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西村 秀夫

にしむら・ひでお

last update:20221021

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・東京大学
・社会福祉法人和泉会理事,在宅ケア研究会
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https://uta.u-tokyo.ac.jp/uta/s/da/document/7ef126159b2a8ecaaa9a0663dfbfc91d

◆西村 秀夫 1969 「東大闘争と私」,田畑書店編集部『私はこう考える――東大闘争 教官の発言』田畑書店,115-143
◆――――,1971,「『夜学』について」,連続シンポジウム実行委員会『シリーズ「夜学の記録」第1集 身体障害と教育(その1)』1-2
◆――――,1972,「障害者の教育権と内なる差別意識の克服」,『婦人教師』57: 35-40
◆――――,1972,「八木下さんを囲む会から」,解放連続シンポジウム「闘争と学問」実行委員会 編 1972 『れんぞくシンポとは――解放連続シンポジウム《闘争と学問》』,解放連続シンポジウム「闘争と学問」実行委員会,p.13
 「「障害者はなんで普通学校へ入れないのか。なんで養護学校や特殊学級があるのか。なんで同じ人間なのに、就学猶予や免除があるのか。同じ障害者で、施設にいる人、家の中で寝てる人などがなんでいるのか。囲む会はそうした話し合いの中から発足したが、私は考えなければならないことがでてきた。それは『私を囲む会』ではなく『健全者を告発する会』でなければならなかった。」と八木下浩一さんは語る。
 昨年六月一九日、二九才の小学三年生八木下さんを報告者としたシンポジウムの終りに、彼の提案で「八木下さんを囲む会」ができた。それ以来毎月一回三十〜四十人の人々(「障害者」「健全者」教師も施設労働者も学生も主婦もいる)が、八木下さんを中心に討論を重ねてきた。生産性第一主義のこの社会の中から「障害者」として切捨てられている人々が、自立してとらえ直す時、彼にとって教育とは何か明らかにしようとしてきた。それは、切捨る側「健全者」にとっても、人間観を新しくし、教育、労働、闘争を考え直す機会になった。生産に役立たない人々を、同じ人間として尊重する人間観に立つことがこの時代の課題になっているのではないか。
 その一点をおさえてみるとき、選別教育の犯罪性が見えてくる。その「教育」をこえる道はどこに拓かれるのか。就学を拒まれている人たちを学校に入れてゆくことにより、普通学級を変えてゆこうとしている人たち(「がっこの会」「教育を考える会」の人たち)がいる。特殊学級の存在を前提として、「特殊」といわれている子供たちの自立を助け、共に闘ってゆこうとしている人たちがいる。小学四年になった八木下さん自身もクラス日常から「教育」を告発する歩みを進めようとし、参加者も、それぞれ自分の問題とのとりくみを進めてゆくだろう。」(全文,再録:増田 洋介
◆――――,1975,「市のお役人との交渉で感じたこと」,川口に障害者の生きる場をつくる会『川口市に生きる場をつくる運動――「障害者」が自ら創り,自ら運営する!』りぼん社,6-8
◆――――,1981,「『ケアー付き自立』を求めて――経過と展望」,札幌いちご会『心の足を大地につけて――完全なる社会参加への道』ノーム・ミニコミセンター,23-33
◆―――― 19910110 「読書紹介:『生の技法』」,『いちご通信』087:30-31
◆―――― 19910301 「「自立生活」についての研究報告書――安積純子・岡原正幸・尾中文哉・立岩真也『生の技法』」(書評),『障害者の福祉』11-03(116):38

◆折原 浩 20130815 「授業拒否とその前夜――東大闘争へのかかわり」,折原他[2013:17-94]
◆折原 浩・熊本 一規・三宅 弘・清水 靖久 20130815 『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』,緑風出版,304p. ISBN-10:4846113167 ISBN-13:978-4846113162 [amazon][kinokuniya]
◆清水 靖久 20130815 「さまざまな不服従」,折原他[2013:95-157]
◆田畑書店編集部 編 19690625 『私はこう考える――東大闘争・教官の発言』,田畑書店,316p. ASIN: B000J9N2RA 540 [amazon] ※



◆清水 靖久 20130815 「さまざまな不服従」,折原他[2013:95-157]
◇折原 浩・熊本 一規・三宅 弘・清水 靖久 20130815 『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』,緑風出版,304p. ISBN-10:4846113167 ISBN-13:978-4846113162 [amazon][kinokuniya]

 「西村秀夫(一八〜〇五年)は、五一年に矢内原忠雄に呼ばれて学生部教官となった無教会派の信徒で、東大闘争にも学生とともに深くかかわったが、六九年十一月には進学相談室教官となり、このシンポジウムに毎回参加していた(西村『教育をたずねて』七〇年十月、『西村秀夫紀念文集』〇七年五月)。」

◆折原 浩 20130815 「授業拒否とその前夜――東大闘争へのかかわり」,折原他[2013:17-94]
◇折原 浩・熊本 一規・三宅 弘・清水 靖久 20130815 『東大闘争と原発事故――廃墟からの問い』,緑風出版,304p. ISBN-10:4846113167 ISBN-13:978-4846113162 [amazon][kinokuniya]

 「「連続シンポ」の運営は、誰でも名乗り出て担える建前であったが、じっさいには西村氏の全面的配慮のもとに、熊本一規君と故灰庭久博君が、実行委員として支えてくれた。しかし、「連続進歩」も、三年あまりで行き詰まった。理由は、いろいろ考えられようが、筆者はこう思う。「二元的固定化」の廃棄という理念から、「運営業務の平等な負担」が建前とされ、追求されたが、西村氏他の主力メンバーには、多彩な参加者には委ねきれない責任があり、他方、多様なテーマについて各地から闘争者を招聘する見返りに、先方から招聘を受けた場合、誰もが「輪番で平等に」出向くというわけにもいかなかった。そのため、主力メンバーに負担と疲労が溜まった。ま、一九七〇年度以降の新入生からの参加は、いやおうなく漸減し、学生との接点を求めるかぎり、方針転換を迫られていた。△067」

増田 洋介 2020/09/19 「もうひとつの「ケア付き住宅」建設運動――「川口に障害者の生きる場をつくる会」の足跡」,a href="../ds/jsds2020.htm#p">障害学会第17回大会報告

 この時期に前後して、八木下は大学教員の西村秀夫から声をかけられた。西村は、1960年代後半の大学闘争に、東京大学教養学部の学生部教官としてかかわっていた。学生への強権的な支配を進めた教授会に対して、西村は少数の教員とともに異議を唱えた(西村 1969)。大学闘争が終息していった頃、西村は志を同じくする教員や学生とともに、市民に開かれた討論の場として連続シンポジウム「闘争と学問」を開催することを考えた。そして1969年11月に、第1回のシンポジウムが行われた(西村 1971: 1)。シンポジウムは毎回、たんに講師の話を聞くというのではなく、さまざまな現場で闘いを担っている人が報告者になり、参加者どうしで議論を重ねるかたちで行われた。
 1年ほど経て彼らは、重要な関心事として教育問題に焦点をあてるようになった。「『教育』が体制の求める人材の選別・形成の機構と化し、さらに近代的・合理的に再編される現状」において「どこに選別・差別の『教育』をこえる道を開くことができるのか」(西村 1971: 1)という問題意識のもと、連続シンポジウムは続けられた。そのなかで1971年6月、「身体障害と教育」と題するシンポジウムが開催され、八木下が報告者になった。
 このシンポジウムの終わりに、八木下は次のように提案した。

私からも一つお願いといってはおかしいけれど、私なりにみんなに聞きたいと思うのです。僕なりに討論集会をやりたいと思うのだけれど、僕は何のために訴えるかということを考える場合、はたして、どういうことで障害者問題を世の中に明らかにしていったらいいのか、ということをみんなに聞きたいのです。(連続シンポジウム実行委員会 1971: 25)

この提案を受けて1971年7月、西村やシンポジウムに参加していた学生、教師らによって「八木下さんを囲む会」ができ、月1回のペースで討論会が行われるようになった(連続シンポジウム実行委員会編 1971: 33)。西村は「これは『八木下さんを支援する会』ではない。障害者も健全者も同じ会のメンバーとして討論し、考える会であり、健全者中心の文化の中で育って来た私たちが、障害者によって目を開かれ、教えられる機会である」と考えていた(西村 1972: 37)。
 しかし八木下は、次第にこのままではよくないと思うようになる。[…]」

注10) 西村は、翌1975年に大学教員の職を辞して北海道に移り、障害者施設の職員に転身した。のちに西村は、札幌いちご会のケア付き住宅建設運動にもかかわっている。


UP:20221005 REV:20221007, 15, 21
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