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トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

「タラレバ娘」の罪と罰:幸せな結婚を願ってはいけないの?

 

「お前と寝たのは気の迷い」

「付き合うことになったかな、(相手は)結婚してたけど」

「結局 お前は男を社会的地位で判断する女なんだ」


こんなセリフが飛び交う漫画、『東京タラレバ娘』。現在、アラサー女子に大変な人気である。33歳未婚・実家暮らしの仲良し女子3人が、幸せな結婚を夢見ながら出口のない恋愛にハマっていくという悲劇を描いた作品、といっても全員定職があり、着実なキャリアを築いている。だが主人公たちは「キレイなだけマシ」「仕事があるだけマシ」と下を見て溜飲を下げる必要があるくらい、幸せ感度が低い。

 

その原因は明確だ。「幸せな結婚をしなきゃ、《本当の幸せ》になれない」病に全員かかっているのである。全員が結婚を夢見ているにも関わらず、恋に落ちる相手は自分を「気の迷い」で抱いた人間だったり、既婚者だったりする。冷静な状態なら「そんな関係、絶対にやだ!」と拒絶するところだが、彼女たちは毎日世間に殴られて、元気が残っていない。カフェで「30歳前に結婚できてよかった!」と騒ぐ女子、「もう女の子じゃないんだから」と冷たい言葉を浴びせる年下男、枕営業で仕事を奪う若いだけの女・・・・・・。

 

仕事も恋愛も「若さ」で奪い取られ、ようやくリングに立っている女子3人に「とりあえずの鎮痛剤」と持ちかけられる一夜の関係。心の痛みは治まるけれど、どんどん《本当の幸せ》なはずの結婚から遠ざかってしまう。これが私の友人なら頭から水風呂にぶちこんで『目を覚まぜええぇ!!!』と説教するところだが、漫画のキャラクターだから目を離せずに見守ってしまう。


ところが、複数の男性へこの漫画を読んでもらったところ、全く異なる感想を得た。

「ざまあみろって感じ」

「因果応報だよね」

話を聞いてみると、この作品は男性にとって「悪い奴が相応の罰を受ける」漫画に見えるらしかった。不倫するほうが悪い、若いころに巡り合った男性が定職についていないからと振る方が悪い、酔った勢いで関係を持つのが悪い。『東京タラレバ娘』は女性にとって悲劇でも、男性には「スカッとする物語」なのだ。

 

『東京タラレバ娘』の世界は「男の世界」を肯定している。「そんなの男尊女卑よ!」と主人公が叫ぶほど、世界は「きちんと働いている」女性に苦い。仕事で自分を養っている女性より体を売りにする女性が得をし、浮気相手としてしか扱われない自分を尻目に「女性らしさ」を押し出した女性が本命になる。

 

その半面、女性へ愛をささやきながら無料の浮気穴扱いをしている男性は責められることが一切無い。もし「不倫するほうが悪い」なら、男性も「この男、許せない」と思っていいはずなのに。アラサー女子が見ている世界は「男性が責められない社会」なのである。自分のことは棚上げ方程式を使って「バカな女に罰が下った」なんて、なんて無邪気なんだ男って・・・・・・。


だが、『東京タラレバ娘』が具現化した最も重い「罪」は男性のだらしなさではない。"男性が責められないシステム"に女性が積極的に参加していることだ。主人公が怒るのは自分を浮気相手にした男ではない。自分から男を奪った女である。本来なら自分が過去に浮気したのを男から責められるように、自分を浮気相手にする男もドブに沈めてやればいい。しかし登場する女性たちは「今は成功している」「イケメン」「優しくしてくれた」という理由で許してしまう。許すことで「そんなの、男尊女卑よ!」の世界で踊り続けるのだ。だから男性が読んでも「自業自得の物語」になるのである。

 

そもそも登場人物が根幹で抱える「幸せな結婚をしなきゃ、《本当の幸せ》になれない」病だって、事実ではない。データえっせい: 中高年未婚者の不幸感を見ると、むしろ男性の未婚者の方が不幸そうである。女性に関して言えば、日本は世界の中でも「未婚・既婚で幸せ度が変わらない」国なようだ。合理的に考えて女性が自分の意思に反してまで結婚を選ぶ理由はない"はず"の社会で、自尊心を奪い取るゲームに乗ってあげる必要はない。「結婚したらアガリ」というルールに乗った上で負けるなら、対価は支払うことになろう。

 

「幸せな結婚」を願うことは悪いことではない。けれど「結婚だけが本当の幸せ」あるいは「結婚しなければ幸せになれない」なんて1種類のゲームをプレイする義務はない。結婚は人生のオプションで、好きなときにしてもいい。でもたまたまこの国のアラサーには「結婚したらアガリ」ゲームが2015年現在、流行っているだけだ。流行りすぎて、ゲームと現実の区別がつかなくなっているのかもしれない。

 

本来なら「かわいそうに、まだ未婚なの?」への模範解答は「かわいそうに、まだあのドラマ見てないの?」「かわいそうに、まだあのゲームしてないの?」「かわいそうに、まだ○○買ってないの?」といった趣味への口出しに対する答えと同じ「あなたは好きなのかもしれないけど、私は興味ない」なのである。この言葉が普通にまかり通る社会が欲しいなら、自分がまず言ってみるしかない。「私は興味ない」と。