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2ちゃんねる型「正義感」のいやらしさ

 ドメイン差し押さえが報じられている2ちゃんねるであるが、2ちゃんねらーが様々な騒動を起こすとき、そこには「正義に基づく暴走」がみられるように思う。

 彼らは、正義の旗の下に「悪人」を糾弾し、正義の旗の下に「善意」を喧伝する。今なお続くmixi乗っ取り犯による自己正当化の発言を見ている限り、彼らはあくまでも自分たちの行動が正しく、それに反するものをすべて敵と見なす。

 自分たちは正義である――だから何をやっても正しい、逆らう奴が悪い。そんな意識が2ちゃんねらーには見え隠れしている、と私は感じている。

(ここで言う「2ちゃんねらー」の定義は後述する)

2007年1月13日21:47| 記事内容分類:ウェブ社会| by 松永英明
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悪意と善意

 毎日新聞の記事「ネット君臨」に対する反論として、産経新聞のコラムはこう書いている。

 記事では「ネットでは住人たちが一つの話題に群がり、ときに『悪意』が燃えさかる。彼らはそれを『祭り』と呼ぶ」としているが、「祭り」とされる現象にあるのは「悪意」だけではない。古くは湘南海岸のゴミ拾いオフや、放火で焼けた折り鶴を広島平和記念公園に届けた「折り鶴オフ」、近くは経営難に陥った銚子電鉄を支援する「ぬれ煎餅祭り」など、「善意」と呼んで差し支えない祭りも、いくつも存在している。ネットでしばしば起きる「祭り」を、善意や悪意といったレベルで都合よく別の現象として解釈してしまうのは、的を外した理解だろう。

 私は、彼らが「悪意」に基づいているとは考えない。彼らは常に「善意」なのである。折り鶴やゴミ拾いはストレートな善意、逆に祭りとして叩く対象は「社会悪」であり、それを糾弾して社会をよくしようという「善意」なのである。

 自分たちは「社会正義」である、したがって、社会正義に反するものを叩くのは正しいし、世の中のためなのだ――それが彼らの「2ちゃんねる型正義感」の根底にある。

「社会正義」を錦の御旗にするいやらしさ

 ここで私自身の考え方の傾向について述べておく。それは「社会正義」を標榜する人たちが大嫌いだということだ。社会正義ではなく「自分個人の正義」を標榜し、あくまでも個人的な考えとして意見を述べるのであれば、「そういう人もいるんですね」で済む。しかし、「自分の考え」を「社会はみんなこう考える」とすり替えて押しつけたり、あるいは「世間ではこう考えている」ということを振りかざして、あたかも自分の「正義」が普遍的なものであるかのごとく振る舞う人は、大嫌いである。

 ここで私は「嫌い」という言葉を使った。正しいとか間違っているとか言うと、そこで私自身が社会正義を振りかざすという矛盾に陥ってしまうから、あくまでも私的な感覚である「嫌い」という言葉を使ったのである。

 好き嫌いに正邪も善悪もない。理由もないが、あえて理由を述べるならば、それは小学生が「みんなそう言ってるもん!」と主張するときと同じく、社会正義を振りかざすことで自己責任を放棄していると私には感じられるからである。

 世の中には、自分自身はどう考えるかは別にして、世間はこうこう受け取るぞ、とか、社会はそうは考えない、などと、自分を棚上げにして「世間」や「社会」に転嫁してしまう言説も見られる。つまり、自分自身の発言に責任を取っていないのである。

 責任が取れないことであれば、あくまでも第三者として、距離を取っていればいい。それなのに、「社会正義」の立場に立ち、「裁く人」「勝手判事」となって、社会的に「悪」とされる対象を攻撃しに行く。他人の尻馬に乗って、みんなと一緒に後ろの方から石を投げてみるわけである。

 こういう「社会」を持ち出しての自己正当化(一方で社会を持ち出しての他人の一方的糾弾)が、私は大嫌いである。とにかく虫酸が走る。だから、テレビのワイドショーも大嫌いだ。「悪人」とされた人のことを、よく知りもしないコメンテーターが適当な世間的判断に基づいて、悪を断じ、糾弾し、憶測で動機を決めつける。それを喜んで見ている人たちが、ブログやmixi日記でニュース記事に一行コメントをつけて「ひどいですね」と書き記して、あたかも自分は「彼ら悪人とは完全に断絶された善男善女」であるかのごとく主張する。まったくもって反吐が出る。

 世間や社会は、そういう態度を取る人たちこそが社会的であり、そういう断罪に加わらない人をおかしな人と考えるのかもしれない。だったら俺は変な奴でかまわない。そんな社会や世間に入りたいとは思わない。

2ちゃんねらーの定義

 というところで2ちゃんねるの話に戻る。

 「2ちゃんねらー」と言ってもいろいろな人たちがいるのは当然である。たまたま検索結果で2ちゃんねるのページを閲覧した人も、毎日毎時間書き込んでいるvipperも、どちらも「2ちゃんねる利用者」であることには違いがない。

 このページでは仮に「2ちゃんねるコミュニティに帰属意識がある人」と定義してみたい。つまり、2ちゃんねるが批判されると腹が立つ人である。これは私が以前から使っている定義であるが、私の嫌いなのは、こういう「2ちゃんねるコミュニティに帰属意識がある人」たちの振りかざす社会正義なのである。

 最初に引用した「イザ」の記事にはこうある。

ネットでしばしば起きる「祭り」を、善意や悪意といったレベルで都合よく別の現象として解釈してしまうのは、的を外した理解だろう。

 しかし、2ちゃんねるで起こった出来事を、善意の出来事と「一部の人」の悪事というふうに切り分けて考えているのは、2ちゃんねらー自身なのである。

 これは私のはてなの方でかなり以前にやりとりがあったことなのだが、たとえば殺人予告は「2ちゃんねる利用者の一部の人がやったことで、普通の2ちゃんねらーには関係がない」と主張する。なるほど。じゃあそういうことにしてもいい。ただし、その論理は常に一貫して主張されるべきだ。折り鶴やゴミ拾いといった「善行」についても、「2ちゃんねる利用者の一部の人がやったことで、普通の2ちゃんねらーには関係がない」と主張すべきではないか。

 もう一つ言わせてもらうと、「2ちゃんねるに参加している」人が「2ちゃんねるでいいことがあった」ということを誇りに思うということは、その人が2ちゃんねるに帰属意識があるということである。私は2ちゃんねるに帰属意識がないから、2ちゃんねるがけなされても腹が立たないし、2ちゃんねるが誉められてもうれしく感じない。単純な話である。ついでにいうと、私は「日本選手がオリンピックで優勝」しても別に誇りに思わないし、「日本チームが予選敗退」しても別に残念だとも思わない。ある意味で日本という「国」に対する帰属意識が希薄なのだろう。といって、日本に敵対心があるわけでもなく、日本にあるいろいろな文化などで好きなものは多いので、別に売国でも反日でもありえない。

2ちゃんねらーは「社会正義」に基づいて攻撃を仕掛ける

 話がそれたが、そういう2ちゃんねらーたちは、「2ちゃんねらーが訴えないといけない社会正義」を振りかざす。前出産経新聞の記事にはこうある。

「祭り」の一例として示された難病児募金の件は、自分も観察していたが、たしかに情報公開という点で不信感を抱かせる対応だったのは否めない。ブログを「炎上」させられた主婦の件も、そこに至った経緯は検討されてしかるべきだろう。

 いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」について、それを「詐欺」として断罪することが彼らの正義であり、その方法(たとえば「死ぬ死ぬ詐欺」というネーミングや、そもそも最初から「詐欺」を意図したのかどうかという検証の欠如や、どういうわけかNHK攻撃に展開する広がりなど)について疑問を感じる人がいたら、即「NHKの工作員乙」などと批判されてしまう。ここで、「炎上させられる方にも責任がある」という、いかにも2ちゃんねらー的な擁護は、あまりにも臭い。

 たとえば、このように書いたとたん、「NHK擁護」だの「死ぬ死ぬ詐欺の一味」だのと書いてくるのが2ちゃんねるである。私は受信料を払っていないし(なぜならテレビを一台も持っていないから払う義務がない)、受信料を払って見たくなるような番組があるとも思っていない。募金の件では、確かに情報公開という点において不十分であったと思う。しかし、だからといってそれを「詐欺」と呼んだり、炎上させてもいいのか。

 ここに、2ちゃんねるの「正義感」に基づいた行動がある。それは日本人に共通するものなのかもしれないが、今回は2ちゃんねるを舞台にした内容に限定して述べる。

mixi乗っ取り犯の「正義」

 自分たちは正義なのだから何をやってもいい、という考え方は、危険である。自分の正義は自分一人のものである、というふうに相対化して考えるなら、自分で自分の考えに責任を持ち、他人に転嫁しないわけだが、「自分は社会正義実現の一翼を担う」と考え始めると、完全におかしなことになる。

 たとえば、最近問題となっているmixiのコミュニティ乗っ取り事件であるが、

 これも、実は乗っ取り犯たちにとっては「正義」なのである。「おかしな運営をしているmixiに正義の鉄槌を下している」つもりなのが、彼ら「カリスマ」などの乗っ取り犯なのだ。

 そもそもは三洋社員の彼女のプライベート写真が流出し、その二人がmixiに実名登録していたことが発端だ。その写真を執拗に貼り続けたユーザー「亜門」が、mixi運営事務局から抹消された。そこで、複数アカウントを多数取得して、mixi内にその写真を貼りまくろう、と彼らは計画した。

 悪いのはmixiである。実名登録の危険性を放置していたmixi事務局である。彼女の写真を流出させた三洋社員である。実名登録していた二人である。そして、何より、その危険を警告していた人物をいきなり登録抹消したmixi事務局が悪の権化である――彼らはそのような認識のもと、mixiを攻撃し続けるのである。

 彼らは戦術を切り替え、ネカマとしてmixi男性ユーザーにすり寄り、自分のマイミクにした。その上でmixi事務局から登録抹消されるのを待った。そして、マイミクになっていた「被害者」もともに登録抹消された。

 「関係ない人間まで登録抹消するmixi事務局はおかしい」――彼らは正義を振りかざした。

 あるいは、mixi内に横行している「女性のふりをして出会い系サイトに誘導する悪徳業者」や、「mixi内部で詐欺やマルチ商法をやっている連中」、あるいは「mixiでナンパしようとしているエロ男」たちを批判し、からかう。その批判そのものは真っ当だとしても、彼らは自らネカマとなって他のユーザーを巻き込むという手法が「正当」ではない、ということには思い至らないのが彼らの特徴だ。

 また、mixi日記で飲酒運転をしたと書いている人たちの日記をさらし、そういう人を社会的に追いつめ、仕事を奪っていこうという流れもある。飲酒運転は許せない――それは確かに正論である。私も飲酒運転する奴はアホだと思う。しかし、だからといって、私が彼を裁く権利や義務があるのか? ない。ほんのかけらもない。その人の勤務先の会社や学校に通報すべきなのか? 否。私がそういう人を嫌い、「お前のような奴は許せない」と個人的に発言するならともかく、その人を潰すために人々を巻き込むのはおかしな話だ。問題があるなら、単に警察に連絡すれば、そこで終わりである。しかし、飲酒運転の被害者に同情するふりをしてコメントを書き込み、必要以上に個人攻撃をしていく彼らの「正義」に、正当性はまったくないのである。

 そして、ついに彼らはコミュニティを乗っ取り始めた。あるいは、実際に乗っ取った人間を賛嘆し、擁護し、その乗っ取りに反対する人間に対して名誉毀損や誹謗中傷、あるいは脅迫といった犯罪を犯していく人たちも続々現われた。「コミュニティを乗っ取ったのではない、正規の手段で譲られたり、あるいは取得できた管理人権限を使い、その範囲で変更を加えているだけなのだから、乗っ取りではない」などと屁理屈をこねる。たとえそれが「鳥肌実」→「金玉の裏」でアダルト系に所属を変え、万単位の多くの参加者に迷惑をかけていても、「mixiの機能の範囲内で正当にできることだから、それを批判する奴こそが荒らし」などと論理の逆転を狙ってくる。

 彼らはあくまでも正義のつもりなのである。そして、正義だから何をやっても許される、悪のmixiがすべて悪い、自分たちの行動で迷惑が起こらないように対処しないmixiが悪い、と責任転嫁するのである。

 あたかも「死ぬ死ぬ詐欺と言われる方に全責任がある、糾弾させているのはお前らの方だ」と主張するのと同じように。

彼らは「正しい」からこそ炎上する

 mixi乗っ取りは、2ちゃんねるの中でもごく一部の人間によるものであり、2ちゃんねるやvipperの中でも評判が悪い。したがって、私はこのブログで「2ちゃんねる VS mixi」とは一切書かず、「カリスマ一派」という呼び方を続けてきた。この点は誤解なきよう。

 ただし、これまでの2ちゃんねらーが社会問題について訴えてきた「社会正義」は、このmixi乗っ取り犯の事例と同じ思考回路に乗っ取っているように思える。

 のまネコもそうである(「パクリ・盗作」スキャンダル読本 別冊宝島 1257(没原稿サービス) [絵文録ことのは.]2006/01/26)。「みんなのもので一人が儲けるのは許せない」という「嫌儲」の正義を振りかざして、エイベックスを攻撃する。そして、その攻撃に疑問を持つ人間には「エイベックスからカネをもらっている」「社員乙」などと低次元な攻撃を加える(実際に私が言われたことである)。まったく同じ論理で、vipperまとめブログつぶし事件が起こった。2ちゃんねるvip掲示板のまとめブログがアフィリエイトで儲けている、と聞くと、別に自分が損をするわけではないのに、まとめブログをつぶしていく。みんなのもので儲けるのは許せない――それを社会正義に仕立て、「祭り」「炎上」にしていくのである。単に自分がアフィリエイトを踏まない、と表明すればそれで済むことなのに。

 「死ぬ死ぬ詐欺」と呼ばれた問題についてもそうである。彼らには確かに「一理」あるだろう。だが、その「一理」を、きちんと論理や事実を積み重ねて実証し、相手にも受け入れられるような形で提示していくという努力がまったく見られない。むしろ、冷静な人たちから見れば「それは逆にまずいでしょう」というような、犯罪予告や個人情報暴露や誹謗中傷や名誉毀損、場合によっては集団による圧力といった暴力に訴えていく。

 自分は正義、あいつは悪、正義が悪を裁くのはどんな手段をとろうとも当然、悪の側には全面謝罪以外の道は残されていない――そんな「2ちゃんねる型正義」の横行に、ネットは疲れている。

 炎上する側にも確かに問題があるかもしれない。しかし、炎上というヒステリックな方法を使う必要がどこにあるのか。単に、「自分は社会的正義、相手は社会的悪、だから、彼らをいたぶるのは社会的に認められた行為」だとして、自分のサディスティックな欲望を満たしているにすぎない。裁く権利があるのは社会でもなければマスコミでもない。検察官が告発し、裁判官が裁けばいいのである。それが気に入らないなら、自分が刑務所に入る覚悟で、世間や社会に責任転嫁せず、自分の責任で何なりと報復すればいい。

 弱者の代わりに報復してやる必要もない。そのようなゆがんだヒロイズムには本当に吐き気がする。助けを求められて、その責任を自分でかぶる覚悟があるというのならともかく、ちょっと弱者の代言人のつもりになって気取っている奴ほど虫酸の走る存在もない。被害者を勝手に代弁する人間は、自分が非難されない逃げ道を作っているだけだ。

社会的に認められたい2ちゃんねらー

 まあそんなわけで、2ちゃんねる的な「正義」の発露には、とことん吐き気がするわけだが、彼らもいいことは言っている。「やらぬ善より、やる偽善」。もちろん彼らは「やってる俺らの方が、口先ばかりの善人より偉い」という意味で使うわけだが、この言葉は「自分たちのやってるのは偽善なんだよな、エヘヘ」という意味でとらえてほしいと思う。そういうつつましやかさ――すなわち、この善というのは自分がいいと思っているだけで、社会的に認められるとか、それで自己肯定する道具になるとかいうわけではない、という自覚――があれば、それは嫌らしく感じない。ところが「何にしろ実践している自分たちは社会で役に立っている。俺たちを批判する奴らこそ、何もしていない偽善者だ」という意味を込めているように思えてならない。それが気持ち悪い。

 それは、「自分たちが「社会」の基準でありたい」という歪んだ願望があるように思われる。そう、彼らはどうしても「正義」の側に立ちたいのだ。だから、正義になれるチャンスがあれば、イナゴのように「悪」に押し寄せる。そして、自分たちが正義、彼らが悪、という思いこみが先にあるものだから、荒唐無稽な疑惑を思いついては相手に投げつけ、それが否定されなければ認めたものだというような押しつけを行なう。正義だ正義だと叫んでいれば自分たちが正義であると思っているから、相手の反論を受け入れず、批判されれば「それはお前のことだろう」とオウム返しにする。「松永は敵対する者をネットウヨク呼ばわりして仲間とともにつぶしにかかった」などと、事実に反するありえない過去を必死で宣伝してみたりもする。

 ゲッベルスの宣伝戦略、つまり「ウソも言い続ければ本当だと思われる」を実践している「正義の味方」の2ちゃんねらーたちは、それがいかに醜悪であるか気づいていないようだ。

「真偽」と「正邪/善悪」と「好き嫌い」はどれも違う

 ↑この小見出しはそのうちブログの記事のタイトルにしようと思っていたものだ。また改めてこの話は書いてみたいと思うが、自分としては「真偽」と「好き嫌い」についてははっきり主張するものの、「正邪/善悪」については採用しない。事実に合致しているか否かについては検証すればわかるし、好き嫌いについては他人からとやかく言われる筋合いでもないからだ。

 しかし、「正邪」や「善悪」を主張すると、それはどうしても戦いになる。世の中の戦いはすべて、「自分は正しい、相手は間違っている」と主張する人同士が起こしている。「悪の秘密結社」にも、世界征服という大義名分があるのだ。ブッシュとビンラディンのどちらか一方を「善」、どちらか一方を「悪」と呼ぶ瞬間、その人の世界は固定化され、戦いに巻き込まれる。

 おそらく、ワイドショー大好きが標準の日本社会では、私のような人間は異端だろう。そして、これが正しいとかこうあるべきだと言うつもりはない。私はどうしてもそのように考えてしまうのだ、という私的な話を今回は延々と述べた。

 もし、この記事に対して、「俺はそう思わない」と個人の責任において述べる人がいれば、それはそれで素晴らしいと思うし、場合によっては議論してもいいと思う。しかし、「社会的にお前は間違っている」とか、逆に「社会は2ちゃんねるを許すべきではない」という話をする人がいれば、私は無視する。そういうの嫌いなんだってば。

そして、ひろゆき

 2ちゃんねらーが決して「悪」とみなさない絶対的崇拝対象がある。それが、ひろゆきだ。

 ひろゆきは、たとえ電車男プロジェクトを仕組んで印税の何割かを別会社経由で手に入れることができたとしても、嫌儲厨2ちゃんねらーから糾弾されることはない。印税から幾ばくかを寄付したというひろゆきの発言に対して、疑問も持たずに流してしまう。「著作権的にややこしいのだから、誰がどれだけ収入を手にしたかくらい会計を明朗にせよ」と発言する「死ぬ死ぬ詐欺」厨もいない。

 2ちゃんねる(あるいはネット)の「みんなのもの」だと2ちゃんねらーが主張する「モナー」や「ギコ」などのAA(アスキーアート)について、エイベックスが類似商品を出せば激しく糾弾するのに、ひろゆきがその利用料を「供託」として受け取り、いずれサーバー代に使うと発言しても、決して非難されることはない。

 vipperまとめブログがアフィリエイトで稼げば騒ぐのに、ひろゆきが同じように2ちゃんねるスレッドを雑誌で紹介して原稿料を稼いでも、騒ぐ2ちゃんねらーはいない。

 ひろゆきが別会社を通じて収益を手にしつつも、2ちゃんねる本体と自分には資産がないように見せかけ、賠償金を踏み倒し続けていても、それに「○○詐欺」と名付けて騒ぐ2ちゃんねらーはいない。

 そこで「そうだよ。俺たちはひろゆき様を崇拝しているもの。ひろゆきはなにをやっても善、それ以外の人が同じことをやったら糾弾するんだ」と断言する人がいれば、私は逆に納得するだろう。「ああ、おかしな人がいるな。世の中広いな」と思うだけのことである。「自分とは違う判断基準の人がいるな」と思うだけのことである。

 しかし、そこで「ひろゆきは悪くない!俺たちは間違ってない! そういうお前はvipperまとめブログの手先か、死ぬ死ぬ詐欺の手先か、エイベックス社員か、NHKみなさまのNHKか」と言ってくるから、嫌いだと言っているのである。

念のためで何度でも書くが

 要点をまとめておく。変な読み取り方をする奴は嫌いだ。

  • この世の中に絶対的な正義、絶対的な善はありえない。個々個人の考える正しさのみが存在している。
  • 事実と合致しているか否かという意味で、真と偽は存在する。
  • 個々個人の判断として、好き嫌いは存在する。
  • しかし、自分の考える個人的な「正しさ」を、「社会的正義」あるいは「世間のあるべき姿」として主張する人がいる。私はそういうのは嫌いだ。
  • また、「社会的正義」あるいは「世間のあるべき姿」を勝手に想定し、自分ではなく世間や社会の要請として押しつける人がいる。私はそういうのは嫌いだ。
  • 彼らのいう「社会」や「世間」は、果たしてどれほどの広さ、どれほどの普遍性があるというのだろうか。
  • 私は、自分の意見や主張は、あくまでも個人的な考えとして表明する。社会や世間に責任転嫁したくはない。
  • もしそれに賛同者が多ければ、それだけの話である。もしそれに反発する人が多ければ、それだけの話である。

 このブログで「文化圏」という言葉を使い、それぞれの「文化圏」にはそれぞれの考え方があること、また、自分はどれを選ぶというのはあっていいが、どれが正しいとか間違っているというわけでもない、というふうに表現し続けているのは、このように「正邪・善悪」ではなく、単に違いとしてとらえたいと考えているからである。

補記:2ちゃんねる差し押さえとその後の歴史について

 2ちゃんねるが停止するという話がある。

 1998年、「あやしいわーるど」が閉鎖され、あやしい難民が生まれた。その一部はあやしいわーるど後継掲示板群を生み、一部はあめぞう掲示板に流れていった(LNBやなみかれや自アンなども含むが話を簡単にしておく)。

 1999年、「あめぞう」が「あめぞうウィルス」によって崩壊、あめぞう難民が生まれた。その一部はあめぞう後継掲示板群を生んだが、その中で、あめぞうの劣化コピーとして2ちゃんねるが登場し、あめぞう難民を吸収して最大の後継掲示板となった(2ちゃんねるそのものが「パクリ」と言われるゆえんである)。その後、2ちゃんねるは旧あめぞうユーザーとの対立を続けながらも、新しいユーザーを獲得して巨大化していき、現在の姿に至った。

 そして、何度かの危機を乗り越えた末、2007年、2ちゃんねるはついに差し押さえられようとしている。もしここで2ちゃんねるが停止したら、2ちゃんねる難民が生まれることは間違いない。では、その難民はどこで何を生み出すのか。

 巨大化した2ちゃんねるのすべてを受け入れるシステムは、一時的な退避システムでは不可能だろう。一部はYahoo!掲示板で暴れるだろうが、一覧性に欠けるYahoo!掲示板では物足りないに違いない。mixiで2ちゃんねらーはすでに少数派扱いだ。大量に流れ込んできても、mixiのシステムでは2ちゃんねらーは行動しづらい。結局、ひろゆきが「2ちゃんねる2」か何かを作ることになるのだろうが……。

 そもそも、「苦情を受け付けない」という方針によって、ひろゆき自身が「2ちゃんねるユーザーの違法行為についての連帯責任」をかぶることになり、しかもその責任をとらずに無視をするという態度をとったのが、この差し押さえ問題の原因である。と私は思っている。ひろゆきが今後も同じ態度をとり続ける限り、それは、2ちゃんねるの息の根を止める致命的な傷となると思う。

追記:1/14 11:30

 コメント欄より。

まぁ自身を正義の代行者だと思って渦中の人を叩いてる方もいるとは思いますが、そういう真性の方は少数でしょう。

悪人(とねらーに思われてる)を叩くという行為において、別に自身が正義である必要はないのです。

…(中略)…

悪人叩きの性質というのは、「正義の執行」ではなく、「悪への報復」だということですね。

 その辺も含めて正義感と言ってるわけです。

 一つめのコメントだと、「悪人叩き」「悪への報復」という言葉が出ているけれども、その「悪」と認定し、「悪なら叩いていい」と考えるレベルのことを「正義感」として書いています。だって、自分も「悪」だとか、同じような要素が自分にもあると思えば、「叩き」や「報復」に参加しようとは思わないでしょ?「あいつは悪だから叩きに行ってもいい」と思う、そのことを「正義感」として書きました。

 もう一つコメント欄から。

僕たちはただ面白いから炎上させるだけなんですよ。

別に正義感とかでやってるわけじゃない。

「祭り」に参加している2ちゃんねらーはほとんどがそうなんじゃない?

 これも同様。「面白い」という感情は「義憤」とは違うと思うけれど、しかし、「あいつは炎上させてもいい対象だ」と思っていて、しかも「炎上させられる方に問題がある」と考えているなら、それはここで書いた「正義感」と呼ぶに値すると思う。「正義感」というか、「炎上させていい」という背景にはやはり「相手を叩いていい」という判断が存在するはず。

 それと、炎上させたことを批判されると、そこに社会正義が持ち出されるのが嫌。「なんでエイベックスをそこまで叩くの?」「MAX松浦の反応が面白いから」と言い切ればいいのに、企業が匿名の創作を盗んだだの何だのという「正義」を持ち出すのが大嫌いだ、と言ってるのです。そして、2ちゃんねる型社会運動が展開されていってしまう。その大義名分があるがゆえに、炎上させる人たちが理論的に保護されてしまう。そういう流れの背景にある「あいつは叩いても社会から認められる」という考え方を「正義感」と呼んでいるのです。

追記その2:1/14 15:45

2ちゃんねるをマスコミに置き換えても文意は変わらんような

 そのとおりです。つーか、途中でマスコミの話もしてるし。

 で、追記すると「楽しいからやってるだけ」の背景にある「正義」の存在に気づけよ、という話。楽しんで悪役を引き受けているというのなら話は別なのだけれど。

追記その3:1/15 08:30

 私の考えは「念のためで何度でも書くが」で書いた通りである。

 2ちゃんねらーの定義と、正義の話がきちんと結びついていないという指摘は一つだけ見かけたが、それはそのとおりだ。最初は正義の話を書いていて、2ちゃんねるの話が主体になってきたので、最初に2ちゃんねらーの定義を入れた。それがふくらみすぎた感もある。私は正義や社会を振りかざして責任逃れしながら批判する人が大嫌いだし、「それと共通の行動をしている2ちゃんねらー」も嫌いだ(2ちゃんねらーすべてが共通の行動をしていると言っているわけではないのだが、その辺は読み取れないのかなぁ?)。この辺は改めて書く必要があるかもしれない。

追記その4:1/15 20:30

追記その5:1/17 12:00

当初本文中で「死ぬ死ぬ詐欺」を「死ね死ね詐欺」と間違って書いていたが、誤字なので修正したところ、どういうわけか「隠蔽している!」などと騒ぎ立てる人がいるので、修正したことを明記しておく。病気の女の子に2ちゃんねらーが死ね死ねと言ってるようにしか思えなかったのは事実である。そしてこれを「詐欺」と呼んだり、必要以上に追及することを当然と言ってみたりする神経は、まさに「いやらしい正義感」の発露と感じる。

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2007年1月13日21:47| 記事内容分類:ウェブ社会| by 松永英明
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コメント(107)

それが「正義」の性格じゃないの?

戦争ドンパチしてる国だって、
戦隊ものだって、
時代劇だって、
マスコミの報道だって、
「正義」を振りかざすヤツはいつでもそうじゃん。

単なる一記者が「悪徳」と言われている業者に突撃レポートするときとかの態度見てると、その業者が確かに「悪徳」と思えても、「はぁ?だからってあんた何様??」みたいなことほざいてたりすることあるでしょ?

ちゃねらー擁護するつもりないけど、偏狭すぎやしませんか?

>「正義」を振りかざすヤツはいつでもそうじゃん。

だからそれが嫌いなんでね。

ネラーなんてのは一言で言い表せるんだよ。
天邪鬼。もしくはツンデレ。
これ以外に言いようがない。終わり

2ch的ないやらしさについては、同様の感想
を持っておりますが、あなたが嫌いと書くこと
によって隠した、ご自分の中に内包する
正義感はどのようなものなのでしょうか?
その正義感は、おそらくあなたの価値観から
すればいやらしくないのでしょうが、どのようなものなのでしょうか?

このブログというツールを使って「2ちゃんねるに対して批判する」という構造だって言ってみれば2ちゃんねる型の正義となんらかわらないと思います。

うーん、ちょっと価値相対主義に陥っているように思えます。

一般的な善悪・正義不正義の存在を認めないと、
法や制度の根源をどこに求めるんだ?という問題が生まれる。

僕も社会正義云々を掲げて活動する連中
(プロ市民とか)は大嫌いですけどね。

とりあえずだ、がんばれ。
 書かれてるのは正論だが正論が通じないヤカラが多いのは、2ちゃんねるにかぎらず、2ちゃんねるが毛嫌いする「世間の常識」だ。そこに差はない。

 なにかを断罪するには同レベルに堕ちなければならない。その覚悟をもってさえいれば、自由に発言できると思う。
 つぶれない程度にがんばってくれ。

2ちゃんねるのドメインが押収されるだけであって、サーバ自体が押収されるわけでないので2ちゃんねるの運営は継続されると管理人から発表されている。

ニュー速から来ました。賛成ですね。どんな世界になってほしいか(好き嫌い)とどんな世界になるべきか(正義の強制)をごっちゃにする人多いですよね。そして後者には究極的には理由はないんですよね。人類が存続しなきゃならない理由なんかないし。だったら、開き直って前者=個人のわがままを貫いて「人類が存続しなきゃならない根拠はないけど、おれは存続させたいんだー」と叫んでほしいですね。

と、思ったら
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1168697605/l50 けっこう2ちゃんねらは犯罪者に優しいみたいです。

面白いが正義

2ちゃんねらーと一括りにしてる時点で大きく勘違いしてると思うけどな
イスラム教の信者はみんなテロリストって言ってるのと同じじゃない?

2ちゃんねるコミュニティに帰属意識がある人
という定義ならば、あなたが批判されている対象として
広すぎるように思います。

あなたが批判されているのはもっぱらニュース速報板などの「社会問題」を扱う板に常駐してなんらかの「正義に基づく」と証した問題行動起こしている人でしょう。
しかし、多くの2ちゃんねらーはおそらくそのような社会的行動を知りもしないでしょう。

例えば、私は「プログラム板」をかなり頻繁に読んでいて、時と場合によってはかなり有用だと思っています。この板には時折来る初心者に対して「相手が不勉強なことを無視して何でも答えを教えてあげる」といった独特の風土をもったスレッドがありますが、こういう文化はおそらく「匿名&独特の文化」という2chならではのものでしょう。初心者に何でも答えを教えることがいつも
正しいとは限りませんが、有用な局面があることは確かでしょうし、そうした2chの有用性を僕は評価しています。(まあ、私自身は質問する側に回ったことが1度しかありませんし、答えた回数のほうも数度ですが。)

こういった独特の有用な文化を持つ板にも、「2ちゃんねらー」=(あなたの定義によると)2ちゃんねるコミュニティに帰属意識がある人は存在します。かれらは、各自自分の興味のある分野のスレッドに常駐して、それなりに有用な知識(例えばプログラムのドキュメントに掲載されていないバグ情報)を無償でお互いに提供しているのです。

あなたが、数ある板のうちの「社会系」の板の問題だけを見て、「2ちゃんねらー」全体を非難することには違和感を禁じ得ません。

自分の意見は好き嫌いという主観だからね~
自分の意見を書くだけだからね~

という盾をあらかじめ作っておいて
自分の論理を永遠と主張
何がしたいんですか?

好き・嫌いで書いてある文章見ると逃げ道作ってるようにしか見えないよ?
これじゃ意見じゃなくて感想にしかなってない。
責任から逃げてるようにしか見えない。名無しでしゃべってるのと差がないでしょ。

あと関係ないけど圧倒的多数な2ちゃんねらーと一個人がやってるブログが論争するのは無理だと思う。2chに在る意見に反論したいなら2chでやるしかない。がんばれ。

まるで世捨て人の戯言ですね
合戦のど真ん中一人停戦を唱えても誰の耳にも届きません
リアルじゃもっと馬鹿なものにまで善悪の区別をし、更には権力と金まで絡んでます
2ちゃんねる含めみんな気付いてますよ
あえて言うのは中二病です

↑にもあるけど、
「正義感」が行動原理ってよりは、
面白いからやってるのが大半じゃねーの?

いつのまにか2ちゃんは自分をダメ人間だと自覚できない人たちであふれかえってしまいました
これはもうだめかもわからんね

ご自身のスタンスを明らかにしたかったんですよね?
それこそ松永氏の「好き嫌い」なわけで。

今後は今までのように
荒らし連中の事実を列挙して、
彼らを糾弾していければいいのかと。

コメント欄を読むと

>圧倒的多数な2ちゃんねらーと
>一個人がやってるブログが論争する
>のは無理だと思う

>一人停戦を唱えても誰の耳にも届きません

>2ちゃんねる含めみんな気付いてますよ

圧倒的多数とか、誰の耳にも届かないとか、みんな気付いている・・・とか、ここらへんで自分たち一部ねらーと世間一般、あるいは他のねらーと区別できないことが図星になっているんじゃないかと思う。

>>ひろゆきが今後も同じ態度をとり続ける限り、
>>それは、2ちゃんねるの息の根を止める致命的な傷となると思う。

読ませていただきました。
この指摘には同意しますね。
2chが愛された理由のひとつが「無責任な発言が出来る」ことであったからです。良い意味でね。
今、その無責任に徹したことがツケとなって巡ってきた。
何でもそうですが、ある利点で物事が発展すると、
いつかその「利点そのもの」が短所として問題となってくる。
2chは閉鎖か、変化するのか、現状維持か。
歴史の分岐点ですね。まさに。

チャンコロはとりあえず誰が言ったか分からない意見なんかクソだってことを理解することから始めるべき(´ー`)
責任をちゃんと取れる状況になって初めてスタートであって、匿名が責任の所在も分からないところでギャーギャー騒いでいてもそれだけのことですよって。

> このブログというツールを使って「2ちゃんねるに対して批判する」という構造だって言ってみれば2ちゃんねる型の正義となんらかわらないと思います。

いいえ、責任の所在が違います(´ー`)げんしけん読め

論争に関してはどうでもいいけど、なんでここはコメントの文字の大きさが本文に比べて小さいんだ?

なんか、意図でもあるんか?

まぁ自身を正義の代行者だと思って渦中の人を叩いてる方もいるとは思いますが、そういう真性の方は少数でしょう。
悪人(とねらーに思われてる)を叩くという行為において、別に自身が正義である必要はないのです。
毒をもって毒を制すとでもいいましょうか。娯楽物でも悪が悪を裁いてスカッっとする話とかけっこうありますよね。
悪を裁く方法が仮令間違っていたとしても、とりあえず非道な行為をした人間がその報いを受けると、人はそこにある種の満足というか安心というかそんなようなものを覚えられるモノなのです。
悪人叩きの性質というのは、「正義の執行」ではなく、「悪への報復」だということですね。
悪いヤツを自分達の手で酷い目に合わせることで、懲悪痛快娯楽劇の登場人物の一人となり、自身の義の是非を問わずとも楽しむことが出来る、といったところでしょうか。勧善ではないわけですから「いいや貴様らは善ではないし正義でもない」というのは至極もっとも且つ、もっともすぎて的外れな意見かと。

kyoumoeみたいなブロガーだか、2ちゃんねらーだか、チャンコロだか、松永ファンだか、本人の別名だか、ハンドルネームだか分からんような、素性も分からん連中が偽名ばかりで、責任の所在が云々いって強がれちゃうネットって怖いわ(´ー`)

記事の内容云々の前に、記事を自分の好き嫌いをもとに書いている点が問題だと思います。

>「その論理は常に一貫して主張されるべきだ。」
 ここでいう「2ちゃんねらーの定義」に絞ったとしても、多くの様々な人々の集合であるから、一貫される事を期待するほうが気持ち悪い。
 それはつまり、集団を一つの個として捉えてしまっている視野の狭さを表している。

がんばれ!がんばれ!
2ちゃんねらー 好かん。

僕たちはただ面白いから炎上させるだけなんですよ。
別に正義感とかでやってるわけじゃない。
「祭り」に参加している2ちゃんねらーはほとんどがそうなんじゃない?

この記事も結局は釣り?でしょ。

僕たちは新築祝いの餅撒きに加わっているだけなんですよ。
別に正義感とかでやってるわけじゃない。
そこに餌があるから食いついているだけ。本能なんです。

批判への対抗のための方便として正義がでてくるだけでしょう。単にディベート技術の好き嫌いというレベルの話でしょうか?

ちゃねらーの祭りの背景にはある種の<社会的正義感>があるというのは同意です。
但し、人が<社会的正義>を要求するのは、根源的な欲求であって、
好きや嫌いの問題で済むことではないと思う。<社会的正義>を欲求するとは、
言い換えれば<社会を形成したい>という人間の根源的な欲求なのだから。

もし、こうした欲求が消滅すれば、社会は解体してしまう。

祭りで弊害をもたらすちゃねらーの場合は、<社会的正義への欲求>を実現するための、
手続き的な合理性や自己点検や自己責任性の自覚が欠落しているということなのであって、
この点を混同して、<社会的正義への欲求>そのものまでを否定するのは、暴論に見えます。

問題は、常にやり方の、手続きにおける正当性なのではないですか?

> kyoumoeみたいなブロガーだか、2ちゃんねらーだか、チャンコロだか、松永ファンだか、本人の別名だか、ハンドルネームだか分からんような、素性も分からん連中が偽名ばかりで、責任の所在が云々いって強がれちゃうネットって怖いわ(´ー`)

偽名でも名前があれば誰なのか分かるだろう。
作家のペンネームは個人の特定が出来ないのか?

> 僕たちはただ面白いから炎上させるだけなんですよ。
> 別に正義感とかでやってるわけじゃない。

こういうところで無意識に「僕たち」って言っちゃうのが帰属意識の現われだな。
つか面白いから何をやってもいいという考え方だったら本当に死んだ方が世のため人のためだよ。

正義感を振りかざす連中は「2ちゃんねらー」だけじゃないと思うけどな。

2ちゃんねる古来の言い回しで感想を述べると
「オマエモナー(藁」ですな。

良心とか倫理なんぞ二の次で、とりあえず社会的ルール=法律に反してなければそれでいい。
たとえ反していても見つからなければそれでいいという考え方を、社会のトップが多数率先しているのが日本と言う国ですから、
それ見て「だったら俺も許されて然るべきだ」と考える馬鹿が多数輩出されるのも致し方ないことですよ。

とはいえ、悪事で大金を稼ぐのもそれなりに才覚がいることですから、誰もができるわけではない。
せめて、自分から見て悪そうな奴、叩きやすそうな相手を攻撃して快哉を叫ぼうって庶民的娯楽ですな。

それが2ちゃんねるというツールによって良く見えるようになってるだけで、ツール自身やツールの使い手に嫌悪感をおぼえるのは筋違いでは有りませんかねぇ?

どうやら2ちゃんねらーの正義感の発動に対して異を唱えているようですね.その感想自体には何ら文句は無いのですが,別の解釈を私が持っていて今それを言いたい気分なのでこれから言及したいと思います.

まず彼らに正義感はありません.そう見えたのは幻想にすぎません.彼らの思想や行為は左翼のそれと同等であって,彼らの振舞いには自虐的な使命感こそ認められるものの,普遍性を持った正義感は含まれておりません.似非正義感の代わりとして自己陶酔性を備えているだけなのです.

もうひとつ.2ちゃんねらーとひろゆきの関係について.私の見解では,両者の関係はイスラム教型の宗教的関係性に相当です.つまり「ムハンマド」ひろゆきに対して絶対服従する「ムスリム」2ちゃんねらーが「聖戦」"祭り"を偶発的に発生させる構図を想起させます.少なくとも私は.もっと言えば,大日本帝国の頃の「朕」ひろゆきを無根拠で祀る「愛国心軍国徒」2ちゃんねらーの関係性に帰着できるのです.

以上で言及終わり

私は2ちゃんねるというのは、ただの掲示板というツールとしか見ていないですね。
当たり前だが、インターネットなので世界中と通信できる。しかも巨大で人が多い。
それで、小数派の価値観を持っている人が集まれば、それなりの人数となる。しかも匿名性により壁を越えた付き合いができる。
しかしその匿名性は、壁を簡単に超えられ、ある程度なら責任から逃れることが可能ということでもある。

そのため、ある人(達)が思う「正義」を壁を越えて示すことができる。しかも、犯罪まで行かなければ、責任を取る必要が無い。
その匿名性を、さらに強め、簡単にやりとりをできるようにしたのが「2ちゃんねる」だと思います。
それにより、一般の人が現実世界でとてもできないことが、簡単にインターネットを通じてできるようになっただけだと思います。

どうでもいいけど、なんで共存しようと思わないかねぇ・・・。
ただ単に、こういう敵対的な文だけを書いても解決し無いどころか、むしろ燃料を補給しているということをあなたは一番理解してると思うのに。

『リンク追記:典型的な例』であげられていることをそのまま逆にすると、あなたが主張していることと同じになってしまうのですが、それはあなたにとって『例外』なんでしょうかね。
まぁ、あまりにも極端すぎるのではないかと。

どう読んでも、「面白いから」と「正義感」は直接は繋がらない。
別に「社会的に許され」なくたって、「炎上」させちゃいけないって解ってたって、
祭りとして成立すれば面白いからって人もいる。

全部一括りにして、炎上に参加する全ての2ちゃんねらを語ってるから違和感があるのかしら。
無理に一括りにしようとしている印象を受ける。

>僕たちはただ面白いから炎上させるだけなんですよ。
別に正義感とかでやってるわけじゃない。

これはもう、「私はアホです」と告白しているようなものでしょう。なんの反論にもなっていない。だからなんなんだ?
「2ちゃんねらーはアホ」というのはこれで立証済みです。
そしてこの書き込みに怒るのが「2ちゃんねらー」。

2chの荒らしたちも、公人と私人の区別をつけるべき。私人の場合は個人情報を晒して仕事場にも電話をかけまくって退職に追い込めば、生活できなくなる場合がある(この不景気で再就職が楽とはいえない)

kyoumoeという名前で書き込んでみるテスト。
この名前って誰でも名乗れちゃうんだったら
個人の特定なんてできてないんじゃないのかな。
ということをNo28は言いたいのでは?

>これはもう、「私はアホです」と告白しているようなものでしょう。なんの反論にもなっていない。だからなんなんだ?

だから、そこ(正義)に理由を求めてないってことなんだろうよ。
そういう反論なのではないか。

あれ?釣られた?

上でも誰かが書いてるが、正義感のために動いてる2チャンコロなんて殆ど居ないんじゃないかね?
(事件によって、確かにそういうものもあるが、大多数は違う)
安全な場所から集団リンチを楽しみたいから、リンチをする理由がある奴を探して回ってるだけで。

覆面をつけたドキュン集団が街中を練り歩いて
「あ、お前ガムを道に吐いたな!」→集団リンチ
「あ、お前は韓国人だな!」→集団リンチ
「あ、お前は俺達の悪口を言ったな!」→集団リンチ
↑大体こんなイメージですな

だから
>安全な場所から集団リンチを楽しみたいから、リンチをする理由がある奴を探して回ってる
これを「正義感」として扱ってるとあれほど

2ちゃんねるは基本的に放置で十分と思います。
偽善的正義においてはマスコミ、ジャーナリズムのほうがはるかに権威的で巧妙で悪質です。

かつて自らの正義を振りかざして地下鉄に毒をまくなど大活躍した宗教団体がいましたが、構造的には一緒ですな。帰属意識の高い人ほど、それが批判されたときにぎゅーぎゅーに拳を握りしめて我慢を重ねて被害者意識を高め、低い沸点でそれを爆発させる性質は、日本人に特徴的なものなんでしょうかね。嗚呼、住みにくい世の中だ。

2chにはダム板や地震板、お料理板など素朴で地味な板にもたくさんの住人がいることを知っていただきたいと思います。
白血病解析プロジェクトや湘南ゴミ拾いオフ、新潟募金や濡れせんべいで赤字路線を救う祭りを偽善というのはうがちすぎだと思います。

>>54
脊髄反射せずに、ちゃんと中身を読もうね( ´∀`)

このブログ記事について

このページは、松永英明が2007年1月13日 21:47に書いたブログ記事です。
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