは考えない)。
5回ですね。
では、容量がゼロ = 水が入らない = 底の抜けたコップでは何回汲み出したら空にできますか。
何回やっても空にはできませんね (現実的にはそのうち蒸発するでしょうが、汲み出して空にしたわけではないので)。
空にすることはできない = 割ることはできない ということです。
ではゼロを割るということはどういうことか。
まず 1リットルの水を5人で分けることを考えます。一人当たり200ミリリットルずつ公平に分けることができます。割り算は「公平に」分ける術なのです。
ゼロリットルの水を5人で分ける。一人当たりはもちろんゼロです。分け隔てなく公平に全員ゼロです。
公平さが保たれているということは割り算が成立しているということなのです。
判りやすい具体例をありがとうございます。
一瞬、「あれ?“空にすることはできない”ということは、そもそも何回もできないと言うことで、それってすなわち“0”ということでは?」と思ってしまいました。
が、それだと確かに最初に出された条件、「水をくみ出す」という前提がまったくクリアされていないことになるのですね。
おお、なるほど……!!
判ってきたような気がしました!!
(すいません、「気がしました」程度の返信で。でも具体例としては、今まで教えてきてもらった中でももっとも判りやすい例えでした)
「割り算」と一口に言っても、生活の中で使う場面では「等分除」と「包含除」があります。
http://www.shinko-keirin.co.jp/sansu/WebHelp/html/page/31/31_04....
等分除は、
「~~個のものを~~人で分けると、一人分は何個かな」
という形式。
包含徐は、
「~~個のものを、一人に~~個ずつ分けると、何人にわけられるかな」
という形式です。
前者、「0人で分ける」だと想像しづらいので、後者の包含徐で考えてみましょう。
まず助走問題から。
問1「6個のりんごを、1人2個づつわけます。何人に分けられるでしょう」
簡単ですね。
式:6÷2 答え:3人
続いて数字を変えて、
問2「6個のりんごを、1人1個づつわけます。何人に分けられるでしょう」
より一層簡単ですね。
式:6÷1 答え:6人
では、
問3「6個のりんごを、1人0個づつわけます。何人に分けられるでしょう」
式:6÷0 答え:………?
「0個づつ分ける」ということは、つまり分けてないわけで、「何人に分けられるか」という質問は無意味になります。
単に渡したふりだけしてるわけですね。
ある意味では、私もあなたも「りんごを0個」受け取っているわけですから、
「無限大の人数に分けられる」
と答えることもできます。
「答え:∞人」
でしょうか?
(数学に詳しい人からは、「無限大は数じゃない」って怒られそうでもありますね)
では、上の3つの問題について、検算をしてみましょう。
割り算の検算は、
「割る数×答え+あまり=割られる数」
となるかどうかを確かめれば良いのです。
(今回はあまりはないですが)
問1。
「2×3=6」
合っています。
問2。
「1×6=6」
これも合っています。
問3。
「0×∞=………?」
検算が不可能になります。
こういった問題には、おそらく高等数学では回答があるのでしょうが、残念ながらこれは小学生には手に余ります。(私の手にも余ります)
このため、ゼロ除算はしないことになっているのです。
(実際生活で必要にならない、ということもあります)
だから、
「存在しない数で割ることはできない」
……というのは、間違いではないけれど、はっきり正しくもない気がしますね。
たぶん、「存在しない答えが出てしまうから」という方が正しいんじゃないでしょうか?
(「∞は存在する!」とか怒られそうですが)
これが、割られる数が0、というのであれば、
「0個のりんごを1人2個ずつ配ると何人に分けられますか」
という問題になります。
式:0÷2=0
要するに、箱を開けてみたら中身は空っぽ、という状況ですから、「誰にも分けられない=0人」ということになります。
検算をすると、
「0×2=0」
ですから、正しい答えだということになります。
いかがでしょうか?
ちょうど下のコメント欄を書いている間に、まさに「小学校の先生からの回答があれば教えていただきたいな」と思っていたところでした。
出だしで「等分除」と「包含除」ときたので、身構えてしまったのですが、そのあとの例題としては判りやすく書いてくださり、ありがとうございます。
ただ、やはりこの石頭が詰まってしまうところは、問3の答えを「∞でいいんじゃないの」と思うところと、検算のところで「どうも話がすり替えられているんじゃないかなあ」と構えてしまうところなのですね。
頭では理解しているのですが、「騙されないぞ、騙されないぞ」と心がついていっていない状態なのですね。
例えが悪いのですが、悪徳商法のセールスマンの話を聞いている状態とでも言えばいいのでしょうか。
ただ、やはり下のコメント欄でも書かせていただいたように、この「0で割ってはいけない」という理由を説明するのは算数レベルでは難しいということなんですね。
だから小学校のときも、先生は「ダメなものはダメ」とルールを無理矢理押しつけざるを得なかったのでしょうね。
何だか算数界の尾崎豊のような気持ちになってきました。
6個のりんごを3枚のお皿に分けると1枚のお皿に2個のりんごが乗ります。
では、6個のりんごを0枚のお皿に分けることにしましょう。
「無いお皿に乗せることはできない。」
ですから、答えはできないということです。
0個のりんごを3枚のお皿に分ける場合は、1枚のお皿にりんごが乗ってはいないけれど、
確かにお皿はあってそこにりんごが無いということなので、答えは0個となります。
と私は考えるのですが、どうでしょう?
ご回答をありがとうございます。
きっとこの質問を出す前であれば、「それだったらリンゴを分けられていないのだから“0”でしょう」と言っていそうですが、皆さんからの回答を見ているうちに気が付きました。
「リンゴを分ける」という前提条件がクリアされていないじゃないか。と
要は前提条件がクリアされないから、答えは「0ではいけない」と言うことになるのですね。
……あれ?
そうするとやっぱり頑固石頭が戻ってきてしまいました。
「じゃあ、0個のリンゴを分けるという話も、リンゴは0個で分けられていないから(=存在していないから)、“リンゴを分ける”という前提条件をクリアしてないじゃないか」と思えるようになってきました……!
やっぱり堂々巡りしてしまっています。
>「リンゴを分ける」という前提条件がクリアされていないじゃないか。
「手元(分ける前)のリンゴを、何回の配る操作(取り去る操作・まね可)
によって無くせるか」を考えてみては。
手元から無くせることが、前提条件。
3個のリンゴを0個ずつ配ろうとしても、手元からなくならない。
→幾らやってもクリアならず。(不能)
0個のリンゴを0個ずつ配るとすると、既に手元には無いのだが、
何度でも配る(まねが)できる。
→前提クリアしたけど、回数は一意に求まらず。(不定)
ご回答ありがとうございます。
なるほど! 確かに「配る動作(マネ)」として考えると、「0回」と言うことはおかしな考え方になってしまいますね。
逆にリンゴがない状態で3回配るマネをしようと、5回配るマネをしようと、100回配るマネをしようと、これは「もとからリンゴは存在していないので」リンゴの数は0個であると。
さらには0÷0の説明もありがとうございます。
「手元からなくす」という大きな前提条件があると言うことで考えるということですね。
よく算数(数学)って「解はひとつで美しい」と聞くのですが、結局は色々と前提条件に縛られていたうえでの解なのですね。
何となく自分にあわない訳が判ってきたような気がします。
私は数学を専攻していませんが・・。
□÷0という式を使ってはいけない理由は、
割り算として定義されていないからです。
割り算[割り切れる場合]の定義とは、
整数 m と n に対して、m = qn を満たす整数 q が唯一つ定まるとき、m ÷ n = q, q = m / n などと表して、m は n で整除(せいじょ)される、割り切れる(わりきれる、divisible)あるいは n は m を整除する、割り切るなどと言う。
つまり m= 12, n = 4とすると、12=q×4を満たす整数qは、
q=3と唯一つ定まり、m÷n=q(12÷4=3)と書くことができます。
逆に言えば、12=q×4のqが唯一つに定められない場合は、
そもそも12÷4=ということは定義されていないため、
使ってはいけません。
0で割ることは、これにあたります。
12=q×0のqを唯一つに定めることができません。
割り切れない場合も式変形をすればよいので同様です。
定義されていないことを数学で勝手に使うことは許されていません。
小学校の2年生の図形で[言葉までは説明しませんが、定義と定理の違いの初歩の初歩を学びます]三角形の定義について学びます。
三角形とは
・三本
・囲まれている
・直線
[水を入れたときにあふれないとかそういう指導をすることがあります。]
と学びます。[内角の和などは高学年]
この定義を元に、三本の曲線で囲まれた図形は三角形ではないと、
子ども達に判断させていくのです。[三角形の定義に当てはまらないから、これは三角形ではない。と。日常的には三角形で通用するくらいの図形なのですけどね。]
すなわち定義は証明できません。[定理は証明できます。]
今回の場合、0で除算することは、除算すること自体が
定義されていません。つまり割り算でさえありません。
個人的な気持ちでは、掛け算と割り算は対等の関係ではなく、
掛け算⊃割り算
だと思っています。
例を挙げると曲がった線を指差して、なんでこれは直線ではないのですか?なんで曲がっていたら直線といってはだめなんですか?と聞くようなものです。
[また0で割っても無限大にはなりません。限りなく近い0に近い0でない数で割ると無限大になります。]
子どもに聞かれたら、「どうしてだと思う?」と、
まずは自分で考えさせます。
その後、4÷0になる答を求めさせると答がみつからないことが
わかります。
解なし。
次に、[解なし]ってよいと思うかを聞きます。
ほぼ確実に[だめ]だと答えると思います。
[解なし は、中3まで習いません。これも虚数解が高校まで習わないからですが。]
だめなことはしてはいけないよね。
とこちらからいえば、ある程度は納得できると思うのですが・・。
教育的に、間違った知識を教えることはある程度ジレンマが
ありますが、子どもの発達段階を考えると、無用な混乱で、
他の問題まで解けなくなってしまうデメリットを考えると、
ダメなものはダメでよいような気がします。
[例えば小学生一年生に図工とかで半分ずつにきっていくことをさせたとき、一番小さい粒は、[目に見えないような粒粒]じゃなくて[分子]でもなくて[原子]でもなくて、あっ原子は中性子と陽子と電子があって、その陽子と中性子はπ中間子をキャッチボールしながら、アップクォークという素粒子とダウンクォークが変身し合っているんだよー。でも実はクォークの中にもなんかいるみたいだけど、まだよくわかっていないんだー、重さ0なら光子ってのもあるよ。]
と本質を答えても引くだけだと思います。実際に授業後の雑談で質問されて、1年生に答えたら、口をぽかんと開けられました。
丁寧なご回答ありがとうございます。
出だしはちょっと身構えてしまいましたが、本当にymlabさんがおっしゃりたいことは後半にあったのですね。
そもそも「定理」と「定義」の言葉自体、すっかり忘れ果てていました。
なるほど、「定理」は証明できるが、「定義」は「定義」としてすでに「そこにある」ものである、以上。
乱暴ですが、こう考えればよいということですよね。
で、「0で割ることは定義されていないことである、すなわち“存在しないものである”」と。
ただし、確かにおっしゃるように子供としてみれば「算数」とは答えが必ずあるものであり、「解なし」と言われると、「どうして? 話が違うよ」となってしまうと思うのですね。
だからといって、ymlabさんが体験されたように、急に高度な数学の話になっても訳が判らなくなってしまい、余計に「ごまかされた」という気持ちになってしまいますからね。
難しいところです。
しかし、その点をいかに納得させながら(大人のイヤラシイ言葉で言うとごまかしながら)、うまく「なるほど、だから0で割ってはいけないのか(割れないのか)」と思わせられれば、大人側の勝ちになるのではないのかな、思いました。
いや、勝ち負けの問題ではないのですが。
判りやすい具体例をありがとうございます。
一瞬、「あれ?“空にすることはできない”ということは、そもそも何回もできないと言うことで、それってすなわち“0”ということでは?」と思ってしまいました。
が、それだと確かに最初に出された条件、「水をくみ出す」という前提がまったくクリアされていないことになるのですね。
おお、なるほど……!!
判ってきたような気がしました!!
(すいません、「気がしました」程度の返信で。でも具体例としては、今まで教えてきてもらった中でももっとも判りやすい例えでした)