やはりミドリムシしかない、と思い定めたものの、とりあえず35歳起業を目途にといいつつ、研究資金を集めるため、社会勉強のためにと銀行に就職してしまう。折れかかった意思を立て直し、さまざまな人々の協力を得て会社を立ち上げた著者が改めて考える、起業とは、ベンチャーマインドとは。著書公開連載、最終回。

 

ベンチャーマインドとは、自ら定めた領域で「1番」になること

 最後に起業ということに関して、僕が考えていることを書き残しておきたい。

 僕はずっと起業家という存在に対して、激しい憧れを抱いていた。それはこれまでも書いてきたように、自分自身がずっと「レール」に乗った人生を歩んできて、何かに全身全霊を賭けるという生き方をしてこなかったからだ。

「自分も何かに本気でチャレンジしたい」という焦燥感と、「でもいま自分が持っているトロフィーを失いたくない」という不安のはざまで、揺れ動く日々を長い間過ごした。

 しかし思い切って銀行を辞めて、夜行バスに乗ってミドリムシの研究者を日本じゅう訪ね歩いているうちに、いつしかある1つの確信がめばえてきた。

 それは、「いま世界で、自分ほど、ミドリムシについて真剣に考えている人間はいないはずだ」という思いだった。技術的にはまだどうなるかわからなかったし、経営者として自分に適性があるかもまったく自信がなかったが、「ミドリムシについては世界で自分が1番だ」という思いは、揺らぐことがなかった。

 ライブドア・ショックのあとで、会社をたたむか、全財産をつぎ込んで事業を継続するか、迷ったときに最後のひと押しをしてくれたのも、この確信だった。そして、ここで諦めたらこの後の人生ずっと後悔する、ということも明白だった。

 本当にそれぐらい好きなことであれば、世界じゅうの人が止めても、誰1人応援してくれなくても、そのことをやり続けるべきだということを、僕はこの7年で学んだ。

 何年か前にある国会議員が「2位じゃダメなんでしょうか」とスーパーコンピュータの研究に関して言ったことが話題になった。このことについて、ことベンチャーに限れば、1位でなければ意味がないと、断言できる。世界に競合がいるようなビジネスの場合、「日本で2番、世界で5番」というようなポジションにいたら、すぐに新興国に追いつかれて競争優位性を失ってしまう。日本のパソコンやテレビが世界で売れなくなったのも、それらの製品が1番ではなくなったからだ。