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菊地成孔×佐々木敦『ゴダールシンポジウム』レポート

早稲田大学小野梓記念講堂で文化構想学部表象・メディア論系主催として開催された『ゴダールシンポジウムvol.2』は、昨年同様に映画専門家以外が映画作家ジャン=リュック・ゴダールを語ることによって、広がりをもった見識を可能にする新しい試みだった。今回は「10年代に来るべき音楽のためのゴダールレッスン」をテーマに、著書『ユングのサウンドトラック』の中で音楽の観点から新たに映画を語り直すことに挑んだ菊地成孔と、著書『ゴダール・レッスン』で卓越した映画論を説いた佐々木敦が登場。映画作家ジャン=リュック・ゴダールの「つねに最も新しい」映画における「映像と音楽」の関係はいま我々に何を示すのか、独自の視点で語っていただいた。本稿では、第一部に菊地氏、第二部に佐々木氏それぞれによるプレゼンテーション、第三部で両氏によるディスカッションというイベントの構成そのままでレポートする。この貴重な対談が、テン年代を切り開くための重要な指針となることは間違いないだろう。

(テキスト:松井一生 撮影:小林宏彰)

第一部 菊地成孔によるプレゼンテーション
ゴダールは、見ることと聴くことの間に揺さぶりをかけた

菊地:ジャン=リュック・ゴダールという映画作家は、これまで社会主義(YMOなど)、お洒落カフェ文化(ピチカート・ファイヴなど)をはじめとし様々な観点から語られてきた人ですが、私は最新著書『ユングのサウンドトラック』の中で「ゴダールが音楽と女と資本主義を同一視してしまっているのではないか」という仮説を立てました。

ここで言う「女」とは、つまりアンナ・カリーナ(デンマーク出身のフランスの女優。ヌーヴェルバーグ時代に活躍し、ゴダール初期作品の代表的ヒロインであり前妻でもある)、「音楽」とは、つまりミシェル・ルグラン(フランスの作曲家。これまで多くの映画音楽を担当してきた)のことを指すのですが、ゴダールという作家の歴史は、映画音楽家と組んだ時代、そして組めなくなった時代に分けることができるように思います。

菊地成孔×佐々木敦『ゴダールシンポジウム』レポート
菊地成孔

また僕は、大谷能生君との著書『アフロ・ディズニー』の中では「視聴覚の齟齬」を切り口に20世紀文化史を語ろうと試みています。「視聴覚の齟齬」とはつまり、見ることと聴くことは元来全く別のものだということです。

映画を例にとれば、キャメラは我々の眼球のメカニズムを模範にし、見えているものを映し取ることができる。しかし、マイクというものは鼓膜のメカニズムと異なり、我々が普段耳から音を聴くようには現実世界の音を選択して録ることができないという、テクノロジーとしての「視聴覚の齟齬」があります。

このことを語るに際し、今からいくつかの映像を見てもらいましょう。

―アメリカのTVドラマ『グレイスアナトミー』上映

菊地:どうでしょう? 日本語吹き替え版で観ていただきましたが、俳優の唇の動きと台詞が自然に一致しているよう思えませんか?

お次はこちら。

―韓国のTVドラマ『私の名前はキム・サンスン』上映予定、が失敗

菊地成孔×佐々木敦『ゴダールシンポジウム』レポート

菊地:実際に観ていただくとわかるんですが、ここでは異様な現象が起こっています。韓国人俳優の唇の動きと日本語の台詞が、驚くほど一致してないのです。先ほどのアメリカのドラマと比べると、より明確です。

この差は、韓国人と日本人の顔立ちが近すぎるだとか、英語の発音が日本語に似ているだとかの問題ではなく、我々が欧米人俳優の口の動きと、日本語吹き替え間の音声の「齟齬」を修正する能力を手に入れていることを証明しています。

それでは、次のファッションショーの映像をご覧ください。

―パリコレクション2010春夏『ランバン』のショーの様子を上映

菊地:モデルたちのウォーキングに注目していただくとおわかりになるでしょうが、みんな音のリズムと足を動かすリズムがズレていますよね。ゼロ年代後期のモデルの傾向として挙げられるのは、音楽に合わせて歩くことも、外して歩くことも可能な人が増えたという点です。以前のモデルは自分が美しく見える歩き方をしていたわけですが、それが変わってきました。

では、こちらはいかがでしょうか。

―ミラノコレクション2010春夏『ミッソーニ』のショーの様子を上映

菊地:これは画期的なショーです。見ればはっきりとわかりますが、音楽に合わせモデルたちの動きがほぼ完全に一致している。まさに行進状態なわけです。

続けて、これを観てください。

―ウォルト・ディズニー長編映画第一作『白雪姫』(1937)上映

菊地:こちらでは、音と映像中のキャラクターの動きがピッタリ合っています。この現象をミッキーマウシングと呼びます。

本来、視覚と聴覚は全く別の世界を知覚しています。それが「視聴覚の齟齬」なのですが、我々は成長するにつれ、見ることと聴くことを同期する修正能力を獲得していく。このミッキーマウシングの状態は、その同期の極致です。ミッキーマウシングが、我々に、まるで幼児期に戻ったような万能感をもたらしてくれるのはそのためです。

以上をふまえ、このような「視聴覚の齟齬」を意識化させ、我々の現実に揺さぶりをかけるべく映画の固定概念を破壊し、新たな概念を導入したのがゴダールという映画作家である、という仮説を立て、私のプレゼンテーションを終わらせていただきます。

第二部 佐々木敦によるプレゼンテーション
ゴダールは、本当に映画を終わらせてしまったのかもしれない

佐々木:菊地さんが『アフロ・ディズニー』の中で展開したズレと同期論は、非常に納得いくものでした。

ゴダールの手法のひとつにソニマージュというものがあります。ソニマージュとは、フランス語のソン(音)とイマージュ(映像)を組み合わせたゴダールの造語なのですが、そもそも我々が映画を観るとき、映像と音響をあたかも同時に起きたことであるかのように錯覚しているけれど、実は同期しているわけではない。この盲点を突くことが、ゴダール独自の手法ソニマージュの本質、出発点でもあったわけです。

まずは、こちらを観ていただきましょう。

菊地成孔×佐々木敦『ゴダールシンポジウム』レポート
佐々木敦

―ゴダールの『映画史』 冒頭部分を上映

佐々木:これは、ゴダールが過去の映画の膨大なフッテージを再利用することを許されてつくったものです。ゴダールは例に漏れず、依頼されたものとは全く違うものをつくり上げたわけですが(笑)。観てもらえればわかるように、映画と音響のコラージュになっているんですね。

このようにゴダールは、あたかもDJのサンプリングやリミックスという感覚で、過去=映画史へ介入しました。この作品はフィルムで撮られていますが、その発想はビデオ的です。

では、ビデオがフィルムと何が異なるかというと、それは可変性、つまり早送りや巻き戻し、停止などが可能であるという点です。従来の映画には、上映という一回性・不可逆性が備わっていたのですが、ビデオの登場によってそれが破壊されたのです。これは映画が本来持っていた何かしらの喪失でもあったのですが、ゴダールはそれをポジティブに捉え、『映画史』を完成させました。

僕が映画評論家だった時代の最後に書いた『ゴダール・レッスン』には、「あるいは最後から2番目の映画」という副題がついています。この「最後から2番目の映画」というのは、ゴダールは映画が終わることの可能性を切り開き、自分をそのひとつ前に位置付けることによって、映画の終末をポジティブに捉えようとしているのではないか、という考えに依拠した言葉です。

けれど、この本を書いてから17年経った今、また新たな考えが浮かびました。もしかしたら、ゴダールは『映画史』によって、本当に映画を終わらせてしまったんじゃないかということです。我々は、それ以後のポスト・ヒストリカルな映画の時代にいるのかもしれない。

これは、何も映画だけに限らず、音楽や文学を語る上でも同じです。ある芸術の誕生以来の「歴史」が、既に一度終わったものだと語ってしまえる風潮が、20世紀の後半から起きていた。しかし、それでも時間の流れという意味での歴史は存在しており、もちろん我々もまた、その歴史の中で生きている。それが現在の状況ではないでしょうか。

ゴダールは、こうなることを90年代の時点で示唆していたのかもしれません。それでは、次にこちらを観ていただきましょう。

―ゴダール最新作『FILM SOCIALISM』予告編2分版上映


佐々木:すごくないですか、これ。『FILM SOCIALISM』はまだ公開されていませんが、たった今、ある意味で皆さんは『FILM SOCIALISM』を観たということになります。というのも、この予告編は全編をただ早送りしただけなんです。

ゴダールは90分近くある映画を、もっと短い時間で体験し所有するために、早送りすることを選択したのです。これは彼が、映画というものが必然的に属してしまう「時間」の概念を、ラディカルに突き詰めていこうとしているからでしょう。

僕も菊地さんも本編は観ていないので、どういう映画か2人で予想しようと思ってたんですけど、外れていたら恥ずかしいのでやめておきます(会場笑)。

第三部 ディスカッション
お宝の山を、ちゃんと扱えないゴダール(菊地)

司会:それでは、プレゼンテーションに続いて、お二人によるパネルディスカッションを始めていただきたいと思います。まず、菊地さん。佐々木さんのプレゼンテーションを聴いて、いかがでしたか?

菊地:今観た『FILM SOCIALISM』の予告編は2分バージョンだけど、僕は4分バージョンのほうが好きですね。音楽が早回しでキュルキュルずっと鳴っていて、それがもうたまらない(笑)。

―ゴダール最新作『FILM SOCIALISM』予告編4分版(上映は無し)



佐々木:先に4分バージョンができあがっていて、2分バージョンがある感じですよね。『映画史』でもフィルムを早送りしてキュルキュル鳴らしてるから、ゴダールはそういう音楽の使い方がずっと好きだったんでしょうね(笑)。

菊地:きっとそうだ(笑)。90年代以降の音楽の在り方、つまり既成音楽の一部を利用するヒップホップミュージック的な潮流とゴダールが共鳴するところはありますよね。

佐々木:たしかに、とりわけ80年代以降のゴダールがやってきたことはクラブカルチャーのリミックス手法に似ていると言われてきました。でも、当のゴダール本人はそれらを参照している節が全くないのが面白いですね。

菊地:うんうん。ゴダールにとって、やはり初長編作『勝手にしやがれ』で、膨大な量のフィルムを編集しなければならないという立場になったことが、以後の歩みに多大な影響を与えたと思います。つまり、目の前に膨大なお宝があるのに、それを従来の職人たちのようにちゃんと処理することができなかった記憶が、ずっと付きまとうんです。

佐々木:そもそも従来の職人的監督なら、撮影素材が膨大な量にはならないですしね(笑)。

菊地成孔×佐々木敦『ゴダールシンポジウム』レポート

菊地:次にゴダールがお宝の山を手に入れたのは、『女は女である』だと考えられます。ゴダールはミュージカルを撮ると言ってミシェル・ルグランに大量のスコアを依頼した。そしたら、今度はそのスコアを全て使わなければいけないという状況になってしまった。恐らく、最初は楽しく音楽をつけ始めたんだけど、最後の方はどうでもよくなってしまったんじゃないかな(笑)。

佐々木:そうかもしれませんね(笑)。

菊地:このような、目の前に積まれたお宝を「ちゃんと扱えない」という性質が、ゴダールの根底にあるような気がします。

モノをいじって遊ぶ時は絶好調でも、人間関係は上手くいかない

佐々木:無限とも思えるようなものを有限に整理しなければならないという状況下で、普通なら効率的な方法を探るはずなんだけど、そんなこと無理だと開き直るような振る舞いがゴダールらしさでもありますね。ただ、僕が興味あるのは、そもそもなぜそんな状況になっちゃうの? っていうことなんです。そこにこそ、ゴダールの病理があるように思うんですよ。

菊地:お宝を自分の玩具にしてしまう癖があるゴダールだけど、唯一そこに苦しみが感じられるのが『女は女である』の音楽の扱いなんです。80年代ゴダールは、同じことをしていてもなんだか楽しそうなのに対して、『女は女である』は映画も音楽もハッピーな雰囲気なのに、ゴダールにとっては地獄みたいに思えてしまう。終盤の延々と続く痴話喧嘩のシーンでは、もう余ったから適当に並べよう、みたいになってるし(笑)。

菊地成孔×佐々木敦『ゴダールシンポジウム』レポート

佐々木:そのシーンのためにつくってもらったわけじゃなくて、あったから使っちゃったという感じでしょうね。

菊地:そもそも映像と音楽は、嫌でも合ってしまうものなんです。それは我々に備わっている齟齬を修正する能力のためなんですが、『女は女である』の一部には貴重な違和感がある。

佐々木:映画の音楽を担当したことある人はみんな言いますよね。なんでも合ってしまうって。

菊地:そうなんですよ。そして、先ほど皆さんに観ていただいた『未来展望』(1967年のゴダール作品。シンポジウム前に上映)は、ゴダールとアンナ・カリーナ、ミシェル・ルグラン最後の共同作品になるわけなんですが、この作品について言うと、ゴダールはここまでずっとカリーナに対して、男としてグジグジしてきたわけです(会場笑)。

佐々木:それはもうプライベートの話になってくるじゃないですか(笑)。

菊地:まさにプライベートの話なんですよ(笑)。女の子も音楽家も寄って来るモテ期だけど、俺は一体どうすればいいんだというゴダールの苦しみ(笑)。ゴダールはモノをいじくり回して遊ぶ時は絶好調なんですが、人と人の関係は上手くいかない。特に音楽家と愛する人だけは特別な相手だったから、なおさらだったんじゃないかな。

佐々木:でしょうね。アンナ・カリーナとは最終的に公私共に破綻してしまいますが、それがゴダールの転機となったのかもしれませんね。

菊地:『未来展望』以降、ゴダールは映画音楽家とミューズとしての女優との仕事をやめ、音響設計師と提供レーベル、そして毎回変わるパッとしない女の人との仕事を選ぶようになるんですよね(会場笑)。

映像と音楽が別々である、というのは映画本来の宿命(佐々木)

佐々木:菊地さんのプレゼンテーション中にもあった、ズレと同期に関しては、映画と現実についても言えますよね。映画が同期しているように見えるのは、人工的なテクノロジーによって可能になっているだけで、本来の現実はそうではない。菊地さんの場合は、そこから「そもそも現実が非同期なんだ」という論を推し進めている。その非同期を認めてしまったら、我々は狂ってしまうと。

菊地:その通りです。ゴダールの他に、ペドロ・コスタ(ポルトガルを代表する映画作家。主な監督作に『ヴァンダの部屋』など)を例に挙げれば、彼の『コロッサル・ユース』はキャメラとマイクが一体化したDVキャメラで撮影していて、それをそのまま使えば現実に近い世界を切り取れるにもかかわらず、画は画で撮って、音はまた別で録っている。さすがにシンクロしているんだけども、作品中でズレていないから無意味というわけじゃなくて、別々に撮(録)ることこそが重要なんだと。

佐々木:そうですね。映像と音が別々にならざるをえない、というのが映画本来の宿命でもあるのに、それらを同時に手に入れてしまえる現状は、映画の在り様としてはいかがなものかと思います。それにペドロ・コスタは疑問を投げかけているんですね。

菊地成孔×佐々木敦『ゴダールシンポジウム』レポート

そもそも、音楽は発達してきたのかという懐疑があります(菊地)

司会:それでは最後に、今回のシンポジウムの本題でもある、ゴダールを知ることによって浮かび上がる2010年代に来るべき音楽についてお二人にうかがいたいと思います。

菊地:僕個人の話をすれば、やることはこれまでと変わらないですね。音楽という状況の中にも、ゴダール的な「シンクロ―脱シンクロ」は存在しているし、そこに次の可能性があるからやっているんだという思いです。

近代以降、新しいものが無条件で価値あるもののように扱われて、どんどん価値基準が更新されて水準が上がってきたように思われているけど、本当にそうなのか。近々、自分の10年分の仕事を全てUSBにまとめて発売するんですが…。

佐々木:まさにゴダールの『映画史』じゃないですか。

菊地:CDやDVDにしたら、70枚近くになっちゃう分量ですよ(笑)。それに関して言えば、10年前の自分の作品と昨日の作品を比較してみても、昨日できあがったものの方が、より水準が上だとは思えない。そもそも、音楽は果たして発達してきたのかという懐疑があります。

佐々木:それでも、今回ご自身の10年間をまとめることによって、ネクストステップとして新たな菊地成孔の音楽が生まれざるを得ないのでは?

菊地:僕はそうとも思ってなくて、今後も自分の中のアーカイブから持ってくるしかないんじゃないかな。ゴダールの場合でも、最新作『FILM SOCIALISM』は、かつてしていたことをもう一度やっているように思えますし。

佐々木:『FILM SOCIALISM』の予告編で起きているのは、時間の圧縮ですよね。圧縮するために早送りが行なわれている。或いは、早送りの結果として圧縮ということが起きている。テン年代は、こうした「時間圧縮」が様々な局面に出てくるのではないかと、僕は予想しています。

プロフィール
菊地成孔


1963年生まれ。音楽家、文筆家、音楽講師。85年にプロデビュー。デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン、SPANK HAPPYなどでジャズとダンス・ミュージックの境界を往還する活動を精力的に展開。現在は菊地成孔ダブ・セクステット、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールを主宰して活動中。主な著書に『スペインの宇宙食』(小学館文庫)、『歌舞伎町のミッドナイト・フットボール 世界の9年間と、新宿コマ劇場裏の6日間』(小学館)など。

佐々木敦

1964年生まれ。批評家。HEADZ主宰。雑誌エクス・ポ/ヒアホン編集発行人。BRAINZ塾長。早稲田大学および武蔵野美術大学非常勤講師。『ニッポンの思想』『批評とは何か?』『絶対安全文芸批評』『テクノイズ・マテリアリズム』など著書多数。



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