岩楯 恵美子
いわたて・えみこ
・東京都国分寺市
・1951/06/19生
脳性まひ
・「私が十四歳のとき、祖母が病気のため亡くなり、その後二年間、祖母との生活が続きました。
私が十六歳のときのことです。
祖母も、私の世話ができなくなり、私は、東京の日本橋というところにあった老人ホームに入れられました。そこは寝たっきりのおじいさんやおばあさんが、三十名<0026<以上いました。そこで日常的に看護してくれる人は、三人しかいないために、[…]
そして、十七歳も終わりのころ、都立府中療育センターに入所しました(七六年十月二十四日)」(岩楯[1978:26-27]) cf.
府中療育センター闘争
・都立府中療育センター在籍しながらアパートでの生活を始める
・日野新施設建設に反対する会 (七人の会) 東京青い芝の会:77.6.19 「東京青い芝総会に向けての統一要求書」・『とうきょう青い芝』4:16 (74.12.18) , 『私も学校へいきたい』柘植書房,『CIL.Sニュース』8:1, cf.
『季刊福祉労働』2:122-129
◆岩楯恵美子学校へ入る会 19?? 『私も学校へ入る――障害者だって教育を受けたいんだ』,34p. 200
◆婦人通信編集委員会 編 197406
『婦人通信』31,婦人通信編集委員会,29p. ※r
私も学校に入る
――障害者だって教育を受けたいんだ
岩楯恵美子さんの就学運動を支援しよう 10-11
「[…]今、彼女はセンターから市内の小学校に入学するための運動の起こしている。[…]ここではパンフから「府中市教育委員会への要求書」を転載させてもらった。」
(p.10)
◆岩楯恵美子学校へ入る会 1975 『私も学校へ入る――障害者だって教育を受けたいんだ 増補改訂版』,61p. 300
◆岩楯 恵美子 著・「岩楯恵美子学校へ入る会」 編 19780620
『私も学校へ行きたい――教育を奪われた障害者の叫び』,柘植書房,271p. ASIN: B000J8OFS6 1800
[amazon] ※ e19.
◆清水 律子 19790325 「施設を内外から撃つ――岩楯闘争に関わるなかで」,
『季刊福祉労働』02:122-129
◆岩楯 恵美子 19850715 「障害者が自立するには!!」,『CIL.Sニュース』8:1
「私たち障害者が、自立して生きて行くには、たくさんの介護者が必要です。しかし、介護者が右から左へと、降ってわいてくるわけではない、ともすれば介護者探しで一日が終わってしまう日もある。
私たち(私は)[ママ]自分の人生の何十分の一かを介護者探しだけに終わらせたくない、ときには、映画やショッピング、コンサートなどの娯楽も楽しみたいのです。しかし、これらを楽しむにしても即、結びつくのが介護の問題なのだ。
そこで介護者のアルバイトと言う形を取っている。しかし、現在の介護体制でいいあろうはずがない。
では、どのように介護者を増やし私たちが自立して生きて行けるようにして行けばいいのか、現在抱えている大きな問題です。ともすれば今のこの社会から忘れさられやすい現実の中で、私たちは今よりさらに力強く介護者の人たちや地域社会に根強く訴え続けながら、毎日を精一杯少しでも充実感ある生活にしたいと思っています。
岩楯さんは、施設に在籍しながらアパートでの生活を始めた頃からかぞえると、10年を越える自立生活の大先輩です。国分寺市で生活しています。」(全文)
「岩楯さんと介護者」と記された写真掲載(岩楯さん、女性介助者3人、犬2匹)