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不如意の身体

病障害とある社会

立岩 真也 2018/11/30 青土社

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立岩真也『不如意の身体――病障害とある社会』表紙
 ◇目次
 ◇文献表(別頁)
 ◇
 ◇あとがき
 ◇書評・紹介・言及(別頁)
 刊行記念セール
 ◇間違い・誤字脱字
 ◇[English] (Under Construction)


■2冊 →刊行記念セール

◆立岩 真也 2018/11/30 『不如意の身体――病障害とある社会』,青土社,481p. ISBN-10: 4791771192 ISBN-13: 978-4791771196 [honto][amazon][kinokuniya] ※

◆立岩 真也 2018/12/20 『病者障害者の戦後――生政治史点描』,青土社,512p. ISBN-10: 4791771206 ISBN-13: 978-4791771202 [honto][amazon][kinokuniya] ※

◆青土社のHP:http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3233
 ※直接購入することができます。

このHP経由で購入すると寄付されます

文献表

■関連

◆2022/02/23 「不如意の身体に五つある」
 「障害理解教育」の実践における「障害観」の再検討 Zoom
◆2021/11/14 「ご挨拶」
 「私とからだと困りごと座談会」 主催:立命館大学生存学研究所

 
 
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■目次

□□

□目次

□□□�T

□□第1章 五つある
□1 不如意な身体に五つある
□2 五つについての必然的でない事情、関係・併存
□3 各々について、誰にとっての正負
□4 できないこと
□5 各々について
□註

□□第2章 社会モデル
□1 短く言ってみようとする
□2 インペアメントを言う人には苦痛と死を言っている人がいる
□3 インペアメントがある、と言う必要はない
□4 原因と解する必要はない
□5 だれにとってのできないことの得失
□6 分岐は規範の水準にある
□7 社会モデルの本義
□註

□□第3章 なおすこと/できないことの位置
□1 なおすことについて
 □1 なおすことについて
 □2 例えば脳性まひ
 □3 考える場はあること
 □4 例えば脳性まひ・続
 □5 ほぐしていくこと
 □6 近辺でなされた仕事の例
□2 できないことの位置
 □1 できないことは何と言うか
 □2 A:できないがべつに・対・B:あればできる
 □3 存在証明という方角もあるが
□註

□□第4章 障害(学)は近代を保つ部品である、しかし
□1 近代、とその次?
□2 障害とは何か、とは問わない
□3 非−能力/障害
□4 批判者である障害学は願いをかなえもする
□5 しかしとどまることはしない
□6 ではどんな方向に行くのか?
□註

□□第5章 三つについて・ほんの幾つか
□1 異なることについて
□2 苦と死
□3 表わすこと
□4 慰めること
□註

□□第6章 加害のこと少し
□1 厄介であること
□2 社会防衛が護るもの
□3 やがて社会防衛が一部で否定される
□4 基本的には加えることがないこと
□5 それでもどちらがよいかと考えることはできる
□6 免責と免責されても残るもの
□7 範疇・確率
□註

□□第7章 非能力の取り扱い――政治哲学者たち
□1 
 □1 言われたことを検討すること
 □2 ロールズ・1
 □3 ロールズ・2
 □4 ロールズ・3
 □5 ヌスバウム・1
 □6 ヌスバウム・2
 □7 ヌスバウム・3
□2 代わりに
 □1 有限であり、既にあり、隔たりがあること
 □2 へ/の
 □3 において
 □4 根拠?
 □5 効用を狙った、実行における平等のための、手段の提供
 □6 如何ともし難い、ように思えるもの
 □7 知性・理性について
 □8 幸/不幸

□□第8章 とは何か?と問うを問う
□1 星加良司『障害とは何か――ディスアビリティの社会理論に向けて』
 □1 検討に際して
 □2 批判篇の行論
 □3 インペアメントの棄却
 □4 しかし分け隔てるものがある、ようだが
 □5 原因論
 □6 帰責性による解釈の処理
□2 榊原賢二郎『社会的包摂と身体』
 □1 同定という行ない
 □2 局所?
 □3 むしろ動きを捉えること
 □4 まずは、身体に関わってできない(+違っている)こと、程度で
□註

□□第9章 普通に社会科学をする
□□1 どこを出発点におくか
 □1 星加規範論の仕組み
 □2 不利益の集中
 □3 定義としては成立しないが
 □4 不利益の集中(複合化・複層化)が肝心とされること
 □5 総合評価について
 □6 大変さを示すことで要求するのがよいか
□□2 大きな話は終わっていない
 □1 ではどうするか?
 □2 社会(科)学は
 □3 ただ一つひとつ応ずればよいではないか
 □4 嘘を言うから「障害」が要ると言われる
□註

□□□�V

□□第10章 ないにこしたことはない、か・1 [200210]
 □1 どんな主題なのか
 □2 死なず痛くなければよい、とはいえ、できるにこしたことはない、か?
 □3 できることは必要だが、私が、である必要はない
 □4 支払いをみると、他人にやってもらった方が楽なことがある
 □5 得たいものは、因習にこだわらなければ、さまざまに得られる、こともある
 □6 そこに肯定されてよい世界が現われ、そしてそれは障害であることと両立する
 □7 選択の幅が広い方がよいから、とも簡単に言い切れない
 □8 他方、周囲の人にとってはないにこしたことはない
 □9 補足1・「社会モデル」の意味
 □10 補足2・差異と平等/社会モデルと文化派

□□第11章 なおすことについて [200107]
□1 はじめに
□2 調べてみたらよいと思う
 □1 対立のある場面を調べること
 □2 大衆化する手前のこと
 □3 たとえば
□3 場にあるもの/ないもの
 □1 失われるものが測られない
 □2 なおす人は見ない
 □3 本人に決めてもらうという案
 □4 社会的利益と損失
 □5 価値

□□第12章 存在の肯定、の手前で [201406]
□1 存在を肯定する作業療法はあるか?
□2 痛みと死をもたらす病に
□3 障害の諸相、のうちの異なり
□4 できる/できない
□5 補うこと/してもらうこと
□6 しかし社会は
□7 仕事の場合は境界が異なってくる
□8 常に当座できることはある

□□第13章 障害者支援・指導・教育の倫理 [201612]
□1 現況とそこで倫理を問うことについて
□2 病・障害にある成分
□3 自閉圏はどう捉えられるか
□4 なすべきことの実現は可能でありそれは自閉圏の出現が示している
□5 基本的に同じことが現場についても言える
□6 もとからなくすことは正当化されない
□7 分けることについて
□8 教育・療育
□9 マニュアルの使い方
  →『自閉症連続体の時代』

□□第14章 リハビリテーション専門家批判を継ぐ [201709]
□1 批判の相手はかつて褒め讃えた人であったこと
□2 相手はどんなところにいる人たちなのか
□3 すくなくとも私が教わること

□□□�W
□ 障害学?の本・1(医療と社会ブックガイド・24) [200302]
□ 障害学?の本・2(医療と社会ブックガイド・25) [200303]
□ 障害学の本・再度(医療と社会ブックガイド・38) [200405]
□ 『障害の政治』(医療と社会ブックガイド・66) [200612]

□□あとがき

文献表


 
 
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■序

 障害や病を捉え、考える際の基本的な視座を示す。過去に書いたものの再録を含み、繰り返しが幾度もあるが、あってよいと判断して、本を作った。

 ◇�T

 『現代思想』での連載から、かなり順序を変えるなどして構成した(その詳細は「あとがき」に記した)。
 ごくごく単純に考えることにし、病・障害には、苦痛、死(への傾き)、できないこと、異なること、加害性、この五つの契機があるとする――病は主に前二者、障害は主に次の二つ。そしてそれが与えるものは、本人に対してと、幾種類かの他人たちに対してと、異なる。例えば痛いのは、死ぬのは、まずは本人だけである。人が病・障害に関わり感じること言うことが様々であること、そして議論における混乱のかなりの部分は、病・障害に複数の契機があって、ときに何のどれを言っているのかわからなくなっていることに起因するだろうと考えている。その例をあげ、まずは、分けて組み合わせて考えていくことを提案する。以上を第1章で述べる。
 第2章では、「(障害の)社会モデル」について述べる。幾つかその理解の仕方があるが、できないことに関わる不利益を軽減・解消する義務を負うのが「社会」であるという主張として捉えるのがよいことを述べる。
 第3章では、まず、障害や病をなおすことについて――これについて基本的なことは第11章に記した――考えるためにどんな場でどんなことを調べるとよいかを述べる。もう一つ、「環境が整えば私はできるようになる」という構えが常によいのか、その構えのもとに存在する言葉遣いをそのまま受け入れるのがよいのかを考えてみる。
 第4章では、多くの場合連続的でもあり、また種々多様である「できる〜できない」から「障害」を取り出すことが、この社会を維持する仕組みであると捉えられることを述べる。取り出されること、どのように取り出されるか自体が現実を作っているのであり、それを見る必要がある。だから基本的には、「障害とは何か」という問いの立て方はしない方がよいと述べる。
 第5章「三つについて・幾つか」では、「異なること」「苦しむこと」「死ぬこと」について、いくつかのことを述べる。ただそれはたんなる覚え書きのようなものであり、きちんと論じたものではない。じつは、はたしてなにか有意味なことが書けるのかと思い、書けないと思っている(後に引用する[201602:43])。それでも少し述べ、また別途考えようとは思っている。
 第6章では「加害(性)」について。とくに精神障害者が問題にされる。一定のことは『相模原障害者殺傷事件』に収録された[201609](改題して「精神医療の方に行かない」)で述べたが、それに加えて、基本的なことを確認する、というより前提的ないくつかを記す。

 ◇�U

 一つ、障害を避けてしまう議論について、うまく扱えないか不当に扱っていると私は思う議論について、もう一つ、正面から取り組もうとする議論を検討する。
 第7章「無能力の取り扱い――政治哲学者たち」では、ロールズ、ヌスバウムといったよく知られている人をとりあげる。前者は、理論から除外してしまう。結局それは分配的正義に関わる議論として使えないことを意味すると私は考える。後者は人が人たるに際して達成するべき水準があることを言う。それは間違っていると考える。そして、なぜそのような議論をしてしまうことになったのかについてすこし考え、代わりにどのように考えるかを述べる。
 第8章「とは何か?と問うを問う」、第9章「普通に社会科学をする」では、星加良司の『障害とは何か』と、榊原賢二郎の『社会的包摂と身体』を検討する。前者についてはほぼ一冊分を、後者についてはごく一部を取り上げる。ときにさきの二者を批判しつつなされる論の多くに共感しつつも、障害をどう捉えるかというその構えとそこから導出される議論には同意できないところがあることを述べ、関連して、社会(科)学がどのように議論を進めていくかについて記す。
 
 ◇�V
 過去に書いたものを収録する。かなり以前のものも含めて再録した。かなり「アウェー」な感じがする本であっても、私は断ったりはしてこなかった。ときにはかなり苦労しながら書いてきた。もとの本のそれぞれに目を通してほしいから、その紹介、各章の題名や著者名等の情報も記した。本文も註も基本的にはそのまま再録する。(したがって文献表示としては立岩[2001→2018]というようにしていただくことになる。)とくにここに繰り返しが相当にある。しかし、それでもよいと思った。
 第9章は「ないにこしたことはない、か・1」[200210]。できないことがないにこしたことはないか、について考えて、考えていくと、自分自身にとっては、そうでもないと言えることを述べたたものだ。「社会モデル」についての見解も述べている。
 第10章は「なおすことについて」[200107]。「臨床社会学」についての本に収録されたもの。編者達からテーマを与えられたものではない。第3章は次の仕事に向けてのこの稿への補足という位置づけになる。
 第11章は「存在の肯定、の手前で」[201406]。作業療法士で作業療法学の大学の教員でもあり、私の勤め先に博士論文を出した人でもある田島明子編の『「存在を肯定する」作業療法へのまなざし――なぜ「作業は人を元気にする!」のか』に収録された。「元気にしないこともあるだろう」、と思って書いたものでもある。
 第12章「障害者支援・指導・教育の倫理」[201612]。「自閉スペクトラム症」についての職業人向け教科書のような本の一章を依頼されて書いた。『自閉症連続体の時代』に書いたことを、「専門家」に向けて、短く書くとどうなるかという文章。そのような努力も必要ではあろうと思っている。編者の一人は生存学研究センターの客員研究員。
 第13章「リハビリテーション専門家批判を継ぐ」[201709]。多田富雄について、というより多田が上田敏を批判していることをやりすごすべきでないと考えて書いた。今回の後半部にも関係する。

 ◇�W
 二〇〇一年から二〇〇九年まで『看護教育』(医学書院)で一〇一回続いた本を紹介をする連載から障害(学)に関係するものをいくつか再録した。それ以外にも障害学に関わる本を並べて紹介した。

 ※ 本書の著者(立岩真也)の単著については著者名を略し、[201305]というように発行月まで記載する。他にも、読者にとってのわかりやすさ等を考慮し、通常でない文献(名)表記をする場合がある。
 ※ 原文における改段落の代わりに「/」を用いることがある。
 ※ �V・�Wは既発表のものを再録した。文献表示に関わる変更以外、漢字の使い方等も含めそのまま再録した。今回加えた部分は〔〕の部分、そして☆印の註。文献表示の際は、基本的に初出を記し、頁を表記する場合には、立岩[2002→2018:342]などとしてもらいたい。

 
 
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■あとがき

 はっきりと言えるはずだと思うこととそうでないことと、両方がある。思えないのは、一つに、苦や死や差異や加害について、ほんとうに言えることなどあるのだろうかということだ。一つに、私は建前(たてまえ)は大切だといったことを言っていて(187頁等)、実際そのように思っているのだが、それでも、ためらいを感じることはある。第6章・第7章などはそんな気持ちが背景にもあって、迷いはしたが、結局、なくすことはしなかった。こんなものでも、ないよりはあった方がよいとは思った。
 私たちは言論の堆積のその上に生きている。いくらかでも知れば、それがどの辺で行き止まるかがわかる。わかるような気がする。そしてもう一つ、言葉が届かないところはあることもわかっている。そのうえでも言うことがさらにあれば、本書ではごく簡単に記したことの続きを、よりことの本体の方に向けて、書くことがあるかもしれない。
 ただそれでも本書を作った。その一つは、今述べた、そうしたためらいのある部分だってあってよいということだが、もう一つは、ごく単純に言えること、わかってもらってよいことも、他方でたくさんあると思ったからだ。なにか高尚な議論をしているかのようなのだが、実はそんなことはなく、もっとずっと普通に考えて言っていったほうがもっとずっとすっきりする。そうでないから無駄に混乱している。そのように思うことがたくさんあった。そこで――意図したというわけではないのだが――繰り返しをいとわず述べた。単純なことでも、繰り返されるうちに飲み込めるということがあると思う。ためらう部分がありながら、本書は、普通にまっとうなことを言っており、ものを調べたり考えて言ったり、ことを変えていこうとする時に役に立つと思う。

 本書�Tと�Uは『現代思想』での連載([200510-]、二〇〇五年十月号で開始、二〇一八年十二月号で一五二回、一覧はHPに掲載→「立岩真也 現代思想連載」で検索)の一部を使って作られた。
 「「社会モデル」・序」「「「社会モデル」・1」「「「社会モデル」・2」(第五七〜五九回、二〇一〇年八〜十月号)。「生の現代のために・1」(第九七回、二〇一四年三月号、一部は使わず、また「生の現代のために・2」〜「4」は使わず)、「生の現代のために・5」「「生の現代のために・6」(第一一四〜一一五回、二〇一五年三〜四月号、一部は使わず)。「『障害/社会』準備の終わりから3」「どこから分け入るか」「不如意なのに/だから語ること」「「星加良司『障害とは何か』の1」「「星加良司『障害とは何か』の2」「社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)」「「労働の場の編成等:星加良司『障害とは何か』の4」「榊原賢二郎『社会的包摂と身体』」(第一三七〜一四四回、二〇一七年九〜二〇一八年四月号)。「非能力の取り扱い・1」「『不如意の身体』に加えた部分」「非能力の取り扱い・2」(第一四九〜一五一回、二〇一八年九〜十一月号)。
 以上がもとになっているが、構成も内容について、かなり大きな変更、加筆を加え、削除した部分もある。研究の方向・方法について述べた部分、史実(サリドマイド、スモン、水俣病、原発…)で今年のもう一冊の本([201812])にも収録しなかった部分等についての部分は、やはり再構成したうえで、別の本でと思う。

 本書は科学研究費研究「病者障害者運動史研究――生の現在までを辿り未来を構想する」(基盤B、二〇一七〜二〇一九年度)の成果でもあります。『現代思想』連載の担当・栗原一樹さんと本書の編集を担当してくださった青土社の瑞田卓翔さんに感謝いたします。

                                 二〇一八年十月 立岩真也


 
 
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■言及・紹介 こちらにたくさん集めました→2018年の2冊、刊行記念セール

◆2018/11/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1064356713019523074
 「『病者障害者の戦後――生政治史点描』(立岩真也,青土社)。この本入荷しだい、期間限定、2冊(+おまけ)まとめてお送りすることができます。→http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm 関連情報にいけます。文献表にリンクたくさん。」
 ▽霜月院漂砂@profession_XX
 「【近刊】立岩真也『病者障害者の戦後 -生政治史点描-』青土社,2018年12月8日. http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3234

◆2018/11/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1064307229019451392
 「『不如意の身体』第2章「社会モデル」。1「短く言ってみようとする」、2「インペアメントを言う人には苦痛と死を言っている人がいる」、3「インペアメントがある、と言う必要はない」、4「原因と解する必要はない」、5「だれにとってのできないことの得失」…→http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm
 ▽やがわ@nov_saturday
 「立岩真也:2018年の2冊、刊行記念セール http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm @ShinyaTateiwaさんから なんかすごいよ、このセール。」

◆2018/11/18 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1064140111074385920
 「終わって、田島大会長をねぎらって??帰途。シンポジウムは拙著を出した意味はやはり(残念ながら)あると思わせるものだった。事実を集め捉える。普通の分析的理性によって一定の精度のある分析を加える。それがあまりに少ない。からそのことを言い続ける。読んでください→http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm
 ▽立岩真也@ShinyaTateiwa
 「障害学会シンポジウム2「障害学とリハビリテーション学との対話―予防・ヘルスプロモーションをキーワードにして」→http://www.arsvi.com/d/hsm.htm 私はコメンテーター。『不如意の身体』の刊行を急いだのは、大会があり、このシンポジウムがあったことも関係がなくはない。→http://www.arsvi.com/ts/2018b2b.htm

◆2018/11/17 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1064058023482540032
 「障害学会シンポジウム2「障害学とリハビリテーション学との対話―予防・ヘルスプロモーションをキーワードにして」→http://www.arsvi.com/d/hsm.htm 私はコメンテーター。『不如意の身体』の刊行を急いだのは、大会があり、このシンポジウムがあったことも関係がなくはない。→http://www.arsvi.com/ts/2018b2b.htm

◆2018/11/17 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1063951328592809984
 「期間限定・会場限定でディスク+『不如意の身体』販売2日め→http://www.arsvi.com/ts/2018b2.htm  利光委託本も販売続行。障害学会大会2日目です。今日は堀智久さんと山本勝美さんへのインタビューもします。」
 ▽立岩真也@ShinyaTateiwa
 「刊行記念期間限定ディスクに『現代思想』連載第1回〜152回までをつないだファイルを収録→http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm この連載あと1回で終わります。テキストファイルで5メガバイト、400字詰7547枚になりました。注文は立岩まで→tae01303@nifty.ne.jp 本になっていない部分はこれから。」

◆2018/11/16 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1063631459351711744
 「障害学会大会始まる。私は2階の「アトリエ」というところで、生活書院、明石書店とともに本の販売。それから「うなぎいもサブレ」とか売っておられる方。目立たないとこにあるのでお客さんなかなか来ません。ひやかしで(も)よいのでどうぞ。→http://www.arsvi.com/ds/jsds2018.htm

◆2018/11/16 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1063563226997084160
 「刊行記念期間限定ディスクに『現代思想』連載第1回〜152回までをつないだファイルを収録→http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm この連載あと1回で終わります。テキストファイルで5メガバイト、400字詰7547枚になりました。注文は立岩まで→tae01303@nifty.ne.jp 本になっていない部分はこれから。」

◆2018/11/15 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1063011221014700032
 「『不如意の身体』第7章「非能力の取り扱い」註18→「片山知哉は「デフ・ナショナリズム」を支持する。その論文として片山[2010][2011a][2011b]、これらを受けて書かれた博士論文として片山[2014]」(pp.213-214)もう1箇所はp.254。本の文献表から片山頁にもリンク→http://www.arsvi.com/ts/2018b2b.htm
 ▽アシタカ@naushikaitoko
 「文化をめぐる分配的正義――特にデフ・ナショナリズムの正当化とその制約条件について―― 立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程 片山知哉 http://www.jsds.org/jsds2008/2008html/d_katayama.htm

◆2018/11/14 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1062950949138837504
 「『不如意の身体』第4章「障害(学)は近代を保つ部品である、しかし」。1「近代、とその次?」、2「障害とは何か、とは問わない」、3「非−能力/障害」、4「批判者である障害学は願いをかなえもする」、5「しかして…」、6「では…」。こう考えるしかないだろうと→http://www.arsvi.com/ts/2018b2.htm
 ▽kiyoshi murakami@travelinswallow
 「立岩真也 2017/10/25 「近代は続く、そして障害は近代だから正当なものとして存在する差別であり、同時に近代を保つ部品である、が」http://www.arsvi.com/ts/20170030.htm

◆2018/11/14 [Jsds:1225] 立岩新刊『不如意の身体』

http://www.arsvi.com/ts/2018b2.htm
障害学をどう捉えるか、基本的なところを書いています。一つひとつは単純な話ですが、組み合わせていくといろいろと言えて、全体を捉える大枠が得られると考えます。重要な本だと考えます。手にとっていただければと思います。土曜から日曜の障害学会大会
http://www.arsvi.com/ds/jsds2018.htm
でも販売します(それにまにあわせようと準備しました)。他にも青土社の(私の単著・共著)販売します。明日までに知らせてていだたけますと希望に応じることできます。

もう1つ本が出ます(これは大会にはまにあいませんでした)。で記念セールというのもやっています。
http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm
これもよろしかったらどうぞ。

昨日
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1062336112905994248
で最初の広告を出しました。拡散歓迎です。

テキストデータ提供のことはまたお知らせします。

立岩 真也

新刊×2+1
http://www.arsvi.com/ts/2018b2.htm
http://www.arsvi.com/ts/2018b3.htm
http://www.arsvi.com/ts/2018b1.htm

◆2018/11/13 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1062336112905994248
 「2冊続けて青土社からでます。『不如意の身体――病障害とある社会』&『病者障害者の戦後――生政治史点描』。1冊目は、例えば「障害学」というものがどの辺に位置づくかが書いてあります。普通しかし肝要なことを書いたので、読んでほしい。期間限定記念セール→http://www.arsvi.com/ts/sale2018.htm

◆2018/11/12 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1062181427821703170
 「障害学会大会シンポジウムにも関連し→「上田敏はもっともなことを言う。しかしならばただ立派だと言えばよいのか。…多田富雄が上田敏を批判していることも忘れられている、その前に知られていない。…さらに、上田敏は腰抜けであるという多田富雄の批判も…。」→http://www.arsvi.com/ts/2017m1.htm

◆2018/11/09 https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/1061056677019959297
 「だそうです。本15冊当日まにあうそうです。試販します。http://www.arsvi.com/ts/20181111.htm 最初は各自がそれぞれ話すというような構成になるのだそうです。」
 ▽先端総合学術研究科(立命館大学)@sentan01
 「11/11(日)14時〜立命館先端研の企画「勉強する、研究する:立岩真也と千葉雅也における『読み書きそろばん』」ですが座席数を上回るお申込があり抽選となりました。追加申込や当日参加はできません。大変申し訳ありませんがご了承ください。http://www.r-gscefs.jp/?p=9210

◆2018/01/01 「今年の執筆予定」
 『出版ニュース』2018-1 http://www.snews.net/

 
 
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『不如意の身体――病障害とある社会』正誤表

 ※初校で訂正・加筆を指示した箇所の一部(かなり多く※※↓)がそのままになってしまい、再校時にそれを筆者は点検しませんでした。結果、多くの訂正箇所がそのままになりました。すみません。これから書店に出るものについては正誤表が挟まれます。青土社のHPにも正誤表が掲載されます。私から発送する分についても、正誤表まにあいましたので(というか、『病者障害者の戦後』の発売がずれこみましたので)、正誤表を筆者が挟んでお送りいたします。
 ※※初校をもらった時、頁を動かさずに加筆可能なスペースがありました。それが一つ。そして「はっきりと」「だめおし」のようにものを言った方がよいというようなことも思い、そのスペースをそのために使おうと思いました。それが一つ。そこで(ふだんは私はほとんどそういうことをしないのですが)かなりの加筆を行ないました。それが反映されなかったのでした。そして、初校の時の頁構成が変更もされました。それで予定の変更を加えると頁(いわゆるノンブル)が動いてしまうことになります。仮に増刷ということになった場合、版は同じだが、頁構成が異なるということになるかもしれません。またお知らせいたします。

 *凡例 訂正箇所は「〇頁〇行目 誤:〇〇 → 正:〇〇」のように表記しています。

■脱落

□第1章
◆33頁17行目 「([201105])」の後に、改行して以下の文を挿入
他に分担執筆の文章で障害について書いたものに「障害の位置――その歴史のために」([200703])。

◆35頁6行目 「「これからのためにも、あまり立派でなくても、過去を知る」([201207])」の後に、改行して以下の文を挿入
 また例えば、加害性に対する恐れを背景に精神病院に入院させられ、それで辛いことを様々に経験したが、なんとかそこから「生還」することができたことにおいて共感し、讃えあい、連帯しようとする。そこに「生還者(生存者、Survivors)」という範疇・集合性が生じるといったことがありうるし、実際にある――例えば「WNUSP(世界精神医療ユーザー・サバイバーネットワーク、World Network of Users and Survivors of Psychology)」という国際組織がある。そしてここには病者・障害者であるという自認はなくてよいことになる。

□第3章
◆95頁13行目 「インタビューの全体を公表する。」の後に、改行して以下の文を挿入
★12 幾度か私の職場(立命館大学大学院先端総合学術研究科、生存学研究センター)に関わる人たち他がしてきた/している仕事(研究)を紹介してきた。『私的所有論』の第二版([201305])に加えた「いきさつ・それから――第2版補章・2」の註05([201305c:848-852])。なお、同じ補章の註01([201305c:848-852])では、「時代の雰囲気とは別に、しかし必然性をもって、ものを書いた人の書いたものが、その人たちは「学者」でないことが多いのだが、あったにはあった」と述べて、本書・本章の主題に関わり『私的所有論』にあげた人たちとその人に言及している場所を列挙した。なお二〇一六年に『私的所有論』の英語版を刊行したが、そこには二つの補章([201305b][201305c])は収録していない。
 そして『生存学の企て――障老病異と共に暮らす世界へ』(立命館大学生存学研究センター編[2014])。この本は、現在進行中の研究を各自が紹介する『知のフロンティア――生存をめぐる研究の現場』(渡辺克典編[2017])とともに、そのセンターの関係でこれまで発表されてきた研究の一部を収録し紹介する本で、私はその「補章」([201603])で、これまでどんな仕事があってきたか、それを私はどう読むかを書いた。その第2節は「両方・複数がいて考えられる」。その見出しを列挙する「なおりたい・そのままでいい」、「語らなくてすむこと・埋没すること」、「しかし取り出され・証すことを求められる」、「わけを知る、ことがもたらすこと」、「孤立が悪いわけではないが、そうもいかない時」。
 本章でもいくつかその作業の例をあげたが、他にもたくさんあるとともに、まったく少ない。本書もまたもう一冊の本([201812])も、なにかの成果であるより、なされてよいことを示そうとするものだ。例えば、二〇一八年の秋には、抗精神薬がどのようなものとして(何をなおすものとして)宣伝され使われたか等を調べてきた(松枝[2008][2009][2010]他)松枝亜希子の研究が博士論文(松枝[2018])になり、書籍になる(松枝[2019])。
 こうして、各自が作業を進め論文にし本にしていくことをいくらかは手伝うとともに、言葉を拾い、資料を集めていく。物理的空間としての書庫・アーカイブを整備していくとともに、紙の本とネット上に言説・資料をまとめていく。このことについての短文他は幾つかあるが([201602][201603b][201703])、別に本を用意するつもりだ。ここではまず私個人が作っている「電子書籍」を列挙する(いずれも立岩編というもの)。『身体の現代・集積(準)――試作版:被差別統一戦線〜被差別共闘/楠敏雄』([201412-])、『与えられる生死:1960年代――『しののめ』安楽死特集/あざらしっ子/重度心身障害児/「拝啓池田総理大学殿」他』([201505-])、『青い芝・横塚晃一・横田弘:1970年へ/から』([201604-])、『加害について』([201609-])、『社会モデル』([201610-])、『精神』([201611-])、『自己決定/パターナリズム』([201612-])、『リハビリテーション/批判――多田富雄/上田敏/…』([201710-])。いずれも随時増補している、またしていく。

□第5章
◆122頁4行目 「なにか言えればと思う。」の後に、続けて以下の文を挿入
ただ、二つのことは言えるはずだ。一つは、だめなもののはだめだとはっきり言えるし、言うべきである。そのうえでもう一つ、なくせないなら負けだといった構えをとらないことだ。嫌なものが根絶されなければならないとは考えないことが大切だと思う。離れられ逃げられるなら、それだけもずいぶんよい。そして欲望や好みはかなりの部分は平凡で均一であるとともに、多様でもある。慣れて気にならない能力もずいぶんある。無駄に悲観的にならないこと、真面目になり、我が身を振り返って気弱になったり、言い澱んだりすることから、多少自覚的に、身を離してみることが大切だと思う。

◆130頁9行目 「あるということなのだろう」の後に、改行して以下の文を挿入
 死が恐いという思いを分かち合ったり、死んでしまった人についての悲しみを語って少し楽になることは――とくに人が知性をもち観念を有するようになってしまってからはずっと行なってきたことであり、あらためて新しい「学問」などに仕立てる必要を私はあまり感じないけれども――よいことである。また、死ぬに際して自分にとってよいように様々が配置されたり、余計なものが省かれたすることもよいことである。ただ、私たちは、ごく素朴な意味で、死を制御することはできず、打ち克つことはできないのだが、「これまで語られてこなかった」という紋切り型の口上の後で語られることは、ときに、むしろ語らないよりもよくないことがある。自らが、自分の決定により、良く、美しく、自分らしく死ぬと言って、死が訪れる手前で死ぬことや、元気なうちに死ぬことが、なにか死を制御し、死に優位に立ったり、自らの価値を高めることであると説く主張を受け入れることはない。人はときにそんなことを思ってしまう存在だから、こうした想念が完全に消え去ることはないだろうが、それはときに、早めに消え去ってしまうほうが都合のよい周囲の者たち――第1章で述べたのは様々な種類の人たちを一緒にするなということだ――にとってより使い勝手のよい主張であり、その理由からも、それが教え広められることを止めることが必要だ。こうしたことごとを繰り返して述べてきた。語られることに対して「メタ」の場に立つことが高級だとかそんなことを思っているのではない。むしろ、語ってこられなかったといって語り出してしまうことがいつもよいことなのだという思い込み、思い込みから発する運動を、いくらかでも止めることの方が大切だと言っている。言葉にならない状態や、ぶつぶつと、とりとめなく語られることの方がまだよいのだと、そのことを言うことが言論の使命でもあると思っている。

□第6章
◆157頁7行目 「少し言えそうなことを述べた。」の後に、改行して以下の文を挿入
 この社会においてよい/わるいとされるものの境に、そしてわるいことのその重みに変更の余地はある。ただそれでも、わるいこと、責任を追及される部分は残るだろう。そうした行ないをしたら罰せられるのはよい。しかしその人が意図してやったことでなければ、自らの意志で止めることができなかったことなら、やはりその人の責任は問えないだろう。そして、このことに関わり、精神障害といったある範疇の人たちが一律に免責を得ているというのは誤解であり、その誤解は正される必要がある。
 次に、どんな手を打ったとしても、悲しいことではあるが、加害行為がこの世からまったくなくなることはないだろう。加害を減らす手段は本人を罰したり拘禁したりする以外に、様々にある。基本は一人ひとりの生活をよくすることだという主張は、これまでさんざん言われてきたことではあるが、やはり正しいはずであり、それは先行してなされるべきである。
 そして、犯罪をなくすため、減らすためという理由で、犯罪を行なう確率が高いとされる集団に属しているからといってその人(たち)を特別に扱うといったことは極力しない方がよい。ここで、二つのことを同時に言い行なっていく必要がある。一つ、確率が高いという俗説・偏見を正すことに意義があり、必要であるのと同時に、もう一つ、確率が高いとされる集団・範疇が実際にあったとしても、その範疇に属する人の自由を奪うといった措置は基本的にとるべきでない。確率による対応は望ましくない。この二つのうちの後者は、ときに看過されることがあるのだが、大切なところだ。
 予測・予兆によって拘禁するといったことよりは、現に起こっていることに対処するという方がまだよいだろうというのが[201609]で述べたことの一つだ。殺人や暴行の予告等は、殺人等が予想されるからというより、その予告・恐喝・脅迫・侮蔑によって対応され、ときに処罰されるべきであると考える。そのことに犯罪の範囲を広げ公権力が行使される範囲の拡大を招く可能性はあるから、慎重である必要はあるだろう。しかし一つ、予想によって対応するより現になされた行ないに対するほうが相対的によいとは言えるだろう。また一つ、第5章で述べたことにも関係するが、身体に直接に加えられる害よりも言論や仕種が与える脅威の方が小さいとは必ずしも言えず、後者も規制されるべき対象である。
 これらの中にはとくに歴史的な現在的な事実を知らずに言えることもある。しかし知られるべきこと、知った上で考えるべきこともまた多々ある。それらについての検証・考察もまたたいしてなされていないのだから、なされるべきである。

◆157頁16‐158頁1行目 註02を以下の文に差しかえ
★02 「保安処分」や「医療観察法」については多くの文献がある。もちろんそれらは必要であり、またあるものは危険でもある。そしてたくさんあるが、調べられていない部分も多い。法律家や医師、社会運動の担い手によって書かれているものは多いが、多様な医療・福祉の職種の各々について書かれたものは少ない。精神科のソーシャルワーカー(PSW、資格としては精神保健祉士)が医療観察法にどのように対したのかについては樋澤の研究(樋澤[2008][2011]、これらから[2017])がある。看護師たち(はあまり動かなかったこと)については阿部[2015]に記述がある。

□第10章
◆335頁6行目 「ここでもまた応ずることができない。」の後に、改行して以下の文を挿入☆03 『現代思想』一九九六年四月臨時増刊号が「総特集・ろう文化」。「〈障害〉の視点から見たろう文化」(長瀬[1996])等もそこに掲載されている。クァク[2017]等について本書75・250頁。私が、この主題について直接にというわけではないが、考えたことは「多言語問題覚書」([200708])に記した。

□第13章
◆403頁8行目 「第12章 トピック」の後に、改行して以下の文を挿入
☆02 教育の場について私が書いたものは少ない。韓国で話をした時の原稿として[201001]。「もらったものについて・1〜17」([200711-201709])の何回かで一九七〇年代後半から八〇年代の「養護学校義務化」を巡って私の周辺にあったことを記している。

■誤植

□序
4頁17行目 誤:[201609b](改題して → 正:[201609b](改稿・改題して
6頁7行目 誤:この稿への補足 → 正:この稿への補足という位置づけになる

□第1章
21頁11行目 誤:知能とか精神と → 正:知能とか精神とか
30頁4行目 誤:あったきた → 正:あってきた
31頁1行目 誤:それは → 正:それが
31頁13行目 誤:例えば → 正:トル
31頁15行目 誤:天田他[2009] → 正:小泉他[2010] 再度訂正:ママ
35頁1行目 誤:田垣正晋[2007] → 正:田垣[2007]
35頁3行目 誤:伊東[2018] → 正:伊東[2018c]

□第2章
36頁6行目 誤:ディスアビリティ → 正:「ディスアビリティ(disability、こちらが普通は「障害」と訳される)
46頁1行目 誤:社会モデル → 正:社会モデルに
49頁13行目 誤:( → 正:トル
49頁15行目 誤:) → 正:トル
57頁1行 誤:Oliver[1996:21-28] → 正:Oliver[1996a:21-28]
57頁16行 誤:Barnes & Mercer [2010:32] → 正:Barnes & Mercer ed.[2010:32]
57頁20行 誤:北島加奈子[2017][2018] → 正:北島加奈子[2018][2019]
58頁20行目 誤:[201109-] → 正:[201109-]で
63頁15行目 誤:[200707a] → 正:[200707]

□第3章
70頁16行目 誤:田島[2009] → 正:田島[2009b]
75頁4行目 誤:こんどインタビューを一つ加える(永山昌彦[2018]) → 正:すこし話をうかがう(中山善人[2018]、永山昌彦[2018])
78頁2行目 誤:上農[2003] → 正:上農[2003a]
78頁3行目 誤:上農[2010b] → 正:上農[2009]
78頁4行目 誤:上農[2003] → 正:上農[2003b]
78頁5行目 誤:上農[2010a] → 正:上農[2010]
79頁10行目 誤:論文を書いて → 正:堀[2011][2013]を書いて
79頁10行目 誤:堀[2011] → 正:堀[2014]
88頁9行目 誤:天畠[2013] → 正:天畠[2013][2019]
91頁5行目 誤:土屋貴志[1994] → 正:土屋貴志[1994a][1994b]
93頁13行目 誤:二日市[2001]が引かれている。 → 正:二日市[2001]が引かれている(本章註04・89頁)
94頁19行目 誤:経01Tra委託 → 正:経営委託
95頁12行目 誤:西沢[2018] → 正:西沢[2019]
95頁15行目 誤:[200010]に収録された → 正:『弱くある自由へ』([200010])に収録された

□第4章
101頁9行目 誤:[201707] → 正:[201707b]
115頁7行目 誤:[201710a] → 正:[201710]

□第5章
130頁5-6行目 誤:「良い」とは言われるものの → 正:「良さ」は言われるが
131頁16行目 誤:場合に、そのことは → 正:なら、それは
131頁17行目 誤:である → 正:だ
131頁18行目 誤:である → 正:だ
132頁15行目 誤:[201511] → 正:『精神病院体制の終わり』([201511])
135頁4行目 誤:大野[2008][2011a] → 正:大野[2011b]
135頁14行目 誤:短文[200810] → 正:短文[200810b]
137頁12行目 誤:田島編[2014] → 正:田島編[2015]

□第6章
153頁20行目 誤:やはり今度の本 → 正:『精神病院体制の終わり』
157頁6行目 誤:同じこと → 正:同じことを繰り返し
157頁10行目 誤:寺本[2002a] → 正:寺本晃久[2002a]
157頁10-15行目 誤:私はといえば(…)阿部あかね[2015]。 → 正:トル
158頁2行目 誤:なおこの本のとりあえずの英訳版(電子書籍)を、最近ようやく出した。 → 正:トル
159頁12-13行目 誤:そんな人たちの方がとても頻繁に登場する。 → 正:トル

□第7章
163頁7行目 誤:すこし心配なところがあることも取り上げる → 正:すこし心配なところがあることも、取り上げる
165頁10行目 誤:刊行された論集 → 正:刊行された論集(岩波書店編集部編[1984])
169頁15行目 誤:決定者ではあることの → 正:決定者であることの
200頁20行目 誤:高谷清が記している → 正:高谷清が記している(高谷[2003:110-117])
208頁2‐3行目 誤:本連載で障害の定義について述べている部分を検討した(本に収録) → 正:第8章で障害の定義について述べている部分を検討した
210頁6行目 誤:[2010→2018:36] → 正:[201608→201805:36]
211頁1行目 誤:もっとも → 正:もっともな
213頁2行目 誤:[201609] → 正:[201609c]
213頁8行目 誤:安積[1990] → 正:安積[1990a]
213頁15行目 誤:cf.森[1999] → 正:豊田正弘[1996]、森正司[1999]等について別途検討したい。

□第8章
215頁11行目 誤:201301 → 正:201305
232頁3行目 誤:『社会的包摂と身体――障害者差別禁止法制度の障害定義と異別処遇を巡って』の一部 → 正:『社会的包摂と身体――障害者差別禁止法制度の障害定義と異別処遇を巡って』(榊原[2016])の一部
251頁6行目 誤:石川[2002:27] → 正:石川[2002b:27]
251頁21行目 誤:[201812] → 正:[201812b]

□第9章
274頁2行目 誤:だけということにならない → 正:だけということにはならない
283頁5行目 誤:状態 → 正:形状
285頁7行目 誤:[201008b] → 正:[201009d]
287頁10行目 誤:[152-154] → 正:星加[2007:152-154]
290頁8行目 誤:十二月 → 正:二〇一七年十二月
291頁3行目 誤:立岩・岸・荻上他 → 正:立岩・岸・荻上
292頁16行目 誤:[201003a] → 正:「思ったこと+あとがき」([201003])
292頁17行目 誤:[200903]、[201805]に再録 → 正:[200903b]――『人間の条件 増補新版』([201805])に再録
294頁13行目 誤:[201810a] → 正:[201810]
294頁20行目 誤:[201810a] → 正:[201810]
296頁4行目 誤:[201810a] → 正:[201810]

□第10章
323頁2行目 誤:必要されるから → 正:必要とされるから
324頁2行目 誤:[199505] → 正:[199505a]
324頁11行目 誤:[1990:162→2012:262] → 正:[1990:162→2012:252]
324頁17行目 誤:第三版が[2012]〕) → 正:第三版が[2012])
329頁19行目 誤:[1975] → 正:[1975→2007:58→2009:58]
330頁14行目 誤:長瀬[1999] → 正:長瀬[1999]☆03
330頁14-5行目 誤:〔クァク[2017]〕等について本書7・254頁] → 正:トル
332頁16行目 誤:Haraway[1991=2000]☆03 → 正:Haraway[1991=2000]☆04
333頁10行目 誤:[200010b] → 正:[200010]
335頁7行目 誤:☆03 → 正:☆04

□第11章
336頁2行目 誤:第10章(298頁)と同じ。 → 正:第10章(298頁)と同じ(以下本書終わりまで同様)。
352頁6行目 誤:安積[1990:29-31] → 正:安積[1990b:29-31]
356頁9行目 誤:吉田おさみ → 正:吉田おさみ(もう一冊の著書は吉田[2981])
356頁12, 13行目 誤:稲場・山田・立岩 → 正:山田・立岩

□第12章
357頁2行目 誤:再録の仕方については第10章(298頁)と同じ。 → 正:トル
368頁8行目 誤:[199910] → 正:[199903]
384頁14行目 誤:[201707a] → 正:[201707]

□第13章
385頁1行目 誤:※金生由紀子 → 正:※初出は金生由紀子
385頁2行目 誤:再録の仕方については第10章(298頁)と同じ。 → 正:トル
398頁11行目 誤:このことを書いた。 → 正:このことを書いた。☆02
402頁14行目 誤:列挙する。 → 正:列挙する。私が担当した章の題は、(たぶん他の章の題も)編者から与えられた題。

□第14章
404頁1行目 誤:※多田富雄 → ※初出は多田富雄
404頁1-2行目 誤:再録の仕方については第10章(298頁)と同じ。 → 正:トル
405頁18行目 誤:[200307:34-47] → 正:[200306:34-47]
406頁7行目 誤:立岩[2005- → 正:立岩[200510-
411頁13行目 誤:立岩編[2017] → 正:立岩編[201707]
416頁15-18行目
誤:は以下のように書かれている。/「都合よく利用されても、専門家と称する「高齢者リハビリ研究会」のメンバーのリハビリ医は、一言も反対しなかった。腰抜けというほかない」(多田[200712:18])。 → 正:については、「都合よく利用されても、専門家と称する「高齢者リハビリ研究会」のメンバーのリハビリ医は、一言も反対しなかった。腰抜けというほかない」(多田[200712:18])と書かれる。『現代思想』掲載の多田の文章は多田[200611a](特集「リハビリテーション」)、多田[200803](特集「患者学――生存の技法」)。
※417頁2-3行目 改行せずつなげる

□ブックガイド
423頁11行目 誤:[200202] → 正:[200301]
428頁16行目 誤:[2009] → 正:[2009]、松井・川島・長瀬編[2011]
437頁10行目 誤:2冊 → 正:二冊
441頁5行目 誤:[200607] → 正:[200011]
443頁16, 17行目 誤:編者 → 正:著者
444頁2行目 誤:氏 氏 → 正:トル
444頁6行目 誤:[200909a] → 正:[200909]


■初出

◆2017/09/01 「『障害/社会』準備の終わりから3――連載・137」
 『現代思想』45-(2017-9):-
◆2017/10/01 「どこから登っていくか――連載・138」
 『現代思想』45-(2017-10):-
◆2017/11/01 「不如意なのに/だから語ること――連載・139」
 『現代思想』45-(2017-10):-
◆2017/12/01 「星加良司『障害とは何か』の1――連載・140」
 『現代思想』45-(2017-10):-
◆2018/01/01 「星加良司『障害とは何か』の2――連載・141」
 『現代思想』46-(2018-01):-
◆2018/02/01 「社会科学する(←星加良司『障害とは何か』の3)――連載・142」
 『現代思想』46-(2018-02):-
◆2018/03/01 「労働の場の編成等:星加良司『障害とは何か』の4――連載・143」
 『現代思想』46-5(2018-3):215-229
◆2018/04/01 「榊原賢二郎『社会的包摂と身体』――連載・144」
 『現代思想』46-(2018-03):-
◆2018/09/01 「非能力の取り扱い・1――連載・149」
 『現代思想』46-13(2018-09):224-237
◆2018/10/01 「『不如意の身体』に加えた部分――連載・150」
 『現代思想』46-15(2018-10):220-237
◆2018/11/01 「非能力の取り扱い・2――連載・151」
 『現代思想』46-(2018-11):-
◇2018/12/01 「『病者障害者の戦後――生政治史点描』――連載・151」
 『現代思想』46-(2018-11):-
……
◆2010/07/01 「留保し引き継ぐ――多田富雄の二〇〇六年から」
 『現代思想』38-9(2010-7):196-212 資料
◆2010/08/01 「「社会モデル」・序――連載・57」
 『現 思想』38-10(2010-8):22-33 [amazon][kinokuniya] ※
 http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%C9%A5%E9%A5%C3%A5%AB%A1%BC
◆2010 09/01 「「社会モデル」・1――連載 58」
 『現代思想』38-11(2010-9):
◆2010/10/01 「「社会モデル」・2――連載 59」
 『現代思想』38-(2010-10):→社会モデル
◆2010/11/01 「社会派の行き先・1――連載 60」


UP:201707 REV:201708, 0910, 1025 .. 20180903, 1108, 10, 12, 13, 14, 19, 25, 26, 28, 1207, 19, 31, 20190301
立岩 真也  ◇Shin'ya Tateiwa  ◇立岩真也:青土社との仕事 
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