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『最終講義――分裂病私見』

中井 久夫 19980508 みすず書房,159p.

last update:20110629

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中井 久夫 19980508 『最終講義――分裂病私見』,みすず書房,159p. ISBN-10: 4622039613 ISBN-13: 978-4622039617 2000+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

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メタローグ
神戸大学医学部を勇退した分裂病の泰斗、中井久夫氏の最終講義。《私の目的は分裂病に目鼻を付けること》と語る著者は、長年の経験から分裂病に対する数々の卓見を説いていく。分裂病でない人は、のほほんとしていても分裂病にならないのではなく、日々何らかの入力によって、苦しく宙づりになっている分裂病状態の実現を妨げられているとか、どのような患者も学者の記す分裂病ほどには分裂病的でない--そんな机上の空論では出てこない、日々患者と格闘する<臨床>の持つ説得力が全編を覆う。特に、後半に載せられた臨床データ例は、人が壊れ、臨界に達して回復するさまを生々しく示して圧巻。(守屋淳)
『ことし読む本いち押しガイド1999』 Copyrightc メタローグ. All rights reserved.

内容(「BOOK」データベースより)
「分裂病は、私の医師としての生涯を賭けた対象である」30年間を分裂病の治療と研究に尽してきた精神科医が語った最終講義。信頼と責任と知恵をつたえる。
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■目次

目次

最終講義――分裂病私見

図版と症例・解説
付録
あとがき

■引用

 「しかし、ここにはその建設や運営あるいは実習や見学に参加された方々もおおぜいおられますので、せっかくですから一言述べておきますと、開放病棟とは実際に開放感があふれているものでなければならないだろうということです。すべての空間を法的基準よりもずっとひろやかにし、採光と通風とを重視しました。玄関をホテルのような総ガラス張りにし、天井の高さまでの大きな窓にし、まん中に光庭を設けて、ここが光を呼び込み、また室内の空気を煙突のように吸い上げる効果を発揮するだろうと期待しました。ベッドとベッドとの距離をひろくしました。患者とおなじように職員の居心地・働き心地のよさ(アメニティー)もよくしようとしました。
 治療環境がどんなによくなくても治療ができないわけではありませんが、それ<0003< は富士山に登るのに海岸から歩きはじめるようなものです。五合目まではバスで行って体力はここぞという "胸突き八丁" のためにとっておくのが並みの人にはよいでしょう。まして、病棟とその庭は精神科においては唯一で最大の治療用具です。
 「病棟の居心地がよいと退院したがらないのではないか」というのは俗説です。そういうことは起こりませんでした。むしろ逆となりました。どんなに開放的にしても病院は病院です。私自身の入院体験からしても、一等室だろうが特等室であろうが、入院を必要としている間は有難いけれども、治ってくると自然に庇護感は色あせて、いつづけたい場所ではなくなります。むしろ、これまでは、一大決心をして鉄の扉を潜らされて未知の空間に入院し、入院したところが社会との落差が大きすぎるために出にくくなる。出ても外の社会への馴染みがむつかしくなるということがあったのではないでしょうか。お魚でも水族館に長く飼うと鈍い「水族館色」になるということですが、慢性病棟の臭気と暗さと過密とに馴染んでしまうと、ほんとうに皮膚の色までくすんでくるのではないかと思われます。この落差の大きさが入院の長期化につながってきた要因の一つではないでしょうか。<0004<
 鍵や鉄格子の有る無しは精神病院改革のシンボル的意味を荷ってきましたが、ただ鍵と鉄格子だけを廃止すればよいというものではありません。どの科の入院治療にも拘束や制限があります。そういうものが一切必要でない人は外来で治療できるであろうと思います(むろん通院できない身体障害の場合は例外です)。重要なことは拘束や制限が必要最小限度であることとルールが明示されていることです。清明寮は隔離室をも含めて鉄格子はありませんが鍵は使用しています。これは急性患者を主とし、救急、合併症患者の入院が多いという、地域精神科ネットワーク上の大学病院の位置からです。もっとも、今(講演の時点で二年間)ハーバード大学人類学部から私どものところに「日本の精神科医」を研究に来ている医療人類学者のブレスラウ氏によれば「これはアメリカの基準では閉鎖病棟ではないよ」とのことでした(ちなみにアメリカではこの二〇年間精神科病棟を建設していないそうです)。
 しかし、最終的には病棟の運用の仕方が重要です。開放病棟を閉鎖的に運用することもできますし、閉鎖病棟を開放的に運用することもできます。無自覚的に開放病棟を運用しますと、どうも薬の量が増えてゆく傾向が生じます。目に見える鉄格子の代りに目に見えない薬理学的拘束というわけです。あるいは旧式の暗<0005<い病棟で鍵をただ止めますと、患者は昼間は外出してしまいます。これ自体は患者の健康な動きですが、ちょうど医者のいる時間帯には患者がいないので治療密度が限界以下に下りがちです。病棟自体がゆたかな開放感を持ち、そこでゆったりと安心しておれるところでなければならない理由です。
 新しい清明寮がすべてを満足しているわけではありません。やり残したところもまだまだあります。運用の仕方にもまだ改良の余地があるでしょう。ちなみに旧病棟時代から精神科病棟は一般病棟よりも破壊が少なく上品に使われているとは実務に当っていた方から洩れ聞いたことです。一般病棟の精神衛生的配慮とアメニティーとに問題がないわけでないということでしょう。また、四六床の大学病院精神科だけをよくして事足れりとしているのかという見解もありえましょうが、大学病院は学生の見学の場、新研修医の実習の場です。初めて見る現場が「こういうものが精神科病棟だ」として心に強く刻印されるでしょう。また、大学病院はどうしてもその地域、その卒業生の医者がつくる病院のモデルになるでしょう。それにこの大学の病棟以上のものを、もっと歴史の古い大学の精神科はつくろうとなさるにちがいない――このような波及効果があると私は考えました。<0006<」(中井[1998:3-6]) cf.施設/脱施設/社会的入院

 「ここで、では薬物療法はどういう役割をしているのか、という問題があるでしょう。大きく眺めれば、抗精神病薬は"生(な)まの精神病"psychose bruteをいったん "薬物精神病" pharmacopsychose に変えて、治療しやすくしていると考えてみることができます。"薬物精神病"は、器質性精神病の一種です。そして、器質性精神病は、心理療法も薬物療法も、一般に生まの分裂病よりずっとやさしいのです。すっかり器質性精神病になってしまうわけではありませんが、その色合いが増して感じられます。抗精神病薬以前の時代の分裂病は北アルプスの岩壁のようにけわしく硬く襞が深く、容易に取りつけない相貌を持っていたというべきかもしれません。
 逆に、薬物による効果のために分裂病と認識されなくなった場合があります。特に、かつてはこれこそ分裂病の症状と考えられていた緊張病症状は薬物による効果がもっとも大です。だから、緊張病が激減したのです。では、その後どうなるか。富士山が五合目まで削りとられたようになって、重苦しい抑うつが残る場合が少なくありません。うつ病という診断を長年つけられて、さっぱりよくならず苦しんでいる場合が現にあります。よく聞くと「宇宙を二分するマニ教的闘争 <0049<にいやおうなく巻き込まれていること」あるいは「身体を少しでも動かすか身体から何かを落とすと世界がガラス器のようにこわれる」という緊張病の二大感覚とでもいうべきものが、薬で抑えられている間から漏れて、言葉のはしばしにうかがわれます。あるいは過去の記録にひょいと頭を出しています。これは薬物による迷彩分裂病とでもいうべきもので、実際、分裂病としての治療で軽快し、感謝されます。
 こういう弊害もありますが、一般に分裂病の精神療法は、薬物療法が到来してから普通の精神科医が行う実際のプログラムに乗りました。それまでは異能の治療者だけが少数の患者を相手に全生活を犠牲にして行うものでした。精神療法は薬物療法の援護下に行うものといってよいでしょう。
 逆に、安心して薬をのむことは精神療法的なアプローチぬきにはできません。「人間は薬をほしがる動物だ」とサー・ウィリアム・オスラーというアメリカ近代医学の父といわれる人はいいましたけれども、同時に人間は薬をおそれる動物でもあります。「もっと効く薬を」という求めと「こんなに効く薬はこわい」という恐れとがあります。効く薬ほど怖がられるという機微さえあるでしょう。さらに、抗精神病薬は "頭に働く薬" ですから、いっそう恐れられでもふしぎでは<0050<ありません。方々で書きましたからここでは具体的なことは省きますが、抗精神病薬にかんする "インフォームド・コンセント" はすでに精神療法の始まりでもあります。治療的なきずながつくられ、信頼関係が多少ともなければ、抗精神病薬は手にするだけで不安が高まる薬です。この不安は薬の作用を相殺します。そういう場合は "麻酔量" とでもいいたい大量でなければ効かないのも当然です。薬の作用に賛成し、それを受け容れるならば、薬は段ちがいのわずかな量で効きます。しかし、鎮静や休息のような歓迎されるはずの単純なことでも、必ずしもただちに受け容れられるとは限りません。安心して休むためには狭くは休む場所への信頼、広くは世界全体への信頼が必要です。まして睡眠は世界全体への信頼があってはじめて受け容れられるはずのものです。その間は全く無防備なのですから――。その役割は精神療法なのです。むつかしいことではありません。第一回の服薬の後そばにいる、少くともただちに連絡のつくところにいると告げるだけでも非常に違ってきます。
 さらに、抗精神病薬の作用を私なりに考えて行きますと、一つには回復時臨界期の壁をおしさげて、回復過程を発動させるという機能があると思います。えんえんと慢性状態を続けていた患者に抗精神病薬を適切に使うと臨界期を起こして<0051<回復過程に入ることがあるからです。
 ところで先に、ポテンシャルの壁といいましたが、分裂病の発病を妨げていたポテンシャルの壁は、いったん分裂病状態が成立してしまえば、そこから出にくくする壁になる可能性があります。この壁を低めるのが抗精神病薬の一つの働きであろうかと私は仮定します。
 では、発病時臨界期には抗精神病薬は、発病しやすくさせることもあるのではないか。実際、そうなのです。私の先生の安永浩はそれを観察していますし、私も劇的な例を経験しています。ただ、これは治療が不適切であったという場合ですから、そんなに例数がありません。」(中井[1998:49-52])

 「<0080<
 薬物の使い方は、ずいぶん、安定してきましたが、現在でも、使い方は一方向的に、直接押さえつけるような制御の哲学の下に使われているということができます。安定した制御は二方向性の制御で、これは内分泌でも自律神経系でもそうなっています。自律神経系には交感神経系と副交感神経系とがあります。内分泌系はもっと複雑です。慶応大学の八木剛平の提唱する "ネオヒポクラティズム"は、薬物によって中枢神経系を抑圧するのでなく、システムの全体を自然回復力が発現できるように愛護し調整するという趣旨のもので、薬物使用の思想は次第にそういう方向に向ってゆくのではないかと思います。私は「患者が賛成できるような働き方」を薬がするように処方を選び、患者に話すようにしています。また緊急の時以外は「これは最小量で、効かなくてもがっかりしないように。まだまだ量もふやせるし、別の薬がある。もし効いたらきみの病気は軽いんだ!」と申します。こう申しますとふしぎに少量で効きます。
 漢方薬も併用を今後再検討する意義があると思います。分裂病はひどく消耗する病いであるからです。この消耗に対しては漢方薬が向いています。というか、近代医学に安定して使える薬がありません。また、漢方薬による制御の間接性に積極的な意義が存在するはずです。<0081<」(中井[1998:81])
 cf.薬について


■言及

◆立岩 真也 2011/08/01 「社会派の行き先・10――連載 69」,『現代思想』39-(2011-8): 資料

◆立岩 真也 2013/12/10 『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+ [amazon][kinokuniya] ※ m.

 「こうして、一部で、とくにその当時の騒動に加わったりしなかった人たちにおいて、なにか過去の肯定のようなことが起こっているようにも思われる。それは、近年の「科学主義」への「反動」と括ればそれで終わるか。しかしそれだけのことではないかもしれない。
 薬を使いながらにしても、様々に変化もする人の状態をどのように捉えるのかが大切であることはまちがいない。薬の処方にしても、人(の状態)に対する関心・感覚がない人は臨床には適していない。「そもそも」の原因を考えるより、どのように対処するのがよいのかについて、様々な工夫をすることの方がよいということもある。少なくとも、統合失調症については結果としてそうであってきたといってよい(cf.中井[1998:49-52,81 etc.])。しかし、実際の学問・教育の場でなされているのは脳生理学的な研究・教育であり、そういう傾向の人たちが主流を担うことになるのであれば、それはよいことでないと考えられもする。
 だがだとすると、結局、なにか勇ましそうな人たちの主張も、要するに、きちんとした臨床を行なおうというところで決着するということか。その通りだと言ってもかまわない。ただ、「きちんとする」とは何をするのことか。あるいは何をしないことなのか。それが大切なのだとさきに述べたのだった。」(立岩[2013:312])


*作成:竹川 慎吾
UP:20101011 REV:20110711, 20130130
中井 久夫  ◇精神障害・精神医療  ◇精神障害/精神医療…・文献  ◇身体×世界:関連書籍  ◇BOOK
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