『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』
小澤 勲 編 19750325 田畑書店,201p.
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小澤 勲 編 19750325 『呪縛と陥穽――精神科医の現認報告』,田畑書店,201p. 1100 ASIN: B000J9VTT8
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■目次
�T 報告
�U 討論
一 はじめに
二 呪縛の構造
三 問いの転換
四 呪縛のからの解放にむけて――治療とは何か
■引用
◆はじめに 7-11
「一九六九年五月、金沢で開催された第六六回日本精神神経学会に、医局解体闘争を闘いつづけてきた精神科医が全国から集結してきた。「学会は医局講座制によって支えられており、また、医局講座制は、入れ替わり立ち替わり儀式的におこなわれる、それぞれ数分づつの演題発表で象徴されるように、学会を自らの支柱の一つとして成立している」とわれわれは考えた。[…]そして。この金沢学会闘争はその後、全国的な(あるいは全科的な)拡がりをもつにいたった学会闘争の嚆矢となったのである。[…]この時いらい、日本精神神経学会はかなりの程度までわれわれの手によって動いてきた。われわれは金沢学会闘争を契機として精神科医全国共闘会議を結成した[…]この委員会はようやく全国的に政治的課題とされ始めていた刑法改悪阻止、保安処分新設粉砕闘争の一つの要として運動を進めてきた。認定医制度はもはや問題にもされなくなり、
十全会病院、
烏山病院、北全病院をはじめとする精神病院問題、台人体実験問題に対しても、われわれの糾弾、告発闘争は圧倒的多数の支持をうけた。[…]だが、にもかかわらず、われわれは学会でとびかう言葉の軽やかさにある種の「後ろめたさ」を感じてきたのも事実である。[…]つまり、思想と論理のうえではほとんど完全に講座制や日共・民青に勝ちきってきたことは確かなことなのだが、現実の場面においては力関係は逆転している。当たり前といえば、当たり前のことだが、われわれは現実場面においては圧倒的少数派にすぎない。」(小澤[1975:7])
「日本精神神経学会は、「政府厚生省の支配の下での、医学の帝国主義的再編の実務管理機構」として批判された。日本精神医学と精神医療は、実は、国家が精神病者を排除し、処遇するあり方の合理化にすぎなかった、という批判がなされた。医局講座制という支配機構に従属させられてきた精神科医たちは、その意味で被害者であり続けたが、代償としての保身は、精神病者への弾圧に通ずるものであることが確認された。」(小澤編[1975:24])
「精神病質概念が、その本質において価値的、階級的、政治的概念である(このことは疑いもなく真実である!)が故に医学的概念ではないという論法をもってすれば、たとえば精神分裂病概念もまた医学的概念ではないのである。問題は医学的概念であるか、ないかではなく、事実、医学的概念として用いられている諸概念が医学の名のもとにいかに機能しているかということなのである。」(小澤編[1975:134])
「昭和五〇年の精神神経学会総会は「戦後日本の精神医学・医療の再検討」と題しながら、「精神分裂病とは何か」というテーマにほぼ半日分の日程をさくことになっている。だが、「精神分裂病とは何か」という問いは、過去の代表的な問い方である。そして、このような問い方こそ、解答のすべてを誤らせたものであったと、今、われわれははっきりと宣言しよう。われわれの問はこうでなければならない。「誰がいかなる都合で精神分裂病というレッテルを必要としたのか。[…]
なぜにかかる非論理が論理としてコンセンサスを得るにいたるのであろうか。それは、上の文脈を逆にたどればよいのだろう。つまり、まず「ある一群の人間を人間以下の生物に転落させる必要性」が「社会的要請」として存在し、「必要性」を「必然性」にすりかえるために「生物学的過程」が要請され、かかる要請を基盤にその要請を証明するべく、ある一群の人間にスティグマが「発見」されるという手順である。[…]
それゆえに、われわれが報告で明らかにしたかったのは精神障害者の心的力動などではなく、四人の精神障害者の生き様を書くことによって、われわれも含めて彼らを精神障害者をみ、病院にとじこめていくものの眼であり、都合である。」(小澤編[1975:163])
(クーパーの家族病理説に対して)「今の社会のなかで、ありもしない「正常家族」を基準として、「分裂病者」の家族を病理集団として裁断してみせたところで致し方ないではないか。生物学主義者にとって「遺伝」の占めていた位置に「家族」を置いてみたところで、われわれの問いは決して前進しないのだ。」(小澤編[1975:166])
「さて、伝統的「治療」理念に対してわれわれが示すテーゼはこうだ。精神医学によって「病」「症状」と名づけられる まさにその瞬間に噴出する自己表現を圧殺し、押え込むことなく、あくまで、かけがえのない自らのホンネを抱え込みつつ、なおかつ現実と切り結ぶ地点において、常に弁証法的に展開していく、情念と行動の方法論を獲得していくこと、これ以外に適応論の系譜と、狂気の物神化論とをともにこえる道は決して見出し得ないのである。」(小澤編[1975:186])
「私は精神病者が病を「内」にもつものとして、いっさいの歴史的、社会的状況を抜きに、いっさいの関係性から離れて存在する生物学的異人種として規定されていることに異議申し立てをしているのである。」(小澤編[1975:199])
■言及
◆立岩 真也 20140825
『自閉症連続体の時代』,みすず書房,352p. ISBN-10: 4622078457 ISBN-13: 978-4622078456 3700+
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◆立岩 真也 2013/12/10
『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+
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◆立岩 真也 2011/08/01 「社会派の行き先・10――連載 69」,『現代思想』39-(2011-8):
資料
作成:
阿部 あかね