建築不毛の時代と言われる第二次世界大戦をはさんだ10年間に建てられた貴重な建物。
コの字型の建物は島の住居棟のシンボル的存在だった。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
昭和20年 (1945) 〜33年 (1958) 築。RC10階、地下1階建。島内最大規模の建物。
コの字形をした建物の北棟 (写真左) が昭和20年築、東棟 (写真中央) が昭和24年築、
南棟が昭和33年築で、南棟は10階建、それ以外は9階建の変則的な構造をしている。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
小学校のグランド側からみた65号棟。壁面からはみ出している部分は、
当初エレベーターが設置される予定だったシャフト跡だが、結局部屋として使われた。
戦時中に施された迷彩柄 (と言うより黒い帯状の柄) が、僅かながら確認できる。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
4階までは柱の内側にベランダが、、5階以上は柱の外側に張り出しでベランダが
作られているので、上層階の方が間取りも広く作られている。
海越しに高島炭鉱があった高島が見える。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
この建物は独立した造りになっているので、眺望と風通がよく、環境は一番よかった。
島内の住居はすべて無料だったので、入居は希望者の中から抽選で行われていたが
この建物は常に人気があったらしい。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
65号棟は、経済状況の悪化と資材不足により建築の不毛時代と言われる第二次大戦
を挟んだ10年間で唯一作られた建築らしい建物でもあったが、
それは同時に炭鉱がいかに国の手厚い保護を受けていたかの証でもあった。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
旧棟の玄関には木製扉が設置され、玄関脇の窓枠も木製だが、
新棟の方には鉄の扉が設置されていた。手前に写るのはコンクリ製の防火用水槽。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
台所は玄関の土間を兼ねたスペースに作られていた。竈を設置することを考慮して、
分厚いコンクリートで固められているが、晩年は竈は使われなくなっていた。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
建物のいたる所にある共同洗濯場および炊事場。
海底水道が完成する前は、炊事洗濯は共同の場所で行われていたが、
開通以降各家庭に電気洗濯機が普及し、井戸端会議は無くなっていったようだ。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
65号棟には幾つもの地下室があり、そのうちの一つ、理容美容店。
地下で湿度が高いためかなりいたみも進行しているが、
パーマ用お釜をはじめ、島内では数少ない当時の面影を残す場所のひとつ。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
理容美容室とは別の階段を降りて辿り着く地下倉庫。当時は製氷室や米穀倉庫などとして使われていた。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
屋上には保育園呼ばれた幼稚園があった (一番上の写真、中央棟の屋上右側の建物)。
園児達によって作られた室内庭園は今も残っている。最盛期には園児220名、保母8名のマンモス幼稚園だった。
65号棟<報国寮>鉱員社宅
幼稚園の建物の外は屋上庭園として整備され、
プールや滑り台(ウォータースライダー式)があった。
滑り台は鉄製にもかかわらず、潮風にも耐えて、今も残っている。
外観北西正面
外観東側面
北旧棟中庭面
南新棟中庭面
廊下
玄関
台所
1階共同洗濯所
地下理容美容室
地下倉庫室
端島保育園室内庭園
端島保育園滑り台