エマ・ストーン 生まれ持ったブロンドを変えて一気に運気アップ!
17歳でTVドラマ『Nicole(原題)』に出演したのがキャリアデビューとなったエマ・ストーン。26歳の今年はアカデミー賞で助演女優賞に初ノミネートされ、恋人のアンドリュー・ガーフィールドもラブラブと、公私ともに絶好調。そんな彼女の転機となったのが19歳のとき。今でこそ赤みがかったブルネットヘアがトレードマークになっている彼女だけど、実は生粋のブロンドヘアの持ち主。アメリカンティーンの理想であるキュートなブロンドスタイルというルックスで、満を持してオーディションに臨んでいたものの、どれも不発に終わっていたという。特に2006年に鳴物入りでスタートしたTVドラマ『HEROES/ヒーローズ』ではブロンドのチアガール役という自分にぴったりの役を受けるも、ヘイデン・パネッティーアに役を奪われるという屈辱を味わうことに。そんなとき彼女の運命を分けるアドバイスをしたのが、エマの映画初出演となった『スーパーバッド 童貞ウォーズ』(07)のプロデューサー、ジャド・アパトーだった。彼がエマに赤毛に染めるように提案し、それを実行するとみるみるキャリア運が上昇。コメディを中心にヒット作に出演して注目を集め、今ではシリアスな役もこなせる女優という理想的なキャリアアップをはかっている。
エマ・ワトソン ピクシーカットで子役の呪縛から卒業!
エマ・ワトソンが『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)で映画デビューを飾ったのは11歳のとき。その後、美人で聡明なハーマイオーニー役で世界的な人気子役へ。役柄同様、本人もショウビジネス界で育ったとは思えないほど地に足のついた人柄で、頭脳明晰として知られていた。しかしシリーズを重ねるごとにハーマイオーニーの印象は強くなるばかり。なにをしても茶色のロングヘアのハーマイオーニーのイメージが抜けないまま二十歳を迎えることになってしまった。そこで『ハリー・ポッター』シリーズ10作分を撮り終えた2010年の秋、エマは大胆なイメチェンをはかり、ピクシーヘアへと大変身! 本人も「人生で勇気を要したことのひとつ」というくらい、思いっきりバッサリと髪を切ったところ、映画関連だけでなくファッション関係者からも注目が集まり、大人になったエマ・ワトソンのイメージを打ち出すことに成功。バーバリーのキャンペーン広告やランコムとの契約を得ただけでなく、その後に出演した映画『ウォールフラワー』(12)や『ブリングリング』(13)などでも高い評価を得て、子役のイメージ脱却に大成功したのだ。
シャーリーズ・セロン 出世に合わせて髪色に変化を。
2003年に『モンスター』でアカデミー賞主演女優賞を獲得したシャーリーズ・セロンと言えば、誰もが完ぺきなブロンド美女を想像するだろう。ハリウッドの黄金時代をイメージさせるクラシックな顔立ちと、180cm近いスタイルでスクリーンを魅了してきた彼女は、典型的な銀幕スターの風格を持つ女優。しかし、そんな彼女のオリジナルのヘアカラーはブルネット(茶色)だということを知っている人は少ないはず。1996年にブロンドヘアに染めた彼女は『2 days トゥー・デイズ』で映画デビューをはたし、「セクシーなブロンド美女」として知名度をあげて次々と役柄をゲット。ハリウッドでの栄光を手に入れることになった。しかし今度は「お気楽なブロンド美女」役ばかりで、シリアスな女優に見られないことに嫌気が差し、今度は髪をよりダークな色へ。そしてアカデミー賞受賞へと続くのであった! また2年前には、今年公開予定の『マッドマックス怒りのデス・ロード』のためにスキンヘッドにも挑戦。伸びかかったヘアも本人とは想像しがたいダークな茶色に染めていた。この翌年にはショーン・ペンとの熱愛も報道されるなど、髪型の変化とともに新しい恋も手にしているシャーリーズ。今年の映画公開が彼女の運勢にどう響くのかも見ものだ!
アン・ハサウェイ ベリーショートで掴んだオスカー像と幸せな結婚生活。
2012年に公開された『レ・ミゼラブル』の劇中で、デビュー当時から保ち続けてきたロングヘアをバッサリと切ってしまったのがアン・ハサウェイ。幼いころからロング一辺倒だったという彼女は、髪を切るシーンを撮影後、自分の姿を鏡で見る勇気がなかったというほどショックだったそうだ。しかしこの思い切った行動が、彼女の念願だったアカデミー賞助演女優賞獲得に大きな影響を与えたのは間違いなし。しかも小顔の中に大きなパーツがびっしりと埋まった彼女の美顔に、ピクシーショートはよく映えて、一気にレッドカーペットの注目度もあがることに。髪型を変えたことで、可憐なプリンセスから大人の女優への脱皮に成功した。しかも、14件の金銭詐欺罪で逮捕された元彼のイタリア人実業家ラファエロ・フォリエリと別れた後の2008年に出会った俳優のアダム・シュルマンとも、同年にゴールイン。ヴァレンティノの美しいウエディングドレスも、ピクシーヘアのおかげで一層モードに拍車がかかったと大好評。もちろん結婚やアカデミー賞はタイミングの問題もあるけれど、そのタイミングを生み出したのがヘアスタイルのチェンジだったことは周知の事実。日ごろのまんねりを脱却したい人は、思い切ってヘアスタイルを変えてみるのが良いのかも!
ニコール・リッチー バッドガールからレディへ転身。
ヘロインの不法所持や無免許運転で逮捕されるなど、ティーン頃のニコールはお騒がせパーティガールとして名をはせていた。2003年にパリス・ヒルトンとともに出演したリアリティTV『シンプル・ライフ』では、あのパリスすら大人しく見えてしまうほどニコールはワイルドでやりたい放題だった。また、当時はエクステをしたり、ブラウンとミックスしたダーティブロンドヘアが、より一層おバカなイメージを増徴させていた。そんなニコールの人生の転機となったのが06年。過剰なダイエットで激痩せをし、パブリックイメージが最悪となった彼女だけど、その後、体調を整えなおして、ヘアスタイルもボブへとチェンジ。ダーティだったイメージとルックスを一掃し、クリーンで大人な女へのイメチェンをはかった。これが功を奏して、一気にパリスとの差が開くことに。過去の自分と決別し、新しい自分になりたいという思いで髪をバッサリしたニコールの思惑は大成功。以来、さまざまなヘアスタイルに挑戦しているニコールだけど、決して元のダーティブロンドに戻らないところをみると、やはり当時のヘアスタイルは不運をもたらすものだったと、本人も感じているに違いない。
マイリー・サイラス アイドルはもうこりごり! 新しい髪型で本当の自分をさらけ出す。
14歳のときにディズニー・チャンネルのドラマ『シークレット・アイドル・ハンナ・モンタナ』でテレビデビューをしたマイリー・サイラス。ドラマではゴージャスなブラウンのロングヘアをなびかせ、品行方正な少女として大人気を博し、社会現象を巻き起こすほどとなった。同番組から出たアルバムはチャートのトップを飾り、番組をひっさげてのアメリカツアーのチケットは即完売。映画も大ヒットを記録するなど、トップアイドルの座を不動のものとしていた。ところが19歳のある日、突然プラチナブロンドのベリーショートにイメチェン。さらに髪色が明るく短くなるごとに、衣服の布地は減り、露出度が激増。ディズニーの秘蔵っ子が突然セクシーへと路線変更したことで、それまでマイリーのファンだった子の親たちは「子どもたちのお手本にさせたくない!」と憤る始末。しかし、マイリーは20歳を前に今後自身がやりたい方向性を明確にしていただけ(そこに怖いもの知らずの若さが乗っかり、露出が過剰になったわけだが)。当初は賛否両論を浴びたが、おかげでメディアの注目が集まり、エッジィの効いたポップ歌手としてのセンセーションを巻き起こすことに成功。今ではファッションアイコンとしても知られるようになり、ラブロマンスも注目を集めている。