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散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道 単行本 – 2005/7/28

4.5 5つ星のうち4.5 358個の評価

2006年大宅壮一ノンフィクション賞を圧倒的評価で受賞!!
文章の品格、構成の的確さ、抑制のきいた表現。
各紙誌絶賛の傑作。

硫黄島で米軍を最も怖れさせた指揮官は、家族に手紙を送り続けた父でもあった——。
絶海の孤島・硫黄島で、総指揮官は何を思い、いかに戦ったのか……。妻子を気遣う41通の手紙。死にゆく将兵を「散るぞ悲しき」とうたった帝国軍人らしからぬ辞世。
玉砕という美学を拒み、最期まで部下と行動を共にした指揮官のぎりぎりの胸中に迫る。いま、日本人を考えるための必読書。

商品の説明

出版社からのコメント

2006年は硫黄島に関する映画が2本公開されます。どちらもクリント・イーストウッド監督作品ですが、そのうちの1本は日本側の視点から硫黄島の戦争を描くものです。本書は映画の原作ではありませんが、硫黄島総指揮官・栗林忠道中将を演ずる主演の渡辺謙さんは、役作りのためにハリウッドの撮影現場まで本書を持ち込み、まるで「バイブルのように」熟読したそうです。栗林総指揮官をはじめ、日本の将兵が圧倒的な物量を誇る米軍に包囲されるなかで、どんな思いを抱いて最期を迎えたのか。戦争がもたらす無残と極限状況での人間の真情の美しさを、多くの読者にぜひ知っていただければと切望しています。再び悲劇を起こさないためにも、あの戦争から遠くはなれた世代ができることは、彼ら将兵の願いを引き継ぎ、忘れずに覚えておくことではないか、そしてそれは、戦争を歴史を国家を考えていく上での立脚点になるのではないかと信じているからです。

抜粋

  プロローグ

 その電報のことに話が及ぶと、それまで饒舌だった彼がしばし沈黙した。そして、つと姿勢を正し目を閉じて、85歳とは思えぬ張りのある声で誦したのである。

   戦局 最後の関頭に直面せり
   敵来攻以来 麾下将兵の敢闘は
   真に鬼神を哭なかしむるものあり

 85歳と79歳の夫婦が肩を寄せ合うようにして暮らす家の居間には、南国・高知のおだやかな陽光が差し込んでいる。座り心地のいい古びたソファには、東京の孫から「ペット代わりに」と送られてきたというロボットの犬が、箱に入ったまま置かれていた。「どうも、この年になると説明書が読めんでな」さっき、そうぼやいたのとは別人の声で、彼は続けた。

   特に 想像をこえたる物量的優勢をもってする
   陸海空よりの攻撃に対し
   宛然 徒手空拳をもって よく健闘を続けたるは
   小職みずから いささか悦びとするところなり

   しかれども あくなき敵の猛攻に相次いで斃れ
   ためにご期待に反し
   この要地を敵手に委ぬるほかなきに至りしは
   小職のまことに恐懼に堪えざるところにして
   幾重にもお詫び申し上ぐ

   今や弾丸尽き水涸れ
   全員反撃し 最後の敢闘を行わんと………

 声がわずかにかすれ、時ならぬ朗誦は唐突に途切れた。
 我に返った顔で私を見て、照れたように口元をゆるませた彼は、すぐに真顔に戻り、
「この電文は私にとって、お経のようなものなんです」
 と言った。
「うちの閣下が、最後に遺した言葉です。今もこうして、口をついて出てきます。一言一句、忘れることができんのです」
 彼、貞岡信喜がと呼ぶのは、太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島の総指揮官として2万余の兵を率い、かつてない出血持久戦を展開した陸軍中将、栗林忠道である。
 周到で合理的な戦いぶりで、上陸してきた米軍に大きな損害を与えた栗林は、最後はゲリラ戦に転じ、「5日で落ちる」と言われた硫黄島を36日間にわたって持ちこたえた。
 貞岡が誦したのは、その栗林中将が玉砕を目前にした昭和20年3月16日、大本営に宛てて発した訣別電報の冒頭である。
 米軍の中でも命知らずの荒くれ揃いで知られる海兵隊の兵士たちをして「史上最悪の戦闘」「地獄の中の地獄」と震えあがらせた凄惨な戦場。東京から南へ1250km、故郷から遠く離れた絶海の孤島で死んでいった男たちの戦いぶりを伝えんと、みずからも死を目前とした指揮官は、生涯最後の言葉を連ねたのだった。
 硫黄島は、はじめから絶望的な戦場であった。
 彼我の戦力の差を見れば、万にひとつも勝ち目はない。硫黄島の日本軍にはもはや飛行機も戦艦もなく、海上・航空戦力はゼロに等しかった。
 陸上戦力においても、日本軍約2万に対し、上陸してきた米軍は約6万。しかも後方には10万ともいわれる支援部隊がいた。日本軍の玉砕は自明のことであり、少しでも長く持ちこたえて米軍の本土侵攻を遅らせることが、たったひとつの使命だった。
 そんな中、自分の部下たち——30代以上の応召兵が多数を占め、妻子を残して出征してきた者が多かった——が「鬼神を哭しむる」、つまり死者の魂や天地の神々をも慟哭させずにおかないような、すさまじくも哀切な戦いぶりを見せたことを、せめて最後に伝えようとしたのである。
 その部下の中に、貞岡は含まれていなかった。
「閣下のもとで死にたい」。26歳の青年だった彼は、どんなにそう願ったかしれない。だが、それは叶わなかった。
 彼は、軍人ではなく軍属であった。軍属とは、軍の勤務に服する身であるが、戦うことが任務ではない人たちのことである。
 硫黄島玉砕からさかのぼること3年半。栗林が南支派遣軍(第二十三軍)の参謀長として広東(現在の中国・広州)にいた昭和16年、貞岡は、将校の衣類の修繕をする縫工部という部署で働くことになった。
 ある日、栗林のもとで働いていた事務方の軍属がやって来て「参謀長がワイシャツを作ることはできないか訊いておられます」と言う。縫工部が扱うのは基本的に軍服で、それも、つくろいものがほとんどである。ワイシャツを仕立てられる者はいなかった。
 しかし貞岡は内地から持ってきていた自分のワイシャツをほどいて研究し、「私ができます」と申し出た。これがきっかけで栗林の私室に出入りし、親しく声をかけてもらうようになる。
 といっても、当時50代初めの少将だった栗林と、裁縫係にすぎない20代の貞岡には天と地ほどの身分差がある。しかし栗林は、四国の田舎の出身で、成績はよかったものの進学できる環境になく、「大陸に渡って広い世界を見てみたい」と南支派遣軍の軍属に応募してきた貞岡に目をかけ、実に親身に接したのである。

 高知市の中心部、はりまや橋にほど近い自宅に貞岡を訪ねたのは、硫黄島玉砕から59年が経とうとする平成16年2月のことである。
 あるきっかけから栗林中将に興味を持ち、調べるほどに心惹かれるようになった私は、彼と縁の深かった元軍属の男性が健在であることを栗林の遺族に教えられ、連絡を取ったのだった。
「うちの閣下のことを好きな方なら、私にとって家族と同じです」
 そう言って歓待してくれた貞岡は、1枚の写真を出してきた。昭和18年、広東の南支派遣軍の駐屯地で撮られたものだという。
 場所は兵舎の庭であろうか。白いカバーの掛かった椅子が置かれ、軍服に長ちよ靴うか姿の栗林が軍刀を手に座っている。横には軍用犬のジャーマン・シェパード。そして、後ろに立っている5人のうちの一人が、若い日の貞岡である。
「写真を撮ることになったとき、閣下がとおっしゃって、敷地内の宿舎にいた私のところに使いを出してくださったんです。この写真を撮った庭から宿舎まで、全速力で走っても往復15分以上かかります。その間、閣下は私が来るのを待っていてくださったんです」
 陸軍少将が裁縫係を15分も待つなど、普通ならまず絶対にありえないことである。しかし栗林は、写真を撮ってもらうという当時めったになかった機会を、田舎育ちの貞岡に与えてやりたかったのだろう。写真の中で、緊張した面持ちの貞岡は、栗林のすぐ後ろにかしこまって立っている。
 階級社会の最たるものである軍隊にあって、目下の者に気さくに接する栗林は異色の将官だった。入院した兵がいれば、みずから車を運転し、果物などを持って軍病院に見舞った。マラリアにかかった兵には氷を届けた。
 しばしば同行していた貞岡が、ある日、
「閣下みずからのお見舞いとあっては、病人も恐縮してしまって、おちおち寝ていられないのではないですか」
 と冗談交じりに言うと、その時は笑うだけだったが、次からは門の前で車を停め、貞岡に見舞いを届けさせて自分は待っていたという。
 そんな栗林を貞岡は実の父以上に慕い、昭和18年6月、栗林が中将に昇進して東京の留守近衛第二師団に転任することが決まると、自分も転属願いを出してついて行ったのである。
 しかしその1年後、総指揮官として硫黄島へ赴くことが決まったとき、栗林は貞岡の同行を許さなかった。
 思いつめた貞岡は、栗林が硫黄島に出陣した昭和19年6月から2か月たった8月、「閣下を追いかけて」硫黄島の北約270kmにある父島行きの船に乗る。硫黄島は小笠原諸島のほぼ南端に位置する島で、行政上は東京都に属する。小笠原諸島の政治・経済の中心は父島で、当時も本土と輸送船の行き来があった。
 とにかく栗林のもとへ行きたい一心で、東京から横浜まで夜を徹して歩いた。そのまま港で1週間ほど待っていたら、父島行きの船があった。
「私は栗林閣下の軍属ですから、閣下のもとへ行かせてもらいます」
 そう言って、船に乗り込んだのだという。
「書類や許可証? そんなものは持っていませんでした。じゃあなぜ乗せてもらえたのかと言われれば、私にもわからない。戦局も悪化していましたから、どさくさに紛れてもぐり込めたんでしょう」
 父島に着き、やっと通じた無線電話で話すことができたとき、栗林は「そんなところで何をしておるか。絶対にこちらに来てはならん」と声を荒らげた。
「うちの閣下に怒鳴られたのは、あとにもさきにも、あのとき一度きりでしたなあ」
 それが栗林の声を聞いた最後だったと言って、貞岡は涙ぐんだ。
 父島にはその年の12月までとどまった。栗林は東京の留守宅の妻にあてた手紙の中で、貞岡のことにふれて次のように書いている。

 貞岡は最近便で内地に帰るそうです。せっかく来たが私の許もとまで来れず、それに病気になって入院もしたりで、帰る気になったのです。東京へ着けば無論立ち寄るだろうから、その節は玄関だけにせず、何でもあるものを振舞ってやって下さい。やがては田舎に帰るのだそうです。 (昭和19年12月11日付 妻・義井あて)

 無駄に死なせてはならぬとの思いから追い返したが、やはり、遠い南の果てまで追いかけてきた若者のことが心にかかっていたのだろう。わずか11日後の手紙で、栗林はもういちど貞岡のことにふれている。

 せっかく来たのに私に会えずに帰還し、結局、郷里に帰るのだと思う。戦争というものはみんなそうしたものだ。 (昭和19年12月22日付 妻・義井あて)

「せっかく来た」という言葉がふたたび使われている。ただひたすら自分に会いたくてやってきた貞岡の思いを、栗林は誰よりもよくわかっていたのである。「戦争というものはみんなそうしたものだ」との言葉には、軍人らしい諦観というよりも、自分自身に言い聞かせているかのような切実な響きがある。
 その後、東京にぶじ着いたという知らせを受け、栗林は硫黄島から次のような便りを貞岡に送っている。

 拝復 東京からの葉書着きました。当地でお会いできなかったことは残念ですが、ご無事ご帰還になったことは何よりと存じます。東京で留守宅の世話までして下さるようなお話ですが、ご厚情の段、深く感謝します。
 小生もその後相変わらず非常に丈夫かつ元気で働いていますからご安心下さい。内地は寒いでしょう。どうぞ風邪などひかぬようご用心下さい。ではさようなら。

 無線電話で怒鳴りつけたときとはうって変わったやさしい文面である。年若い軍属に宛てたものとは思えない丁寧な言葉遣いのこの便りは、「軍事郵便」の文字が印刷された葉書に、端正な毛筆で認められている。60年近い歳月を経て黄ばんだ葉書は、貞岡の自宅の金庫に今も大切に仕舞われてある。
 この便りが書かれたのは、米軍による空襲や艦砲射撃がいよいよ激しさを増していた昭和19年12月末である。それから2か月もたたない翌20年2月19日、米軍は硫黄島に上陸を敢行する。栗林が戦死したのは、3月26日の払暁とされている。
 貞岡がついに硫黄島に渡ることができたのは、栗林の死から33年を経た昭和53年のことである。硫黄島は戦後23年間米国の占領下にあり、昭和43年に返還されるまで渡島はできなかった。
 慰霊巡拝団の一員として渡島した貞岡は、案内の人が栗林が潜んでいたと言われる司令部壕を指さしたとき、思わずその方向に駆け出した。
「閣下ぁー、貞岡が、ただいま参りましたーっ!」
 声を限りに、そう呼びかけながら。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2005/7/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/7/28
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 244ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4104774014
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4104774012
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 358個の評価

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梯 久美子
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お客様はこの小説について、以下のような評価をしています: 内容面では、著者渾身の力作だと高く評価しています。独自の着眼と綿密な取材が好評です。また、感情移入を抑制した冷静で客観的な表現や、高潔な現地司令官の魅力的な人物像が描かれており、非常に感動的だと考えています。 一方で、読者は、この著者の文章構成についても意見が分かれているようです。 特に、栗林将軍については、高潔な現地司令官と健気に戦う兵士、冷酷な軍本部という構図に違和感を覚える声が多くあります。

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16人のお客様が「内容」について述べています。16肯定的0否定的

お客様はこのノンフィクションについて、以下のように評価しています: 内容が良く、著者渾身の力作だと感じています。独自の着眼と綿密な取材、納得のいく文章構成が好評です。また、本で読む価値のある本だと感じており、著者のきめ細かい取材も評価されています。感動するノンフィクションとして久しぶりに感動したという声もあります。

"...私も二児の父として、果たしてここまでの強い覚悟で何か事に臨めるのだろうかと自問自答しているうちに、気がついたら2回連続で読んでしまいました。良書です。 ハリウッド映画『硫黄島からの手紙』しか見た事ない人は是非読んでみてください。..." もっと読む

"作者のきめ細かい取材がよかった。" もっと読む

"戦争の記録のノンフィクションということにとどまらず、人のあるべき姿、真のリーダーの姿を考えさせてくれました。名著と言えます。" もっと読む

"著者渾身の力作と思います。内容も表現も大変勝れた本です。当時このような素晴らしい軍人がいたということを知り、感動しました。よくぞここまで調べられたと、著者の努力に敬服します。" もっと読む

5人のお客様が「人物描写」について述べています。5肯定的0否定的

お客様はこの小説について、冷静な筆致で人物像を浮かび上がらせると評価しています。将軍の家族への手紙をベースに冷静な筆致で人物像を浮かび上がらせているようです。また、魅力的な人物として描かれており、組織の力というものがトップの能力・人柄によってここまで変わるのかという驚きが強く残りました。

"〇太平洋戦争の激戦地硫黄島の日本軍総指揮官だった栗林忠道中将の生涯を紹介するノンフィクション。 ○高潔な現地司令官、健気に戦う兵士、冷酷な軍本部、という構図は、他にもあったように思うが、硫黄島もその典型的な一例であり、著者の綿密な調査によってそれが浮き彫りにされている。..." もっと読む

"...それからは硫黄島も栗林将軍の生き様も色々と調べたりするようになった。 梯さんは将軍の家族への手紙をベースに冷静な筆致で人物像を浮かび上がらせてくれていると思った。..." もっと読む

"新品同様に綺麗な本でした。 レビューで聞いていたとおり、とても感動的な内容でした。 何度も涙が出てきました。日本人のすばらしさを改めて感じました。" もっと読む

"...父あるいは夫として優しい私人の側面と、任務をまっとうしようとする際の冷徹な武人の二つの側面をもった将軍が見事に描かれています。 兵士と同じ食事をし、兵士たちへの告示も、「我々は」という主語を使い、それがゆえに2万余の将兵をして命をげ出させることができた統率力に敬服しました。..." もっと読む

5人のお客様が「読みやすさ」について述べています。5肯定的0否定的

お客様はこの本の読みやすさを高く評価しています。読後感はきわめて爽やかで、感情移入を抑制した冷静で客観的な表現が好評です。また、内容についても、独自の着眼と綿密な取材、納得のいく文章構成など、多くの読者に感動を与えたようです。

"ビデオを見て感動!本でも感動をいただきたく購入しました。" もっと読む

"洗練された簡潔な文章、感情移入を抑制した冷静で客観的な表現。ルポライター・ジャーナリストとしての最高の才能・素質を備えている著者の、今後のご活躍にも大いに期待しています。" もっと読む

"...本作品はとても読みやすく、忘れてはならない戦争の記憶であって、もっと沢山の人が知るべき内容がギュッと詰まっていると思います。 内容が軽い等、厳しい評価もありますが、まず、「硫黄島の戦い」を知るのであれば読みごたえのある充分な作品だと思います。" もっと読む

"...まず、文章が上質。いかに内容が良くても、それを適切に表現できなければ魅力は半減する。梯さんの文章は簡にして要を得ており、読後感はきわめて爽やかである。 内容も素晴らしかった。独自の着眼と綿密な取材、納得のいく文章構成。感情に過度に流されない控えめなコメントが良い。..." もっと読む

4人のお客様が「取材」について述べています。4肯定的0否定的

お客様はこの著者の取材を高く評価しています。丁寧な取材と参考図書によって、日米両国の関係者への丁寧な取材が行われていることを高く評価しています。部下の様子を的確に把握し、家族にも愛情を注ぐ姿がビジネスマンとして理想的だと感じています。また、独自の着眼や綿密な取材、納得のいく文章構成も好評です。

"...しかし、栗林中将は、自らが底辺に立ち全体を支える事で、戦史に残る活躍をされました。成すべき事を完璧にイメージし、周りの雑音に惑わされず自ら率先して実行していく姿が困難に直面するリーダーの理想像であると感じました。 もし、貴方がリーダーの立場にあるなら、必読の書と言えます。..." もっと読む

"...日米両国の関係者への丁寧な取材と参考図書によって、硫黄島の戦闘とそれをとりまく日米国民の視線を丹念に書いている。特に、兵士とその家族の手紙を多く取り上げていることで、当時どんなことを考えて一日一日生きていたのか、その後生き抜いたのかが鮮明に描かれている。..." もっと読む

"...何のために戦うのかという目的を明確にし、その目的を達成するためにどのように備えて戦えばよいかを考え、前例にとらわれず、それを大胆に実行し、現場を丹念に見て周り、部下の様子を的確に把握し、一方で家族にも大きな愛情を注ぎ、これは、ビジネスマンとしても理想の姿ではないだろうか。..." もっと読む

"...梯さんの文章は簡にして要を得ており、読後感はきわめて爽やかである。 内容も素晴らしかった。独自の着眼と綿密な取材、納得のいく文章構成。感情に過度に流されない控えめなコメントが良い。筆者の内なる表現意欲が素直に感じ取れる好著だと思う。..." もっと読む

上位レビュー、対象国: 日本

  • 2024年4月23日に日本でレビュー済み
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    ビデオを見て感動!本でも感動をいただきたく購入しました。
    2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2024年10月8日に日本でレビュー済み
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    私の故郷にも硫黄島(いおうじま)という島があります。
    晴れた日には本土からも見ることが出来ます。
    この島を見て、「あの島で凄惨な戦いが行われたんだなあ…」と感慨深げに言う方がよく居ます。
    もちろん、太平洋戦争中に凄惨な戦いがあったのは、東京都小笠原諸島の硫黄島(いおうとう)です。
    あまりにも日本の過去の過ちを知らない日本人が多過ぎる。
    本書にも書かれてありますが…
    「栗林はアメリカを最も苦しめた男として日本よりむしろアメリカで有名なのである」

    日本人が過去の過ちを学び反省し、二度と同じ道を歩まない…とするために必要な本の一冊だと思います。
    5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2024年7月8日に日本でレビュー済み
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  • 2022年9月22日に日本でレビュー済み
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    小学生の頃に読んだマンガ『劇画太平洋戦争 玉砕硫黄島』を読んで栗林中将の事はフワッと知ってましたが、本書で書かれている内容を読んで改めて名将である事を理解しました。
    栗林中将が父として、夫として、家族を守る為に死地に赴く、その覚悟を支えたのは一日でも長く硫黄島を死守する事で本土空襲を避けられる、即ち大切な家族に対し一日でも長く幸せに暮らせる時間を与える事だったと、私は感じました。これほどまでに美しく見事な覚悟があるでしょうか。
    私も二児の父として、果たしてここまでの強い覚悟で何か事に臨めるのだろうかと自問自答しているうちに、気がついたら2回連続で読んでしまいました。良書です。
    ハリウッド映画『硫黄島からの手紙』しか見た事ない人は是非読んでみてください。やはり関係者への取材を重ねて書かれた本の内容は奥行きがあって読み終わった後には心の中に波のように繰り返すなんとも言えない感情が湧いてきます。
    19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2021年6月5日に日本でレビュー済み
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    How did you come to terms with your intentions and national policy? There was also a Japanese Army officer who had a rational idea. I wanted you to do your best for postwar reconstruction.
    7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2019年12月30日に日本でレビュー済み
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    〇太平洋戦争の激戦地硫黄島の日本軍総指揮官だった栗林忠道中将の生涯を紹介するノンフィクション。
    ○高潔な現地司令官、健気に戦う兵士、冷酷な軍本部、という構図は、他にもあったように思うが、硫黄島もその典型的な一例であり、著者の綿密な調査によってそれが浮き彫りにされている。
    ○栗林中将は、過去の日本軍の作戦を研究のうえ、全滅必至の戦いにおいて、兵に簡単に突撃を許さず、最後まで苦しい籠城戦を展開した後に死ぬ方針を採る。それが本土を守るため少しでも意味のある死になると考えたからである。兵士はその方針にしたがって最後まで米軍を苦しめて玉砕する。
    ○栗林中将の時世の歌「国の為重きつとめを果たし得て、矢玉尽き果て散るぞ悲しき」はその真情をよく表している。しかしながら大本営はこれを「散るぞ口惜し」と書き換えて発表する。想像するに発表文を稟議で回した際に、誰かが書き換え上位者たちがこれを追認したのであろう。大本営の幹部の椅子にはこのような人物たちが座っていたということである。彼らも戦争遂行に全力を尽くしてはいただろう。しかし、彼らの知性と教養がもっと上等であったならば、敗戦という結末は変わらなかったにしても、悲劇はもっと少なくて済んだのではないかと思う。
    13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2020年11月28日に日本でレビュー済み
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    硫黄島で死ぬまで戦った兵士達が本土にいる妻や子殿また肉親達を守りぬく一心であった事が良く分かった。
    決して勝利ではなく、一日でも生き抜くことで敵の本土攻撃を遅らせるという目標のためにすべてを犠牲にして死んでいった男たちに日本人の心を感じた。また本土で見守っている家族たちの父親や夫あるいは息子達の無事を祈りつつも必死に生きていこうとしている姿に日本人の愛を感じた。こうした事実が歴史として残っていることを、あるいは何万人、何十万人の犠牲の上に我々日本人の今が存在していることを忘れてはならないと感じた。こうした歴史を明らかにしてくれた作者に感謝したい。
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  • 2024年6月14日に日本でレビュー済み
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    内容は改めて参考と昔の事象がよく分かりました。よかったです。