いじめられる自分想像してタレント・ソニンさん
私は小学校から高校まで、いろんないじめにあいました。ずっと在日コリアン向けの民族(みんぞく)学校に通っていたのですが、小学生の時は、寮(りょう)の先輩(せんぱい)から殴(なぐ)られたり、寮のそばにある山の上でふとんをしいて寝かされたりしました。高校では、クラスメートから無視されたこともあります。 でも私は、進んでいじめに加わったことは一度もないつもりです。それは、いじめられる側のつらさをよくわかっていたからです。「私と同じ思いをさせてはいけない」と考えました。 中学生の時に、こんな子がいました。小学生の時から同級生をいじめ続け、中学に入ったら、今度はみんなから、無視されるようになったのです。その子は反省して、いじめをやめました。 一度、いじめられたことがあれば、人をいじめようとは思わなくなるはずです。いじめられたことがなくても、いじめられる立場に立ってみることはできます。想像(そうぞう)してみることは、できるでしょう。 でも、いじめている君も、いじめられている子と同じくらい、つらいのではないでしょうか。君をいじめに向かわせる「何か」があり、それが何なのか、君自身にもわからないのかもしれないと思うのです。 その心の内を、だれか近くの大人に打ち明けてほしい。そうして思いをはき出せば、もう、だれかをいじめなくてすむようになるかもしれない。 いじめている子も、いじめられている子も、両方とも苦しい。そんな苦しさを抱える子どもたちに、大人たちも、勇気をもって立ち向かわないといけないと思う。
(朝日新聞2006年11月24日掲載)
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