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中世の非人と遊女 ハードカバー – 1994/6/15

4.1 5つ星のうち4.1 82個の評価

商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

中世の日本には、俳人・河原者と呼ばれる天皇直属の民がいた。また女性たちが商売の場面へ登場するようになる。歴史の荒波を生き抜いた被差別民・遊女の姿を通して、旧来の日本史像の再考を迫る論集。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 明石書店 (1994/6/15)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1994/6/15
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ハードカバー ‏ : ‎ 264ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4750306029
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4750306025
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 82個の評価

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網野 善彦
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2024年9月13日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    日本の中世は、平安時代後期(11世紀)から戦国時代(16世紀)を指すが、著者の網野氏は、いわゆる最も下層・底辺の人がどういう存在で、どう扱われていたかを研究半ばという立場で論及して行く。
    特徴的なのは「清めと穢れ」という事を軸に、それに携わった人の時代における社会的位置づけを問う。これは考えてみると「穢れ、汚いもの、汚らわしい仕事、残酷な仕事」を「清め・きれいにする人」として必要であり、南北朝あたりまでは、朝廷や幕府や寺神社が、そういう穢れた仕事をする人として、「職能人」として抱えていた(つまり、そういう権威とつながっていた存在」であったと見るべきとしている。そういう中に、非人も悪党も遊女も入っている。
    ある意味まだ今から見ると無秩序、自由奔放、おおらかさがあったことは確かであり、ちゃんと認められた存在であったとする。この論が特異な著者の論である。見解が分かれているようである。
    しかし、南北朝以降になると、俄然、そういう人たちを「穢れた、汚らわしい存在」として「化外の輩、穢れた存在、汚く残酷なことをする存在」と反転して見做すようになり「籟者や不具者」も含め、「差別、忌避」的存在として定着していったとする。女性も江戸時代の家制度・家長制度の中に押し込められ、自由を失っていったとする。
    しかし、私の子供の頃は、女性が魚売りや海女さんや担ぎ行商、田植えなど女性がしていた。便所の汲み取りや乞食は蔑視していた。現在の路上生活者であり、売春婦であり、さらに人の眼にはつかないが死刑執行人、とさつ業、いわゆる3Kに携わる人への軽視・蔑視は強くなっているように感じる。
    非常に考えさせられる一書であった。
    1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2024年4月5日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    限られた資料しかない日本中世を、限られた資料から読み解き、その知と教養をもって生き生きとした時代考証に浸れる贅沢な読書。
  • 2023年2月3日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    とにかく文章が誰の意見に対してどうとか
    文献にこんな記述が残っているとか
    そういう方向の書き方ばかりで肝心の内容が伝わってこない
    かろうじて読み取れることも他で読んだような事しか書いてないような、、
    最後まで読んでみたけど
    上から目線の紋切り論に対して、ぼんやりした対論を返してる感じ
    庶民から見たら浮世離れしてる感じ
    9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2005年6月6日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    中世に於ける非人や遊女の実態、女性の地位などを再認識する上での好著と言える。それは学校教育によって教えられてきたものとはかなり違っていて、非人や遊女は必ずしも蔑視の対象ではなかったのであるが、社会の転換に伴う価値観の変化により、賤視・差別を生み出したとするのが著者の主張である。
    しかし、各章の終わりに膨大な数の参考文献が列挙されているが、犬神人、散所法師、白拍子と言った語句の説明は無く、参考文献を読んでいることを前提に話を進めてしまうような箇所があるので、本書を読むにはある程度の予備知識を必要とする。また、1976~1993年の間に発表された論文や書評をまとめたものなので、重複が目立ち、散漫な印象も受ける。
    86人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2024年10月20日に日本でレビュー済み
    本自体は新しいが、内容が書かれたのは80年代。よって40年ほど経っている。しかも史料を挙げるだけでどんな場面の話なのか分からないため、読み飛ばすスキルがないと前に進めない。非人とは神社関係、生死に携わる職業であったというのが彼の主張で、仏教の浸透、天皇や寺社の権威失墜、農業重視とともに畏れが排除に変わったというのが、本当かどうか疑問。西日本と東日本の違い、女性の扱いの変遷など、はっきりしないので読むのは時間の無駄。
  • 2019年6月15日に日本でレビュー済み
    目次はこんな感じです

    第1部 中世の「非人」
     第1章 中世身分制の一考察――中世前期の非人を中心に――
     第2章 古代・中世の悲田院をめぐって
     第3章 中世の「非人」をめぐる2、3の問題
     第4章 検非違使の所領
    第2部 中世の女性と遊女
     第1章 中世の女性
     第2章 遊女と非人・河原者
     第3章 中世における女性の旅

    私はこの本を「中世の非人と遊女がどんな生活をして、どう生きたか」ということを期待して買いました。江戸ぐらいになると資料が山程ありますし、遊女がどんな暮らしをしていたかは、漫画映画TVの中でたくさんあるので、鎌倉あたりがどういうことになっていたのか知りたかったのです。しかし、本書の中身はその分野に詳しい学会の人、研究者向けのような感じで、「〇〇が19XX年に発表した、(論文や本)▲において、■と定義したように…」みたいな文章が延々と続きます。資料を元に実際の生活がどうこうというより、社会的、歴史学的、制度の中の非人遊女の位置づけを議論しているような感じなので、読み物としては全く面白くなかったです。もしそういう目的で買う人は注意してください。
    57人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2009年11月13日に日本でレビュー済み
    中世とはいえ、本によって定義が色々とあります。
    この本では平安末期〜江戸時代にかけてです。
    私のテーマとしてはピッタリですが、時代別・テーマ別にこだわる方は事前に要チェックです。
    例えば、室町時代の庭者についてメッチャ知りたい場合、果たしてこの本はストライクかどうか...?

    被差別部落一千年史 (岩波文庫)を前に読んでいましたが、これはややヘビーな内容。
    最近、河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶を見つけて発注中です。
    そんな最中に見つけました。
    値段も手頃で、検非違使と遊女についての記述が多いのが私のお気に入りな理由です。

    読み方も色々とあるのですね...
    私は「犬神人」を「つるめそ」と覚えてました。
    そして、一条に「獄舎」があったのは初耳です。
    京都にも伝馬町に匹敵する場所があった筈だとは思っていましたが...
    まだまだ不勉強です。
    22人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2011年3月1日に日本でレビュー済み
     水上勉の『説経節を読む』を読んで、しばらく忘れていた中世史のへの興味が蘇ってきた。とりあえず手元にあったこの本『中世の非人と遊女』を読み出したのだが、矢張り面白い。書評や一般書向けに書かれた文章なので、読むのに苦労しない。横井清や黒田日出男に代表される新しい中世史をざっと復習できるのが有り難かった。

     新しい中世史研究の潮流とは、「『戦後』における民主的・科学的中世史学の本流に向かって」(横井清)はなたれた「石礫」だった、という。それは、歴史を「人民闘争」という勇ましい言葉に収めていくことへの異議申し立てであった。「人民」がそれだけで輝いて見えた時代は終わった。しかし同時に、この本を読んで感じる痛快さ(とくに女性についての論考)、ダイナミズム、解放感覚も、またある時代の申し子なのではないのだろうか。

     聖なるものに携わっていた者達が、天皇・神・仏の弱体化、空洞化によって、14世紀頃を境に賤視の対象になっていくのだ、という。しかし、歴史的事実の掘り起こしによるその具体的な説明は、それほど明確ではない。ひどく断片的な事柄が非常に断定的に述べられている。それを嫌う人もいるような気がする。

     僕は小さなものが嫌いではない。しかし、この本を読むと何とも形容しがたいサイズの小ささを時々感じた。それは、どこから来るのだろう。日本という国のサイズ、乏しい資料、借り物のコンセプト、僕たちの生きる時代のせせこましさ、僕はいろいろと考えみたくなった。
    23人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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