『あすに挑む――障害者と欧米社会』
NHK取材班 19820320 日本放送出版協会,262p.
■
NHK取材班 19820320 『あすに挑む――障害者と欧米社会』,日本放送出版協会,262p. ISBN-10: 4140021187 ISBN-13: 978-4140021187 \4980
[amazon]/
[kinokuniya] ※
■内容
■目次
はじめに
1 ともに生きる社会へ
- 注目を集めるギールの里親制度
- スウェーデンのフォーカス住宅
- アメリカの自立生活運動
2 アメリカの障害者の権利拡大
- 障害者に対する差別撤廃令
- 障害児の教育権保障
- すべての子どもは発達する
- 職業訓練の新しい考え方
3 脱施設化への道
- 社会とは無縁な巨大収容施設
- 地域指向の精神衛生センター
4 障害児教育の新しい波
- 統合教育へ向かう世界の動き
- アメリカ
- イギリス
- イタリア
- 関心を示すOECD
5 技術でひらく道
- 障害者の社会参加と技術
- カーツビル読書機
- インパート
- 音声で制御できる車いす
- コロンビア大学の人工臓器研究部
- 障害を持つ人の意見
- 使いやすいダラス・フォートワース空港
あとがき
■引用
◇
Bow, Frank G.
1947 ペンシルバニア生 ウェスタン・メリーランド大学,ギャロデット大学で教育学修士を得て,1976ニューヨーク大学で教育心理学の博士号を取得 ニューヨークに住む 娘が2人 (NHK〔1982:71-72〕)
インタビュー:経費に対する国民の反発「…私たちは、教育者が技術者が経費の面でより安く、しかも効果的な方法を研究してほしいと思っています。実際この分野のことはまったく未知の分野なのですから。
今、アメリカ全体で、障害者のために使う経費が、国民総生産 (GNP)の9%にあたるように…。莫大な経費です。1970年から75年の5年間にインフレーションなどの影響でおよそ2倍に増え、実費でも40%も急上昇…。このまま増え続けていけば、破産寸前の状態にもなりかねません。
…出口は2しかありません。ひとつは財政的援助がどんどん少なくなり、障害者の生きる道が閉ざされること…。もうひとつは障害者がもっている能力に注目することです。その能力を訓練し、働くことができるようにすることです。障害者は政府に経済的に依存しないで自立するのです。政府からドルをもらうのではなく、税金を払う納税者になるのです。
そのためには、政府は教育や職業訓練にもっともっと予算を組む必要…。現在…まったく逆の方向…。…
1976年…、国、州、地方自治体、民間合わせて年金、手当など障害者生活援助のために、 400億ドル近い予算…、一方教育やリハビリテーションなど障害者の自立を援助するために使ったのは、わずか7億ドル…。
…
…バスを利用できようになれば…
さまざまな建物や施設を利用できれば、障害者はもっと職業につく機会が増えるはず…。…既存の建物を障害者が利用できるようにする費用は、1フィート四方で月に1セント…。一方、床掃除に使う経費…月に12セント…。
社会保障制度や税金に関する法律も、障害者の自立を援助するという視点から見直し、障害者の労働については、最低賃金法の適用も必要…。つまり、障害者が政府に依存した生活を続けることは、障害者を自立した生活ができるように援助するよりは、はるかに高くつくことに気付かなければなりません。」
(NHK取材班[1982:79-80])
◇こうした脱病院化の動きを取材するために、私たちは、ニューヨーク州精神衛生局に新しい型の精神病院の紹介を依頼していた。紹介されたのは、ニューヨーク州立サウス・ビーチ精神衛生センターであった。このセンターは、1969年、精神医療の地域化がすすむ中で設立された地域指向型の州立病院で、ニューヨーク市の中心部から車で1時間弱、スタッテン島にある。担当する区域はスタッテン島全体と対岸にあるブルックリンの西側で、およそ150万人の市民をサービスの対象にしている。ベッド数は400、子どもと成人の精神障害者と、アルコール中毒の入院治療をするためだ。
古い型の州立病院に比較すると、規模が小さい。さらに、このセンターを中心として、担当地区に10か所の診療所があり、ネットワークを作っているという特徴がある。ネットワークをつくることによって、地域の人たちは、精神衛生センターが地理的に手近なところにできてりようしやすくなった。 (pp. 156-7)
◇サウス・ビーチ精神衛生センターは、スタッテン島の海岸通りにある。付近には海水浴場もあり、敷地はかなり広い。センターは金網に囲まれているが、特に監視が厳重だということもなく、正面玄関にガードマンがいるわけでもない。
敷地の中は、入院棟、事務棟、職業訓練棟などがある。入院棟はすべて平屋である。扉には鍵がかけられているが、窓には鉄格子はなく、部屋の中は外の陽ざしがさしこんで明るい。 (p. 160)
ここに記された患者の権利や治療に関する手続きは長たらしく、ある意味で味気ないものである。しかし、こうした権利の行間を読んでいくと、かつての州立病院で、精神障害者がどのような扱いを受けていたかが浮かびあがってくる。[……]
私は、ニューヨーク州発行のパンフレットを読みながら、1960年初頭の巨大な収容所での生活についてペンハーストの所長が語ったことを想い出した。
「……トイレには石鹸やタオルもなく、トイレットペーパーさえありませんでした。シャワーは集団で使い、プライバシーはまったくありませんでした。床は汚物でまみれ……あたかも強制収容所のようでした。」
1960年以前の障害を持つ人たちの生活が、いかに苛酷なものであったかということは容易に想像できる。それが1960年代を境に大きく変わったことは確かだ。今まで紹介してきたことは、アメリカでも先導的な部分で、全般的にはここまできているとは言えないかもしれない。しかし、障害を持つ人たちを社会から隔離してしまい、社会には障害を持つ人は一人もいないかのように考えてきた健常者を中心とした社会は否定されようとしている。 それでは、具体的に何をすればいいのか。世界各国で今ようやく模索を始めたというのが現状ではなかろうか。 (pp. 168-70)
■言及
◆安積 純子・尾中 文哉・岡原 正幸・立岩 真也 19901025 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学』,藤原書店,320p.
◆―――― 199505 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 増補改訂版』,藤原書店,366p.
◆―――― 20121225 『生の技法――家と施設を出て暮らす障害者の社会学 第3版』,生活書院・文庫版,666p.
*作成:三野 宏治・立岩 真也