21st
あえて言うがRuby会議はそろそろ一回終わってみるべき。
表題のようなことを実は2007年のやつの後くらいから思ってて、今年はほとんど確信に近くなっている。Ruby会議2009最終日にうっかり角谷さんの電波(自称)を浴びてしまったせいで、当日は「あー、俺より角谷さんのほうがちゃんと考えてて、でも逃げてないんだなあ」とか思った。思ったが、一日たって冷静に考えてみたら、やっぱ逃げてもいいと思うよ。なので当初考えていたとおりに書くことにする。
(1) おまえらの仕事は品質過剰です。
Ruby会議は世間のカンファレンスの相場から考えると、クオリティに比して参加費が異常に安い。クオリティの高さに関しては素晴らしいとは思うが、それの費用は安すぎだと思う。
なぜRuby会議はあのクオリティで開催できるのか、一回きちんと考察してみるべきだ。俺には参加費の代わりにおまえらのモチベーションを削ぎ落としながら燃料にしてオペレーション回してるようにしか見えない。横から見ていてメチャ辛そうなんだよ。そのまま行くとみんな燃え尽きて終了する、よくある「燃え尽きたプロジェクト」の光景が広がっているのではないか。俺はモチベーションを金で買うのはそんなに悪いことだとは思わないというか、何かを継続的にやっていこうとするなら不可避なのではないかとすら思う。
Ruby会議にはそもそも継続して開催するスキーマのようなものがない(あるのだとしたら公開されてない)。なんでないかというと、最初のときにとりあえず続くか分からなかったからだ。なんでもいいから一回やってみよう、が、意外に好評だからなんとなく続いている状態。そりゃ破綻するってば。
(2) おまえらはRuby会議で燃え尽きてる場合じゃないはずです。
個人的にRuby会議というものを今の段階で勝手に総括すると、そのもっとも有益だったと思える成果は「たくさんの人達を掘り出してきてスポットを当てたこと」だと思うね。Ruby会議に参加しなかったら知らないままだった人がたくさんいる。
でさあ、それは大変素晴らしいことなんだけど、そこで終わってちゃだめだろ。Ruby会議みたいな言ってしまえばゆりかごみたいな世界でずっといつづけるのはおまえらのためにならない。Ruby会議は故意にか偶然にか知らないがとても効果的におまえらを発掘してしまったので、もうそろそろおまえら全員を面倒見切れなくなってきている。このまま行くとRuby会議が足枷になってさらに成長できるはずの人が無駄にスポイルされるようになってしまうのではないかと危惧する。
それを回避する方法は、手段を選ばないのなら、たとえば「規模を大きくする」とか「回数を増やす」とか「法人化して事業として回す」とかあると思うんだが、どれもどうやら中の人はやりたくないらしいんだよな。で、俺の考えつく方法で消去法で残るのは「もうやめちまえ」しかない、という。
(3) Ruby会議ってキモくない?
そろそろこれ、言い出す人いてもいいと思うんだけど。「きもちいい」とか「愛」とかさ。それ聞いて感動してるおまえらとドン引きしてる俺なわけよ。冷静になれよ。普通に考えておかしいだろ。耳触りの良い言葉ばかりが並んでたら警戒しろよ。裏があるとか疑えよ。
まあようするに思いっきり穿った見方をするとRuby会議ってのは一部の自覚的な指導者層が多くの無自覚な信徒を煽動する装置であって、有り体に言ってカルトに近い方向性を備えている。似てるってだけでそこまで危険とは思わないが、俺は当事者だから客観的な評価ができないから甘めになってる可能性も捨てきれない。
そんでRubyの中の人でもある俺から言わせてもらうと、そういう状況って危険でさあ、なんでかっていうと熱しやすいやつらって冷めやすいんだよ。俺としては(他の人もそうだと思うが)一気に流行って一気に廃れるのは困るわけ。今はとりあえず流行るところまでは来たのはいいが、ここからどう落ちつかせるかってのが今後十年のRubyには重要で、だからそろそろこれ以上加熱するのはやめるべき。冷却すべき。信者のおまえらは目を覚ますべき。
まあそういうわけでまとめると、毎年「しんどい」とか「薄氷を踏み抜くような」とか言いながらRuby会議続けるのもうやめようよ。一回は終わってみようぜ。なにもRuby会議だけがおまえらの人生じゃないだろ。