2013.12.06
どうして妻は不機嫌なんだ?――産後に冷え込む夫婦の愛情
「子どもが生まれてからなぜか妻が不機嫌だ……」「一緒に育てるって言っていたのに、話が違う!」あるデータによると出産後に夫婦の愛情は急速に冷え込み、その後の夫婦生活に致命的なひびがはいってしまうらしい。この現象を「産後クライシス」と名付け、そのメカニズムを解明したNHK報道記者の内田明香さんとディレクターの坪井健人さんによる『産後クライシス』(ポプラ新書)。「妻はもう夫を愛していない?」「夫の愛情は妻に伝わっていない?」著者の内田明香記者にお話をうかがった。(聞き手・構成/金子昂)
夫の愛は一方通行!?
―― ご著書では出産後に夫婦の愛情が冷え込むことを「産後クライシス」と名付けられています。どういった経緯でこの問題に気が付かれたのでしょうか?
ベネッセ次世代育成研究所が発表しているデータによると、妊娠期に「(配偶者を)本当に愛していると実感する」女性の割合は7割。子どもが生まれた直後の0歳期で45.5%、2歳児期になると34.0%にまで落ち込んでいるんです。一方で、男性も7割から始まるのですが、女性と同じように下がってはいくものの、2歳児期の時点でも51.7%が妻のことを愛していると感じているんですね。
私はこのデータをみても「まあそうだろうな」と思いましたし、同僚の女性記者たちに見せても同じような反応で、「もう子どもがいればいいよね」という会話が交わされていたんですけど、男性の上司たちに見せてみたら「自分たちはこんなにも妻に愛されていないのか……!」と、とてもびっくりしていて。むしろ私たちは「えっ! 夫って妻を意外に愛してたわけ!?」という風に驚いていたんですけど。
「これはニュースになるんじゃないか?」と思い、「出産後、冷める愛 夫しだいで保つ」というタイトルで2011年12月5日に放送しました。そしたら本当にたくさんの反響があって。NHKのニュースサイトでも特集が組まれたのですが、2011年度下半期の特集項目のなかでは、災害関連をのぞけばアクセス数トップを記録しました。
これだけの反響があるということは、大きな社会問題なのではないかと思い取材を重ねました。するといろいろなことがわかってきたので、NHKで平日8時15分から放送している「あさイチ」で一緒に番組を作ったことのある坪井ディレクターに声をかけて、特集を組むことにしたんです。そのときに生まれた言葉が「産後クライシス」。これは坪井ディレクターが考えた言葉なのですが、そもそもこの問題に彼が食らいついたもの、当時彼に思い当たる節があったからなんです(笑)。
番組作りのために打ち合わせをはじめると、制作スタッフのなかから「産後クライシス」と思われる経験談がぞくぞくとでてきました。厚生労働省の「母子家庭調査」を調べてみると、「母子家庭になった時期」でもっとも多いのは子どもが0~2歳の時期で、全母子家庭のほぼ3割にのぼります。これは約1400世帯を対象にしたデータですから、産後離婚の実数はわかりません。その他のデータも使って調べてみましたが、離婚の原因が産後クライシスなのかは定かではありません。
そこで「産後クライシス離婚」の実態を知るために、インターネットを通じてアンケート調査を行いました。1500人あまりにアンケートを行い、そのなかから産後の夫婦関係にトラブルのあったというご夫婦に直接お話をうかがうと、やはり「産後クライシス」があったというお話をされるんです。
さらに調査を続けていくと、「産後クライシス」はその後の夫婦仲にずっと影響を与え続けることがわかりました。東レ経営研究所ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長の渥美由喜さんの、女性の愛情の配分の変化についてライフステージの時期を区分けした調査によると、出産後に夫への愛情がガクリと落ちて、その後、回復組と低迷組に二極化するんですね。
本でもいくつかご紹介しましたが、産後の夫の言動で、夫への愛情を失い、「お金のため」と呟きながら、日々の家事をこなしている方もいました。でも、夫は妻からの愛情をすでに失っていることに気が付いていないんですよ。
―― ぼくはまだ結婚していませんが、ご著書で紹介されている生々しいお話を読んでいて身の毛がよだちました。そして「ぼくは気が付けるだろうか」と心配になりました。取材をされていてびっくりするような夫の行動ってありましたか?
出産して育児のためになかなか外出できない妻がいるのに、ふらっとでかけて、バイクを買って帰ってきた男性がいましたね。妻が外に出られないのに、遠くに行けて、しかも決して安くないバイクを買っちゃう(笑)。
その例はともかく、制作スタッフの男性陣はやたら男性をかばうんですよね。子どもが夜遅くに泣いていたら夫が珍しく起きてきたので、「寝かしつけてくれるのかな?」と思った妻に投げかけた言葉が「明日早いんだけど」の一言のみで、そのまま布団にもぐりこんだ夫に対しても「きっと仕事に疲れていたから眠りたかったんだろう」とか。言い訳じゃなくて本気で言っているんですよ。妻の愛情を失っていることに気付いてないんです。
「あさイチ」で産後クライシスを取りあげたとき、渋谷にある「スタジオパーク」を訪れた家族連れのご夫婦に「産後クライシスはあったか」と○×形式でインタビューをしてみたんですね。そしたら10組中6組は「産後クライシス」があったと答え、そのうち4組は妻が〇を、夫が×を掲げていたんです。
この調査は「そもそも家族連れの夫婦なのだから、少なくとも夫婦仲は悪くないだろうから、番組としてオイシイ結果はでないんじゃないか」という話もあったんです。でもふたを開けたら、夫が産後クライシスに気付いていないことがよくわかった(笑)。インタビュー中の妻の恨み節に言葉を失う夫もいました(笑)。
出産後の女性に訪れる3つの危機
―― やっぱり男の人は出産を経験できないので、出産後の妻の気持ちがなかなかわからないんだと思うんですよね。だから「産後クライシス」が起きちゃうんじゃないのかな、と。
出産は女性の生き方を大きく変えるイベントです。この本では産後に身体的危機、精神的危機、社会的危機が訪れると書きました。
身体的危機ですと、とにかく陣痛はひたすら痛くてたまりませんし、しかも生み終わってもずーっと痛いんですね。体力もなかなか回復しなくて、私は出産後に普段なら20分程度で行ける1キロほどの道のりを1時間以上かけてゼエゼエ言いながら歩きました。母乳が詰まると胸は腫れるし、乳首も痛い。朝から晩まで赤ちゃんに手をかけなくてはいけないのでひたすら体力が削がれます。
精神的にも不安になります。ちゃんと育児ができるか不安になりますし、泣いている赤ちゃんがどうして欲しいと思っているのかわからない。私は辛い物が大好きなのですが、辛い物を食べると母乳が不味くなるのか、赤ちゃんがおっぱいを飲んでくれない。すぐにペッと吐きだされてしまう。自分の時間なんてとうてい持てませんから、すべての時間を赤ちゃんにあわせて過ごさなくてはいけません。
そして、いつになったら仕事に戻れるんだろうという社会的な不安もあります。育休が終わって仕事ちゃんと戻れるのか。保育園に入ることはできるのか、子育てをしながら働くことはできるのだろうかという不安。しかもいまは少子化ですから、同じくらいの赤ちゃんを育てている方が近所にいないので、相談することもなかなかできない。友達に子どもがいなければ、話題もすれ違って友達とも疎遠になってしまいます。
そんなたくさんの不安の中で、夫がほろ酔いで上機嫌に帰ってきたら……。たいしたことじゃないとお思いなのでしょうが、いろいろなものが積み重なっている妻の怒りが爆発してしまうのも仕方ないと思います。妻の怒りが爆発しなくても、夫からしたら、なぜかわからないけど不機嫌な妻がいる家には帰りたくなくなってしまって、つい仕事帰りに一杯飲みに行ってしまう。これってお互いにとっても不幸なことですよね。
お聞きしたいのですが、家事ってなんだと思いますか?
―― えっ、家族が暮らす空間を整える事、でしょうか……?
それって家事を「作業」だと考えているということですよね? でも家事ってそういうことじゃないと思うんです。「家族」の「事」で「家事」だと思うんですね。家族という営みの一つが「家事」なのではないでしょうか。
長時間労働にも種類があると思うんですけど、時間管理ができないでだらだらと会社にいるのはやめたほうがいいと思います。うちの職場でこんなこというと怒られちゃいますけど(笑)。でも家事や育児が「家族事」だったら、家族と一緒にいる時間も計算して、時間を管理すると思うんですよね。
この本で取り上げている例の多くは、家事に関する場面についてです。でも、家事って裾野だと思うんですね。取材をしてわかったのは本当に問題なのは家事ではなくて、夫と妻が、しっかりお互いのことを話し合えるかどうかなんですよ。その最初の試練が産後なんです。
不景気の中で、グローバル化も進んで、男性もとてもたいへんです。他の国に比べて実労働時間が非常に長くて、家族との時間がなかなか持てない。重要なプロジェクトで徹夜が続き、くたくたになって帰宅しているので赤ちゃんの面倒をみる余裕なんてない。夜に帰って子どもと遊んでいたら、「寝かしつける時間に興奮させないでよ」と妻に嫌な顔をされることもある。
でも「いまは大事な仕事があるからどうしても子どもの面倒がみられない」とか「いま育児にたいへんだから、少し早めに帰ってきてほしい」とか、夫婦で自分たちの状況を話し合って、どんなことを考えているのか伝えて、ちゃんと二人が納得できれば、きっと夫婦仲も悪化しないと思うんですね。
家族の「55年体制」を終わらせよう
―― そういうご夫婦が、先ほどお話になっていた、産後に落ちた愛情が回復するご夫婦なのかもしれませんね。
そうだと思います。
実は「産後クライシス」って言葉って、「あさイチ」での特集と朝のニュースの2回しか使っていないんですね。それでも放送後に定着するようになって、多くの場面で使われるようになりました。これって、それだけ「産後クライシス」に問題意識を持っている方が多いということだと思います。
出産が女性を大きく変化させること、そしてそれに気づかない男性はいまに始まった話ではありませんし、男性が一生懸命働いていることだって昔からの話です。「産後クライシス」自体は以前からあったことなんですね。それじゃあいまになってどうして「産後クライシス」が注目されるようになったのか考えてみました。
私は家族の「55年体制」を終わらせるべきだと思ってるんですけど、結婚することや子どもを持つことの価値が高度経済成長を支えて来たモデルと大きく変わってきているんだと思います。
昔は結婚することや子どもを産むことって一種の義務みたいなところがあったと思うんですね。でも内閣府の調査をみても「子どもが欲しい理由」で「結婚して子どもを作るのは人間として自然だから」という回答は、年齢が若くなるにつれて少なくなって、「子どもがかわいいから」という回答が増えているんですね。
子どもを産むかどうかは夫婦で決めるようになっているってことですよね。産後クライシスを体験した女性に聞くと「二人で育てるはずが、育児も家事もまったく夫がしない」って言うんですね。
ただNPO法人tadaima!の2013年の調査によると、「家計貢献度が低い方が家事をすべきか」という質問に対して、男性の8割が「そう思わない」「あまりそう思わない」と答えているんですね。若い世代はちょっとずつ男性の意識も変わりつつあるのかもしれません。
実はこの取材を始めるとき、私は「産後クライシスは女性がつらい思いをしているから起きているんだ」と考えていたんです。でも、一緒に取材をした20、30代の男性スタッフが、自分たちのどういう行動がよくないのか質問してくるんですね。
先ほどの「55年体制」とも関係すると思うのですが、いまの若い男性は、仕事を頑張れば頑張るほど将来が豊かになるとは限らない時代で、家族との生活をしっかり充実させたいと思う様になっているんじゃないでしょうか? だからこそ、いま「産後クライシス」という言葉に大きな反響があった。
でもまだまだ上の世代の価値観に縛られてしまっていて、「55年体制」が生き残ってしまっている。そのせいで男性は早く帰れないとか育休が取りにくいとかつらい思いをされているんじゃないかなあと思いますね。
これからの夫婦生活のために
―― 家族を大切にしたいと思っているのだけれど、どうして妻が不機嫌なのかわからないというのは不幸なことですね。ちなみに産後クライシスによって愛情が冷え込んでしまったご夫婦が、再び仲を取り戻すことってできるんですか?
それは私もとても気になっているのですが、いまのところどうすれば回復するかはわかりません。家族の誰かが病気になるとか事故に遭うとか、そういう危機が生じたときに、改めてお互いの愛情に気がつくということはありましたが……。
―― そうですか……。だとしたら、よりいっそう、これから産後クライシスを迎えるご夫婦やいままさに迎えているご夫婦にぜひお読みいただきたいですね。内田さんはこの本をどんな方に読んでいただきたいですか? やはり若い男性でしょうか?
番組放送後も、そして出版した後も、「妻が不機嫌な理由がわかった」という声が男性からたくさん寄せられたんですね。「いま妻の隣で正座して番組をみています」とか(笑)。
でも、なにより読んでもらいたいのは女性の皆さんなんです。育児や家事でたいへんな女性たちは、きっともやもやとした不満とか将来の自分への不安を抱えていると思います。だけど、そのもやもやがどこからくるのかがわからないと、夫に伝えることができませんよね。ですからこの本を手に取ってもらって、自分のもやもやを言語化してもらって、その後にパートナーに渡してもらえたら嬉しいです。
あとはなにより私たちよりも上の世代に読んでほしいです。いま若い男性はなかなか育休がとれなかったり、あるいは社会制度が整っていなかったりします。でも理解のある上司がいれば、育休も取りやすくなるかもしれません。結婚祝いや出産祝いにこの本を渡してくださってもいいと思います。「俺のようにはなるなよ!」って(笑)。影響力の大きな上の世代が変わっていけば、社会の制度も少しずつ変わっていくかもしれません。
この本を読めばすぐに夫婦間の問題が解決されるわけではありません。私も坪井ディレクターも、パートナーといつもいい関係でいるわけじゃないです。子どもが成長すれば直面する問題は変わっていきますし、両親の状況やお互いの価値観にも変化があります。そうしたなかで、お互いの思っていることを話しあうことができて、そしてこれからの家族のあり方を考え関係を築く、そのきっかけにこの本がなったらとても嬉しいです。