八木下 浩一
やぎした・こういち
1941/09/18〜2020/02/10
last update: 20221021
◆2020/02/14 「おくやみ 八木下浩一さん 全国障害者解放運動連絡会議元代表幹事」
東京新聞 2020年2月14日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2020021402000124.html
八木下浩一さん(やぎした・こういち=全国障害者解放運動連絡会議元代表幹事)10日、肺炎のため死去、78歳。埼玉県出身。告別式は15日午前10時からさいたま市南区文蔵1の17の6、オーロラ・ホール南浦和で。喪主は弟敏男(としお)さん。
脳性まひによる障害を理由に就学できなかったことを疑問視し、28歳だった70年に地元・埼玉県川口市立の小学校へ入学。障害者の就学運動などを先導した。
- プロフィール
- 文献
- 主要著書
- 『季刊福祉労働』連載(時代の眼・少数異見)
- 座談会
- 新聞・雑誌インタビュー
- 関連文献
- 言及
- 企画
■プロフィール
19410918生、20200210死去(享年78歳)
埼玉県川口市。脳性マヒ者。1968年ごろから地域の小学校への就学運動を始め、1970年に聴講生扱いで埼玉県川口市立芝小学校に入学。翌1971年に29歳で学籍を獲得。
全国障害者解放運動連絡会議(全障連)の結成呼びかけ人として、関西青い芝の会連合会、
関西「障害者」解放委員会とともに名を連ねる。第3・4回大会にて代表幹事に就任→第5回大会にて相談役に。
川口に障害者の生きる場をつくる会代表、埼玉社会福祉研究会代表、
『季刊福祉労働』編集委員、千書房社長、
埼玉障害者市民ネットワーク代表、
埼玉障害者自立生活協会理事長→相談役。
■文献・報告
※は生存学資料室にあり
主要著書
◆19800125
『街に生きる――ある脳性マヒ者の半生』,現代書館,210p. ISBN-10: 4768433340 ISBN-13: 978-4768433348 1300
[amazon]/
[kinokuniya] ※ e19
◆19811025
『障害者殺しの現在』,JCA出版,231p. ISBN-10: 9831305434 1500 神奈川A27-212
◆八木下浩一 1971/06/19 「身体障害と教育――「29歳の小学生からの告発」」,
解放連続シンポジウム『闘争と学問』,於:東京大学・駒場
◆八木下浩一(ほか),197202**,『わたしの30年間』(目次の書名は『わたしの三十年 学校へ行きたい 障害者と学校教育』).
◆八木下浩一・名取弘文,19720401,「なぜ30歳で小学校に行くのか」
『理想』467: 46-61.
◆八木下浩一(ほか),1973****,『教育と障害者のこと』(目次の書名は『わたしの30年 学校へ行きたい “障害者と学校教育”』りぼん社.(※197202**の「複製版」。「あとがき」と「複製版発行にあたって」が追加されている)
◆八木下浩一,197303**,「人間にとって施設とは(府中問題によせて)」『障害者からの証言 その1』りぼん社,12-21.※
◆八木下浩一,197303**,「教育への告発(吹教組青年部祭)」『障害者からの証言 その1』りぼん社,22-32.※
◆八木下浩一,197511**,「重度障害者に関して」川口市に障害者の生きる場をつくる会
『川口市に生きる場をつくる運動――「障害者」が自ら創り、自ら運営する!』りぼん社,36-39.
◆八木下浩一・吉野敬子,19790325,「『障害者』にとって地域に生きるとは」『季刊福祉労働』2: 37-46.※
◆竹沢和恵・八木下浩一・平野栄子,19790925,「普通学級五年生になった和恵ちゃん」『季刊福祉労働』4: 51-62.※
◆八木下浩一,19800601,「障害児の成長は地域の子どもと――普通児のためにも一緒に学ぶのが本当」『月刊教育の森』5(6): 101-107.
◆八木下浩一,19801225,「スウェーデンの障害児教育」『季刊福祉労働』9: 62-68.※
◆八木下浩一,19820325,「スウェーデンRBU埼玉をゆく」『季刊福祉労働』14: 44-54.※
◆八木下浩一,19860527,「障害者から見た学校とは」岡村達雄・
古川清治編『養護学校義務化以後――共生からの問い』柘植書房,185-203.
◆八木下浩一,20101201,「かっこいい横塚さんとかっこ悪い私――『母よ!殺すな』復刊によせて」『月刊情況第三期』11(10): 160-175.
◆八木下浩一・齋藤雅哉,20170501,「地域にもぐりこむ」
『現代思想』45(8): 54-64.
『季刊福祉労働』連載(時代の眼・少数異見)
◆八木下浩一,19810625,「本当の完全参加と平等とは」『季刊福祉労働』11: 93-94.※
◆八木下浩一,19810925,「障害者を取り巻く親の最近の意識」『季刊福祉労働』12: 81-82.※
◆八木下浩一,19811225,「親は厚生省の回し者か」『季刊福祉労働』13: 70-71.※
◆八木下浩一,19820325,「今こそ真の障害者運動を」『季刊福祉労働』14: 109-110.※
◆八木下浩一,19820625,「障害者にとっての街づくり」『季刊福祉労働』15: 152-153.※
◆八木下浩一,19820925,「便利さの落とし穴」『季刊福祉労働』16: 142-143.※
◆八木下浩一,19821225,「堂々と性を語ろう」『季刊福祉労働』17: 163-164.※
◆八木下浩一,19830325,「優生保護法をめぐって」『季刊福祉労働』18: 157-158.※
◆八木下浩一,19830625,「あれだけ騒いだ普通学校に障害児が入った」『季刊福祉労働』19: 159-160.※
◆八木下浩一,19830925,「戸塚ヨットスクールの問題点はどこにあるのか」『季刊福祉労働』20: 123-124.※
◆八木下浩一,19831225,「精神衛生実態調査の実態」『季刊福祉労働』21: 159-160.※
◆八木下浩一,19840325,「『よい血』とはなにか?」『季刊福祉労働』22: 125-126.※
◆八木下浩一,19840625,「『不二愛育園』事件について」『季刊福祉労働』23: 141-142.※
◆八木下浩一,19840925,「第九回全障連大会にあたって」『季刊福祉労働』24: 126-127.※
◆八木下浩一,19850325,「全障連十年目をむかえて」『季刊福祉労働』26: 156-157.※
◆八木下浩一,19850625,「かかえこみでない運動を!」『季刊福祉労働』27: 113-114.※
◆八木下浩一,19850925,「あくまで実力闘争で」『季刊福祉労働』28: 89-90.※
◆八木下浩一,19851225,「第二回DPIバハマ会議に参加して」『季刊福祉労働』29: 106-107.※
◆八木下浩一,19860325,「最高裁の障害者差別は許せない」『季刊福祉労働』30: 145-146.※
◆八木下浩一,19860625,「選抜制度からはみ出した障害児」『季刊福祉労働』31: 102-103.※
◆八木下浩一,19860925,「普通学級でいじめられる障害児」『季刊福祉労働』32: 86-87.※
◆八木下浩一,19861225,「おかしな世の中,障害者も生きていく」『季刊福祉労働』33: 84-85.※
座談会
◆
横塚晃一・八木下浩一・山田慎三・阿部昭雄・高橋真幸・
高杉晋吾,19760401,「障害者にとって労働とは何か」
『現代の眼』17: 46-63.(再録:高杉晋吾,19771031,
『障害者解放と労働運動』社会評論社,127-154.)
◆
高杉晋吾・和田博夫・八木下浩一・
鎌谷正代・三井俊明・
三井絹子・新井啓太,19760801,「座談会 障害者にとって施設とは」
『市民(第二次)』11: 52-78.
◆八木下浩一・
村田実・北野浩平・
渡部淳・水沢洋,19761110,「座談会 障害者が“地域で生きる”とは」
『新地平』30: 52-63.
◆山中多美男・八木下浩一・近藤良一,198107**,「『生きる』ことの創造へ――『国際障害者年』をめぐって」『部落解放』168: 14-36.
◆小山内久・加藤まさ子・金井律子・
古川清治・
北村小夜・松村敏明・山口正和・八木下浩一,19811120,「座談会 ほんものの『障害児』教育とは」「ともにいきる教育」をめざす会
『ともに生きともに学ぶ――障害児はいま学校で』労働教育センター,233-270.
◆片桐健司・
北村小夜・
古川清治・山口正和・
山田真・八木下浩一・岡村達雄,19860527,「座談会 いま、地域の学校は」岡村達雄・
古川清治編『養護学校義務化以後――共生からの問い』柘植書房,205-246.
新聞・雑誌インタビュー
◆のびのび編集部,197501**,「『学校ってなぜ競争ばかりするんだろ』重度脳性マヒ者の八木下浩一さん」
『のびのび』2(1): 31-34.
◆「“街に生きる――ある脳性マヒ者の半生”を書いた八木下浩一さん」『婦人民主新聞』19800229,1面.
◆先見労務管理編集部,19840907「障害者が働ける環境ができていない インタビュー 八木下浩一埼玉社会福祉研究会代表に聞く」『先見労務管理』761: 4-5.
■関連文献
◆教育を考える会,197106**,「二九歳の小学三年生が誕生しました」『がっこ』4.(再録:19711031『がっこ』1971年3月−10月合併号: 8.;
渡部淳編,19730901
『反教育シリーズ�Y 知能公害』現代書館,129-130.)
◆西村秀夫,19720101,「障害者の教育権と内なる差別意識の克服」『婦人教師』57: 35-40.
◆
西村 秀夫 1972 「八木下さんを囲む会から」,解放連続シンポジウム「闘争と学問」実行委員会 編 1972
『れんぞくシンポとは――解放連続シンポジウム《闘争と学問》』,解放連続シンポジウム「闘争と学問」実行委員会,p.13
「「障害者はなんで普通学校へ入れないのか。なんで養護学校や特殊学級があるのか。なんで同じ人間なのに、就学猶予や免除があるのか。同じ障害者で、施設にいる人、家の中で寝てる人などがなんでいるのか。囲む会はそうした話し合いの中から発足したが、私は考えなければならないことがでてきた。それは『私を囲む会』ではなく『健全者を告発する会』でなければならなかった。」と八木下浩一さんは語る。
昨年六月一九日、二九才の小学三年生八木下さんを報告者としたシンポジウムの終りに、彼の提案で「八木下さんを囲む会」ができた。それ以来毎月一回三十〜四十人の人々(「障害者」「健全者」教師も施設労働者も学生も主婦もいる)が、八木下さんを中心に討論を重ねてきた。生産性第一主義のこの社会の中から「障害者」として切捨てられている人々が、自立してとらえ直す時、彼にとって教育とは何か明らかにしようとしてきた。それは、切捨る側「健全者」にとっても、人間観を新しくし、教育、労働、闘争を考え直す機会になった。生産に役立たない人々を、同じ人間として尊重する人間観に立つことがこの時代の課題になっているのではないか。
その一点をおさえてみるとき、選別教育の犯罪性が見えてくる。その「教育」をこえる道はどこに拓かれるのか。就学を拒まれている人たちを学校に入れてゆくことにより、普通学級を変えてゆこうとしている人たち(「がっこの会」「教育を考える会」の人たち)がいる。特殊学級の存在を前提として、「特殊」といわれている子供たちの自立を助け、共に闘ってゆこうとしている人たちがいる。小学四年になった八木下さん自身もクラス日常から「教育」を告発する歩みを進めようとし、参加者も、それぞれ自分の問題とのとりくみを進めてゆくだろう。」(全文、再録:
増田 洋介)
◆「障害者」の生きる場をつくる会,197511**,
『川口市に生きる場をつくる運動――「障害者」が自ら創り、自ら運営する!』.
◆
河野秀忠,20070110,「快男児・八木下浩一」
『障害者市民ものがたり――もうひとつの現代史』NHK出版,15-17.(ほか、言及箇所多数)
◆東京大学大学院教育学研究科小国ゼミ,20170308,「八木下浩一さん『就学闘争と埼玉での障害者自立生活運動』」
『「障害児」の普通学校・普通学級就学運動の証言――1979年養護学校義務化反対闘争とその後』3-13.
◆��橋儀平,20190810,『福祉のまちづくり その思想と展開――障害当事者との共生に向けて』彰国社.
◆小国喜弘,20191125,「大規模施設も養護学校もいらない――八木下浩一・『街に生きる』意味と就学運動」小国喜弘編『障害児の共生教育運動――養護学校義務化反対をめぐる教育思想』東京大学出版会,33-52.
■言及
◆立岩 真也 2010/08/12
「障害者運動/学於日本・2――人々」,
[English]/
[Korean]/
[Chinese]
「★01
八木下浩一 1941〜 1967年(当時26歳)地域の小学校への就学運動を始め、1970年に埼玉県川口市立芝小学校に学籍を獲得し就学。
『街に生きる――ある脳性マヒ者の半生』(八木下[1980]○)。→註11
全障連結成大会の写真(大阪人権博物館のHP)
http://www.liberty.or.jp/exhibition/A%20document%20introduction/A%20handicapped%20person.html
http://www008.upp.so-net.ne.jp/aiz/000honta-back-top_002.html」
◆立岩 真也 2013/12/10
『造反有理――精神医療現代史へ』,青土社,433p. ISBN-10: 4791767446 ISBN-13: 978-4791767441 2800+
[amazon]/
[kinokuniya] ※ m.
「全日本港湾労働組合横浜支部京阪港湾分会(全港湾横浜分会)」がAの支援に当たったことは記した。その組合で働いていた
伊藤彰信(七五年から全港湾中央本部書記局員)は
「ロボトミー糾弾全国共闘会議(ロ全共)」の立ち上げに関わり、その議長になる。その機関誌『ロボトミー徹底糾弾』の何号かを
桐原尚之が入手し、入手できた分については、そのガリ版刷り(をさらにコピーしたもの)の、時にひどく字の読み取りにくい全文を入力している。これまで記さなかった分だけ補足しておく。
七八年に準備委員会、委員長は佐久間茂夫(A支会)★21、七九年九月三〇日正式結成。議長は先述した伊藤。機関誌『ロボトミー徹底糾弾』一号(七九年一〇月)によれば、結成大会に集まったのは百名近く。名古屋事件のM、横手事件のA(準備委員会の発起人でもあった)、弘前事件のSも参加、「決意表明」を行なった。午前には
吉田哲雄(→◇頁)による講演があった。
赤堀 政夫の――静岡県で少女が殺された島田事件で殺人罪で死刑宣告を受けた赤堀政夫は冤罪を訴え、氏を奪還しようとする闘争があった(事件があったのは一九五四年、六〇年に死刑確定、八六年再審開始、差し戻し審で無罪判決が出て獄から出るのは八九年、よって書面での――のアピール(右の機関誌に全文掲載)、
「全国障害者解放運動連絡会議(全障連)」からは
八木下浩一がアピールを行なったという。翌一〇月一日には厚生省に要求書を提出、その要求は「一、精神外科を公認してきたことを反省し、謝罪すること。二、治療指針から精神外科を削除すること。三、精神外科被術者の恒久的な医療・生活保障のための処置を講ずること。四、以上の点について、我々と継続的に交渉をおこなうこと。」厚生省では公衆衛生局精神衛生課総務係長が対応、直接要求書を渡し、六日までに返事を得られるとの確認をとったが、結局門前払いをくらうことになる。
◇八木下浩一(一九四一〜)。埼玉県川口市生、六七年(当時二六歳)に地域の小学校への就学運動を始め、七〇年に埼玉県川口市立芝小学校に学籍を獲得し就学。全障連の第三回・第四回大会で代表幹事に選出、後に顧問。他に、「川口に「障害者」の生きる場をつくる会」、「埼玉福祉研究会」で活動。著書に八木下[1980]。
◆立岩 真也 2018/04/29
https://twitter.com/ShinyaTateiwa/status/990869412671455234
「大学院後期課程新入生の、埼玉の障害者運動を研究しよという、増田さんとやりとり。八木下浩一さんについてだけでも論文1つぐらい書けるだろうと返信→
http://www.arsvi.com/w/yk03.htm」
■企画
◆2015/01/24 「養護学校はあかんねん!」上映会&29歳で小学校に通った八木下浩一・一問一答
http://yellow-room.at.webry.info/201501/article_1.html
この時が分かれ道!―学校に行くことは差別を知ること。なぜこれほど怒れたのか?
〈「養護学校はあかんねん!」上映会&29歳で小学校に通った八木下浩一・一問一答〉
日時:2015年1月24日(土)13:30〜
会場:川口市芝公民館ホール(蕨駅東口徒歩17分、川口芝小学校向い)川口市大字芝3905番地
参加費:500円
主催:埼玉障害者自立生活協会・埼玉障害者市民ネットワーク 048-737-1489
*更新:
増田 洋介