[原稿初出は2014年6月10日発売『WIRED』日本版(VOL.12)]
2012年、サンフランシスコ─オンラインプロフィールサイト「About.me」の創業者、トニー・コンラッドは、友人夫婦と夕食を共にしていた。話が一段落したあたりで、トニーはいつもの調子で切り出した。「最近、仕事の方はどうだ?」。するとその友人は身を乗り出した。「実はいい話がある。でもまだここだけの話にしてくれ。ある地元のコーヒーショップの資金調達をしようと考えてるんだ」。彼の名はブライアン・ミーハン。後にブルーボトルコーヒーのエグゼクティヴ・チェアマンに就任する人物だ。
ブライアンは、ハーヴァード大学で学んでいたころ、食品スーパー「ホールフーズ・マーケット」のオーガニック商品にこだわったコンセプトに触発された。故郷のロンドンに戻ると、そのローカル版とも言える「フレッシュ&ワイルド」を創業。それを「UK最大のオーガニック・チェーンストア」に成長させると、04年にホールフーズに売却、ナチュラルスキンケアブランド「NUDE」を立ち上げた。その後、サンフランシスコへ移住した彼は、グリーン系のヴェンチャー・キャピタルを起業していた。そのブライアンが資金調達を検討しているところがブルーボトルだと聞いて、トニーは一気に胸が高鳴った。そこで出されるコーヒーは彼の大好物だったからだ。その場で握手を求めた。「おれも仲間に入れてくれ!まずは400万ドルでどうだ?」。
その数日前、マイク・ヴォルピのiPhoneが鳴った。相手は数年前にロンドンに住んでいたころの隣人だったブライアンだ。彼は電話越しにこう尋ねてきた。
「マイク、実は最近ブルーボトルの創業者を説得して、店舗をもっと増やそうという話になったんだ。そこでいま資金調達を計画しているんだけど、興味ないかい?」
ジェームスのビジネスアイデアは尽きることがない。
しかも成功する可能性の高いものばかりなんだ。
必要なリソースを集めて、実現させるのがぼくの役目さ。
大学時代にホールフーズ・マーケットに触発されて、UKでオーガニック・スーパー「フレッシュ&ワイルド」を創業。その後、SFでブルーボトルに出合い、ジェームスのビジネスアイデアを次々と実現している。
マイクは、90年代にシスコ・システムズが「世界最大のコンピューターネットワーク機器開発会社」へと成長できた最大の貢献者のひとりだ。10年以上にわたってM&A部門を率い、75社以上の買収を成功させた彼は「CEOの右腕」とまで呼ばれていた。いまはヴェンチャー・キャピタル「IndexVentures」で、通信系のスタートアップへの投資を主に担当している。彼のキャリアは一見コーヒービジネスとは無縁だが、生まれ育ったミラノの実家の1階は、小さなエスプレッソバーだった。
ブライアンの誘いにマイクは乗った。「当時コーヒーは『ソウル』を失いかけていた」と彼はその理由を語る。「スターバックスはただの組み立てラインになってしまっていた。どのようにして適切な豆を選ぶか。どこで誰がその豆をつくっているのか。焙煎はどうこだわるべきか。そういった側面が忘れ去られていたんだ」。でもブルーボトルは違った、と彼は続ける。「コーヒーそのものだけじゃなくて、その飲まれ方や、提供のされ方に至るまで、すべてのプロセスに対して情熱をもって創業者は取り組んでいた」。
サンフランシスコにおいて、ブルーボトルは多くのテックコミュニティに愛されている。マイクによると、それはテックビジネスそのものがここ数年で様変わりしたからだという。
「15年前は、マッキントッシュという例外を除けば、テック界の商品は、エクセルのような機能的なものしかなかった。期待通りの働きはしてくれるが、何も特別な感情を喚起することはなかった。しかしここ5、6年の間でその状況は大きく変わった。商品を通してエンドユーザーがどのように感じるか。つくり手はそれをより意識するようになったんだ」
ブルーボトルは、ただおいしいコーヒーが飲めるだけではなく、そうした特別な感情を喚起する店だから、いまのテックコミュニティを惹きつける魅力がある。マイクはそのように分析している。
好きで毎日飲んでいるものだから投資に迷いは一切なかった。
コーヒービジネスについての知識はほとんどないけど、
いま以上の品質を維持できるならビジネスは拡大すべきだ。
ソーシャルミュージックアプリ「SoundTracking」を開発するスティーヴにとって、ブルーボトルとは、仕事に必要不可欠な飲み物であり、投資先のひとつであり、安心して経営を任せられるチームでもある。
夢中になるテック界の大物たち
テックビジネスに携わる顧客が多いことに着目したブライアン・ミーハンは、マイクやトニーと共に、サンフランシスコにオフィスを構える、テック界の大物アントレプレナーたちを投資仲間に引き込む作戦を実行した。Twitter創業者のエヴァン・ウィリアムズ、Instagram創業者のケヴィン・シストロム、WordPress創業者のマット・マレンウェッグなど、彼らが話を持ちかけた人たちが次々とブルーボトルへの投資ラウンドに参加を表明していった。
なかでも、最もブルーボトル好きのテックアントレプレナーは、ソーシャルミュージックアプリ「SoundTracking」を開発するスティーヴ・ヤンだった。彼はある日、ブルーボトルの店でAbout.meのトニー・コンラッドから、その話を持ちかけられたという。「スティーヴ、この店に投資してみる気はないか?資料を送るからちょっと検討してみてほしい」。スティーヴは、すぐに彼の手を押さえて、こう言った。「トニー、資料はもちろん送ってほしいけど、もうこの場で約束するよ。ぜひ仲間に入れてほしい。ぼくはこの店の大ファンなんだ」。
Flickr創業者のカテリーナ・フェイクは、マイク・ヴォルピから連絡を受けた。彼女は2006年からブルーボトル1号店の近くにオフィスを構えている。「うちの近くの店は、ガレージの扉を開けたような、椅子もテーブルもないとても小ぢんまりとしたところなの。青い綺麗なロゴがあって、メニューはシンプルで、家族のような和やかな雰囲気のバリスタたちが、カウンターの向こうで一つひとつ丁寧にコーヒーを手で淹れていて。店のつくり手の本物の熱意と愛情から生まれたものだと、ひと目で伝わるようなところだわ」
その店のつくり手であるブルーボトルの創業者、ジェームス・フリーマンこそが、彼女にとって投資の決め手になったのだという。「突き詰めれば、結局誰がやっているかなのよね。『ヒューマン』なところが、会社の展望を決めるものだから」。まだビジネスがほとんどかたちになっていない企画段階で投資した、EtsyやKickstarterの創業者たちとも共通する、「成功するファウンダーのにおい」を彼女はジェームスにも感じたのだという。「彼らは大多数のファウンダーたちと比べて、明らかに異色だったわ。ほかの人にはない何か特別なにおいがしたのよ。スティーブ・ジョブズがきっとアップルにとってそうであったように、創業者の色でその会社が染まっているような感じかな」。
わたしは、ジェームス・フリーマンに会ったとき、
Kickstarterのペリー・チェンや、Etsyのロブ・ケイリンと共通する
「成功する創業者のにおい」を嗅いだのよ。
米ヤフーに買収された写真共有サイト「Flickr」のファウンダーとして、テック界で広く名の知れた彼女は、KickstarterやEtsyに創業期から投資して成功するなど、投資家としての嗅覚も一流だ。
コーヒー界のアップル
沖縄生まれの日系2世、ジェームス比嘉はマイク・ヴォルピに誘われて、ブルーボトルに投資をしている。1984年からほぼずっとスティーブ・ジョブズの傍らで働いてきた彼が投資をした理由のひとつは、アップルのカルチャーや哲学と非常に似たところがブルーボトルにはあると感じたからだという。
「アップルがそうであったように、ジェームス・フリーマンはすべてのディテイルに気を配っている。コーヒー豆の炒り方ひとつとってもそうだし、店のつくりにもそれは表れている。アップルとブルーボトルが似ていると言う人はほかにもいるけれど、ぼくは肌でそれを実感している。コーヒーがとても良質であるだけでなく、それをどうやってつくるか、どうやって提供するか、どうやって見せるか、どうやって売るか。コーヒーにまつわるすべてのアプローチに彼はこだわっている。そこには、ぼくがアップルで培ったカルチャーや哲学と非常に近しいものが感じられる。深い『ソウル』や『テイスト』があると言えると思う。スティーブ・ジョブズは特にテイストという表現を好んでよく使っていたからね」
ただし、ブルーボトルの創業者は、アップルの創業者のように、自ら資金調達に奔走するような経験はしていない。プレゼン能力に特別長けているわけでもない。投資家に向けての“ピッチ”をしたことすらないという。ブライアンがすべて彼の代わりにそれを行ってきたからだ。ジェームス・フリーマンは、より良いコーヒーとは何かをひたすら追求している“コーヒーギーク”だ。そのアイデアは決して尽きることがない。
アップルとブルーボトルに共通するものは、
深い「ソウル」と「テイスト」をもっていること。
それがあるからぼくは投資したんだ。
スターバックスは「人間味のない組み立てライン」になってしまった。
ブルーボトルは、ただおいしいコーヒーが飲めるところではない。
マッキントッシュのような、何か特別な感情を喚起する店なんだ。
マイクはアップルを辞めてIndex Venturesの同僚としてやってきたジェームス比嘉に、ブルーボトルの投資への興味を伺った。「Yes, Yes, Yes」。比嘉は即座に返答してきた。一瞬の投資判断だった。
最近実現した彼のアイデアは、スーパーで販売できる「ニューオーリンズ・アイスコーヒー」だ。焙煎したオーガニック・チコリーから冷水で18時間かけてゆっくりと抽出する。それにミルクとショ糖(どちらもオーガニックだ)が加えられて、小さな牛乳パックのような容器に詰められる。2014年4月から米国の一部のホールフーズ・マーケットでも販売され始めている。最近もホールフーズの担当者から、10ケース買いたいというお客さんがいたり、遠くコロラド州に住んでいる人から送ってくれないかと頼まれたりして大変なんだ、という連絡が来たほど、人気商品となっているそうだ。「どこでもブルーボトルの味を楽しむことができる。それをやらない手はないと思った」とジェームスは言う。早くも、彼はその次の商品について思考を巡らせている。「同じ商品展開を、ブラックのアイスコーヒーでもやりたいと思っている。でも現状の高温短時間殺菌法では、味が損なわれてしまう。だから、何かしらの小さい容器で一切高温にする必要なく数週間保存できる方法がないか、いま模索しているところなんだ」。
1年半ほど前から取締役会で、ブルーボトルのウェブサイトの改善について議論が行われていた。新たに人を雇うことも検討されたが、代わりに人気のコーヒー定期購入サーヴィス「Tonx」を買収することにした。「Tonxの連中もオンラインだけでは終わりたくはなかったようだから、一緒に新しいかたちをつくっていきたい」とジェームスは話す。
「例えば、オンラインの定期購入者が来店したことを、警戒されないかたちで、店員が認識できれば、もっと顧客に合わせたサーヴィスを提供できるはず。スクエアのレジはいろいろと情報を集めてくれるけど、それだけではもはや十分ではない。かといってiPhoneでラテを注文するようなやり方は好きじゃない。より簡単で便利になる方法を彼らと一緒に見つけていきたい」
日々新しいことに挑戦して、コーヒーを進化させようとするジェームスの会社に、彼がやりたいことをビジネスの力で次々とかたちにしていけるブライアンが加わったことで、「コーヒー界最強のタッグが生まれた」と、ニューヨーク在住のブルーボトルの投資家、クレイグ・シャピロは話す。「こっちでもブルーボトルの店はとても繁盛している。あの2人なら安心して経営を任せておける。日本進出もきっとうまくいくと思うよ」。
「なぜ市販のアイスコーヒーは、こんなにまずいんだ」と思った。
自分でも試してみると納得できる理由がいくつも見つかった。
おいしくすることが不可能ではないこともわかった。
本当においしいコーヒー豆を自分の手でつくるために、ガレージを借りて焙煎機を買って実験を繰り返した“コーヒーギーク”は、やがて人々を魅了する味に辿りつき、列の絶えないカフェが生まれた。
「エクスペリエンス」を越えて
ブルーボトルは、世界展開する最初の都市として東京を選んだ。2014年10月には旗艦店を清澄白河にオープンする予定だ(註:15年2月6日に1号店を清澄白河に、3月7日に2号店を青山にオープン)。ジョイント・ヴェンチャーやライセンス契約ではない。日本法人をつくり、ブルーボトルは自ら乗り込む。手間とコストはかかるが、そのほうがコントロールしやすいからだ。投資家たちから集めた潤沢な資金力がそれを可能にしていることは、言うまでもない。
現在ブルーボトルには、2人の日本人スタッフがいる。サンフランシスコを拠点に日本への進出を指揮する堀淵清治と、東京を拠点にして動く石渡康嗣だ。日本1号店の候補地として、清澄白河で約200坪の好物件を見つけたのは彼らだった(註:現在は森麻美と井川沙紀の2人が日本で指揮を執っている)。「表参道や青山に出店するのが当たり前になっているけど、ぼくたちはエッジが立っていて、ほかがやらないこともしてみたい」とブライアンは言う。
一方でジェームス・フリーマンは、東京へ進出することで、ブルーボトル全体のクオリティが向上する可能性にも期待している。「日本のサーヴィスの質は世界でいちばんだから、そこで学んだことをアメリカの店でも活かしたい」。
投資家たちは10年、15年という長期的な視点で、ブルーボトルの夢を支援している。東京への出店は、その中間点に過ぎない。それでもトニー・コンラッドは、ブルーボトルの日本進出には特別な意味があるのだという。
「もちろん投資家のひとりとして、ビジネスを日本でも成功させてほしいとは願っている。ただ、今回はいつもよりワクワクしているんだ。喫茶店などに見られる、日本人の深い情熱とこだわりから影響を受けているジェームスにとって、東京で店をオープンすることは何より特別なことだからね」
ブルーボトルには、人々を虜にして応援したくなる魅力がある。スターバックスの魅力は「ザ・スターバックス・エクスペリエンス」と表現されたが、“組み立てライン”でつくられるエクスペリエンスに、ぼくらはもう興味を失っている。ブルーボトルは違う言葉を使う。「ソウル」。ジェームスのコーヒーに対する深い情熱、「ソウル」を楽しむために、人々は今日も行列に並び、一つひとつ注文してから淹れられるコーヒーにワクワクするのだ。